モンゴルの子どもたち
「社会発展の宝」から「物売り・商売」へ
子どもに貧富の格差がまかり通る!!

大島武行



 ブラジル、サンパウロのセー広場で、路上の子どのたちのために働いている肌の色の黒い修道女がいる。マリア・エリウダ・ドス・サントスさんである。人種差別のない国といわれているブラジルでも、肌の色が黒い神父や修道女は少ない。
 彼女はここ何年も、たった一人でセー広場の子どもたちの面倒をみている。軍警察などによる脅迫だけではなく、実際に暴行も受け、その後遺症も残った。だが彼女は、そのようなことにも屈せず、子どもたちのための活動を続けている。ブラジル弁護士会サンパウロ支部人権擁護部会からは、人権を守るために際立った活動をした人への「フランツ・カストロ・ホルツ賞」が贈られた。
 今年エリウダさんは、教会からアフリカへ派遣されることとなった。彼女がアフリカへ立つ前に、「プラッサ」呼びかけ人の一人でもある冨田洋平さん(サンパウロ在住)が、子どもたちのことや、アフリカ派遣について、話しを聞かせていただいた。



大草原に牧歌的に生活する遊牧民!?

 一般にモンゴルは、広大な草原に牧歌的に遊牧民が生活しているというイメージがあるのではないでしょうか。確かに、遊牧民はいますが、ここ4〜5年だけを見てもモンゴルの人々の生活はめまぐるしく変化してきています。

 モンゴルは200数十万の人々が、日本の面積の4倍の広大なモンゴル高原に住んでいますが、いわゆる遊牧民といわれる人は、2割以下になっています。そして、5年ほど前まで、遊牧民は共同で家畜を飼育していましたが、改革と称して、家畜の個人(家族単位)所有にかえられてきました。そのことにより遊牧民たちは、自らがより収入を多くするために、肉などをより高く売ることを考えるようになって売惜しみしたり、積極的に家畜を増やして収入を上げようとなってきています。そのなかで、たくさんの家畜を増やした家族のなかには、人出が必要になり、子どもを学校に行かせず、家族を助けるという事態も生まれてきています。

子どもは「社会発展の宝」だった!!

 さて、モンゴルは5年ほど前までは、いわゆる「社会主義社会」として教育・医療の無料をはじめ、未来を担う子どもたちや社会を建設してきた年金生活者、さらにはハンディキャップを持った人たちを大事にしてきたというすばらしい面を持っていました。特に、子どもたちは「社会発展の宝」として教育の充実、余暇利用の援助(子どものための会館、夏のキャンプなど)がされてきました。義務教育もほぼ100%に近い就学率を確保し、遊牧民の子どもたちは、住んでいる県(地域)の寄宿舎で教育を受け、低学年では5月始めから8月いっぱいの夏休みをゲル(遊牧民の移動式住居)に帰るというシステムを取っていました。また、子どもたちはウランバートル(首都)で、バスやトロリーバスに乗っても、大事にされて席を譲られるというのが一般的でした。

生活・将来の展望は、自ら切り拓くカネ中心の社会に!

 しかし、4〜5年前からは、考えおよばない事態が生まれてきています。

 バスに乗る際、若者たちは我先にということで、子どもを抱えた女性やお年寄り、子どもたちがたいへんな目に合います。

 当初(4〜5年前)は、旧ソ連との貿易でドル決済となっていくなかで、生活物資、建設資財やガソリンなどが急激に少なくなるとともに、買い溜めがおこなわれて、商店は空っぽの状況になり、物価高・インフレが急速に進むことになります。そのため、生活費上昇に収入が追いつかない状況や、工場などが操業できなくなるなどから失業者が大勢出現しました。合わせて、これまでどおり仕事にありついている人たちでも、これまでどおりの生活が続けられない収入に陥っているなかで、仕事を辞めて「ビジネス」として商売人になる傾向が強まっていきます。そのことによって、それまでの収入の10〜100倍以上の収入を得るという魅力があります。モスクワや北京まで出掛け、さまざまな商品を仕入れて売ると人が急増します。また、定職に着いていても、自分の持っているもの、自分の趣味・技能を生かして、物をつくり自らが売るということで生計をたてることになります。

 これらは、安定的な生活と職業を保障されていた生活から、一気に一人ひとりが自ら生活費を稼ぎ、先行きの展望が見えない状況に放り出されたといえます。そして、人間関係にも大きく影を落としはじめています。「家族・親戚以外の人は信用できない」「自己中心的で他の人の立場を尊重しない」傾向が強まってきているように見えます。そして、友だち関係は、一般的にこれまでの親しさや友情などの基盤は崩れつつあり、自分が金儲けするのにプラスの人間かどうかという物差しになってきているといえます。

学校よりは、カネに走らざるを得ない環境が出現!!

 このような状況下で、特に子どもたちはどのような状況に置かれてきているのでしょうか。

 まず、学校に行かない子どもたちが生み出されました。ウランバートル市(首都)では、両親が家を離れて外国に買い出しと商売をするなかで取り残された子ども、母子家庭で家計を助けるために物売りをする子ども、家族の生活を助けたり、自らが以前にはなかったガム、チョコレート、菓子類、ゲーム機や洋服などを欲しいために物売りをする子どもなどです。子どもたちは、大人たちの商売を見て、すぐカネが手に入り、欲しいものが手に入る魅力を倍加させています。

 国境に接している列車の駅の近くに住む子どもたちのなかには、特に国際列車の乗客(買出し商売のモンゴル人)にボウズ(蒸し餃子)、スーテェーツァィ(牛乳茶)、ジュースなどを売る子どもたちです。

 遊牧民のなかでは、家族単位での放牧のため、主に家畜を増やし富を増加させた家族が、人出が足りなくなるなかで子どもを学校にいかせなくなる傾向があります。しかし、両親たちは、家畜、肉、毛を自らが売らなくてはならないことから、これからは字を読め、特に計算ができなくては困ると感じています。そんななかで、聞くところによると日本のある団体の援助で、移動式の学校をはじめたということです。はたして、これが本当に将来の子どもたちにプラスになるのか疑問を感じています。

 さらに拍車をかけているのが、地方の学校でも先生たちが給料が少く生活ができないと仕事を辞め、ウランバートルに出てきて商売をするということも起こっています。

 昨年、友人に尋ねると、約8000人の子どもたちが学校にいかなくなっていると聞きました(統計参考)。※統計資料はサイトでは省略させていただきました

大人の3倍以上の収入を得る子どもたち!

 さて、商売をしている子どもたちを見ると、力強く生きているように映ります。しかし、その反面、疲れはてて粗暴になったり、スリをやったり、煙草やアルコールを飲む子どもが生み出されてきています。

 街では、ジュース、新聞などを売る子どもたち、靴磨きをする子どもたち、小さい身体で兄弟だろうか一緒に重いジュースのケースを運ぶ光景をよく見かけます。しかし、なかには物ごいをする子どもたちも出てきています。

 ある13才の男の子は、コーラ(モンゴル製造)を1日3ケース(72本)売るといいます。1日の儲けは約3ドル。一ヵ月で100ドルほどになります。そして、家族の生活の助けと、自分で食べたいもの、服などを買うそうです。ちなみに、学校の教員の給与は、一ヵ月30ドル前後です。

 また、靴磨きをしていた14才の男の子は、一回100〜150トゥグルクで1日3000〜4000トゥグルク稼ぎだすそうです。(1$は約450トゥグルク)

 このように、子どもたちの働きは、親がそれまでの定職(新たなビジネス以外)についている親の数倍の収入を得るという現象がまかり通っています。

成金こそが社会の主人公!?

 こんななかで、今年、教員たちはあまりにも低い賃金に抗議して集会、ストライキがはじまっているところです。

 他方、うまく時流に乗って商売をし、会社を設立してのし上がってきた成金も目立ちます。高級車を乗り回し、頑丈な鉄板やレンガでつくったガレージが子どもたちの遊び場を占拠しはじめていますし、一戸建ての住宅を建てはじめています。そして、彼らの子どものなかには、年間授業料が900ドルもかかる私立の特別教育を受ける学校に通わせるというものもいます。また、一般の生活が厳しい人と同じようにアパートに住む人は、部屋に入ると、ヨーロッパなどの高級家具がそろえてあるという具合です。

 確かではありませんが、私の見るかぎり、これら成金の人々は、以前、政府の高官、党、青年組織、労働組合、企業、工場の幹部などの地位に付いていた人々やその家族、親類が大きな比重を占めているようです。

 そして、生まれ変わりつつあるモンゴルでは、新たに金儲けをして成金になった人たちこそが「有能でり、国につくしている」と評価されてきいることもあり、彼らが大手を振りはじめてきています。

明るい笑顔の子どもたちを大事に!

 ところで、一般に子どもたちを見渡すと、日本の子どもたちと比べてまだまだ明るい笑顔と子どもらしさがあり、のびのびと活動的な光景を目にします。

 街の子どもは、寒い冬でも外で遊んだり、春近くなって凍り付いた学校前の路を整備する姿、春や夏になると、アパートのまわりでは日の暮れる9〜11時ころまで遊んでいます。また、遊牧民の子どもたちは、5月上旬から下旬にかけて夏休みが始まり、寄宿舎生活から両親のゲル(移動式住居)にもどり、始業式の始まる9月1日までの間、ゲル生活が始まります。そこでは、生活と労働が一体となっていますが、男の子はお父さんの家畜を放牧するのを手伝い、女の子は、朝早くから乳絞りをはじめ、子どもの家畜の世話、燃料の牛の糞集め、食事の支度、片付けと、夜遅く間で手伝います。



 何か、モンゴルは、日本経済が発展した表面的な物質の豊かさと、時間に管理されて、ゆとりがなく、文化的創造性の持てる生活に程遠い状況に向かっているような気がします。これまでのモンゴルのよさはなくなり、自然破壊が急速に進んでいくような気がして心苦しいかぎりです。私は、子どもたちや弱い立場の人々、底辺で社会をささえて働いている人たちこそが、むくわれる社会であるべきだし、そのためにも互いに、なぜこのような状況が生み出され、どうすればよいか交流を深めていきたいと考えています。



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