NGO 紹介
 ネットワークのためのネットワーク
〔ベトナムの子どもの家を支える会〕

小さなかけ橋となることを願って

事務局  大谷 猛夫 (発行時点。現在は代わられています)




 竹と詩の国ベトナム。メコンデルタの豊かな流れは三期作もおこなわれ、この国の人たちが食べるお米をまかなっています。長いあいだのベトナム戦争(ベトナムの人たちはアメリカ戦争と呼んでいますが)で国土が戦場になり、人間や建てものにたくさんの被害を被りました。その戦争も終って20年。社会主義の国づくりをすすめてきたベトナムです。本来すべての人たちの平等を実現するはずの社会主義ベトナムで、親から見捨てられ、あるいは親ともども都市の路上でくらす子どもたちがいます。

 この子どもたちは、もちろんベトナム戦争を知りません。戦争が終ってから生まれた子どもたちです。親だって、小さい時に戦争を経験した世代です。そのベトナムの親子がなんらかの事情で生活ができなくなる。ドイモイ(刷新)というベトナムの新しい政策は外国からの資本を受け入れましたが、同時にベトナムに「格差」をつくりだし、農村から都市へでてきた人たちの生活を困難にしているという側面もあります。

 ベトナム中部のフェ市は、人口30万ほどの落ち着いた都市です。歴代の王朝があり、その王宮は史跡として残っています。日本でいえば奈良のような古い町です。この町には、200人とも300人ともいうストリートチルドレンがいます。人数の正確な掌握はできません。鉄道に乗って、これらのストリートチルドレンの中には南から北へ、北から南へと移動してる子もいます。フェに何人とはいえないのです。その事情もさまざまです。親も生活が苦しく放置されてしまった子ども、親が働けず(働かず)子どもが路上でくらしながら働いているケ−ス、母親が売春婦で子どもが放置されているケースなどです。

 このフェ市に1993年から、東京の小学校教師を辞してやってきた小山道夫さんが、この子どもたちの救済運動をはじめました。小山さんは、当時フェ大学の日本語教室に勤めながら、路上でくらす子どもたちの救済運動の援助をはじめました。フェ市当局もこの子どもたちのためのてだてを打っていましたが、なかなかゆきとどきません。当時「子どもの家」がありましたが、ここにも収容できない子どもたちが町にたくさんいました。

 そこで、小山さんのよびかけに応えて、友人たちで、「ベトナムの子どもたち」を援助をしようとささやかな「会」をつくったのがはじまりです。このよびかけをはじめたのは1994年の秋のことでした。当初、この子どもたちを収容するための「第二子どもの家」の建設を援助しようということで、日本の私たちの運動をはじめました。これには大きな反響があり、わずか半年たらずで、建設援助のためのカンパを集めきることができました。もちろん、円高の中での日本とベトナムとの物価水準の差もありますが、心ある方々の善意の結晶だと思っています。1995年3月には「第二子どもの家」も完成し、ここで60人あまりの子どもたちを収容することができました。

「家」をたてただけでは問題の解決になりません(一歩の前進ではありますが)。子どもたちが自立し、生活できるようにしていくことも求められています。路上でくらす子どもたちは鋭い目つきをして、暴れまわる子どもがたくさんいます。子どもの家での規則的な生活にははじめなかなかなじみません。すぐにぬけだしてしまう子もいます。しかし、寮母さんやボランティアの人たちの献身的な働きかけで、次第に落ち着いて子どもらしい目に変わってきます。子どもが安心して生活することがいかに大切なことかがわかります。この子どもたちの遊び相手になったり、路上の子どもと仲良くなって、安心して子どもの家に来られるようにしているのは、高校生のボランティアです。

 子どもたちは、学校に行く機会もありませんでした。勉強したくてもできないという状況にあったのです。字を習い、わからないことがわかっていくという勉強本来のことができなかったのですから、勉強する眼差しは真剣そのものです。仕方なく勉強するなどということはありません。ノートや文房具も不足がちです。その中でがんばる子どもたちです。そして、この子たちの将来が明るく輝くという保証はないわけですから、この子たちが自立できるような職業訓練も子どもの家でとりくんでいます。男子は「彫刻(木製品)」女子は「刺繍」です。どれもフェ特産の産品になっています。これらの職業指導がきちんとできるようにすることも必要なことですが、ベトナムの行政の力ではなかなかそこまで手がまわらないというのが実情です。

「会」では、1995年夏、このフェのボランティア高校生を日本に招いて、日本の若者たちとの交流の機会をつくりました。3週間の滞在の中で、中学・高校の全校集会で交流したり、静岡や北海道などでは、自主的につくられた若者たちのボランティア・サークルと交流し、ベトナムのストリートチルドレンのようすと、その子どもたちを支える高校生ボランティアの活動を学びました。このことを文化祭でとりあげた高校生、生徒会ぐるみで支援物資のとりくみをすすめた中学生など、日本の若者の中にも大きな広がりをつくりだしました。ベトナムの高校生2人と通訳として同行したフェ大学の日本語教室の大学生2人は精力的に、日本の若者の中にはいり、ベトナムのことを訴え、日本の実情も学んでいきました。静岡では、中学生のグル−プ(Think of Earth −愛の子ども委員会)と一泊二日のキャンプもおこない、交流しました。この4人はこんなことを言っていました。「東京の人は、とても忙しそうに歩いています。サイゴンに似ています。それになんだかこわい顔をしています。それに比べて静岡や札幌の人はゆっくり歩いています。花もいっぱいでした。フェに似ています」考えさせられました。

 その後、「第二子どもの家」は日本政府のODA資金により、職業訓練センターが建設されることになりました。この職業訓練センターは、子どもの家の子たちだけでなく、地域の青年、子どもたちの自立の学習の場として充実されていくことになっています。このための援助も「会」としておこなっていきます。今年度から「会費制」をとって、ベトナム支援を続けていきます。年額5000円(子ども会費2000円・賛助会費2万円)です。  



ベトナムの子どもの家を支える会

プラッサ紙面掲載時からは、連絡先などが変更となっておりますので、
下記URLをご参照ください

http://www001.upp.so-net.ne.jp/jass/






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