シスター・エリウダへのインタビュー
   生存のための路上の文化


マリア・エリウダ・ドス・サントス
聞き手 : 冨田洋平



 ブラジル、サンパウロのセー広場で、路上の子どのたちのために働いている肌の色の黒い修道女がいる。マリア・エリウダ・ドス・サントスさんである。人種差別のない国といわれているブラジルでも、肌の色が黒い神父や修道女は少ない。
 彼女はここ何年も、たった一人でセー広場の子どもたちの面倒をみている。軍警察などによる脅迫だけではなく、実際に暴行も受け、その後遺症も残った。だが彼女は、そのようなことにも屈せず、子どもたちのための活動を続けている。ブラジル弁護士会サンパウロ支部人権擁護部会からは、人権を守るために際立った活動をした人への「フランツ・カストロ・ホルツ賞」が贈られた。
 今年エリウダさんは、教会からアフリカへ派遣されることとなった。彼女がアフリカへ立つ前に、「プラッサ」呼びかけ人の一人でもある冨田洋平さん(サンパウロ在住)が、子どもたちのことや、アフリカ派遣について、話しを聞かせていただいた。


路上で生活する子どもたち

冨田 では、簡単な経歴からはじめましょうか。生まれはマラニョン州でしたね。
エリウダ ええ、ティンビーラス市です。州の中央部です。現在家族はコドー市に住んで
います。父は91年に亡くなりました。ブラジリアに9年間住みました。
冨田 ブラジリアへは家族と移住したのですか。
エリウダ いいえ、親類を頼っていきました。人に役立つことをしたいと思い、カトリック教会に入りました。宗派がベロオリゾンテにできたとき、そこへ移りました。修道女に昇格したとき、サンパウロの路上の子どもたちのことに興味を持ち、彼らのために働きたい気持ちが強くなり、会を出てサンパウロの未成年者牧会(パステラル・ド・メノール)に入りました。85年のことでしたから、もう10年になります。
 80年代のはじめ、路上の子どもたちが問題化しつつあり、ルシィアーノ司教(当時)は彼らの現状を調査するため、小人数のグループを作りました。問題が深刻化したため、未成年者牧会が結成されました。ジョイゥソン少年事件が、世間の目を路上の子どもたち、特にサンパウロの子どもたちに向けるきっかけになりました。
冨田 いつごろのことですか。
エリウダ 83年か、84年でした。
冨田 どんな事件だったのですか。
エリウダ ジョイゥソン少年が金ぐさりかなにかの窃盗をおこない、通りがかった検事が少年を追い、彼が死ぬまで蹴りつけたのです。
冨田 サンパウロで起きたのですか。
エリウダ そうです。サンフランシィスコ広場です。カトリック教会は毎年現場まで行進し、一種のプロテストをおこないます。現場のベンチは広場の改造工事のため取り去られましたが。
冨田 この事件が未成年者牧会結成のきっかけになったのですか。
エリウダ 未成年者牧会は既に活動していました。結成されて間もないころでしたが。事情が悪化するにしたがって教会内部だけではなく、外部でも、問題に関心をもっていた人たちが組織され、活動も本格化して、非常に短い期間に規模も拡大したと思います。
冨田 どんな組織が活動していたのですか。
エリウダ FEBEM(州立未成年者収容施設)がそうです。でも、彼らには教育方針などなく、犯罪児育成機関に近いものです。それは当時も今も変わりません。たとえば、未成年ではなくなる18才になる子は、誕生日の前日、身の回りの品を整理して、何の教育や準備もなく社会に放り出されます。彼らは当然、路上生活をします。サンパウロ州政府のFEBEMや、リオのFUNABEM、サルヴァドールなど大都市の政府のやり方が、路上の子どもたちを作り出す工場の役割を果たしているのです。
冨田 未成年者牧会が活動をはじめたころ、弁護士会の人権擁護部会などもあったのですか。
エリウダ いいえ、障害児救護団体などはありましたが、路上の子どもたちに関しては、
FEBEMなど政府の施設だけでした。
冨田 UNICEF(国際連合児童資金)など、国際機関の関心はどうでしたか。
エリウダ 現状が紹介され、教会の活動が反響を呼ぶのにしたがい、いろいろな人や団体が活動しだし、外国の機関もUNICEFのように参加しはじめました。でも、かなり後からです。
冨田 では、教会はパイオニアだったわけですね。
エリウダ そうです。


モザンビークへの派遣

冨田 それであなたはすぐ、セー広場のプロジェクトに参加したのですね。
エリウダ ええ、そうです。そこで街の教育者として働きました。それが私の優先的使命でしたし、今回のアフリカミッションの話があるまで、ずっと働きました。そして外国で路上の子どもたちと接する機会がないにしても、優先的使命であり続くと思います。施設にいる子は、なんらかのかたちで保護されていますが、路上の子たちは放置されているからです。
冨田 モザンビークでも街の教育者として働くことになるのですか。
エリウダ いいえ、情報によるとモザンビークは内戦状態から脱出したばかりで、色々な面で救護を必要としています。たぶん福祉関係の仕事になると思います。まず駄目でしょうが、余裕ができればやりたいと思います。現地の状態や、何を優先的におこなうかなど、具体的なことは何も分からない状態ですが、もし路上の子どもたちがいればもちろん優先しますが、とりあえずは駄目でしょう。
冨田 で、向こうに行って、そのプロジェクトに・・・
エリウダ ええ、ナンプラーのプロジェクトです。モザンビークの。
冨田 ナンプラーはどんな所ですか。都市とか、田舎とか。
エリウダ ちょっと資料を持ってきます。これが地図です。
冨田 ナンプラーは北の方にあるのですね。マプトからだいぶ離れていますね。
エリウダ ペンバ大司教区の隣です。
冨田 ビデオによるとだいぶ辺鄙な村のようですね。内戦のせいか、壊れかかった宿舎がありますね。キャッサバの粉の団子のようなものを食べていますね。
エリウダ これはポルトアレグレで、今回のミッションの訓練を受けていたときの写真です。この黒人のシスター(修道女)がアフリカの文化について教えてくれました。衣装も、ご覧のように、アフロです。この写真は、ポルトアレグレのファベーラ(スラム)で実習したときのものです。セー広場の子どもたちも減ったし、彼らをバックアップしてくれるプロジェクトもできたので、私も安心してアフリカへ行けます。
冨田 で、その新しいプロジェクトは、「サンタセー」という名前でしたっけ。うまくいっているのですか。
エリウダ それは、まあ、何というか、大成果を挙げているわけではありませんが、うまくおこなっています。相当な数の子どもたちをケアしているし、活動内容も信用できるものですし、現状にあったものだと思います。路上での活動は、私たちがおこなっていたように、直接子どもたちと接する活動と、それ以外の援護的な活動もあります。このプロジェクトは援護的なものです。子どもたちに特定の場所で必要なケアをするものです。ですから、援護的なプロジェクトです。ですから、何というか、安心できるものです。
冨田 少し以前の話しに戻りますが、あなたは未成年者牧会のプロジェクト、故バチスタ神父(黒人)のプロジェクトに参加したわけですね。
エリウダ 以前のCCM(未成年者コミュニティーセンター・子どもたちが路上へ出ていくのを防止する目的で作られた)ですね。実際にプロジェクトをコーディネートしていたのはカトリック大学の社会学の先生で、コンセリェイロラマーリォ通りに施設がありました。以前私が住んでいた家です。あそこがセー広場で活動していたチームの拠点でした。確か18人の教育者たちが、いくつかのグループに分かれ、パウリスタ通り、ブラス、セー広場やノーヴェデジューリォなど乞食などが集まる場所で活動していました。私たちが路上を活動の場としていたのに対して、バチスタ神父は「靴磨き少年プロジェクト」を選びました。もちろんプロジェクト間の連絡はあって、私たちも路上の少年たちを、靴磨き少年プロジェクトや、CCCA(路上にでてしまった子どもたちのためにつくられた)に紹介したりしました。
冨田 CCMとCCCAの関係は。
エリウダ 同じプロジェクトだったのですが分かれたのです。私たちは路上での活動を選び、バチスタ神父は援護プロジェクトを選んだのです。
冨田 子どもたちが路上に出るのを防止するプロジェクトですね。
エリウダ ええ、そうです。一部の教育者、街の教育者は、その名のとおり、路上を選んだのです。


生存のための戦争と文化

冨田 それで。
エリウダ いろんなことがありました。私にとって、戦争、生存のための戦争のような気がします。私にとって彼らは、英雄、現代の英雄たちの気がします。子どもたち。路上の子どもたちが街に出て、圧力や抑圧の壁を破って、自分たちが置かれている現状、飢えや、貧困や、路上で死んでいく親たち。つまり彼らが、親はアル中で、自分たちは食うに困っているということを、街の出て訴えたことに頭が下がります。食うに困った子どもたちは、街に出て自分たちの生存を、交渉せざるをえなかったのです。そのような状況下で、子どもたちは、グループを形成し、何というか、一種の文化、生存のための文化を作り上げたのです。子どもたちと接することで、新しい文化の誕生を、目撃できたと思います。私たちの国、私たちの街で、新しい文化、社会の新しい階層が形成されたのです。だから、強烈な体験でした。
冨田 あなたのいう文化とは、路上の子どもたちの文化ですね。
エリウダ 子どもたちが生存するためには、互いに頼れるような空間、習慣が必要になり、それが独自の文化を生み出したのです。ただこれが、社会的に認められていないことは確かですが。
冨田 色々なプロジェクトがあるにもかかわらず、彼らの文化は、確固たるものですか。
エリウダ 政府、国の根本的な再組織化がおこなわれない限り、続くと思います。子どもたちを路上に追いやる原因が無くならないかぎり、彼らの文化はますます必要なものになると思います。
冨田 彼らが独自の文化を持っていることは、彼らが社会に再順応するための妨げになりませんか。
エリウダ 再順応ですか。彼らは特殊な環境化に置かれています。死の文化です。その対抗手段として、彼らの文化が生まれたのです。だから、彼らが社会に再吸収されるには、社会が、彼らの文化を認めるかどうかに掛っています。知ってのとおり、現在の政界の変化は目まぐるしく、日本でもそうだと思いますが、他の国でも、非常に早いテンポで変わっています。だから、子どもたちの将来がどうなるのか、はっきりした解答はでにくいと思います。
冨田 彼らの文化は、生き残るために、また暴力、特に警官による暴力から身を守るための組織化と言うことですね。
エリウダ 灰からの再生です。路上の子どもたちが生きているということは、焼け跡から新しい芽が出てくるようなものです。それは、私にとって、不思議であり、奇跡であって、主の御心によって生まれ変わるとしか思えません。
冨田 子どもたちの幾人かは、あのプロジェクトで働いていますね。何といったかな。
エリウダ 「下請プロジェクト」ですね。
冨田 ああ、それです。で、そこで子どもたちは、下請けの作業をすることで、社会と接触しますね。
エリウダ はい。
冨田 働くことはある程度、規則に従うことを意味しますね。労働時間とか、品質管理とか。つまり子どもたちにとって、まったく新しい現実に接することになりますね。彼らはどのように対応しますか。
エリウダ それはひとつのプロセスであって、とても時間の掛るもので、かつ子どもたちを補助する教育者たちの努力を必要とするものです。たとえば先週の日曜日の夜、州の青少年局から電話があって、そこのソーシャルワーカーが、ある少年のことを、「お宅の、コンセリェイロラマーリョ通りの青少年の家の子ですか」と聞いてきました。「ええそうです。うちのプロジェクトの子です」と答えると、カーラジオ窃盗の現行犯で保護されているとのことでした。だから、私たちの準備ができていないと、すべては崩壊してしまいます。なぜなら、食事。質素ですが十分な食事と、教育。ご存じのように労働による教育も受けさせてもらっていて、彼らのことを心配してくれる人たちに囲まれていて、また常に家族や友人と接するようにとの教育方針がありますから、毎日曜外出できる自由がありながら、その自由を利用して、仲間とカーラジオを盗んだのです。幸い判事が、私たちの活動に理解を示してくれて、少年は釈放されましたが、とても時間の掛るプロセスです。
 あなたは、社会に再順応と言いましたが、一部の子どもたちにとって、順応です。何の社会教育も受けなかった子もいるからです。だから、とても根気のいるプロセスです。6〜7割の子どもを社会復帰させることができたら、大成功です。これは援護体制が整っている施設にいる比較的恵まれた子の場合で、こうしたバックアップを受けられない、路上の子たちはもっと大変です。
冨田 最近マスコミは、路上の子どもたちのうち、家族との絆をまったく絶ってしまっているものは、少数だといっています。つまり、子どもたちの多くは、日中路上にいて、夜家に帰るとか、一定期間、たとえば一週間路上にいて、また家に帰るといっていますが、どう思いますか。
エリウダ いいえ、麻薬の問題が、深刻でないころは、昼間、路上を働く場としていた幼い労働者たちは、生活の糧を得て、毎晩家に帰っていたし、興味半分で、仲間としばらく路上生活をしたあと、また家に帰る子もいました。でも最近の子のうち、貧しさのためでなく、麻薬のために路上に出た中流の下の家庭の子は、まず家に帰りません。なぜなら麻薬や密売組織の関係と、家庭は、共存できにくいからです。とても難しいです。それに、子どもたちが置かれている現状は、1〜2年前に比べ、見かけは変わっていますが、州政府、特に軍警察の戦略があると思います。以前子どもたちは公共の場で、私の場合はセー広場ですが、暴行や拷問を受けていました。手元の統計によると現在は、とても信じがたいことですが、最近3週間のテレビのドキュメント番組でも報じられたことですが、ファベーラ(スラム)の青少年たちは一度に3〜6人と、大量に殺害されています。先々週でしたか、22名の未成年者を含む若者たちが、金曜から土曜にかけて殺されました。この3週間に4つの事件で52名の若者たちが殺されています。だから事態は好転したといわれていますが、実際には街の中心部に出てくる前に、ファベーラで抹殺する戦術が取られているのです。悪を根元から絶つ、つまり子どもたちが路上に出る前に抹殺する考えなのです。これは、問題が公になることを避けるやり方と同じです。以前子どもたちを路上から連れ去って、サンパウロ、リオ、ブラジリアなどの都市の美化をはかり、ダイアナ妃がFEBEMを訪問した際の、あの有名な赤い絨毯事件と何ら変わりません。
冨田 子どもたちの菜園に、ダイアナ妃用の赤い絨毯を敷いた事件ですね。
エリウダ ええ、だから政府、とくにサンパウロ州政府のやり方は、ずっとこれなのです。さらに、大統領は、短期間で貧困問題を解消できる企画があると、いやな発言をしています。いったいどんな内容なのか。私としては、はっきりとしたものが出てこないかぎり、ここ3週間の間におきているような、貧乏人の大量殺害をするとしか考えられません。100名以上が殺され、その多くが青少年なのです。
冨田 統計的には、子どもたちに対する警官の暴力は減ったものの、カムフラージュされた暴力は続いているわけですね。マスコミは、これらの事件は麻薬組織やギャングがらみが多いと報じていますが。
エリウダ つねにそうだとは言えません。グローボテレビによれば、事件のうち3件は警官が犯人であるとの目撃者の証言があります。そのうち一件の目撃者は女性で、もう2年前になりますが、テレビに取材されて以来、警官に脅迫されて安心して外出できない状態にあります。6人が壁の前に並ばされて殺されました。彼女は最後の子が処刑されるまでを目撃したそうです。レポーターは警察の怠慢の例として、最近サンパウロで起きた青年の殺害事件を挙げています。事件後4〜5日経っても被害者の身元を割り出せなかったのです。レポーターが被害者の家族にあった後、管轄署に取材にいった際、警察は被害者の名前すら分かっていなかったし、犯人などなおさらです。警察の無関心ぶりは何ら変わっていません。
冨田 それは政府が変わってもですか。今年1月に就任したコーヴァス新知事は、フレウリー前知事より人道的だと思ったのですが。
エリウダ それについてとても心配しています。軍事政権だったフレウリーからコーヴァスになって、コロール大統領から、少なくとも軍事政権から亡命していた経歴を持つフェルナンドエンヒッケ大統領に変わって、私たち庶民は政府の対応に変化を期待しましたが、日に日に期待を裏切られています。期待に反して、権力、抑圧階級に牛耳られていますし、あなたも帰国後感じたと思いますが、大統領の態度には呆れるばかりです。
冨田 クリチーバ、ブラジリア、その他いくつかの都市では、家計を助けるため学校に行けない子どもたちの親に、一定の金額、最低給料でしたか、を払うことで子どもたちを学校に復帰させるプロジェクトがありますが、どう思いますか。
エリウダ それは私たちがずっと訴え続けてきたことです。つまり、貧しい家族が人間らしく生活できるための最低限の収入を保証することです。ミルクチケットや、基礎食料政策のような現状維持の施し政策ではなく、貧しい家族の所得を増やすほうが貧困問題を実際に解消するし、安上がりな政策だと訴え続けてきました。
冨田 でも子どもが学校へいくという条件付きでは、子どもが一種の権力を親に対して持つことになりませんか。親を脅迫することもできます。
エリウダ プロジェクトの詳細が解らないので、何ともいえません。でも、時として政府はきちんと実行されればためになる政策を発表するものです。サンパウロ州政府が未成年者局を設立した折り、教会は色々アドバイスしました。だからプロジェクトがどうなのかではなく、いかに実行されるかです。家族に対する助成金が、親たちの労働に対して支払われれば、問題はないのですが。それに、どのような利害関係が裏にあるかです。一件貧困層の利益にみえても、実際には支配階級の利益となるプロジェクトが、残念ながらほとんどですから。
冨田 子どもたちの労働についてですが、最近、世界的に子どもたちの労働を問う動きが強まっています。人道的でないとの理由によってです。労働はどこまで子どもたちの人間形成に支障を来すと思いますか。
エリウダ 奴隷労働、強制労働であれば、ただちに禁止するべきです。しかし法定の14才以上で、健康な子であれば、そして重労働でなく、また学業に差し支えのない時間帯で、教育上ためになる労働であれば、むしろ必要です。常にそうであったし、歴史上、普通の労働、たとえば家事手伝いが子どもに害を及ぼしたという記述はありません。だから、これからは子どもの労働が悪だ云々は、政治的意図があると思います。誰だって、何が子供に良いか悪いかぐらいの常識は持っています。ただそれが法律の一条項になるには、政治的利害が絡んでくると思います。その利害関係たるや凄いものです。
冨田 子どもの労働禁止や、学校へ行かせるための助成金制度など、貧しい子どもたちが中産階級の子弟たちと同様の機会を与えられることは悪いことではありませんが、ブラジルの現状からして、すべてがこのような機会を得ることは不可能と思います。とすると、このような動きは、中流の価値観を貧困層に押し付けることになりませんか。また同様に、先進国の価値観が後進国に押し付けられることになりませんか。


活動への干渉

エリウダ まったくです。各国のプロセスを無視しています。特にラテンアメリカに対して堂々とおこなわれています。この種の干渉は確かにおこなわれています。
冨田 セー広場での活動にも、そのような干渉はありましたか。
エリウダ 常時ありました。特に国が政治的に重要な時期にあるときにそうでした。政治家たちや、政治家たちに投資している実業界の、路上の子どもたちに対する態度がそうでした。彼らの言うことは、自分たちの都合や政治的な状況によって、くるくる変わるのです。
冨田 現在、実業界は路上の子どもたちに関する多数のプロジェクトを持っています。最も有名なのがABRINQ(おもちゃメーカー連盟)のプロジェクトですね。
エリウダ ええ。ほかに有名なのが軍警察と実業界による共同プロジェクトです。私は恐怖を感じます。軍警察や実業家の関心は、貧乏人や、浮浪者や、路上の子どもたちの権利や生活の向上ではないからです。だからとても心配です。たとえば旧中心部の再開発は「路上のゴミの撤去からはじめる」と明言しているのです。ゴミのなかに浮浪者や路上の子どもたちが含まれているわけで、何の選択肢も与えずに撤去するのです。彼らがゴミである以上、焼却されてしまうでしょう。弁護士会での軍警察の隊長の説明では、実業家たちはバイクやカメラなどを使っての中心部のパトロール計画に強い関心を示しています。さらに大統領の2000年までに貧困を無くす計画は、これはブラジルだけでなく世界的な動きのようですが、恐怖を覚えるものです。
冨田 今回日本から戻って感じたのは、1年前に比べ路上の子ども達の数が減ったことでした。
エリウダ だから、彼らは路上に出る前に消されているのです。セー広場の子どもたちは、ファベーラの貧しい子どもたちでした。街の中心部など人目を引くところでは、教会や弁護士会など人権擁護団体が執拗に告発するので、警察はファベーラで暴力を働いているのです。以前20才まで生き延びることができたらよしとされていた子どもたちの寿命が、19才とか、18才になり、いまでは8才の子どもも殺されているのです。テレビでも報じられたように子どもたちは街にこなくなったのです。たとえば私が、セー広場で活動しはじめたころは、ある月に50人の子どもを施設に送れば、新参が300人来るという状況でしたが、今では20人に対し10人の割合に落ちています。施設に送られた子は、何らかの形で救われたわけですが、ファベーラの子や、地方から移住してきて路上生活を余儀なくされている家族の子らが、今やあのブラックリストにのっているのです。テレビニュースにも出ていましたが、最近「死の部隊」に処刑された子どもたちの多数は、何の前科もなかったのです。彼らの唯一の罪は貧しいことであり、路上に出るか、麻薬と関係を持つ危険性があるとみられることです。
冨田 一方、マスコミはブラジルの路上の子どもたちの実際の数は、予想よりはるかに少ないものだと報じています。ヴェージャ誌は、去年全国の未成年者の売春婦の数は、ディメンスタイン(「夜の少女たち」「風みたいな、ぼくの生命」などの著者)の予想の数分の一であると報じています。マスコミは意図的に過少評価しているのですか。
エリウダ 一種の臭いものには蓋です。かつてもそうでしたし、今回もそうです。残念ながら成功するでしょう。一時、路上の子どもたちの数が減って、FEBEMの檻の中がいっぱいになったことがありました。
冨田 麻薬中毒児の救助活動についてどう思いますか。
エリウダ 政府や社会にとって、最優先のものであるべきです。プロジェクトの数も、もっと増やすべきです。
冨田 彼らが社会復帰できる可能性はあるのですか。
エリウダ 麻薬にしろ、アルコールにしろ、中毒者で社会復帰したがらない者はいません。教会の前にたむろしている人を見て、可能性はないと思われがちですが、彼らに意志がないのではなく、適当な施設がないのです。政府の施設は残念ながら監獄のようです。だから、いったん出ると戻らないし、つねに脱出の機会を狙っています。カトリック教会では、残念ながらプロジェクトを進めるコンディッションがありません。すべての教区が感心を示している訳ではないし、関心のあるところでは、人が足りませんし、何しろ全国的に患者の数が圧倒的に多すぎます。貧困層、中産階級、上流階級と、すべての階級に問題は及んでいるからです。だから早急に救助プロジェクトが必要です。公の施設がひとつもない州もあるのです。
冨田 バチカンの保守化は、教会の活動に影響していますか。
エリウダ 何ともいえないし、今のところ何のデータもでていません。色々言われていますが、各大司教区は自主性を持っているし、サンパウロの場合はパウロ・アーンス大司教が未成年者牧会の活動を奨励しているから、心配はいらないと思います。また、ブラジル司教会の干渉もないし、それどころか教会の方針としては社会問題、特に貧困問題に目を向けることです。私たちとしては、聖霊が私たちの道を照らし給うよう祈ることだと思います。
冨田 セー広場で活動していたころ、色々な干渉があったそうですが、外国の干渉もありましたか。
エリウダ 非常に巧妙な形で干渉してきます。表面上非の打ち所のないかたちでです。でも、ブラジルの力関係を知っていれば、おのずから真意も分かってきます。たとえば、コロール大統領選挙のとき、また今回のカルドーゾ大統領選挙ででもそうです。
冨田 外国のNGOはどうですか。善意でありながら、ブラジルの実情を理解していないばかりに、干渉になってしまうことはありますか。
エリウダ 私の思うところでは、非常に知名度が高く、既に長年ブラジルで活動している機関で、現地の代表の人たちも色々な活動団体の利害関係を熟知していながら、本部のいうがままになっています。分かりますか。
冨田 というと。
エリウダ その有名な子どものための国際機関の現地代表は、先進国の目線でしか、ものを見たり考えたりすことができなくなっているのです。最近のテレビで、農村の季節労働者をテーマにしたドラマがありました。仲間が毒蛇に噛まれて、何の手当も受けられないのを知っていながら、運動のリーダーは金で買われて寝返ってしまうのです。これは色々なレベルでおこなわれています。多国籍企業とか・・・これ以上話したくありません。子羊の皮を着た狼です。


(1995年7月サンパウロ)



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