インドにおけるストリートチルドレン
  (第一部) 

ラジャニ・ペランジペ



 この論文の著者であるラジャニ・パランジペさんは、インドの社会福祉学教授で、現在、香川県にある四国学院大学で教鞭をとっていらっしゃいます。5月下旬にいくつかの新聞で私たちの「プラッサ」のことを取り上げられた時、いち早く連絡をいただき、現在書かれている論文を送ってくださいました。

 第一部は子どもたちの実態についてのもので、第二部ではインドにおけるNGO ならび政府の対応についての報告がなされる予定です。



はじめに

 ストリートチルドレンの問題は、世界的に広く大都市部の現象となってきています。世界の大都市の多くでこの問題に直面しています。とりわけ開発途上国の場合は深刻です。
 ユニセフは世界中のストリートチルドレンの数は、3000万人から1億人と推定しています。(文献1) またインドは最も多くのストリートチルドレンを抱えると考えられています。
 インドでは正確なストリートチルドレンの統計はありませんが、インドの10大都市で合計50万人以上のストリートチルドレンが存在すると推定されます。(文献2) これを控えめな数字と見て、ボンベイ、カルカッタ、デリーのような都市は各々10万人以上の子どもたちがいるに違いない、という人もいます。
 これらのインドの大都市に訪れるどの訪問者も、路上に多くの子どもたちを見かけることでしょう。往来の交差点で物乞いをする子、新聞、雑誌、花などを売ろうとする子どもたち、靴磨きの少年や、リサイクル可能な廃棄物を探すために鉄道線路上をうろつき回る子どもたち、そして麻袋を背負って、ゴミ捨場を転々と移動するいくつかの集団を目撃するはずです。概して訪問者の第一印象は子どもたちの多さにあるようです。貧しげな彼らが路上のあちこちで働いていたり、歩き回っている、と映るために当然のごとく、インドには少なくとも前に示した数字以上のたくさんのストリートチルドレンが存在する、という結論になります。
 それゆえ、私たちのいう「ストリートチルドレン」とは何か、をはっきりさせる必要があります。

ストリートチルドレンとは誰か

 ストリートチルドレンの人数を確かめるのが難しい理由は二つあります。
 まず、ストリートチルドレンの居場所は実際は定まっていない、ということです。なぜなら彼らはいかなる決まった住居の場所も持たず、絶えず移動していて、どこにいようとそこが彼らの「家」だからです。
 もう一つは実際的というよりは観念的なものです。たくさんのストリートチルドレンがいますが、それぞれ異なる背景と理由によってそこにいます。ユニセフではこれらの子どもたちを、「路上にいる子ども」と「路上の子ども」というように大きく二つに分類しています。この分類は子どもが家族との接触があるのか、ないのか、もしくは不足しているのか、に基づいています。
 「路上にいる子ども」は、両親が舗道などに当座しのぎの小屋を造って住んでいるため、路上でほとんどの時を過ごす子どもたちです。これらの子どもたちは、両親と住み、親から望まれて仕事をしています。彼らは両親の世話を受けています。いわば子どもたちは家族との中で責任を持ち、また恩恵を受けながらくらしています。
 「路上の子ども」はこれと異なっています。これらの子どもは状況に迫られてか、自ら選び取った結果として両親との接触がほんの少しだけあるか、または全くないかです。彼らはどんなに不適当な家であろうと、またどんなに間に合わせで粗悪な家であろうとそれを持っていませんし、両親とのどんなたぐいの絆もまた持ちあわせていません。彼らは家族との関係が断ち切られ、場合によっては家族から見捨てられています。
 ユニセフは、インドの8〜9の主要都市でいくつかの調査をしました。これらの調査は「路上にいる子ども」と「路上の子ども」の両方に及びます。両者の比率を見ると、それは場所ごとに異なっています。興味深いことには、ストリートチルドレンの総人口の中で、より大きな都市では「路上の子ども」の比率が低くなっています。いくつかの第三世界の国でストリートチルドレンを調査している英国ユニセフ委員会は「ストリートチルドレンの75%は両親との接触がある」(文献3)と述べています。彼らは家族の中にいる雇い主や、それ以外の雇い主の監督下で働くか、路上の仕事につくか、自分たちで考えた商売を路上でします。一般には知られていませんが、夜はほとんど家族と過ごしています。

 インドの異なる規模の4つの都市のデータは、上記の所見を裏付けています。

インドの4都市におけるストリートチルドレンのタイブ
都市名調査例合計それぞれの割合
路上にいる子ども路上の子ども
カルカッタ2301973
マドラス20009010
カンプール12508416
インドール3007129
UNICEFによるストリートチルドレン実態調査 1989年


 ここでは「路上の子どもたち」について検討してみたいと思います。
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なぜ子どもは通りへ行くのか

 他の要因と分けてこれらの子どもたちについて話していると、まず始めに頭によぎる疑問は、「なぜ、彼らが自分たちの家庭から離れていくのか」ということです。
 まず子どもたちの意見を聞いてその理由のいくつかを考えてみましょう。

(1)若いくず拾いのデヴァラジの場合

「僕の名前はデヴァラジ、14歳です。小学校の3年生のときに父さんが死にました。僕たちは4人兄弟だったから、母さんだけでは僕たちをとても養うことは出来ませんでした。母さんは家政婦の仕事をしていました。僕と弟は学校を退学して仕事を始めました。ある日、マドラスでもっといい仕事につくために村を飛び出そうとしました。でも、警察に捕まって、政府の少年院に入れられました。そこの厳しい決まりがいやだったので、3人の少年たちと一緒にそこから逃げました。僕は1日に15〜25ルピー稼ぎます。僕のボスは自分自身です。母さんのことはちやんと覚えています、けれども家に帰りたいとは思いません、もう二度と同じ問題を抱えたくないんです」

(2)リキシャ引きのバブの場合

 バブの父親は家族を路上に置き去りにし、別の女性と結婚してしまいました。哀れな母親は3人の子を養うことが出来ないことから、別の男の人と結婚することを選びました。が、子どもたちの状態は更に悪くなり、バブはしばしば義理の父とケンカをするようになりました。彼は逃げ出して鉄道駅でポーターの仕事につきました。警察が彼を捕まえて1ケ月間拘留したりということが何度もありました。バブはいつも動き回っていて、マドラスからボンベイやデリーなどへ旅行したこともあります・彼は16歳になっていて、今は、リキシャ引きをしているのですが、くず拾いも何度かやったことがあります。

(3)孤児のボーラの場合

 ボーラは孤児でした。彼が小さいころ叔父が後見人になっていました。しかしよく殴られたのを今でもはっきりと覚えています。生まれた村の名前を知りません。8歳になると叔父が彼を売り飛ばしてしまいます。そこの主人はボーラを体罰と少しの食べ物でこき使って働かせました。彼はそこから逃げ出して転々と場所を移動しました。あるときは物乞いや盗みを行い、まれに臨時の仕事についたこともあります。彼は読み書きができず、そして精神的に弱いところがあり、酒とタバコに中毒気味です。映画を見たり、友達とカードで遊んだり、酒を飲むのが彼の娯楽です。2時間働き、路上に寝ころがり、主にくず拾いで自分の生活費を稼いでいます。彼は14歳です。

(4)夢を持たない少年、シャムの場合

 10才になる少年シアム・クメールはカルカッタに近い村からやってきました。彼の母親は彼の小さい頃になくなりました。それ以後、父親が酒を飲みふけるようになり、またシャムと妹に暴力を振るうようになりました。こうした中で妹も死んでしまいました。それからは彼は家を飛び出してレストランで働き始めました。しかし賃金の支払いはひどく少ないうえ、彼によれば性的な虐待もありました。
 そこも飛び出してクズ拾いを始めました。少しでもお金が貯まると決まって映画を見ます。彼の唯一の願いは、日に三回の食事を取ることだ、といいます。

 私たちはこうした多くのケースを読むことが出来ます。それは細かい部分では異なっているのですが、家族の崩壊という悲しい出来事と、極度の貧困が子どもの家族からの逃走や逸脱を引き起こしている点で基本的にはほぼ同じです。極端な貧しさ、親の死(主に母親)、義理の親の登場、アルコール依存症の父親、もしくは親同士の不和などの結果として家族の崩壊がおきています。
 まだ例としては少ないのですが、映画でよく見かける魅惑的な都会の生活に憧れて家を飛び出してしまうこともあります。

路上での生活

 上述したいくつかの事例では、子どもの路上生活にどのような試行錯誤があるのか、までは描いてはいません。
 どうやって都会生活に落ち着いていったのか?
 まず始めに彼らは何をしたのか?
 実際に彼らが稼ぎ始めるまでどうやって食いつないで生き延びてきたのか?
 これらのいくつかの疑問にはたくさんの答えがあるでしょう。しかし、都会に入るときの子どものたどる生活をおおまかに描き出すことは出来ます。そしてそれは大抵同じコースをたどっています。
 初めにしなければならないことは食べ物を探すことです。どうにかしていくばくかのお金を稼がねばなりません。手っ取り早い方法はお金の無心です。ほぼ全員がときどき、あるいはしばしば物乞いに依存しています。しかし、誰もがそれをし続けているわけではありません。
 彼らの非常に一般的な職業は二つあります。主要なものはクズ拾いです.(文献4) ほぼ90%の子どもたちがこれをしています。この仕事が非常に汚く、あらゆる健康を害するものにさらされているにも関わらずです。いろいろな要求を満足させてくれる、という理由でこの仕事についています。

理由の一

 この仕事が彼らにとってとっつきやすい、ということ。なぜなら、ゴミというのはインドのどこにいってもあるからです。公共のゴミ収集システムは充分機能しておらず、その結果、公共ゴミ置き場は常にあふれ返っています。市民たちの間には規律もなく、ゴミは素材の区別なく投げ捨てられています。ゴミにはリサイクル可能な廃棄物も多く、集められれば市場に出して売れるだけの価債がでてくるものがあります。子どもたちはこうしたものを集めて引き取ってくれる業者に売り渡します。こうした作業には多くの貧しい女性たちの姿も見受けられます。

理由の二

 それが自営業であること。誰も自分たちを雇っているのではないこと。時間に束縛されず、仕事の出来高によって誰かを満足させる必要もありません。自分が自分の主人であり、それがすばらしいことなのです。

理由の三

 特殊な技能を必要とせず、肉体的な強さも要求されないことです。この商売を始めるにあたって特別な道具も必要ありません。
 他の商売ならば、たとえば靴磨きなら商売道具を買う資金が必要です。ブラシに箱、二三の缶入り靴クリームなどです。またいくらかでも靴磨きの技術が必要です。
 ポーターなどの運搬人の仕事ならば、肉体的な強さが必要です。花や新聞を売って歩くつもりなら、初めの元手が必要です。またこれらの職業では、どれだけ客を引きつけられるか、によって収入は大きく異なります。
 その点、クズ拾いはどんな制限もありません。集めた素材を売ることに何の問題もありません。クズ財には正規の取引業者がいて、格好の市場を作っています。

理由の四

 クズ拾いは大なり小なり、集団活動になります。1人で作業をするものはほとんどいません。4〜5人のグループを作って移動しています。これはグループで暮らすのを好む彼らにとってはよく合っています。個人の属する初めの集団である彼らの家族を後に残しているため、別の集団に入ることで、今、自分はどこに属しているのか、ということを認識する必要があるのです。

理由の五

 ゴミ拾いは年齢や性別を問わない職業です。男子、女子の両方がこの仕事をしています。しかし、レストランや大衆食堂となると状況は異なってきます。インドでは女子がこれらの場所で働くのを見かけることはありません。靴磨きについても同じことがいえます。
 レストランで働く子どもたちも多いのですが、大抵はすぐやめてしまいます。私たちのような第三者から見ればレストランの仕事は理想的に思えます。つまり、仕事の環境が良い。まず食べ物に困らない。残り物がいつもあるからです。そして、安全な屋根のある寝場所が得られます・多くのレストランでは、閉店後子どもたちに店内で寝ることを許可しています・つまり、二つの重要なもの、「寝る場所」と「食べ物」が手にはいるのです。
 しかし、子どもたちはレストランで働くのをあまり好まないようです。まず、厳しい規律があることで、自分の時間が持てません。そして厳しい規律があるのです。雇用者たちは、子どもたちを最大限に利用しようとします。そして、時には一緒に働いている人たち、雇用者あるいは周囲の大人たちから性的嫌がらせを受ける危険もあります。グループ活動に見られる仲間の助けもなく、何よりも自由がない仕事なのです。
 さらには、路上、鉄道の駅、バスステーションなどでものを売る仕事が挙げられます。この仕事も物乞いをする機会があります。子どもたちは人々に物を売るために近づき、同時にお金、食べ物、飲み物をもらおうとします。
 ある子どもは、ギャングに雇われ物乞いをします。また、ある子どもは麻薬の運び屋、盗みなどの手先となります。ギャングたちは主に1人でいる子どもをねらい、食べ物、寝る場所を提供し、愛情をも与えます。最初にこうすることによって、子どもたちを組織の中に引き込むのです。いったん組織に入った子どもたちは、物乞いや盗み、最悪の場合は麻薬の売人などの反社会的な行動を訓練されます。
 このような状況ではありますが、インドのストリートチルドレンは他の国々と比べれば永続性の低いものです。武器を持ち歩いたりはしません。彼らは凶暴ではなく、彼らの犯す罪はそんなに重いものではありません。

ストリートチルドレンの特質

 ストリートチルドレンには主に二つのものが必要であるといわれています。子どもたちはグループで生活しながら同時に自分たちの自由を保とうとします。これは逆説的なようですが、本当です。ある子どもがある町にやってくると、すぐにどこかのグループに属するようになります。駅に着くと同時に、すでに組織こ入っている子どもたちが声をかけてきます。他にもこのような子どもたちがいるので先を争うのです。ギャングの子どもたちが声をかける前に、警察が新しくその町に移ってきた子どもたちを捕まえることもあります。また、「優しい大人」が近づいてきて、その大人の犠牲になってしまう子どももいます。子どもたちの未来は、誰が最初にその子どもに接するかに大きくかかっています。多くの子どもたちは、警察の保護下から逃げ出しますが、その頃までには彼らは施設内で友だちをつくっています。

 子どもたちは自由を何よりも大切に思っています。彼らは大人が束縛しようとすることに拒否反応を示します。大人たちと経験した多くのことは、彼らにとってよいことではありませんでした。子どもたちは元来、頑周者です。一度は家族から離れて知らない人たちのところへ飛び込んでいった勇気の持ち主でもあります。彼らは当然のことながら、知っている悪魔(自分たちが接してきた大人たち)が知らない人たちより良い存在であるとは考えません。子どもたちはグループの一員になることを望みます。グループは精神的安全という、彼らが必要としているものを与えてくれるからです。グループのメンバーは選択することができ、構造はゆるいものです。これが子どもたちにとって欠かすことのできない自由を与えてくれるのです。子どもたちがこのような特質を持っていることを頭に入れて、子どもたちのためのリハビリテーションのプログラムは作られなければなりません。

ストリートチルドレンが直面している問題

 ストリートチルドレンが直面している問題は、彼らの状況に直接結びついてきます。子どもたちは住む家を持たなくなると、雨、風、暑さ、寒さなどにさらされ、気侯の変化に極端な影響を受けるようになります。  第二に、彼らは簡単な料理を作る所もないため、これらの子どもたちはレストランからの食物に頼らなければなりません。彼らは十分なお金を持っていないので、安くて質の悪い食物に頼らなければなりません。彼らはしばしば残り物を乞い、時々は特定の日に食物が配られる宗教的な場所で食べます。たとえ彼らがそのような物で空腹をしのいでも、栄養摂取は充分ではありません。

 第三に、インドの都市は、トイレや公共の風呂などの設備がとても限られているので、風呂に入ったり、身体を洗う適切な場所がありません。また、彼らには適切な水飲み場もありません。

 はっきりと健康を害している状態であることで、もう一つの問題に直面するわけです。例えば、もし、彼らが病気になればそれを治療するのは難しくなります。ここでの問題はお金というより、むしろ彼らの独特な状況にあります。公立病院や珍療所は利用できるけれども、気づかれるのを恐れてそこに行くことができないのです。何故なら、大人が付き添っていない子どもであることが、即座に気づかれてしまうからです。これらの子どもたちは、絶えず警察に捕らえられることを恐れています。だから目立ちたくないのです。診療所や病院で彼らは必ず両親の名前か、住所などを聞かれるため、子どもたちはそのような場所に行くことを避けたいのです。結果として、彼らの病気は治らないままです。彼らはどちらにしても、ほとんど休養する余裕がありません。何故なら、頻りにする貯金がないからです。つまり、横になる場所もなく、面倒を見てくれる人もいないのです。もし、その病気が本当に重大であれば、その時はもちろん、彼らは友だちに助けられます。それゆえ、グループの一員であることは、彼らにとって最も大事なことです。絶えず不潔で汚く、洗濯も行き届かず、質の悪い食事という環境のために、しばしば寄生虫病や「かいせん」のような病気にかかってしまいます。寄生虫はすでに栄養不良状態の彼らの体調をさらに悪くします。

 問題は住む家を持っていないためにおこります。家族がないこと、指導したり、管理したりしてくれる大人がいないことが、さらに問題を悪化させるのです。このことは、常に不安を生じさせることになります。それは警察に捕らえられる恐れによって一層悪化させられます。警察が彼らを検挙するのは、青年法(the Juvenile Justice Act〉のもとでは、保護者のいない子どもたちは国家の責任になるからです。国家は彼らの両親を確認したり、家族に彼らを返す努力を期待されています。また、警察はちょっとした口実でも彼らを捕らえます。例えば、盗みやスリのような小さな犯罪がおこり、その場所に集まってくる子どもたちが、最初の容疑者になるようなときです。時々、警察は彼らを放って置くことを条件に彼らを脅し、金を抜きとります。これらの理由と彼ら自身、家庭と群れていることの罪の意識から、子どもたちは不安と恐れの感情に悔まされています。このことはさまざまな問題をもたらしています。子どもたちは、喫煙や飲酒、麻薬、また早すぎて不自然で危険なセックスなど、さまざまな悪い習慣の犠牲となっています。

 彼らは簡単に反社会的な集団の手先となることができます。彼らは映画を見ることやカードで遊ぶこと以外に遊びがありません。これらの映画は小さな部屋で、比較的安い料金で見ることができるビデオです。映画館で上映される映画は高すぎます。この私的な映画見物は、結果として、子どもたちがポルノ映画を見ることになります。カード遊びはギャンブルにつながります。要するに、一度家を離れると、不健全な大人に成長する危険をはらんださまざまな状況にさらされるのです。

 インドでは多くのNGOや、また政府がこれらの子どもたちのための活動をしています。この論文の第二部では、そうした運動について検討しましょう。

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参考文献

I) Press, M. Robert
 "On The Road", Indian Express, New Delhi,
  India, March 20, l994.
2) P.Smith
 "Butterflies in the Streets" The Statesman,
  Calcutta, India, March 5, 1994.
3) Ghosh, A.
 "Street Children of Calcutta",
4) Arimpur, J.
 "Street Children of Madras",
5) Pandey, R.
 "Street children of Kanpur",
6) Phillips, WSK.
 "Street Children of Indore",
  (3 to 6 All Published by The National
  Institute of Labour, India, in 1992-93).
7) Mishra, S.
 "Street-Children", Government of Maharashtra.
  India. 1989.

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翻訳監修:恩田英一
翻訳協力:大野京子
       篠田美恵子
       松下美代子
       森克明



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