「トゥスビラ 希望」 著者から

「アフリカの真珠」の孤児たちは、いま

小林 茂(写真家・ドキュメンタリー映画監督)



 本年3月、情報センター出版局より、写真集「トゥスビラ・希望−ウガンダに生まれた子供たち」を出版しました。「トゥスビラ」はウガンダの言葉で「希望」という意味です。

 「人間は、子供たちは、生きていくのがあたりまえだ!内線とエイズに傷ついた美しい場所、アフリカ・ウガンダで力強く生きて、働き、学び、遊ぶ子供たちのとびきりの写真集!」と本の帯につけました。井上亀夫さんのアートディレクションによって力強く鮮やかな「色」が前頁をつらぬいています。



 自分の作った写真集を自分で紹介するのはちょっとへんですが、「プラッサ」の読者の皆さんへの自己紹介のつもりで書いてみます。

 私は1954年(昭和29年)新潟県の農山村に生まれました。父母は旧満州(現中国東北部)からのひきあげ者です。高度成長時代に少年期を過ごし、その矛盾が学生運動、成田空港問題、公害、薬害などのかたちでふきだした時代に高校、大学生活を送りました。京都で学生時代を含め15年間過ごしましたが、解放運動や「障害者」運動、在日問題などが日常的に存在する関西文化圏に住んだことは、私にとりまして大きなことでした。とくに水俣病の患者さんたちや、ハンセン病の歴史を背負わされたみなさんとのつきあいは、苦しみぬいた人々だけが抱くことがゆるされるのではないかとさえ思われる心やさしいものがあり、私のほうが癒されてきたと思います。



 「福祉」を問いつづける記録映画の監督柳沢寿男氏の助監督を10数年。この間の「福祉」に関係する写真集を2冊と、薬害スモンの「グラフィック・ドキュメント・スモン」(共著)を出版。ドキュメンタリー映画の撮影では新潟水俣病を生んだ阿賀野川に生きてきた人々の暮しを描いた「阿賀に生きる」、長野県の佐久総合病院・小海診療所を中心に地域医療のネットワークを追いかけた「地域をつむぐ」(時枝俊江監督、現在公開中)があります。現在は北海道の炭鉱を舞台にした「闇を掘る」の撮影が始まったばかりで、この一文も雪の残る夕張で書いています。3、4年かかって、何か小さなことがひとつでも見つかればいいなと思っています。



 前置きが長くなりましたが、本題に入ります。

 「小林、ウガンダにいかんか」と私の20年来の友人から電話がかかってきました。彼は徳島で長年、福祉共同作業所の活動をしています。縁あって、ウガンダで孤児たちの救援活動や職業訓練学校の運営をしている小さなNGOを知り、これから交流していきたいので、そのウガンダの様子を写真報告してほしいということでした。

 94年7月初めケニアから陸路ウガンダ入りした私は、かつて「アフリカの真珠」と呼ばれた緑豊かな大地と、内線やエイズ禍によって産み出だされた孤児たちの両方に出会いました。

 親が亡くなったり、親に捨てられたり、面倒を見てくれる人がいなくなったりした子どもたちが街にあふれていました。彼らは自分で稼ぎ、食い、夜は空き家や草むらで寝ています。不衛生。ときどき足蹴にされることがあります。盗みにけんか。

 私が訪ねたウガンダの小さなNGOはマサカ市でそういう子どもたちのうちの20数人に寝る場所を与え世話をしていました。

 日本とあまりに違う世界に困惑しながらも、子どもたちの日常生活へ入っていくプロセスは刺激的でした。



 彼らは朝から晩まで街や市場で働いたり遊んだりします。はだしで、破れたシャツと短パンが全財産。走る自動車はほとんど日本の中古車。ギュウギュウ詰めの人と荷物が着くとすばやく荷物に飛びつき、交渉が成立するとそれを頭の上に乗せて運び、手間賃を稼ぎます。

 子どもたちはサッカーなしでは生きられないくらいサッカーが大好きです。まずサッカーで汗をながします。そしてパピルスの湿原で裸になって着ていたものと体を洗います。皮膚病の治療。基本的な薬が魔法の薬のように貴重です。服が乾くまでの時間は神に与えられた時間のように彼らは踊りだしました。そのときドラムのリズムがわきおこったように思いました。

 食える時に食いだめする食事。小屋がけしたビデオシアター。ここでかかるカンフー映画は最高におもしろい。楽しみのおやつは砂糖きび。

 夜、「トゥスビラハウス(希望の家)」と名づけられた家に仕事を終えた子どもたちが帰ってきます。ここで眠るかぎり暴漢に襲われることはありません。しかし、だれかが金を盗み、翌朝の大ゲンカとなることもめずらしくありません。金や物を盗らないことを教えることは根気がいります。強盗や殺人はめずらしいことではありません。トゥスビラハウスも2回拳銃強盗に襲われました。

 そして、日曜日のミーティング。子どもたちの中から「俺たちも勉強したい」という声があがり夜寝る前の2時間、自国語、算数、英語の勉強が始まりました。自分の気持ちを率直に表現する彼らの目は生き生きしていて、私が抱いていた暗い孤児のイメージとはちがっていました。

 農村部にある「職業訓練学校」では生徒たち(経済的理由から学業を中断した14歳から22歳の24人)の学習とその家庭生活を撮影しました。「れんが建築」「大工」「洋裁」の3部門で技術を習得する彼らの双肩には自分と家族の将来がかかっています。かといって悲愴感はなく、青年らしい笑い声に溢れた姿を多く写し撮ることができました。95年にはマサカ市の何人かの孤児たちも入学しました。



 満天の星と虫の声にランプの灯り。しかし、この平和そのものにみえる村の学校にさえ夜警がかかせないというのですから、わからない世界なのです。その理由をどこに求めればいいのでしょうか。長い奴隷貿易とイギリスの植民地支配、独立後もつい10年前まで30年に及ぶ内戦。これらの歴史を並べてみても定かではありません。ただ、今私には日本がとてもよく見えてくるように思えます。それはこのアフリカが長い間ヨーロッパ諸国の繁栄のために利用されてきたのと同じように、今日の日本の繁栄もアジアの国々の犠牲の上に築かれて来たものだと感じられるからです。

 援助の問題も考えさせられました。外国のNGOは、時に覇権を争い、多額のワイロや物資をばらまき、自分たちは破格の生活をしている場合もあり、地元民から「我々を食い物にして儲けている」と見られている一面もあるのです。そういう援助づけの中でお互いを認めながら友人づきあいのように彼らの自立を支えていくことは難しいことです。



 最後に正直に申し上げておきたいことがあります。この写真取材の話がきた時、私はウガンダがどこにあるのか知りませんでした。そして、アフリカにたいするイメージは差別と偏見に満ちたものだったと思います。私はそれを今とても恥ずかしいと思います。

 夜の街での撮影は危険もはらんでいましたが、子どもたちが私を守ってくれました。感謝します。しかし、ある夜、ファインダーをのぞいていた私のカメラに暗闇から主食のバナナが投げつけられた衝撃を忘れることはできません。

 これまで特にアフリカに強い関心があったわけではありません。しかし、この3か月の体験を堺に私の中に日本とは別のもう一つの時間が流れているような気がしています。



ウガンダとは、こんな国

ウガンダ共和国 (Republic of Uganda)



 世界第2の淡水湖のビクトリア湖など湖沼が多く、肥沃なサバンナの、鉱物資源豊かな美しい国。面積は日本の2/3位で、中央アフリカ高原に位置し気候は穏やか。2000万人弱の人口の90%が農業に従事し、コーヒー、綿花、茶等の輸出作物と自給用のバナナ、豆や芋類などを作る。一人当たりのGNPは190ドル(1993年)で、主な外貨収入源は国際援助。94年の干ばつで、英領時代以来のモノカルチャー経済は、国民を直撃した。国民の60%がキリスト教徒で公用語は英語だが、識字率は40%。

 1962年に独立、66年オボテが国名に由来するブガンダ王国などを解体し政権を掌握。71―79年のアミン独裁、その後のオボテ政権の復活、内戦と、虐殺・破壊の時代を経て86年、ムセベニ率いる民族抵抗運動によってようやく、平和の時代を迎えたかのようにみえた。だが、その頃からエイズが急増。牧民文化の名残の一夫多妻、貧しい家での兄弟による妻の共有や寡婦が夫の兄弟の妻となる習慣に、貧困が拍車をかけ、エイズが猛威を振った。大人の1/4が感染者のこの国は、経済の自立を果たせぬまま滅びの道をたどりつつある。追い討ちをかけているのが一体誰なのかを、私たちは考えてみる必要がある。



プラッサからのお知らせ

 小林茂さんは、この寄稿をしていただいた後、『こどものそら 三部作』を制作なさり、昨年(2005年)には、最新作『わたしの季節』を公開なさっています。

 重度心身障がいのある方々の生活の場「びわこ学園」を記録なさっていますが、一切のナレーションを廃し、わたしたち自身が直接「びわこ学園」で、みなさんと一緒に過ごしているような、そんな感覚になることができます。ゆるやかに流れていく時間の中で、そこで生活している人たちの生きるということをしっかりと感じさせてくれます。

 このサイト上でも、紹介させていただく予定でいます。

 また、今年はケニアを訪れ、日本人として現地NGOを立ち上げ、子どもたち、その母親たちのために活動をなさっている松下照美さんの「モヨ・チルドレン・センター」のドキュメンタリー映画を製作なさいます。製作協力のお願いなどもしておりますので、詳しいことはプラッサまでお問合せください。




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