映画「忘れられた子供たち」
   世界中の子供に観てほしい


四ノ宮浩監督へのインタビュー
聞き手 : 小池 彰



 フィリピン、スモーキーマウンテンの子供たちを記録した映画「忘れられた子供たち」を撮った四ノ宮監督からは、どこか非常に深い所から発せられる強い意志の力を感じました。


小池 まず最初にお聞きしたいんですけど、なぜフィリピンのスモーキーマウンテンをお撮りになったんでしょうか。
四ノ宮 日本ではなかなか撮りたいテーマが見つからなかったんです。たまたま女房がフィリピン人で、そこに目を向けた場合には凄いものがあるわけですね。働く子供たちというものがあるわけですね。それで、働く子供たちを撮りに行ったんですよ。ところがやっぱり働く子供たちっていうのは、花売りして働く子供たちもいっぱいいたりするんですが、お金をくれという子供らもいたりする。でも僕が初めてスモーキーマウンテンに入ったのは89年1月ですけど、そういう地獄みたいな光景の所にありながらも、誰一人として子供はお金をくれとも言わない。それときれいな瞳。ストリートチルドレンの瞳よりも、僕にとってはすごくきれいだったんですよ。日本の子供たちに感じたことがないような瞳で、どうして地獄みたいに思える所でこんなきれいな瞳の子供らがいるのかなと思ったのが、撮影する動機ですね。それは、みんな家族のために媚を売らずに、たとえ日本人と会っても媚を売らずに、毎日毎日自分で稼いで生きていると。そういう所だと後から気づきましたけれども。
小池 スモーキーマウンテンで最初に出会った人についての印象はどんなものでしたか。
四ノ宮 最初に行ったときは、こんな風景があるのかなと。まさに自分が想像していた地獄なわけですよ。それはあの蝿の大群もそうだし、ゴミ捨て場の回りの斜面に建っている掘っ立て小屋ですね。それなんかも全部もうその辺のゴミから拾ってきた木で作った家が、パーっと何千もあるわけですね。それと、臭いがすごいんですよ。もう二日ぐらいは臭いが取れないですから。そこをずっと遠くから見て、何百もの人がゴミを拾っている。そういう姿を見たときに、本当に自分の想像していた地獄はこれだったなあというふうに、僕は第一印象を持ったんです。そんな中で最初に会ったのは子供なんです。むこうから子供が二人か三人歩いてくる。すっごいきれいな目をしているんですよ。そしてにこっと笑って「こんにちは」と。それだけなんですよ。普通はね、日本人を見たら金をくれとかいうのがフィリピンは多いんですよ。それが一切なくて、それですっと通り過ぎる。やっぱり汚い洋服ですよね。でもね、すっごいきれいな目でしたね。僕はそれがもう、どうしてこんな子供がね、ここにいるのか。それもこんなきれいな目をして、人に媚を売らないで生きている。どうしてなんだろうと不思議でたまらなかったですね。この光景を見たので、ここで撮ろうと。本当はストリートチルドレンを撮ろうと思ってロケハンもしてたんですよ。いろいろな子供らのね。でも、いま言った光景を見てしまったり、体験してしまったりすると、ここでしか撮れないよと思ったんです。それで実際に、ちょとずつカメラを回しながら通ってみたんですが、どうしても彼らの目にはなり得ないということで、一時そこの場所に部屋を借りて、部屋っていうか下宿ですよね。そのスモーキーマウンテンの中の外れにある。そこで暮らしていたわけですね。そしたらやっぱり、そこから変わっていくというかね。見る目が住民の目で見てるんで。当然そこに住んでたわけですから。ただそれが、二週間しか続きませんでした。身体を悪くして。
小池 映画は三人の子供たちを中心に描かれていますよね。ジェイアールとクリスティーナとエモンと。
四ノ宮 実は何百人という子供たちを撮っているんですよ。その中で選らんだのが、ジェイアールとエモンということなんです。生活が変化してくるその時がね、たまたま彼らだったんで撮り続けたんです。ジェイアールはグループがあるんですよ。七人組って呼んでたんですけれども。ジェイアール一人と、女の子六人のグループがあって、ゴミ捨て場で知り合って、みなでゴミを拾って、遊びをいつも一緒にやっている。そういうグループがある。エモンのほうは、ある村の人に紹介されたのです。彼はスモーキーマウンテンの外にゴミを拾いに行くということで。母親と弟と妹と一緒に暮らしていて、父親の代りをして学校にも行かない。会ってみたらやっぱりきれいな目をしているわけですよね。でも全然外の生活を知らないわけですよ。ゴミ捨て場しか知らなくて、自動車にも乗ったこともない。素直なんですよね。それで彼を追ったわけですよね。それとクリスティーナはジェイアールのグループの一人で、学校へいくための援助を受けてましたね。
小池 撮影は一度中断されたわけですが、再開のきっかけはジェイアールとクリスティーナの結婚ですか。
四ノ宮 そうです。一応生活は撮れたという感じですね。それで編集しようと思ったんですよね。ところが急に、結婚することになっちゃたからまずいなと思ってまた撮り始めた。そしたら今度は、エモンという少年が家出をしたり、結婚した二人は出産だとなっちゃうんですよね。で、ずるずるといってしまったというかな。最初ジェイアールとクリスティーナは、友達同士の仲のいい関係だけでしたね。前半の部分ではそういう関係ですよ。ところが、十月かな、撮影をはじめて七〜八ヶ月たったころに、うちのスタッフがスモーキーマウンテンに行ったら結婚することになったと。しばらくちょっと行ってなかったんですよね。びっくりしちゃってね。それで聞いたらいやほんとだと。でじゃあ撮ろうと。だからほんとに偶然ですね。あの結婚までにいったというのはね。僕なんかは、絶対結婚しないなと思ってたんです。それは結婚したらクリスティーナにとって一生スモーキーマウンテンに住み続けることになるということなんですよ。彼女の夢を聞いてるから。アメリカに行きたいとか、いろいろ夢を持っているんですよね。びっくりしたというか、ジェイアールと結婚したらもうだめだっという、絶対そこから抜けれないということを知ってましたからね。そういうふうにはならないだろうなと。でも、最終的にいろいろ考えていくうちに、彼らにとっての国境はスモーキーマウンテンだから、あそこで生まれて、あそこで育って、友達や親戚とか全部いるわけでしょ。それでそこを離れることはしないんじゃないかと。故郷だからこそ離れられないっていうか、また社会的な状況も離れられる状況じゃないんですよ、フィリピンは。
小池 エモンの場合は父親がいないわけですが、スモーキーマウンテンの中で家族はしっかりあるんですか。
四ノ宮 しっかりしてますね。なぜ家族が存在してるかといったら、毎日食えるからですよ。食えなくなると人間というのはどうしてもね、どっかへ行きたくなったりとか、家族を捨てるとか、そんな状態になるでしょう。だからね、毎日食えるとあそこにいますよ。家族も毎日食えるんだから平和ですよ。高望みさえしなければね。週に一遍ぐらいは外に外出なんてのはその範囲でできちゃう。もちろんただなんだからね。土地も。人の土地なんだから。だからゴミの山が結構ポイントだと思いますね。プライドってものを捨てて、そこでやっていくのか、何も食えないとこ行って家族が崩壊していくのか、どっちがいい生きかたかどうかってこともあると思いますしね。僕なんかはあそこで決断して生きていく人々に対しては、悪い感情は一切ないですけど。他が差別しようがどうしようがね。教えられることがいろいろありましたよね。だからクリスティーナの最後の言葉、「一日三回食べて、子供にミルク代出せることがいいことで、いい生活は必要ない。家族が一緒なんで幸せなんです」と。そこがやっぱり、言いたかったことです。家族はどんなことがあっても、別れ別れになっていくということは、それはもうミスだと思ってる。そういう信念があるんで、そういうことを伝えたいということで、別にあの悲惨さを描くということはまるでないんです。
 僕は世界中の子供のためになることだったら、命を投げ棄ててもいいと思ってますからね。そういうふうになれば本望ですよね。子供ってのは自分より上なんです。子供が生まれた瞬間からそう感じてますね。でもまだ、他人の子供と自分の子供を同じに見れないんです。それができないと、変わらないです。自分も変わらないと、ずっとそのままです。変わることによって、意義があるんじゃないでしょうか。生きることってのは。


(1995年 オフィース・フォーにて)



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