2002年9月1日
アジア平和連合総会
アジアにおける平和への闘い
アジア平和連合設立総会宣言
2002年9月1日、ケソン市、フィリピン
私たち、アジア各地における団体の代表、また個人は、アジアにおける数多くの子どもたち、女たち、男たちの命を奪い、巻き添えにしている「グローバルな反テロ戦争」に怒りと不安を抱きつつ、現在進行中の悲劇を逆転させ、困難を抱えるアジアの地に平和をもたらす事をめざして、アジア平和連合を設立するため、マニラに集まりました。
この一年間、アジアの人びとは、すでに存在していた高度の不安定と危険とがいっそう大きくなったことを経験してきました。東は朝鮮半島から西はパレスチナまで、北は中央アジアから南はインドネシアまで、戦争、紛争、緊張が激化している現実を、私たちはいま共通に体験しています。この高まる不安定と危険の共通の源泉ははっきりしています。すなわち、米国がその「反テロキャンペーン」のなかで解き放った戦争の嵐にほかならないのです。この反テロキャンペーンは、力づくの強制と家父長制を権力的な共通分母とする軍国主義に基づいているのです。
アフガニスタンに対する戦争を非難しなければなりません。さらに、この開戦行為そのものは、政治的諸権利のあからさまな蹂躙、国際法の最低基準への挑戦を表しているのです。米国は判事、陪審員、死刑執行人の役割を一身に兼ねて当然とするところまで思い上がるにいたりました。
はっきりさせておきます。私たちアジア平和連合は、個人によるものであれ、組織、国家によるものであれ、あらゆるテロに反対します。しかし、国家テロがテロとのたたかいに用いられる時、戦争が対テロ戦略として遂行されるとき、また「グローバル対テロ戦争」が米国の勢力拡張や戦略的な経済目標推進のための都合のいい口実として用いられるとき、アジア各地の民衆は、この恐ろしい企てを非難し、平和のために力強い声を上げねばならないのです。
アジア全域における紛争と戦争
戦争は、アジア全域において、人権と民主的自由への攻撃と結びついて進められています。
私たちの権利への破壊は、いわゆる反テロ法によって体系化され、制度化されつつあります。すでに反テロ法が制定された国もあるし、政府が通過を待っている国もあります。いくつかの政権は、ワシントンによる威嚇に屈服しました。パキスタンやフィリピンなど他の政権は「経済援助」という美名に包まれた「現ナマ」の見返りとして、自国の市民を進んで裏切りました。また、インド政府は9月11日以前から制定したかった抑圧的な法律を、反テロ戦争を利用して、押し切ろうとしています。
米国はこの戦争の目的の一つが、アフガニスタンの女性たちを抑圧的なタリバン政権の支配から解放することにあると主張しきました。しかし、実際のところアフガニスタンの女性たちは、悪辣な略奪者であり、レイプを戦争の手段としてきた悪名高い北部同盟が権力に返り咲いたことで、いまでも大きい危険に曝されているのです。
パキスタンの独裁者であるムシャラフはワシントンの後ろ盾を確信し、民主化への要求の高まりを鼻であしらい、彼の抑圧的な体制を強化し、武器を持たない土地無し農民や漁民を虐殺しています。インドのヒンズー至上主義政権は、ワシントンのレトリックを利用して、カシミール問題の平和的解決の道を閉ざしてしまうために、パキスタン政府に「テロリスト」のレッテルを貼りました。さらに、このインドの政権は、その信奉者たちがイスラム教徒に行っている野蛮な組織的虐殺(ポグロム)を庇うという自己の犯罪性を隠蔽しています。
まさに、このAPA設立総会自身が、フィリピン政府によるアフガニスタン代表の入国拒否という恥ずべき仕打ちを受けているのです。
米国の戦争はアジア地域のすべて国ぐにの安全に負の影響を与えています。
ジョージ・ブッシュが朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を「悪の枢軸」の一つと名指ししたことは、朝鮮半島における和解の動きに破壊的な影響をもたらし、統一実現への歩みを後退させています。
米国は日本を反テロ同盟に引き込むために圧力をかけ、小泉政権は米国のアフガニスタンに対する戦争を支援するためにインド洋に自衛隊を派遣することで、歴代政府の憲法違反に輪をかけた憲法違反を侵しています。それに加えて、現在、戦時立法の制定が推進されています。これらの動きは日本の再軍事化への当然の恐怖をかき立てています。
フィリピンにおいては、アロヨ大統領が米軍一時駐留協定(VFA)によって、武装米軍がフィリピンに戻ることを許すことで、10年前に米軍基地を追い出した民衆の決定を覆してしまいました。反テロ戦争の名の下に、ペンタゴンは、人権侵害で悪名高いインドネシア国軍への支援を再開しました。マレーシアでは、マハティール首相は、ここぞとばかり、苛酷な国内治安法(ISA)による弾圧に拍車をかけています。
これから先しばらく、私たちの安全への危険は、小さくなるどころか、ますます大きくなりそうです。現に、私たちがマニラでこの会議を開いている8月の末から9月初、ブッシュ政権はサダム・フセイン打倒のためにイラク侵略の準備を進めています。誤解の余地なく明らかにしておきます。私たちは サダム・フセインに対して一抹の共感も持っていません。しかし、彼の運命はワシントンではなく、イラクの民衆によって決定されるべきなのです。
米国の戦争は数多くの国内紛争の平和的解決をいっそう困難にしています。
むろん、私たちの抱えるすべての問題や紛争を米国の政策のせいにすることはできません。私たちの地域においては、あまりにも多くの内戦、コミューナルな紛争、エスニックな緊張が存在していて、そこでは、ビルマ、スリランカ、ネパール、タイに場合のように、エリート層や多数者民族が、抑圧された階級や少数民族に対立的な立場を取っています。
エリート層と政府は、米国の支援が確かにえられると感じて、抑圧されている人びとの正当な闘いへの態度を硬化させました。例えば、米国との反テロ同盟で大胆になったアロヨ政権は、モロ民族の自決権と経済正義の要求を考慮するというそぶりを一切かなぐり捨て、強硬政策に転じましたが、これはフィリピン南部を恒久的な戦争地帯に変えつつあります。米国の支持のおかげで、インドネシア政府は、アチェやモルッカ諸島その他インドネシア各地の紛争の正義にかなった平和的解決への道から歩み去ることができるようになりました。
カシミール問題のような国家間紛争の次元を備える紛争もまた、当事者がそれぞれ米国の支援を当てにしているため、その解決がより困難になっています。
戦争とグローバル化
アジア地域に勃発している戦争は、経済のグローバル化というこの地域で開始されたより大きいプロセスと切り離すことができません。アフガニスタン作戦は、アラビア半島における米国の恒久的な軍事的存在に反対する組織を壊滅させるという意図をもっていました。米軍の存在は、経済的グローバル化の主要な受益者である巨大石油資本を守るためのものです。この作戦は、米国が中央アジアへのアクセスを獲得する努力の不可分の一部でした。二つの至上命令がこの戦略的動きを導いていました。すなわち米国が、この地域の膨大な埋蔵エネルギー資源を支配することと、この地域における地政学的ライバルであるイラン、中国、ロシアにたいして優位に立つことです。いまホワイトハウスを支配しているエネルギー・石油ロビーにとって9・11は天からの贈り物だったのです。
この戦争はもう一つの意味において企業主導のグローバル化と関係しています。すなわち、1980年代と90年代を通じて、アジアは世界銀行とIMFの押し付ける構造調整プログラムに従わされていました。市場の自由化、規制緩和、民営化を通して多国籍企業に好ましい環境をつくるよう設計されたこれらの構造調整プログラムは、貧困を増加させ、不平等を拡大し、経済停滞を定着させ、環境破壊をさらに進行させました。原理主義やテロリストの運動は、多くの場合、こうした構造調整プログラムが呼び起こした社会的不正義や生活水準の低下への広範な怒りに由来しているのです。米国はいま、フランケンシュタイン博士さながら、自らの経済プログラムが創造した怪物たちを敵にまわしているのです。そして、米国とその同盟国政府は、反テロキャンペーンを、テロリストを追いかけるためだけでなく、構造調整プログラムを覆すための正当で合法的な闘いー農民、労働者、都市と農村における貧困者、女性、人権団体、先住民、周縁に追いやられている集団などによって展開されている闘いーを壊滅させるために利用しているのです。私たちはいま、テロと闘うという名目で、異義申し立てが犯罪とされる状況を目撃しているのです。
この米国主導のグローバル化の重要な盟友は企業に支配されたメディア、すなわち新聞、ラジオ、テレビなどです。これらのメディアは9・11以降、世界中で戦争ヒステリーを煽り続けています。このメディアは、米国の武器庫にある武器です。すなわち米軍の暴力の配備に正統性を与えるための主要な武器になっています。現状では、アジア全体におけるエリート支配下のメディアは、庶民の意見や必要を適切に反映しているとは言えません。
グローバル化は途上国の経済、社会、文化的制度を周縁に押しやり崩壊させています。反テロ戦争は、人びとの運動を統制するためのより抑圧的で権威主義的な仕組みを制度化する口実を政府に与えることによって、この状況を一層悪化させています。また、反テロ戦争は密貿易、特に女性や子どもの人身売買を促進させています。すでに人種差別的で外国人を排斥し差別する政策や行為によって苦難を強いられている難民、移住労働者、国内避難民、亡命者などは、非人間的な国外退去、恣意的な取り締まりや強制収容の対象となっています。
戦争ではなく、民衆の安全保障を!
私たちの政府が米国の圧力によるか、嬉々としてか、とにかく米国の戦争に協力しているなかで、私たちの共通の願いである平和と安全と正義を実現し、それを阻む軍国主義化の過程を逆転させる仕事は、私たち市民、民衆運動の肩にかかっています。アジア平和連合は、この地域に出現しつつある反戦運動の産物であるとともに、その推進者でもあるのです。
私たちの見通しは、次のような関心と価値と目標から成り立っています。
戦争をやめよ!米国の軍国主義を終わらせよ!
アフガニスタンの悲劇を終わらせねばなりません。アフガン民衆は自分の未来を自分で決定することを許されなければなりません。このことは、米国とその同盟国の軍と警察の撤退によってのみ可能となります。私たちはそれを優先目標と考えています。また同様に、米国のイラク侵攻に反対して広がりつつある世界的運動の先頭に立つことも私たちの優先課題です。この関連において、米国が自らの単独行動を覆い隠すイチジクの葉として作り出した、いわゆる反テロ国際同盟を非難します。
アジアの最西端は、パレスチナ民衆に対するイスラエルのジェノサイド政策によってゆすぶられています。この政策はワシントンによって支持され、そそのかされています。この人道に対する罪を終わらせることは私たちの最重要課題の一つです。パレスチナの人びとが自由となるまで、私たちは自由ではないのです。
米国の南アジアへの関与は恒久的な平和をもたらそうとする人々の努力をより困難なものにしています。私たちはインドとパキスタンにおいて米国の外交的な策謀を終わらせようと努力している団体と力を合わせます。この策謀は米国自身の戦略目標を推進するためのものだからです。私たちはまた、それぞれの政府が危険な政治姿勢を改め平和へ動き出すよう圧力を加えているこれらの団体の活動を支持します。
南アジアと西南アジアにおける米軍の存在は、インド洋上のディエゴ・ガルシアから北東アジアにおける韓国、日本に連なる米軍基地の連鎖によって支えられています。私たちは米国の干渉の出撃拠点となる基地の閉鎖に取り組んでいる韓国と日本の人びとの努力を支持します。また同様に、米軍一時駐留協定(VFA)および米軍のフィリピン駐留を許す他の協定の撤廃を求めるフィリピンの人びとの運動を支持します。
軍国主義の最もあやうい側面の一つは核兵器の存在と拡散です。東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国によって宣言された東南アジア非核地帯が、少なくとも名前だけは、存在しています。私たちはこの非核地帯を現実のものとする活動を進めている人びとの運動を支持します。韓国や日本で北東アジア非核地帯の創出を進めている市民団体の働きに連帯します。私たちはまた、インドとパキスタンの無謀な核瀬戸際政策を封じ込めるために南アジアにおいて、南アジア非核地帯の創設に向けて努力している平和運動を支持します。さらに私たちは、アジアにおいかなる種類のミサイル防衛システムを導入することにも反対し、そのための動きに加わります。また、核非武装国に対する核使用を目的とし、新型核兵器の開発を正当化する米国の「核立場再検討」政策を非難します。私たちは、当然ながら、米国を始めすべての核武装国の核保有に明確に反対を表明し、全世界にわたる核兵器の即時全面廃絶を要求します。原子力発電所は核兵器開発を助長し、軍事攻撃の主要な標的となることを考慮し、原子力発電を段階的に廃止することを真剣に検討する必要があります。
米国海軍はアジア・太平洋地域における警察官に自分で自分を任命してきましたが、このことは、地域を大きく不安定化してきましたし、いく度も東アジアを核戦争の瀬戸際まで引きずっていったのです。この地域全体、また地域を超えた米国の軍事介入は、大きく日米軍事同盟のおかげで可能になっているのです。その日米軍事同盟は、日本の人びと、特に沖縄の人びとの犠牲の上に、日本国内の軍国主義化の動きを強める働きをしています。私たちはこの地域およびアジア・太平洋地域の他の諸国における、米国の軍事的存在に反対する平和運動を強く支持します。
米国の単独行動主義は、国際刑事裁判所をはじめ法と秩序を扱う重要な多国間制度を掘り崩すことを狙ったものです。この単独行動主義は、国連システムに取って代わり、国連を骨抜きにしてしまいました。国連自身が民主化を必要としているのです。米国が利用可能と考える場面では、国連機関と国連当局は米国の政策の延長物に成り下がってしまいました。アナン国連事務総長の場合がそうです。アナン氏のワシントンへの従順さは、国連への信頼を著しく失わせました。国連と国連諸機関が国連憲章の下でその本来の役割を果たせるようにすることは、極めて重要です。
非軍事化
アジア地域から米軍の存在をなくし、地域を非核化することは、アジア地域から戦争を追放する私たちの運動にとって、ほんの第一歩にすぎません。
その他の措置も取られなければなりません。軍事費の削減、軍および警察の縮小、巨額に上る武器取引の禁止などです。武器取引は、米国、ヨーロッパ連合、イスラエル、中国、インドなどの死の商人を豊かにする一方、何百万というアジアの人びとの命を危うくしているのです。
アジア社会における家父長的関係の変革
平和は、家父長制的構造と家父長制的関係が決定的に解体されないかぎり、いつも壊れやすい状態におかれるでしょう。この構造と関係こそが、いわゆる平時においては根深い構造的暴力・ジェンダー暴力の底部に、また戦時においては公然たる暴力の底部に、深く横たわっているのです。家父長制的な価値観と態度の変革を、戦争を止めさせる私たちの営みの出口に位置づけてはなりません。この変革の努力が私たちの営みの入り口で開始されない限り、私たちの平和の探求は何ものをも生まないでしょう。
私たちは、戦時中に受けた性的暴力について沈黙を破り、声を上げ、国家間戦争の中で犯された犯罪への免責の文化を終らせるよう要求している多くのアジアの女性たちを称えるものです。
平和と正義の促進
平和と正義は密接に絡み合っています。少数者に対する民族的、宗教的、文化的な差別がなくならない限り、また抑圧された民衆集団が自決権を行使できるようにならない限り、アジアが平和を味わうことはないでしょう。とりわけこのことは、人口の多数派をけしかけて少数者への暴力と抑圧に走らせようとする人種差別主義者、排外主義者、ファシストなどの活動にたいして、私たちが断固とした態度で対応することを意味しています。それはまた、私たちが、民主化、世俗主義、多元主義を支持することを意味しています。この文脈において、私たちはイスラムを悪魔として描き出すこと、また宗教を破壊的な目的のために操作することに反対します。平和と正義は政治的な民主化を持続することにのってのみ保障されます。この過程の緊要な次元の一つは、いたるところ強行されている反テロ法と呼ばれる法の制定の動きを巻き返すことであす。もう一つの次元は、難民や労働者への攻撃に反対し、彼・彼女らの国内および国境を超えての自由で安全な移動を断固として支持することです。さらにもう一つは、エリートの支配するメディアに、世論への責任を果させることです。そして、メディアが、平和と正義への民衆の必要と願望とを、代弁するとはいかなくとも、すくなくとも認知するよう働きかけることです。このプロセスは、現実的な権力の移譲と民主的な自由と人権の拡大・深化を含まなければなりません。
戦争、貧困、不平等、不正な階級制度、権力の不正な仲間内配分などが、しばしば内戦の根となっており、内戦は外部からの軍事介入を招くこととなります。したがって、私たちの地域の平和は、経済正義が制度化されない限り、保障されないのです。この課題は、企業主導のグローバル化に反対する運動と一貫して連携する平和運動によってのみ実現できるのです。
私たちが支持するに足る平和プログラムには、以下の中心的な構成要素が含まれなければなりません。すなわち、IMF、世界銀行、アジア開発銀行による構造調整プログラム(現在、「貧困削減戦略プログラム」という婉曲表現が使われています)の停止、アジアの諸国の対外債務帳消し、世界貿易機構(WTO)への関与の停止、多国籍企業活動の規制、農地改革の実施、資産と所得の有意味な再分配の断行などです。持続可能な平和は、企業主導のグローバル化を終わらせることにかかっています。持続可能な平和は、以下の原則に従う活気ある経済構造を基礎にしてはじめて、構築することができます。すなわち、国内市場指向の成長、相対的な社会的公正さ、分権的生産、そして、不平等な関係を制度化するのではなく貿易相手国の能力を高める国際貿易などです。さらに、持続可能な平和にとって決定的に重要なのは、環境にやさしい生産、分配、交換システムを構築することです。
つまり、軍国主義的、国家主義的、男性中心主義的理論と「国家安全保障」や「国際安全保障」に基づく支配的な体制を、非軍事化され、平和を愛し、フェミニズムを支持する普遍的で民衆中心の体制によって置き換えなければならないのです。
最後に、私たちが直面する課題と挑戦に応えるためには、人間的コミットメント、エネルギー、そして資源の巨大な動員が必要であることを、私たちは認識しています。私たちは、平和への私たちの熱い思いを分かち合える、米国を含めた他地域の無数の個人、団体、ネットワークとの連携を求めます。一緒に行動することで、私たちの努力が、正義、平等、エコロジー的調和、そして軍国主義と家父長制の否定に根ざす、そのような平和に、私たちをいっそう近づけてくれると、私たちは確信しています。