牧場生活と“今”のわたし

大野 京子



 「牧場で一年間、暮らしていたの」というと、みんなびっくりする。「まるでね、楽園みたいなところだったんだ」と話を続けながら、そのころのことを思い出し、夢を見るような気持ちになっていく。



 「牧場で一緒に暮らしてみませんか」という記事の見出しを、たまたま手にとった新聞で見つけたのは、中学二年生の秋。その頃のわたしは、学校にも家庭にも居場所が見つけられず、とても強い「一人」という気持ちと向き合いながら生きていた。

 学校とは、とても無意味な存在に思えた。試験がアルト、必死に暗記して、それが終わると覚えたものを忘れています。いろんなことが、自分の中を通りすぎていく。試験で評価されなければならない人間の価値って、何なんだろう。このまま、わたしは毎日を繰り返し、学校生活を送っていかなければならないのか。やりきれない気持ちになっていた。

 「わたしは“今”牧場にいかなければ。“今”しかない」という強い思いと頑固さで、わたしは両親を説得しにかかった。だが、「絶対に行かせない」「現実逃避だ」「中学三年という大事な時期なのに、何を考えている」と猛反対にあう。親にしてみれば、高校にエスカレーター式でほぼ全員進学できるのに、私立のレベルの高いといわれている中学校に通っているのに、何を突然言い出し、道をはずれていくのかと不安に思ったことだろう。しかし、わたしにとっては願ってもみないチャンス。逃すわけにはいかなかったのだ。

 わたしは「行きたい」の言葉を繰り返し、親はあきらめた。牧場行きのキップを手に入れたときは、すでに二月。牧場留学はもうすぐそこに来ていて、わたしの牧場への思いはふくらんでいくばかりだった。

 1985年4月、わたしの牧場生活が始まった。毎日が、新しいことばかり。自然に包まれて、温かい人たちに囲まれ、牧場の生活にとけこむのに、そう時間はかからなかった。

 往復二十キロの自転車通学にもめげず、空の青さや思わず立ち止まってしまうような山々の間の夕焼けの美しさに心を和ませていた。なかなか火がつかず、かまどで悪戦苦闘した風呂炊きも、いつのまにかみんなが集まり話がはずむ。ポニー達と出会い、ふれあう最初はおっかなびっくりのポニートレーニング。ポニーにまたがる。ポニーが歩く。駆ける。どんどん好きになっていく。だんだん慣れてきたら、海辺を駆ける。山を駆ける。この気持ち良さはたまらない。どんなときにも、仲間がいる。この心地好さ、この安らぎ。何にも変えられない、大切なものと知る。仲間と食卓を囲み、にぎやかに食べるご飯は、何よりのごちそう。豊かな自然のなか、大好きな人たちと暮らす。なんて幸せな生活―。何てぜいたくな―。

 素直になること。思いやりを持つこと。そして笑顔でいること。この三つが牧場の一年で学んだ最も大切なことである。いつも自分自身に問い掛けてみる。つらくても、笑顔をなくしていないか、自分の心に嘘をつくような生き方ではないか、人を傷つけたりしていないかと。言葉にすればありきたりに聞こえてしまうが、今のわたしの生活の基本であり、人間関係の基本ともなっている。

 わたしは、現在アルバイト生活。自分のめんどうは自分でみることが、今年一年の目標。企業に就職することは考えられなかった。わたしの大学入学前の夢は、お好み焼屋を開くこと。そのために、ポルトガル語学科に入学し、お好み焼屋でバイトした。その頃、わたしはその夢に向かって、迷うことなく突進していた。多くの人がわたしの夢を笑いとばしたけれど、本人は本気。

 大学での四年間、多くの人と出会い、様々な経験をすることによって、夢が変化した。現在の夢はゲストハウスを開くこと。年齢、性別、職業、国籍を超えた人と人とのふれあいの場にしたい。人は一人一人ちがう。ちがうけれど、すべての人が対等に話せて、すべての命は平等であるべきだと思う。わたしは女であるまえに、日本人であるまえに、“一人の地球人”でありたい。

 名誉や権力、地位やお金に人間は弱いから、「理想にすぎない」という人もいる。実際とってもむずかしいことなのだろう。しかし、人がおたがい尊重しあい、受け入れあえる世界では、みんなもっと心おだやかで暮らしやすいはず。

 外国の人たちには、“クルマ、サラリーマン、オカネ”の日本ではなく、日本の“心”にふれてほしい。そして、日本の外で受けてきた、たくさんのやさしさと笑顔をわたしなりの形で返していきたいと思っている。

 夢の話をしていると「お金はどうするつもりなの?」という、とても現実的な質問にあう。「うっ、痛いところをつかれた」と返答につまっていると「何でも、お金がないとね」と追いうちをかけられる。「おっしゃる通りです」と思いながらも、自分の夢がかなうことを信じて疑わない。自分でも不思議なくらいに。「夢は信じることからはじまる」というのは、わたしが勝手につくった言葉。ここまでいくと、楽天家を通りこして、ちょっとバカなのではとこれを読んでいる方は思われるかもしれないが、自分の夢を思い続けることが実現への道。「信じるものは救われる」とやっぱり信じているのである。

 今年の三月に大学を卒業し、アルバイトを転々とし、無収入の日々が続いたこともある。さすがに、ふうーっとため息がでるような生活も、友達がいてくれれば大丈夫。四畳半の部屋が、たちまちパーティ会場に。友だちとあれこれ話、大笑いすれば元気が出る。前向きにならねばという気持ちにもなる。どんなに落ちこんでもはい上がり、乗りこえられるエネルギーが自分のなかで生まれる。

 「実家に帰ったら」と言われ、お金のやりくりに四苦八苦しながらも今の生活が愛しく、「楽しくてやめられないのよ」とにこにこ言い続けられるパワーは、牧場で身につけたとしか考えられない。競争主義や拝金主義の今の社会から、一歩離れたわたしの生活は、牧場からはじまったのだと思う。

 牧場はわたしの原点。そこで、子どもたち一人一人に、“一人の人間”として接してくれたスタッフのみなさん。人の心を満たすのは、人の心でしかないということを、自らの行動と姿勢で教えてくれた人たち。いつも見守っていてくれて、そして今も見守り続けてくれている、その忍耐強さと心の広さには、いくら感謝しても感謝しきれることはなく、未だに“ありがとう”の言葉しか見つからないでいる。



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