「忘れられた子供たち
    −スカベンジャー−」映画感想
−ロードショー会場でのアンケートより−

「忘れられた子供たち」を支援する会  森 克明


 先日、フィリピンのスモーキーマウンテン(*1)で、ゴミ給いをしながら生活する子どもたちの姿を描いたドキュメンタリー映画「忘れられた子洪たち −スカペンジャー−」(監督 四ノ宮 浩)が、渋谷の「パルコ・スペース・パート3」、「BOX東中野」でロードショー公開されました。今回は、映画を観に来られた方々のアンケートより、映画観賞後の感想の一部をご紹介させていただきます。



 ここに紹介させていただきました感想の内容につきましては、アンケートにご協力いただいた方々の意見を尊重するという主旨に基づき、語句等につきましても、可能な最り原文に近い形で記載させていただきました。



「見終わって立ち上がれない気持ちでした。今は、どうこの重い気持ちを表現していいのかわからない状態です。日本の子供達がこの豊かさの中で、幸せでない状態の子供がいっぱいいることや(目的を失っている?自分が何のために生きているかわからない・・・そんなことでしょうか?〉、自分自身の信仰の問題のことなど、とつぜん足元から、ドーンとゆさぶられたような気がします。」(F.M)

「食べて、愛する人と一緒に生活して、この生きていく上で最小限度の大切なこと以外に、いかに私たちは余計なものを持ちすぎているか、又、そのために、その大切さに気づかなくなっているか・・・を感じさせられた。」〈無記名)

「私は現在、幼児教室で働いていて、1才〜5才の子供と一緒に過ごしています。小さい頃から、また幼稚園とは別にこういうところへやってくるのは、みんな、私立幼稚園、小学校の入試に備えるためです。母親たちが同じ痛みを感じて、同じ願い(無事に生まれてきますようにと〉を抱いて生まれてきた子供たちが、一体どうしてこんな風に違ってしまうのでしょう。私の周りにいる子供たちを否定しようとは思いません。あの子たちの瞳に映る光も、スモーキーマウンテンの子供たちの輝きも同じです。でも、どうしてこんなにも胸がつまるのでしょうか。昨日、映画のチケットが私に届きました。チラシの『…ただ子供たちの笑顔が描きたかった。』この監督の言葉に全身が震えました。この映画を観て、みんな考え直さなければ等と、おこがましい思いはありませんが、できるだけたくさんの人に観てもらえることをお祈りします。」(T.N)

「人間とはこんな境遇にあっても生きることを選ぷのか。生きることにどれだけの価値があるのか考える。私達の社会を中心に第3世界の人々というふうに見えるが、彼らにはこれが世界であり、生きる現実なのだ。僕にとっても“我々の住む世界”の見方が確実に変わった。家に帰ってもう少し考えたい。」(H.S)

「今日、私は学校の飲み会をさぼって、映画を見にきました。会費が2,500円でした。一回で2,500円のお金を使う−でもそれがスモーキーマウンテンの人達だったら、どうするかと思いました。ハツキリ言って、よく実感がわかないです。あんな所で、自分の大事な一生を、生きなくてはならないなんて、でも、どうしようもできなくて、ホントにさぴしくて、くやしい事だと思います。」〈I.I)

「豊かさの中で自分の居場所を見つけられずに死んでいってしまう子供達と反対に、こんなギリギリの生活の中を自分の力で生き抜いていく子供達。どこが一緒でどこがちがうのだろう。もし自分がこの場所におかれたら、生きていけるのだろうか。この人達のように笑い合うことができるのだろうか。ゴミの中に死体、ショックでした。今、この世界が民主主義だなんて大ウソですね。私達は人の上にあぐらをかいて生きているのか。」(M.S〉

「私は、スモーキーマウンテンに3度いった。大学の教授達と共に。これは『生活』が見えてよい。しかし、それを創っている『社会構造』また『日本との関係』が見えてこない。“かわいそう”なのは日本人ということには気付かされないと思う。」(N.A)

「豊かさとは何かという事を今一度深く考えさせられる。たとえば、リサイクル工場の発展は、一部の人々の雇用機会を与えられるが、もしこれが、突然ゴミすて場の隣地にたてられるとしたら? 一部の人々の豊かさが、日常私たちの目に見えない世界の各地で苦しむ人々と隣り合わせに〈表裏一体)があることを再認識させられた。」〈K.K)

「『幸せ、』とは何か、わからなくなった。」(H.M)

「昨年夏、私もフィリピンのスモーキーマウンテンに行きました。想像を絶する悪臭の中で、子供たちがとぴはねていました。私は、約1時間しかそこにいませんでしたので(それ以上はたえきれず、いられなかったというのが正直なところです)表面的にしかとらえられませんでした。おそらく今、現在も同じでしょう。日本人としては、目をつむってしまいたい。スモーキーマウンテンを案内してくれたフィリピンの人はこういいました。『彼らは幸せです.仕事があるから…』。人間の幸せって一体何なのか、人間らしく生きるってどういうことなのか。日本にいると『生きること』の大切さをついわすれてしまいがちです。そして、私自身も、『じやあ、このスモーキーマウンテンの人に何をしてあげる。』してあげるとかそういう気分にはなれません。今日の映画では、スモーキーマウンテンの人たちの本音にぶつかり、今、すごく私は緊張してしまっています。ドキュメンタリータッチなのに、肩がこってしまいました。そして、私自身の生活を見直そうと思います。」〈N.K)

「一日三食のごはんをフィリピンでわ一日一食しかごはんを食ペていないとは、わたしにとってわとてもかなしくおなかがグーグなるでしょう。」(M.H 八歳、小学校三年)


*1:「スモーキーマウンテン」とは…

 フィリピン、マニラ市の北、東洋最大のスラムと称される広さ29ヘクタールの巨大なゴミ捨て場。そのゴミから出るメタンガスによって自然発火がおこり、常にゴミの山から煙が出ているところから「スモーキーマウンテン」と呼ばれる。そんなゴミ捨て場に3,000家族、21,000人の人々が不法占拠し、掘っ建て小屋を建て、プラスチック、瓶、缶、鉄屑など有価なゴミを拾い、換金してフィリピンの平均日給並の収入を得て生計をたてている。

*2:映画「忘れられた子供たち−スカペンジャー−」

 文部省選定作品、日本カトリック協議会広報部推薦、全国PTA協議会推薦。シネマ・ドウ・リール映画祭1995年(フランス)正式出品作品。
・制作:オフィス・フオー
・監督+編集:四ノ宮浩
・撮影:瓜生敏彦/ジュン・マニュエル
・整音:久保田幸雄/菊池信之
・音楽協力:叫ぶ詩人の会
1994年/日本映画/16ミリ/モノクロ(パートカラー)
/スタンダード/100分
・配給:オフィス・フオー/パルコ



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