社会運動の総括にあたって、1戦後日本国家と社会運動、2マイノリティ、3アジアとの関わり、4ジェンダー 生産と再生産、5労働、6暴力と非暴力、7生活政治・オルタナティブ・市民社会、8世界共産主義運動と日本の社会運動、9近代化と土着主義などの切り口が必要。
以上のうち、戦後日本国家と社会運動の関係がもっとも重要。2以下はすべてこれに関連。米国ヘゲモニー下で形成され機能してきた戦後日本国家の歴史的存在様式が、戦後日本の民衆意識を形成し、それを通じて社会運動のあり方、思想、行動を深く規定してきた。(むろん一方的な規定関係ではなく、逆規定もしてきたのだが、その双方の土俵をなすのは戦後日本国家だったという意味)。米国ヘゲモニー下での戦後国家の三構成原理(帝国継承、自由世界、憲法平和主義)の相互断絶的・相互矛盾的結合のもとでの国民的自己了解。とくに五五年体制下の戦後革新勢力(清水慎三)はこの戦後日本国家内意識形成の枠内の産物。
この戦後日本国家が、九〇年代半ば以降崩壊のプロセスに入っている状況の下で、社会運動がそれを越えて自己形成する可能性を追求するとすれば、わたしたちは、ゼロから始めるのではなく、戦後国家・戦後革新勢力を越えようとした近い過去の巨大な力の発揮としての新左翼期の社会運動を総括する必要がある。またこの運動は世界的同時性において起こったのだから、この総括は当時のラディカリズムの総括をつうじて、次の時代を切り開く世界的努力の一部であろう。
このような総括の中で、わたしたちは、今日のものである上記の問題系列のすべてに切り結ぶだろう。
広義の日本新左翼運動‐複合的な運動。起源を異にし、異質の動機、エトスに導かれるが、ダイナミックな相互作用のプロセスのなかで結果として形成された複合的主体、それによるラディカルな社会的スペースの形成。反戦・全共闘・ベ平連・党派・ノンセクトラディカル、地域住民運動、在日朝鮮人など民族的マイノリティ、部落、障害者、さいごにリブ。複合とは牧歌的ではなく、激烈な相互矛盾発言の過程。にもかかわらず有意義で有力な社会的勢力として登場。個々の運動潮流―例えばベ平連、あるいは新左翼党派―をこの全体から切り離して総括することは不可能。
同時期に形成された世界的スペースも同様。異質な起源と性格、だが同時代性の。ベトナム戦争とベトナム解放闘争、チェ・ゲバラ、文革としてのMaoism。Dilimanコンミューン‐KM‐NPA、恐らくスリランカの蜂起運動。プラハの春。「第一世界」では、Black power、ラディカル・フェミニズム(第2波フェミニズム)、先住民運動(Wounded Knee、Maori運動など)、ラディカルな学生運動、フランス五月、暑い秋、などなど。日本の新左翼運動も直接・間接にこの世界的スペースに接続。
この時代を境に社会運動の基礎的文法の変化がおこる。(1)政党系列化運動の例外化、自立・自律的運動の常識化(ベ平連、地域)、(2)権力についての視座の転換。外在的にとらえられた国家権力への抵抗に還元されない日常的社会関係における権力の解体への追求。したがって政治の再定義。(「内なる…」)(全共闘、リブ、またマクロからミクロへ)(3)関係性に媒介された個の解放―感性的な解放を含む―としての社会運動。自己を目的達成への手段に還元する自己犠牲的禁欲主義の否定。同時に戦後啓蒙主義の説いた「近代的自我」確立とは区別される。(4)「差別」をめぐる問題構成の導入と定着、(5)開発・近代化についての批判的視点の定着、(6)それと関連しつつまた地域住民闘争を母体にしてエコロジカルな思想潮流と実践の出現、(7)アジアとの関係における近代日本国家(日本帝国主義)批判の視点の獲得。
(新しい「文法」が社会全体に普及したと主張するわけではない。新左翼そのものは八〇年代にかけて自壊・解体・回収された。しかしポスト新左翼期の社会運動の文法は(A)新左翼以前への回帰は起こらなかった、(B)それ以後の社会運動のなかにさまざまに変換されつつ上記への個々の要素は再生されている(多くの場合無意識的に前提にされているという形)、(C)運動全体を掘り崩したバックラッシュがほかならぬ新左翼運動への(その致命的欠陥を逆手にとった)バックラッシュだった、という意味で、不可逆)。
*戦後革新勢力へのラディカルな反対派、すなわち戦後国家主流への反対派への反対派、しかし全体としては戦後革新勢力をバイパスして、直接に戦後国家主流と対決して状況を形成する勢力であったという特殊性。(cf労組内反対派)依存を基礎にした敵対。
*思想立脚点としては、Status quoそのものを批判。戦後革新勢力はStatus quoの擁護。戦後民主主義批判(多数派民主主義批判、差別構造批判、帝国主義批判)、管理主義批判。総じて近代・近代主義批判。それを基軸としつつ戦後民主主義的勢力をなかば流動化させつつ部分的に統合したが、それ自身の社会的基盤をつくりえなかった。
*しかしその崩壊のなかから、社会運動の景観は一変した。
多様な潮流の性格とそのダイナミックな統合・分解のプロセスを明らかにする必要。
▼政治党派‐古典的ML主義への回帰、反権力軍団的街頭闘争による状況突破、「安保粉砕・日帝打倒」への政治的集約(全国政治闘争)、決意主義的行動による例示的行動としての戦後民主主義大衆への直接の衝撃、流動化の促進。主語は前衛党。「革命的暴力」の問題性。民衆との関係仕方は、A行動衝撃(一〇・八羽田)、B行動共感・自立行動誘発(佐世保、王子)、C同床異夢的結合(三里塚、全共闘)など。誤解と正解。国家権力をめぐる前衛党政治、社会的次元の変革はそれに従属。それぞれが綱領的普遍性を主張―ヘゲモニーの争奪―内ゲバへの傾斜。
▼ベ平連運動 「ベトナムに平和を」、「ベトナムをベトナム人へ」、「殺すな」の結合による平和、民族解放、パシフィズムの結合、「加害者‐被害者メカニズム」による帝国主義批判、脱走兵援助による状況突破力、自立した個人のイニシャチブによる行動とそのゆるい連合としての組織論―地域での行動集団の形成、メディア・知識人の動員(資源動員)、米国のラディカルなリベラリズムとラディカリズムの「二つの魂」(武藤)の架橋(社会的にも内部的にも)。
▼全共闘運動 現場における抑圧的社会的関係の解体による社会変革、それを内部化した自己の変革をひとつながりの変革対象として捉えた。知識と大学制度の権力性(主として階級と帝国主義との関係において)の変革対象としての発見。しかし論理性・倫理性への生活の意味の集約は、「大義」による自己正当化と退廃に反転。構造と運動自身におけるジェンダー構造は対象化されなかった。社会全体の変革への志向を組み込みながら、主体は学生運動。全体化は、党派主導の「全国政治闘争」=街頭闘争にゆだねられる。(下半身と上半身、分離と相互浸透)
▼反戦青年委員会を中心とする労働者運動 社会党・総評勢力との関係で、労働運動に一定のスペースを確保したとはいえ、労使関係における力関係の変革には失敗し、急速に街頭行動における党派の労働者行動部隊化した。
▼地域住民闘争 ジャーナリスティックには反公害運動として一括されるが、基本的には、破壊的開発への周縁化されたコミュニティの抵抗。日本のエコロジー運動は、都市中産階級からではなく周縁のコミュニティから。これが、まったく別の起源をもちながら、この時代の社会的ベースをかたちづくる。広義新左翼運動との関係は複雑だが、全体の構造化においては、三里塚と水俣を二つの中心とする楕円。都市新左翼は、「支援」という特殊な形態で、関与、それで闘いは構造化される。「開発と進歩」のパラダイムは、この時期の地域住民闘争のなかではじめてはぐくまれる。思想化・理論化の方向をたどる数少ない領域。(「闘う主体(農民・漁民)と支援」という関係、「指導される前衛と指導される大衆」関係との異同)「闘うことと生活すること」の一致、抵抗とオルタナティブの創造、近代と土着などの問題性が豊富にはらまれている。
▼反差別運動 入管闘争‐華青闘糾弾、部落解放運動‐狭山裁判、障害者解放運動‐青い芝の会。これらをつうじて、「差別」という問題構成が社会的に定着する型がきまってゆく。この型の評価が必要。「糾弾闘争」の持った意味、党派などによる代理糾弾など含めて。(展開する力量なし)。
▼ラディカル・フェミニズムの運動(リブ) いま、ここで働く権力関係を変革するとしながら、男性支配を視野の外に置いた全共闘運動の否定的継承の側面。「ポスト全共闘」の運動として出現。「社会の大義が革命の大義に変わるだけの話で、男の反体制は、体制のワクを越えることはありえない」(田中美津)。女の性の抑圧が女の性の抑圧の、また人間の抑圧のタブー化された基礎。男支配の新左翼世界を串刺しにして、戦後日本社会の深部にとどく批判。関係と文化の変革をつうじて批判とオルタナティブな関係の創造を統合する。だが「女の運動」という運動全体の意識のなかで、運動全体の文化は変わらず。七五年メキシコ会議以降の「上」からのフェミニズムとの交差とすれちがい。リブ‐フェミニズム。
▼沖縄返還をめぐるヤマトと沖縄の運動の思想と行動の今日の時点からする検証はきわめて重要。日韓連帯運動、公害輸出反対運動、PARCの追求した国際連帯の位置など、これから。
この時期における多様・異質な諸運動潮流の統合様式、解体の内因と外因、その諸構成部分の八〇年代以降の変容過程における断絶と連続を探るなかから、今日における新たな民衆連合の可能性を探ってゆきたい。復権すべきものを復権する必要があるが、それは復権すべきものが今日の(大きく変化した)現実の中に、別の形で隠れているにちがいないという予想のなかで可能となるだろう。この時代の評価が、この隠れて働いているものを照らし出すときに、歴史を未来に向かって有意味に継承することが可能になるであろう。
(以上)