〔ラジオの歴史とインターネット〕

メディアを自らのものにするために

 

 2月25日の民衆のメディア連絡会の例会は、水越伸さん(東大社会情報研究所)を招いて行われ、21名が集まった。以下は、今井恭平さんによるレポートです。

 本日の講師は水越伸さん(下の写真)。講演テーマのタイトル「デジタル・メディア社会を問う−歴史社会的射程からのアプローチ」から予測がつくように、いつもよりもアカデミックな内容の話でした。東大の先生、っていうと繊細そうな細面のインテリ然として人を想像しがちですが、その想像通りのイメージの方でした(^@^)。

 かなりの部分、ラジオを中心にしたメディアの歴史、といったおもむきのお話でしたが、ぼくがまず印象に残ったのはラジオは最初は無線機だったわけで、インタラクティブな(つまりは双方向)ものだったわけです。でも、その間はきわめてマニアックな連中の専有物であり、自分でラジオを組み立ててみて喜んでいるような知識と情熱のある連中しかふれられないものだったわけですね。で、そういう連中が、「お〜無線はすごい。これで世界中が時間と空間の制約なくつながる。これは革命だ、世界が変わる」と思ったわけですね。この話を聞いて、思わず隣に座っていた浜田忠久さんのほうを見て「JCAと同じ様なオッチョコチョイが大昔もいたんだね」などとつぶやいてしまいました。ぼくらがはじめてインターネットにふれられるようになり、ことにWWWなんてものを(最初はブラウザの名前から、モザイクなどと呼ばれてましたが)見たときに、そしてAPCというものの存在をはじめて知った頃に、まさに世界が変わる、と思ったのと同じですね。って

 いうことは、インターネットもしょせんラジオと同じ運命をたどるのか、と今は逆に落ち込むムードになりそう。

 無線からラジオへの転換は、ようは自分で無線機を組み立てるよりも、誰でも電気店で受信専用機を買ってくればなんらかの番組が聴ける、という仕組みのほうがハードウエアが売れる、ということだったようで、そのために、面白いソフトを流さねば・・・と、このへんもインターネットが経てきた過程(ことに95年か96年くらいからの商業化の波が押し寄せたとき)と同じ状況だと思った。

 しかし、ラジオが10のうち8から9は商業放送だけになってしまったのに対し、インターネットではこれをなんとか6とか5までに押しとどめられないか、という話がありました。で、僕は二次会のときにラジオが10のうち8〜9はマスコミ化したのなら、インターネットはそもそもがラジオと比べたら1000くらい(ひょっとし10000?)じゃないかと思うから、その90パーセントがマイクロなんとかという、じつにマイクロではない企業や世界のソニーなどにのっとられても、まだ100は残ってるんじゃないか、そこに期待したい、みたいなことを述べたわけです。このたとえを、誰かが(小林さんだたっけ?)あとで、メーリングリストでほめてくれてましたので、気分良くして、ここでもまた書いちゃいます。また、じっさいにそういう思いはあるんです。そのためにも、盗聴法は廃案にしましょう!

 で、水越さんたちは、情報学環という(リングっていうのがなんとも怖い)組織を立ち上げるそうで、そのへんについては、ご本人がメーリングリストでも少し敷衍されてましたが、その中にいくつもプロジェクトが立ち上がるのだそうです。

 東大といえば、大昔には、僕らのような人間でも出入りしたり、寝泊まりしたり、そこで勝手に会議を開いたり、勝手に印刷機(って言っても当時はガリ版)使っちゃったりという旧メディアを提供してくれる場であった時代もあります。そういう息吹が本郷キャンパスによみがえることまで期待はしませんが、まあヴァーチャルにでも、なんか解放区的雰囲気が味わえるコミュニケーションが生まれることに期待します。 

                 (今井恭平) 

 水越さんの著作リスト(25日に紹介されたものだけですが)を最後にかかげておきます。アカデミックな部分の話は、僕の非科学的フィルタを通さず、直接お読み下さい。

 『デジタル・メディア社会』 岩波書店 1999.2

 『メディアの生成 ---アメリカ・ラジオの動態史』 同文舘出版 1993.2.26

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