ブラジルで見つけた
  エイズ孤児の家

田村 梨花



世界中でHIVウィルス感染者が激増している中、ウィルスに感染した母親から生まれた子どもたちはどこに行くのだろう?



 「すぐ近くに、親がエイズで死んでしまった子どもたちの家があるんだよ。行ってみたい?」サンパウロの街はずれに住む友人のうちを尋ねたときのことだ。エイズといえば今まで感染予防と成人のエイズ患者の治療方法ぐらいにしか関心のなかった私が、母親(または父親)を失う運命のもとに生まれた子どもたちを保護している施設を突然訪れることになった。エイズの感染に対する正しい知識を持っている自信はあったが、それでも少しだけ戸惑ったことは確かだ。第一子どもは遊び好きだし、それ以上に自分の不注意で怪我をさせてしまったら・・という不安な気持ちはあった。しかし、実際に HIVウィルスに感染している人達に触れるのは初めて。良い機会だと思い、さっそくその場所に向かうことにした。



 その家の名前は「Sitio Agar」。「シッチオ」とは、ポルトガル語で農場を兼ね備えた別荘地の意味を持つ。「アガール」は、聖書に出てくるアブラハムの召使の名前に由来している。主人に命令され一度は子どもを捨てに行くが、どうしても幼い子どもを見捨てることはできなかったアガールは、その後子どもと一緒に暮らせる場所を見つけた。「アガールのように、子どもを見捨てることなく一緒に暮らして行く場所を作りたい。」という願いのもと、この「子どもたちの家」は建てられた。



 私がこの家を訪れたのは、建てられてからまだ1年の94年の夏だった。まだ1歳くらいに見える小さな子どもから、4歳くらいの子どもまで、7人程子どもがいた。みんなとってもかわいい目をしている。少し大きい子どもたちは元気に走り回っている。「みんな元気で、普通の子どもと変わりませんね。」というと、「そうでしょ。でも、やっぱり成長は遅いし、体は弱いんですよ。」とスタッフの人が教えてくれた。言われてみれば、とても2歳には見えない小さな子どもがいることに気付く。風邪をこじらせただけでも、病院に連れて行かねばならない。この子たちがこのまま元気に育って学校に通う確率は、普通の場合に比べると格段に低い。しかし、友だちとおもちゃの取りあいっこをしたり、「遊んで遊んでー」とまとわりついてくる姿を見ていると、HIVウィルスに感染していることなどいつしか忘れてしまう。

 緑のあふれる森のなかにあるこの家は、一見幼稚園の様である。広い敷地内は散歩ができるようになっており、シーソーや木馬がある公園で子どもたちは元気に遊ぶ。しかし、転んで怪我などさせられないので一緒にいる大人(わたしのこと)は内心気が気でない。そんな私をよそに、子どもたちは公園をてくてく歩き回っている。

 この子たちの世話をしているのは、総勢18名のスタッフと施設の設立者であるアントニオ・ヴァン・ノージュさん、看護士のホベルト・ゴメス・ヒベイロさんである。 アントニオさんはオランダ生まれで、以前はサンパウロ内の他のスラムで働いていた。そのスラムで初めて、エイズウィルスに感染している家族や子どもたちに出会ったという。

 母親がエイズを発症している場合、出産時に抵抗力の弱い親が死んでしまうだろうし、例え母子ともに無事に出産出来たとしてもその後健康に育てられる確率はとても低い。自分の生活費・医療費も十分工面できない貧しい人々が子どもの養育費を出すのはとても難しい。それに、子どもはHIV感染者である親から様々な経路(一般に、懐胎期間・出産時・授乳時に感染するとされている)を辿って直接感染してしまう。生まれたときから既に生きる期間が限られてしまっている子どもは、捨てられることが多いという。

 このような状況の中で、アントニオさんは「子どもたちは最大の犠牲者。この子たちにも普通の子どもと同じように、愛情をもって育てられる『家』に住む権利がある。」との考えから、エイズに感染し、育てる親のいない孤児または育てられない状況に置かれた子ども 運営は、オランダのモンティ・フォルティーノス協会からの援助によってなされている。スタッフに給料も払われている。だが、近所の人々が大抵毎日この家を訪れ、食事を作ったり子どもたちと遊んだりしていくという。そしてみんな、服、食料品、おもちゃを持ってくる。ボランティアに来る人はエイズ感染の危険性など気にもとめず、偏見のかけらもなく、子どもたちと遊んでいる。

 丁度私が訪れたときに、どう見ても小学校4年生くらいの少女が子どもと一緒になって遊んでいた。同じHIVウィルスを持っていてもここまで元気に育つのかと不思議に思い、「彼女もエイズなの?」と聞いてみた。「ううん、あの子は近所に住んでる子で、お母さんと一緒によく遊びに来るの。」なるほど。小学生のときからエイズの子どもと一緒に遊ぶ機会があれば、エイズに関する正しい知識も自ずと身に付くだろうし、HIV感染者に対する歪んだ偏見など生まれないだろうな、と感じた。良く見ると、その女の子はただ子どもたちと遊んでいるだけではなくスタッフの手伝いもしていることに気が付いた。



 HIV陽性と判断された子どもは、大抵11歳くらいまでしか生きられないという。Sitio Agarにいるのも、だいたい生後数ヵ月から4歳くらいの子どもだった。母親をエイズで失った子どもは、ものごころつくまで生きることができないから、自分の持っている病気について、そして自分の母親の存在について意識し始めることはないのだろうか。しかし、HIV感染者を親に持つ子どもが全員ウィルス保持者になる訳ではないそうである。 母子感染を奇跡的にクリアし、衛生的な場所で育てられれば、生後1ヶ月で陰性と判明することもあるそうだ。そのような子どもが学校へ行けるくらいの年にまで成長したら、もちろん、普通の子どもと同じように学校へ行く。 そんなことを考えつつ、子どもたちを見ていた。この子たちがみんな、このまま元気に育ってくれればいいな、そして、今度訪ねたときにもっと成長した姿を見せてくれたらいいなと思いながら。

 日本へ帰国してから、今回の記事を書くために友人に手紙を書いた。彼は、新聞記事の切り抜きと写真をたくさん送ってくれた。「あっ、子どもがこんなにふえてる!!」エイズ孤児が増えているのは、喜ぶべきことではないだろうが、エイズ感染者の激増が隠しようのない真実である限り、同時に着実に増えたと思われる親をなくした子どもたちが元気に過ごしている姿をみると、やっぱり安心。少なくともこの子たちは、この家で元気に過ごしているのだから。それに、好き勝手に遊ぶ子どもがあふれる部屋はとても楽しそう。きっと、病気の子どもも元気な子どもも一緒くたになっているんだろうなと思いをめぐらせる。



 サンパウロ市内の病院や、薬物中毒患者の更正施設で生まれる行き場のない子どもたちをよりたくさん住まわせることが出来るように、Sitio Agarではもう一つ「家」を作る予定である。今生まれようとしているエイズの子どもを減らすことは無理だとしても、子どもたちがエイズの正しい知識を身に付けることによって、これ以上増やさないようにすることは出来る。これから何年か経って、陰性結果が出た子はもちろん、陽性と判断された子も発病することなく元気に学校へ通う姿がみたい。何十年か経ったら、彼らがここで働いているかも知れない。そしてその頃にはSitio Agar は緑に囲まれた普通の幼稚園になっているだろう。悪いものを良い方向に変えるには、多くの時間を必要とする。だからこそ、その動きを継続することが一番重要であり、且つ、唯一の方法ではないかということを、改めて実感する。地球の未来を創り上げるのは、子どもたちに他ならないのだから。



Sitio Agar について・・・

* HIVウイルス陽性と判断され、病気であるにもかかわらず孤児の状態に置かれているか、または親が育てられる状況ではない、0〜5才の子どもたちに家を提供しています。

* この場所は、施設でも病院でもありません。わたしたちは、子どもたちに生活を与える家族です。

* 子どもたちを尊厳ある存在として認め、私たちのもつ権利の全てを与えます。

* 希望に応じて地域と学校でエイズに関する講演を行っています。




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