報告タイトル
−−環境NGOからみた反グローバリゼーションの運動
関連資料
WTOを分析する(3)
NGOの過去・現在−−反グローバリゼーションを掲げ国際政治に登場
市民フォーラム2001 田中徹二
●反グローバリゼーションのデモが大きなうねりに
シドニーオリンピックがはじまる直前の9月11日、オーストラリア
・メルボルンで世界経済フォーラム(通称、ダボス会議−−多国籍企
業の経営者や先進国の指導者などが集まる)に反対して、若者たち中
心に1万人ものデモがあったと朝日新聞は伝えていた。「昨年のシア
トルWTO閣僚会議の時に、シドニー、ブリスベン、メルボルンでデ
モを組織しようとしたときには数十人しか集まらなかったことを考え
ると大きな変化」と、デモ組織の中心メンバーであったジェームス・
グッドマン氏(シドニー工科大学講師)は言う。続いて、プラハで行
われた9月26日からのIMF・世界銀行の年次総会に対しては、NG
Oなど2万人がデモを行った。
昨年12月シアトルWTO会議での7万人のデモ以降、4月にはワシ
ントンでのIMF・世界銀行合同開発委員会に対して3万人のデモなど、
国際機関の会議開催に合わせての反グローバリゼーションデモは、大
きなうねりを見せている。今回は、うねりの中心にいるNGOにスポッ
トをあて、その歴史的経過と運動の位置について述べてみたい。
●NGOの過去−−地球サミット
1970年代までは、左翼運動や民族解放闘争、マルクス主義用語で言
う「階級闘争」が世界を揺るがしたが、80年代に入りソ連をはじめ社会
主義諸国の政治・経済危機とともに、階級闘争は衰退に向かった。一
方、欧州では70年代末には反原子力や環境保護の運動が活発となり、
80年代の中距離核兵器配備反対闘争が空前の盛り上がりを示し、これ
らの運動の集約点の一つとして「緑の党」がドイツで結成され、左翼
運動とは違う潮流ができあがってきた。また、もともと欧州では開発
支援NGO、反核・人権NGOは根強く存在し、多彩な活動を展開し
ていた。他方、NPO先進地域であるアメリカでは、70年代のベトナ
ム反戦・公民権運動の活動家たちがNPO・NGOを組織し、80年代
を通し会員が十万、百万人単位の巨大なNGOを作り上げてきた。
NGOが国際的に注目されはじめたのは92年にブラジル・リオデジ
ャネイロで開かれた国連環境・開発会議(地球サミット)である。89年
にベルリンの壁の崩壊からはじまって、核兵器で相互ににらみ合うと
いう東西冷戦は終焉を迎えるが、国際政治はこれに変わって地球温暖
化問題など地球環境を新しい課題とした。新古典経済学の信奉者・英
国のサッチャー首相が地球温暖化防止のための国際会議開催のイニシ
ャティブをとるなどの変身もみせた。地球サミットには、全世界から
NGOが1万人も参加し、欧州を中心に政府代表団の中にNGOも加
わるほどであった。内容的には、NGOも主要な社会セクターであり、
政府セクターや企業セクターとの「パートナーシップ」を組むべき主
体として謳われた(このことはとりわけ日本国内に大きなインパクト
を与えたが、それまでNGOや市民運動は単なる反対勢力としてしか
見られていなかったからである)。
地球サミット以降、国連は相次いで社会発展サミット、人口会議、
女性会議、人間居住会議という大型の国際会議を開催し、NGOの積
極的参加を促した。これは、主に先進国側が関心を高めた地球環境問
題というニューイッシューと並んで、南の問題、すなわち途上国の困
難性に世界の目をむけさせる役割を果たした。しかし、これらの国際
会議は、立派な宣言文や目標を掲げるものの、何の法的拘束力を持た
ないため、回を重ねるごとに下火となってきた。そしてその結果が、
地球環境のいっそうの悪化、経済的格差・貧困のいっそうの拡大とい
う現実となって現れている。
●グローバリゼーションに飲み込まれる国際政治
90年代の地球サミットと以降の華々しい国際会議の進行の影で、先
進国側は地球環境問題などをうち捨てて、史上4度目の資本主義拡張フ
ロンティアに邁進していった。東西冷戦の完全な終結により市場経済
のグローバル化が可能となったからである。80年代を通し、先進国側
はIMF(国際通貨基金)と世界銀行によって借金漬けの途上国を管
理していった(構造調整プログラムの押し付け)。抵抗する途上国に
対しては、容赦のない経済制裁が課せられ、70年代に声高に民族主権
を叫んでいた途上国グループは沈黙を余儀なくされていった。かくて、
資本主義は、途上国市場並びにソ連等崩壊した社会主義、中国等途上
国社会主義を市場経済の中にがっちりと組み込むことに成功したので
ある。市場経済のグローバル化は、また先進国に本社を置く多国籍企
業にとってのフロンティアでもあった。
実はあまり知られていないことであるが、地球サミットが行われた
同じ年に、国連でクーデターが静かに起きていた。それは、75年に設立
された国連多国籍企業センターへの攻撃である。この組織は、70年代
の多国籍企業の途上国での露骨な内政干渉という行為が国際的に糾弾
され、その世論のもとに「多国籍企業行動規範」を作成するためのも
のであった。これによって多国籍企業活動を規制しようとしたのであ
る。しかし、センターは廃止され、できあがった規範はうやむやにな
ってしまった。地球サミットでは、多国籍企業側はBSCD(持続可
能な発展のための経済人会議)を組織し、地球環境に貢献する産業界
として自主規制を軸に活動を行うことになった(その一つが今はやり
のISO14000シリーズである)。
90年代から多国籍企業の貿易、投資は飛躍的に増大していった。先
進国側、とりわけアメリカはグローバル化を積極的にすすめるために、
GATTウルグアイ・ランドと95年WTO設立のイニシアティブをと
った。WTOは前回報告した通り、法的拘束力を持つ強力な国際組織
である。国際政治も、地球環境問題などどこかに吹き飛ばし、IT革
命を伴いながらグローバリゼーション一色となった。
●NGOを国際政治舞台に押し上げたMAI・WTO
冒頭に上げたジェームス・グッドマン氏は、運動の盛り上がりの契
機となったのは、MAI(多国間投資協定)に対する反対闘争であっ
たと言う。95年から先進国クラブのOECD(経済協力開発機構)で
秘密裏に交渉されてきたMAIは、企業の権利が国家の主権を上回る
という驚くべき内容であった。WTOでも「貿易に関する投資措置に
関する協定」(TRIM協定)はあるが内容はつめられていない中で、
OECDで一挙に中身を決めてしまおうとしたのである。グローバリ
ゼーションの行きつく先が地方自治体も政府も、そして働く人々はス
トライキもできず大企業の支配下に入ってしまうということを人々は
知ったのである。世界的なMAI反対のキャンペーンがまきおこった。
またWTOは、工業製品はもとより、農業・食料からサービス、知
的所有権まであらゆる分野にまたがるが、この間とりわけEUとアメ
リカの間で食料とその安全性をめぐって激しい攻防が展開されていた。
途上国の小規模バナナ農家の優遇策について、成長ホルモン剤使用の
牛肉について、遺伝子組み替え食品についてなど。これらにつき欧州
の市民運動は様々な分野のNGO、消費者団体、農業団体が結集し、
自由化反対の声を上げていた。
一方、アメリカにおいてもMAIの雛型といわれたNAFTA(北米
自由協定)のもとに、製造業のメキシコへの転出による雇用機会の縮
小による労働者の不満、家族農業の崩壊による農民の不安などが高ま
っていた。
これらの要素が集合することによって、昨年12月のシアトルWTO会
議に対して7万人の怒りのデモとして現れたのである(もとより、途
上国NGO・農民そして政府そのものも先進国主導のあり方に強く反
発した)。「MAIは、国際間の企業投資をもっと自由にしようとい
う協定であったが、環境NGOの強い反対でとん挫した。国際交渉で
はきわめて珍しいことである。/MAI交渉の失敗と、WTOの時期
貿易交渉決裂の背景には、人々が経済のグローバル化に漠然とした不
安と不満を抱いているという共通の状況がある」(朝日新聞社説 1
月12日付)。
このように反WTOの運動が一つの結節点となって、以降IMFや世
界銀行等の国際機関に対し、途上国の債務削減を要求する活動ととも
に、国際政治におけるNGOの存在はきわめて重いものとなってきた。
ために、先のG8沖縄サミットでも「市民社会(NGO)との対話」
を宣言で謳わざるを得なかったのである。今後ともNGOデモはうね
りとなって国際機関に相対していくであろう。WTO・MAIの根本
が「先進国をまき込んだ構造調整」を企図している限りにおいて。
最後に、暴力の問題がある。このところNGOのデモといえば、破
壊的暴力がつきものという憂慮すべき事態が起きている。破壊分子は
ごく少数に過ぎないが、訓練を行い計画的に暴力をふるうという確信
犯であるからだ。
−−『ピースネットニュース』2000年11月10日号より
資料、文献
−−『徹底討論WTO』(市民フォーラム2001編/発行 現代企画室
発売)