この地を愛されるように

中西 敏夫



 大阪市生野区。この地を知っている人はどのくらいいるだろう?

 私は、この地に生まれ、高校時代まで育った。そこは、一つには自分の生地であるという意味と、それ以上に何を目標に生きていけばいいのか迷った時にふと思い出すある種の「原点」となっている場所でもある。

 大阪市生野区。そこは、在日朝鮮人・韓国人がおそらく日本中で一番多く住んでいる場所でもある。小さい時、白いチマチョゴりを着た列をなした大勢の人たちが、太鼓やカネを鳴らしながら町中をうねっているのを見た想い出がある。今から思うと、それは彼らの祖国朝鮮のお祭りか、何かお目でたい行事だったのではないだろうか?旗をなびかせ、踊り、歌い、楽しそうに何人もの人たちがにぎやかにねり歩いていた光景が今でもくっきりと、目の奥に焼き付いている。

 何か意味不明の言葉を話し合っているのを聞いた覚えがある。幼い頃の、そして、初めての外国語を聞く「初体験」でもあった。

 小学校の一クラスのうち、四分の一から三分の一ぐらいの割合で在日朝鮮人・韓国人の子どもたちが在籍していた。彼らがいることが日常であり、彼ら抜きに友達関係はありえなかったが、問題はそれほど単純ではなかった。

 幼い子どもたちの間とはいえ、大人社会の影響を受け「差別」は厳然として存在した。いや、何も知らない幼さがある故に、その意識はストレートに子どもの中に入りやすい要素が十分あった。日常性の中での、言葉にも出来ない「状況としての差別」である。

 彼らは、自分が朝鮮人・韓国人であることが言えず、名前を日本風に変えてはいるが、幼いとはいえ人間の持つ感覚というか、直感というか恐ろしいもので、私たち日本人は何か「違う」ものを感じていた。

 朝鮮人であるという自らのアイデンティティを、誇りを持って訴えかけられない時に、不幸が生まれる。それは、ある時には卑屈さであり、ある時には不良に走ることであり、暴力であり、盗みであり・・・

 島国日本であるだけに、日本人は本当の意味で、民族問題を理解することが困難な問題点を持っている。歴史を振り返り、まず過ちを認める所から出発することが必要なのだろう。

 かつて、あそこは朝鮮人がたくさんいるから行かないほうがいいよ、と蔑まれた場所が、今やコリア・タウンと呼ばれ、誇りを持って生きる若い世代の拠点となっている。

 時代は変わるものであり、何よりも変えられるものだと痛感する。



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 1960年代、アメリカの黒人たちはキング牧師たち指導者を中心にして、自らの社会的な権利の拡大を求めて大きな運動を展開してきた。それは、後に、公民権運動と呼ばれる歴史的な勝利の闘いへと導かれていくのだが、それとほぼ同時に、マイノリティと言われる少数民族のための闘いも粘り強く推し進められていた。

 その中に、現在、ネイティブ・アメリカンと呼ばれるアメリカ・インディアンたちの闘いも含まれており、60年代のマイノリティの運動の中で、白人中心の価値観はすべて問い正されていった。

 「インディアン」という言葉から、私たち日本人は何を思い浮かべるだろう?

 裸馬にまたがり、バファローを狩りする姿。鷲の羽がたくさんついている髪飾りを身につけた酋長の雄姿。三角のテントの群れ・・・

 白人たちの幌馬車を襲い、頭の皮をはぎ取る。

 そこにはいかに歪曲された歴史観が忍び込んでいたことであったか!

 この度、『ブラザー・イーグル、シスター・スカイ 〜 酋長シアトルからのメッセージ 〜』を訳出する機会を得、自らの中にある「朝鮮問題」とも重ね合わせ、感慨深いものがある。

 この絵本の主人公・酋長シアトルは、1790年頃に生まれ、1866年に亡くなっている。

 ちょうどこの時期は、アメリカがイギリスの植民地から独立し、一つの国家として拡大を続けた時代にあたっている。しかし、その独立は白人中心の独立であり、開拓をして白人社会を作っていく上では、インディアンはじゃま者でしかなかった。長い間、インディアンに対する迫害が続いた。

 19世紀の後半、白人たちは酋長シアトルが治めていた土地の明け渡しを宣告し、条約の調印を迫った。その際に、その場にいた白人たちに演説を行なったのが記録され、100年以上も語りつがれてきたのが、この絵本に書かれてあるメッセージである。



 『空が金で買えるだろうか?雨や風をひとりじめできるだろうか?
 我らは知っている、大地は我らのものでなく、我らが大地のものであることを。
 あなたがたの子どものまた子どもたちのために、
 大地や大気や川を、いつくしみ守られるように、
 そしてわたしたちが愛してきたと同じに、この地を愛されるように。』



 白人たちに土地を追われ、追いつめられているにもかかわらず、酋長シアトルのメッセージは、もの静かに私たちに訴えかけてくる。そこには、自然に対する深い愛があり、人種を越えて呼びかけてくる強い平和への願いがこめられている。現代の私たちの生き方を、まるで問いただすかのように。

 自らの内なる「朝鮮問題」、自らの内なる「インディアン問題」、自らの内なる「黒人問題」、自らの内なる「・・・問題」。常に、正しい歴史観と生き方を問い詰められてくる。




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