People's Plan Forum Vol.3 No.5 (Nov, 2000)


【特集】地域と自治はいま

 

◆討論◆

「地域から政治を変える」戦略の可能性と壁

 

松谷 清(まつやきよし/虹と緑の五〇〇人リスト全国代表)

武藤一羊(むとういちよう/ピープルズ・プラン研究所共同代表)

白川真澄(しらかわますみ/本誌編集長・司会)

 

白川● 松谷さんは「地域から政治を変える戦略」を九〇年代にずうっと追求し、「虹と緑の五〇〇人リスト」をつくるところまでこられたが、なぜそういう戦略の選択をしたのか、どこまで実現できたのか、そしてどこに壁があるのかを最初に話してください。

多くの問題が世界的であると同時に地域的である時代の政治

松谷● いま、地域で起きていることは、人びとが深刻な不況のなかでいままでどおりに生活していくのか、違ったやり方をしていくのかという選択を迫られているということです。九〇年代に公共事業が増えそれに携わる労働者の数も増えたが、それが行き詰まるなかで、いままでのようにやってくれという人と、変えようという人とが微妙なバランスにある。

 地域から政治を変えるというとき、経済から生活から政治から世界まであらゆる分野のことについて語らなければならない。たとえば、ゼロ金利時代には日本の金をアメリカに回し、アメリカの経済を助けながら、日本はどんどん貧しくなる。世界との協調関係のなかではそれがいいという選択になっている。アメリカの銀行の債券を一〇〇万円分買ったら、円高になって八〇万円になってしまったが、利率が高いから利子でトントンになっている。そういう時代に生きているから、僕らは地域で国際金融のことも語らなければならない。市民自身が分裂し始めていて、そういう債券をもっている人は国際協調する政府がいいわけですが、しかし納めた税金のことを考えたら社会保障をきちんとやれということになる。多くの問題が世界的であると同時に地域的であるような時代の政治のあり方は何か、ということが問われている。

 地方から政治を変えるという選択をどのようにしてきたかということですが、僕は新左翼としての経歴から「全国政治」が頭にしみこみ、「普遍性」というものを捨てられない世代です。しかし、地方で活動を始めようというとき、いったん「普遍性」を捨てた。そして個人として、いまでいうNGOの専従を七九年から一〇年間やった。いまではあたり前ですが、当時市民運動が専従スタッフをもつのは珍しかった。地域のいろんな課題に関わりながら、八七年に地方議員に当選した。地域ということを本格的に考えだしたのはその時点からですが、同時に普遍的な全国政治には関わってきた。

 地域から政治を変えるといったときに、考え続けている二つの課題がある。一つは、地方議員とは何なのか。もう一つは全国政治というか、政治とは何かということです。

地方議員とは何か

 まず地方議員とは何かという問題ですが、運動をやることと議会という制度のなかで活動することは非常に違う。職業として政治に携わると、それに時間をとられて「あいつは運動に来なくなった」と言われる。それから、官僚を相手に質問や議案のチェックをするので、総合性、新しい情報が求められる。政治に関わる人間と運動に関わる人間の関係はどうあるべきかという問題にぶつかる。

 また、「政治は国政だ、地方はその下請けだ」という「常識」があったから、地方議員は一段低い存在と見られてきた。それはおかしいと考えている過程で、松下圭一さんの地方政府、中央政府、国際機構という政治・政府の三つのレベルへの分化という理論に出会って、なるほどと思った。地方政府論という方向性を見いだすことができるんですが、地方政治と国政は政治の中身が違う、だが地方政府は中央政府と対等なんだと。そこから、地方にこだわる、地方を舞台にする政治の流れをつくるいうことで、九三年に地方議員の政策集団、「ローパス」をつくっていくことになる。

 地方から政治を変えるという流れをつくっていく背景を考えると、僕ら自身が新しい社会運動から出てきた存在なわけです。地方議員というよりも、地方議員で無所属市民派でいる人たちの社会的存在の意味は何かといえば、脱物質主義の社会運動に規定された議員であるということになる。単にいまは力がないから地方議会で議員を増やして、やがて国政にも進出するという発想とは違う。新しい社会運動は、環境運動にしてもフェミニズムにしてもグローバルであり同時にローカルであるし、いままでとは違う価値観に立っている。そういう違った価値観の世代が新しい政治をつくらなければならないと思っていて、地域から政治を変えるというのは、地方だけでやっていればいいんだという人もいるが、僕はそう考えない。

 「ローパス」をつくった動機の一つは、政策立案能力を身につけることを痛感したことです。いわゆる市民派議員には、いくつかの潮流があって、七〇年代には非共産党、非社会党の革新無所属というイデオロギッシュな潮流です。八〇年代になると、生活クラブなど「生活者の政治」の潮流が出てきて、九〇年代には環境派の潮流が出てくる。時代時代のテーマによって政党に所属しない市民派議員が出てくるのですが、そういう議員の特徴は運動は得意だが、官僚とわたりあえる政策立案が不得意だということです。

 九三年は社会党が連立政権に参加した年ですが、連立政権をつくって政治を変えるというのであれば、行政という制度を通じてのガバメント能力が必要である。果たして社会党は政策能力をそなえて政権に参加したのかと考えたときに、僕ら自身はどうなのだろうか。政権交代、自治体でいえば首長をとって、それを担いうる政策能力をどうすれば身につけることができるのか、と考えた。運動出身のわれわれが政策立案する能力を身につけるということで政策研究会を始めた。

 ローパスを五年続けて、いつまでも学習だけでは限界がある、政治勢力にしなければというので、「虹と緑の五〇〇人リスト」を結成したわけです。今年の八月に規約をつくり、「グローバルグリーン」という来年四月の緑の政治世界大会に参加しようという方針を確認した。ここ一年が大きな変わり目になるだろうと思っています。

 僕はやはり、普遍性とは何だろう、ということに関心がある。われわれの世代はマルクス主義といった普遍的なものに自分を委ねて組織をつくったわけですが、それが破綻して個人に戻った。しかし、いつまでも個人のままでいいのか。何によってつながるのか。そういう問題意識が強くあります。僕も国家とか世界をどうするのだという普遍性への関心がある人間ですが、「五〇〇人リスト」のなかでも若い世代は違うかたちで考えて違う政治のつくり方をするかもしれない。三〇代の若い議員がどんどん出てきて、彼らと議論すると、市民運動のトレーニングができていないという印象と、「議員になりたくて議員になりました。議員は職業ですから」と発想して、すごいなという印象を受けるわけです。

政党と市民

 政治ということを考えたときに、情報公開法とか情報公開条例が生まれ、NPOが発展している時代に、政治家や政党の役割は何かが問い直される。つまり、自立して政治を展開する市民が生まれはじめているということですが、行政の仕組みをよく知っている人間が情報公開法や情報公開条例を駆使したら、別に議員はいらないことになる。市民オンブズマンの運動は、行政の急所を突くことによって条例を有効たらしめているんですけど、それだけではなく、あれは政治そのものを市民が自分のものにしていく手段なんです。だから、政党の存在をある意味では否定する。そういう時代に政治に関わっている議員や政党は何をアイデンティティにするかという答えは、まだ見つかっていない。NPOが自分でどんどんやりだしていけば、行政組織は不必要になり「小さな政府」でいいということになるわけで、官僚や政治家はどう対応するかが問われている。

 そこで問題になってくるのが、成熟した市民が本当に増えているのかということです。松下さんは高度経済成長によって自立した市民が大量に生まれ、その市民が政治に参加することで政治がどんどん変わっていく、と言うわけです。自立した市民がそんなに大量にいるだろうかとも思いますが、いま地方で広がっている住民投票運動は、まさに市民を育てている。民主主義のトレーニングというか、民主主義とは何かという議論が足元のところでやっと日本で始まった、ということです。

脱成長経済の構想

 脱成長経済がどういうものなのかも、まだ明確になっていない。僕らもゼロ成長とよく言っているが、何も成長しないというのではなく、経済というのはある部分が落ち込んで、別の部分が成長して、結果としてゼロになるというものではないか。ある産業がつぶれる代わりに違う産業が伸びないと、活力がなくなるわけですから。そういう点をゼロ成長論では、どのように考えていくのかが解ききれてない。

 ドイツでは、ごみ問題の処理に当たってはEPR(拡大生産者責任)ということでいろんな法律をどんどんつくっていますが、結局どうするかということで究極的に出てきた構想は、われわれは遠距離旅行はしない、小さな閉じられた領域のなかで生きるということを目ざさないかぎり、ゴミ問題は解決しない、ということだった。このきわめて正しく極端な意見は、おそらく実行不可能ではないかと思う。他方では、ダイオキシンでも何でも技術が発展すれば解決できるという答えがあり、日本のゴミ処理問題もそこで右往左往している。理念的な問題としては、僕らはそういう問題を抱えている。

 しかし、自治体はある種の宝庫で、新しい首長が生まれると結構変わることがあるので、そこでやるべきだと思うが、普遍性の問題が残るわけで、地域に全部委ねるわけにはいかないというのが、僕の問題意識です。

なぜ、どういう「全国」なのか

武藤● 松谷さんのなかで、普遍性の問題が何となくお荷物だという感覚と、それでもやっぱり普遍的なものを追求しなければダメではないかという感覚が裏腹になっていて、非常に共感するところがあります。昔流の「これだけが正しくて……」というかたちでしか出てこない普遍性はダメだ、とみんな思っている。かといって、断片や部分、あるいは個別のものが予定調和的により良い全体になっていくことでもないだろう。そこを基軸に松谷思想として展開していってほしいのですが(笑い)。

 松谷さんに、地域だけじゃダメで「ローパス」や「虹と緑」に行く経過を説明していただいたが、なぜ「全国」がなければならないのか。もう少し説明してほしい。普遍性にパッと行ってしまうとその間の具体性が見えないわけで、日本国家をなぜ変えなければならないのかという問題がある。日本だけではなくて、松谷さんは韓国との交流を長い間やっているわけで、どういう状態へ向かっての普遍性の志向なのか。聞かせてほしい。

松谷● 地域にこだわりながら、なぜ「全国」を考えたがるかのという問題ですが、僕らはたとえばクルマ社会を何とか変えたいと主張している。クルマは環境問題を起こすし、車を使うことで失われてきた多くのものがあるし、交通事故で毎年一万人も死ぬけど、そんな戦争は過去にもない。クルマ社会は良くないという気持ちは、多くの人がもっている。

 静岡市では、市の真ん中に駐車場をつくります、場所がないから国道の下につくりますというので、国の管轄で二〇〇台分の駐車場をつくる、それでは静岡市も一緒になって四〇〇台分のものを駅の真前につくるというプランがあった。なぜ街の真ん中につくるかというと、渋滞があるからとか、街にものを買いに来たりするからだ、と説明される。しかし、駐車場を街の真ん中にとなれば、実はますます渋滞は加速される。問われているのは、「パークアイランド」といった、都市交通政策なんです。一方で郊外の駐車場つきの量販店に車で買い物に行く人が多い。中心市街地の商店主たちはなんとか客を呼びよせようと、買い物をしてくれれば駐車券を出すが、バスや自転車で来る人はチケットをもらえない。まちづくりが自然に車社会であることが前提になっている。

 駐車場をつくるという政策はどこが大元になっているか調べていくと、九一年頃の交通法の改正で、都市の過密を解消するために全国に駐車場をつくるのを義務づけたことに行き着く。政府は、次に駐車場建設に補助金を出すことをした。その次に、建設省が駐車場整備機構という外郭団体をつくった。自治体は、そこのコンサルタントにアイディアを出してもらって駐車場をつくるという構造なんですね。クルマ社会を変える立場から静岡市の駐車場を問題にしようとして調べていくと、結局、国の法律と外郭団体と補助金をもらうという「政治」に行きつく。根っこはそこにあるわけですが、駐車場に反対する理念や運動をどうつくるのかということを考えたら、国に法律の改正を求めてもどうにもならないし、時間がかかる。地元の街づくりとの関係でどうなんだ、公共交通との関係でどうなんだと、いろんなことを考える舞台は自治体なんです。なおかつ、駐車場問題についてのノウハウを知りたい。最初は孤立していると思ったが、そうじゃなかった。現実に、そういうネットワークの必要性がある。そういうかたちの「全国」は、必要だということです。石川好さんに言わせると、地方から政治を変えるといっても戦略がない、国の政策の矛盾を地方で迎え撃つということだな、ということになるですが。

白川● 駐車場の問題にしても、従来は「大元は国の法律にあるのだから、国政を問題にするべきで、やはり国会議員が必要だ」という発想になるのですが、そこへすべりこまないで、地域で運動や政治にするというたて方はだいじだと思うのです。グローバリズムの下で各地の地元商店街は壊滅し、若者たちが「シャッター通り」と呼んでいるようなひどい状態になっていますが、地域でグローバリズムを迎え撃つというか、抵抗線を張って状況を変えられる可能性をどう見ていますか。

松谷● 地域で迎え撃つということは可能だと思うが、情報の問題をとってみても地域だけで変えることはできない。だけど、地域でやれると言いきって運動をやっている人はいる。吉野川可動堰の運動をやっている姫野さんがそうです。彼は、聞くところでは一度も可動堰反対と言ったことはない。問題はここじゃありませんか、と言い続ける。そうすることによって多数派を形成し、最終的に勝つことになる、と言うんです。問題は、十数年やって勝って争点がなくなったときに、民主主義の使い方が分かった人たちが、次に何をするかということでしょう。次の争点を用意すること、いっぱいある問題のなかからある問題を一級の政治争点にしていくには、政治グループというか意識的な人が必要だと思う。

韓国の運動との交流

松谷● 韓国の運動との交流ですが、地方議員だったので、韓国では地方はどうなっているかという関心と、環境問題がどう取り組まれているのかという関心があったのです。静岡大学に留学生がたくさん来たことが契機で、交流を始めた。その後、全州にもどった人がいて、そこの市会議員とか市民団体との交流がいまも続いている。もう一つは、反原発運動をやっている金源植さんとのつきあいです。僕は韓国でも地方主権が必要だと考えていたわけですが、韓国は日本よりも中央集権の国ですね。彼らにすると、日本には草の根で自立した人間が随分いるということに関心があるわけです。

 僕はよく論争を吹っかけるのですが、民族の統一を考えてみるとそれは国家統一だ、しかし国家権力は相対化した方がいい、国家中心というあり方は変えるべきだと言う。彼らは、じゃあ民族統一はどうするんですか、地方政府とか地方分権とかあなた方は言うが民族統一の問題はどう解くのか、と反論する。彼らには民族統一という問題がエネルギーの源としてあるから、議論がなかなか噛み合いませんが、面白い。

 最近では、韓国の落選運動の経験を、静岡空港をやめさせるために「借りた」わけです。争点がなくなる小選挙区制度の下では選びたくない候補を選ぶというのも選挙運動だという位置づけで、落選運動をやっている人を招待した。彼らは、議員を出す運動をやっていないNGOだから成功したと言うんです。逆に、彼らはこれから政治に登場しようとしている。だから、地方議会への進出ということに非常に関心がある。韓国では草の根が広がっているというけれども、運動は信じられないくらい中央集権的で権威的なところがある。

武藤● どんな運動でも、すぐに簡単にソウルに本部のある全国組織ができてしまう(笑)。

松谷● しかし、それをどう変えるかという問題意識があるようだから、日本の運動に関心がある。われわれは逆に、中央集権主義がダメだといっても、どうしてあれだけ全国ネットワークをもって運動がやれるのか、どうして日本はネットワークができないのか、と考える。アジアとの関係は、昔のような独裁政権時代の非合法団体との交流というものから変わっている。何を彼らから学び、また彼らに学んでもらうのか、地方レベルをふくめて大事にしていきたいと思っています。

政治をやることは議員をやることか

武藤● 八〇年代に静岡で「地域をひらくシンポ」が開かれたときに、松谷さんが、新しい職業政治家をつくる必要を提起されたのを覚えています。運動から出た地方議員は、出身の個別運動の代弁者であるだけでいいのか、という提起で、議論が起こった。確かに議員になれば、地域で起こるあらゆる問題に対応しなければならない。自分の運動に関係することだけをやって後は沈黙というわけにはいかない、そういう立場に置かれるわけです。しかし、そのとき松谷さんは、政治家とか政治を議会や議員活動と直結して議論していたように思う。私はこの直結に少し疑問をもちました。地方には、シングルイシューの運動をやっているグループがあって、それは多数派にはならないし、普遍性を自称していないが、すごい情報を蓄積している。グループというより人ですよね。議員が議会で全面的な課題に直面することは確かだし、情報がいまのところ議員に蓄積されることはあるけれど、職業政治家としての議員が運動よりも全面性に近づくとは必ずしもいえないと思うんです。普遍性とまでは言わないまでも、単なるシングルイシューでもない。シングルイシューでも掘っていくと、いろんな問題との関連性をもって枝分かれをしていて、シングルイシューですまなくなる。シングルイシューであっても結果は必ずしもシングルイシューに限定されない全面的な蓄積をする社会的な場なり組織なりを考えてみる必要がある。

 もうひとつ、なぜ、地域と全国という問題が立つかというと、クルマ社会の例でも法律の問題があって地域だけでは解けない、しかし同時に「だから全国」とはならない。そういう関係だと言われたんですが、グローバリゼーションを考えると、さらに「全国」にはとどまらない。国際的、地球的な決定がすごい速さで下まで下りてくる状況。モータリゼーション社会は全世界に広がりつつあるわけで、どこでどう力をつけて歯止めをかけ、逆転していくのかという問題は、わりと身近なかたちで出てくる。いまのところ、グローバリゼーションに対して、表現形態としては国際的なNGO連合で対抗しようとしているんだけど、そういう対抗の仕方でだけでひっくり返せるかといえば、そうではないわけです。九〇年代には、一方ではNGOが力をもって出張っていって国連の会議でも発言する状況が生まれたが、同時にグローバル化が推進された。そういうなかで、日本国家は錐揉み状態になっている。NGOによる対抗だけではなくて、地域の方から歯止めをかけて別のものをつくっていくことを考えないといけない。普遍性という意味は、そこをギャップとして認識して埋めていくというプロセスであると思っているのですが。

松谷● 議員でなくなって思うのですが、自分が議員のときはおもしろかったのに、外から議会を見るとおもしろくないですね(笑い)。情報の普遍性をどこに求めるかという問題もあるんですが、行政組織は擬似普遍性をもっているわけです。地方議員でも国会議員でもそれに強制されるから、トレーニングされる。強制されるから。つねに総合的な視野が求められるわけです。とくに市民運動から議員に出た人は、喧嘩早いから不得意な分野を残しておきたくないのでどんどん勉強をして、どんどん賢くなっていく。やっぱり擬似的であれ情報は集中する。問題は、集中している情報を議員感覚と市民感覚の両方であつかえる集団があるかないかだと思います。

白川● 議員になると、情報が集まるだけではなく、意地悪くいうと「かけひき」のおもしろさを味わって、市民運動感覚から離れてしまうことがあるんじゃないですか。

松谷● そのおもしろさはありますね。いまは、「かけひき」が市民に見える透明性のなかに置かれる時代になっていると思いますが。僕らが地方議会で運動を媒介に官僚と対抗していろんな質問をする、あの緊張感が国会にも必要なんです。僕らが地方議会で市民と行政の関係で苦労していることを国会議員もやらなきゃいけない。同じように市民感覚、運動感覚をどのようにもち続けることができるか、というトレーニングや場を意識的につくらなければならない。

白川● 個人の資質だけじゃなくて、地方でも市民センターといったかたちで集団がある場合と、議員が一人で走り回っている場合との違いが大きいのではないかと思うけど。

情報はどこに集積されるべきか

武藤● たしかに客観的な強制力として議員は情報の総合性にさらされて、優秀な人は自分のものにすることができるが、情報の総合性と議員であることはイコールではないはず。逆に、社会の側が情報の総合性を取り戻すことがだいじだ。情報の総合性の方は議員にあり、運動の方はシングルイシューだという状況は宿命的だと思うかどうか、ということです。

松谷● ある程度宿命的だと思いますね。緑の党も最終的に議員政党になったということがある。あれだけ挑戦したにもかかわらず、挫折した。緑の党は市民の党ではない。明らかに議員政党です。日本で僕らもローテーション制度とかを考えるけれども、非常に悩ましい問題です。かなり意識的に装置としてつくらないと、やはり議員中心になります。

武藤● するとどうしようもないですね。

松谷● マックス・ウェーバーが「職業としての政治家」と言いましたよね。

白川● 議員ではないが、シングルイシューだけに終わらない政治的な問題提起をする人がいる地域が、現にある。情報であれ経験であれ議員個人じゃなくて集団として蓄積されている地域は、やはり強い。

松谷● 神奈川ネットとか、静岡でも僕は集団をそうやっていますけど、すごくたいへんです。だから議員は代理人なのか、独立した職業政治家なのかとう議論が繰り返されているわけです。代理人なんだから二期で交代という神奈川ネットのような方式があるが、それを実行しようとするとどうしても官僚的に強権発動しなければならなくなる。

武藤● だけど、それは議員の立場からの話なんですよ。議員を相対化する立場から考えるというのが、松谷さんの普遍性じゃないですか。だから、どうすれば運動の側、民衆の側に力量を蓄積しうるのかというところから発想して、逆に議員を位置づける必要があるんじゃないかと思うんです。

価値観の社会的形成とのたたかい

武藤● 問題は、情報だけじゃないんです。情報をどういう立場で蓄積するのか、つまりもう少し根本的な立場というか基準や思想があって、情報の取捨選択もそれによって行なわれる。戦後の日本国家を考えると、「平和と民主主義」がそういう基準として共有されていて、それがあるから、治安立法的なものが企まれていれば、それについて情報を集めて暴露する、そういうモチベーションが働いた。それが解体して、基準が何もなくなっている。その基準をいまダイナミックに動いていているもののなかから新たに共同でつくりあげてくるプロセスが必要です。それがないと、政治家の方からだけ問題が提起される。価値観が社会的に形成されてくるということにはならない。

松谷● いまは市民運動がいっぱいあって、中心がない。最初にNPOと情報公開の時代だと言いましたが、多極化するものだから中心にならない構造ができている。昔は、ある特定の価値観に基づいて人のつながりができて、議論をたたかわせていくというやり方をしてきたが。どこに情報を集中するかという問題に関わるのですが、グローバリゼーションの問題や地球温暖化という大きなテーマがあって、静岡では熱帯林を守るJATANというグループが国産材を使おうという運動をやりながら、情報を手に入れて日本政府のやり方はおかしいというキャンペーンをやっている。このように、地球レベルの情報を手に入れてやっているグループはいくつもあるが、多極化しているものだから、連携は簡単ではない。その方が前進しているという面もあるんですが。情報もテーマごとに蓄積され、全体としても沢山蓄積されているし、インターネットもあるが、つながったかたちとしては見えない。

 その点では、新しい価値観がなければいけないということでしょうが、対抗する闘いが必要なんです。争点がつくられて向かい合う必要がある。たとえば、静岡空港の問題は、運動を始めた五年前とはまったく違う関心度と第一級の政治課題になっている。そこでコンサルタント会社の作成した需要予測にはどこか嘘があるに違いないと思って、パソコンで調べるんです。おかしいという気持ちを媒介にして、情報のシステムが生きる。

武藤● 対決点が絶対に必要だと思う。それ抜きだと良いことを言っても、言葉で取り込まれてしまう。どこかで拒否するということがなければ、オルタナティブも何もダメだと思う。つまり交渉の立場、当事者能力の形成が必要です。その力を、どう社会のなかにつくりあげられるか。

松谷● 僕は拒否力は広がっていると思う。たとえば「一七才」に象徴される子どもたちですが、僕らも社会も受けとめていない。学生運動のときから始まって、校内暴力、登校拒否になっていまや「反乱」だが、拒否力には違いない。

武藤● その拒否力はやむをえず出てくるわけで、それがポジティブなものになるためには何かの文化が必要。

白川● 静岡空港建設反対というのは具体的な争点で、そこにいろんな問題がふくまれているが、その具体的な争点のなかにある原理的な対抗思想をとり出すことがだいじなのでは。それは、「自分に関わることは自分たちで決める」、「自分に近いところで物事を決めていく」という考え方です。それは新しい考え方なんだけど、少しづつ社会的に定着してきている。それが自覚的に共有されると、継続の力になるはずだと思う。

松谷● 住民投票というのはそういうことの現われなんですが、吉野川可動堰問題は亀井が出てきて「丸呑み」するわけじゃないですか。自民党というのはすごいなと思うが、逆に言うと、住民の過半数を得るまでは苦労するが七割に行くと状況は変わる、ということなんです。五〇パーセントの支持を得るようにうごめいている。それを目に見えるかたちで表現する装置が必要なんです。それがつくれないから、苦労している。

新ガイドライン・改憲の動きに対して

松谷● 石原発言まで飛び出すことに危機感を感じて、たいへんな状況だという言い方と、南北首脳会談が衝撃的に行われて、もう過剰な軍事力など要らないという言い方とがある。「虹と緑」のなかにも「安全保障プロジェクト」があるのですが、それは自治体を基本にするという前提に立つ。沖縄問題を捨象しては語れないが、より建設的にはアジアの平和をどういうふうにつくっていくのか、自治体外交とか地方レベルにおける交流を進めて、国家とは違う抑制力が働く関係をつくっていこうという提案になるわけですが、しかし、現実の政治のなかではそんなに悠長なことは言ってられない。政策プロセスとして平和を語るのと運動として平和を語るのとの緊張関係がある。

武藤● その前提に政治思想の問題がある。どういう文脈で現在のプロセスを見ていくのか、次第にその文脈がつくられてくるプロセスが並行しなければ力にはなっていかないでしょう。

松谷● 国家の役割は小さくなってきて、市民の参加が増え、自治体の役割が大きくなっている。そういう時代に、国家間の戦争とか国家間の外交・軍事関係のあり方がどうあるべきかをきちんと説明できるかという点を考えなければと思っている。

白川● 自治体の自己決定権という立て方とガイドラインに基づく港や公共施設の軍事利用とは、直にぶつかる。安保必要論に対する反撃として、かなり有効な言論戦が展開されているとは思うが。

武藤● ただ、そこだけで問題をとらえるのはやっぱり弱い。たとえば、国防は公共性の一番上にあるものだというふうに話をもってきて、そこに土俵をつくられるたら、その土俵に対して、こっちの土俵は何かということが必要なのではないか。

松谷● その場合、武藤さんの言う思想とは、どういうものなのですか。

武藤● 沖縄で「民衆の安全保障国際フォーラム」をやりましたが、その要は安全保障という考え方をひっくり返すということです。これは何もわれわれが考えだしたのではなくて、沖縄の運動のなかから出てきた考え方なのです。つまり、軍隊は人の安全を保障しない、民衆を守らないという考え方で、それは沖縄だけではなく、普遍的に広がりつつある。

松谷● 沖縄では、民衆の安全保障という思想は当然のこととして受け入れられるとしても、現実に名護で住民投票があったにもかかわらず、せめぎ合いが続いているわけです。沖縄でもやっぱり経済振興は必要だ、だから基地を受ければいいじゃないかという人を相手に議論しなければいけないわけです。どうやったら基地反対派が多数派になれるのか、というときの議論の仕掛けはおそらくそれだけではない。地域のあり方とか生活のあり方だとか、いろいろなことをふくめて議論していると思うのです。

武藤● その通りですね。地元の有力者に睨まれたら、北見十区以北の会の人たちも個人では区の公式の場で発言するのはものすごく難しい、という話を聞きました。だから、基地だけをそこからきれいに切り離すことはできない。

松谷● 地域で活動していると、普遍的な平和思想や価値観をもってそれを表現するということと、毎日の生活のなかで隣の人と話をしながらこの社会がおかしいとどう伝えようかと悩んでいるので、どうも武藤さんの議論のやり方がしっくりこない。

対抗力はどうやって成長するか

松谷● 改憲や新ガイドラインをめぐって追い込まれているという危機感と、政治が変わる条件が整いつつあると思う気持ちとが、交錯している。総選挙では静岡空港問題で九つの小選挙区の候補者に全部アンケートをとりましたが、結果として当選した三人が空港反対だ。その三人を活用して変わる要素は十分にあるのだ、というふうに状況を語るのか、あるいはガイドラインは怖い、怖いと言うのか。

武藤● ガイドラインは怖い、怖いという話だけではないですよ。

松谷● 静岡空港を止めることが、実はガイドラインに批判的な意見をもてる人が増えることなんだと。

武藤● 保証はないでしょう。静岡空港問題がどういうふうに関係するのですか。

松谷● 民主主義の問題だからです。

武藤● そこはすごくだいじでおもしろい点ですね。民主主義ということでは、潜在的にはそうです。もしガイドラインを多くの人がイヤだと思うなら、そうなります。しかし、国の安全のためには必要なんだよという宣伝がどっと入ってきたとき、静岡空港には反対だがガイドラインは仕方がないと、多数が言わないだろうか。

松谷● もちろん、そういう可能性もあります。だけど、そういう民主主義のトレーニングをされた人たちが増えることによって、異論があったときに、「ああ、なるほどそういう意見もあるのだな、やっぱり違う考え方もしなければいけないのだ」と受け止める土壌ができてくる。

武藤● 土壌にはなりますね、もちろん。

白川● 松谷さんの言っている、私たちの側が追い込まれているという感じ方と政治が変わりうるという感じ方との両方が確かにあって、状況的にはねじれている。どちらか一方向に行ってしまっているのではなくて、ふたつの方向がせめぎ合っていて、だ

からこそおもしろい。しかし、変わりうると感じさせる力が、すぐには国家的な再編に対する抵抗力になっていない、拒否力まで行っているけれども対抗力にはならないというのが、現状だと思うんです。変わりうるという感じ方に出てきている力のなかに潜んでいるものを、もう少しひっぱり出したい。言葉としても、力としても。

松谷● 今井弘通さんが言っているのですが、個人主義の未成熟、個人主義の過剰という状況があると思うんです。個人として好き勝手にやっている。逆に、好き勝手な人がいるから支配する側も制御できない、それに危機感をもつわけですよ。

白川● 私利私欲主義とか、自己中的な個人主義がどこまで抵抗力になるかというと、僕は疑わしく思っている。だけど、静岡空港に反対したり吉野川の可動堰を拒否する動きには、自分たちのことは自分たちの手元にたぐりよせて決めるのだという――間違ったことを決めることもありうるけれど――自治の感覚や発想があって、それは確実に対抗力の要素になる。それがいますぐガイドラインを拒否することにまで行かないとしても、そこで育った自分たちで物事を決めていく自己決定の考え方は、この間の地域の運動が獲得してきた原理とか思想の一つですね。

これから、どこへ

松谷● 武藤さんはやっぱり地域戦略、地域から政治を変えるということを信じていないのではないですか。

武藤● 必ずしもそうではないのです。期待があるから、疑問点をぶつけている。しかし地域からだけ、というのは狭すぎるとは思っています。地域からどういうふうに政治を変えるかという構想をもう少し積極的に展開してもらうといいのですが。「五〇〇人リスト」ができた、そこからどういうふうに進んでいくのか、というような点です。

松谷● 地方議員五〇〇人というのは、一つの象徴的なスローガンですが、「五〇〇人リスト」で全国的な連携が広がっていくということと、僕らが静岡県で運動を起こして仲間を増やしたりいろいろなテーマで争点をつくることとは、等価というかパラレルに進むと考えている。「五〇〇人リスト」全体が今後どうなるかという問題は、僕も議論するけれど、あらかじめ決まったものがあるのではない。僕自身が直接的に関与できるのは静岡県という地域で、いま起きている世界中の問題や県の問題や自分たちの健康の問題を議論して、そこで一つの勢力として自分たちを表現したい。それを土台にして、「五〇〇人リスト」というゆるやかなかたちで、あちこちの地域が連携していけばいい。もちろん意識的に連携したいと思っていますが、全国的な政治勢力として登場していくといったイメージは、僕にはあまりないんです。

白川● いろいろなNGOとか、シングルイシューの社会的な運動との連携は、地域毎につくっていくしかないと考えているわけですね。

松谷● 僕はそう思いますけど、全国政党、緑の党が必要じゃないかという提起や動きはいろいろ出てきます。僕は全国的な政治勢力の必要性を言うのであれば、原発問題と平和の問題がテーマだと思うけれど、自分で全国政党のために動き回るという気持ちはわかない。静岡県の政治を変えていくのに全国の情報も知りたいし、静岡空港をつぶすために何回も東京に来て政党に対するロビー活動もするけれども、僕はやっぱり、いろいろな動きが分権的に進むということが基本だと思います。静岡に日本語教育センターというアジア人に日本語を教える学校がつくられているのですが、いろいろな国の人が来るから面白い議論ができる。それは、地方の国際的な交流の場です。そういう人たちが卒業して日本の大学に入ったり自分の国に帰ったりして、国際的なネットワークがいろいろなかたちでできています。

武藤● そうすると、静岡県でそうした運動やネットワークや自治体をつくっていく、そして全国でそういう力ができてくるなかで政治が変わっていく、という展望になるわけですか。

松谷● 僕としては、静岡という地域で運動と政治勢力をつくることを基本にして、そのためにも全国ネットワークが必要だと思うから、全国ネットワークをつくることにも大きなエネルギーをさくわけです。

白川● 今日は「政治」という概念をつくり変えるという問題意識にそって議論しましたが、松谷さんが言う地域戦略から政治全体を変えることにたどりつくまでの間には、まだ多くの空白や問題が残されています。また、地域戦略に限っても、地域を変える主体の問題、地方政府や地方分権の実現度合いの問題、経済自立の可能性といった論点が議論される必要があります。あらためて、議論をしたいと思います。どうも、長時間ありがとうございました。

 


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