WTOシアトル閣僚会議で何が起きたのか
佐久間智子(市民フォーラム2001事務局長)

 米シアトルで11月30日から開催された第3回WTO閣僚会議は、最終日である12月3日午後11時、閣僚宣言をまとめられないまま、議長を務めていたバシェフスキー米通商代表が閉会を宣言、今後の交渉はジュネーブのWTO本部に委ねられることになった。閣僚宣言では、2000年から予定される次期交渉の枠組みと方向性が決定されるはずであった。通常であれば、閣僚会議前の準備プロセスで宣言のほぼ大枠が固められるはずなのだが、今回は各国間の主張の隔たりが大きく、両論併記あるいはほとんどの段落に未合意を示すカギカッコがついたまま、異例の長文の宣言案が閣僚会議に持ち込まれたのだった。
 一方、メディアでも大きく報じられた10万人規模のデモには、米国の大手労働組合をはじめ、各国の農民団体、環境NGO、開発NGO、消費者団体などが参加し、一致して「大企業だけを優先する貿易・投資の自由化」に反対を表明した。会議初日の30日には朝6時より会議場に通じる5つの交差点を「人間の鎖」が封鎖、政府代表者らを会場から締め出し、開会式をキャンセルに追い込み、本会議の開始を5時間半も遅延させた。日中は数万人規模の米労組のデモや米環境NGO主導によるウミガメに扮する人々のデモ、さまざまなプラカードなどで市街地が埋め尽くされた。
 ほとんどの市民がこのような「非暴力」の抗議を行っている中、アナーキストを自称する一部の暴徒は、多国籍企業の象徴であるマクドナルドやナイキ、GAPなどの店舗を襲撃、30日の夜からシアトル市街に夜間外出禁止令と非常事態宣言が出されるという事態に発展した。逮捕者は30日で19名、州兵が出動した12月1日には500名を突破、警官隊と州兵は平和的なデモ隊に対しても催涙ガスやペッパー・ガス、およびゴム弾を発射し、シアトルは戦場さながらの状態に包まれた。
 なぜこのような事態になったのか? 残念ながら、日本のメディアからは市民・NGOサイドの主張や、その社会・経済的背景が伝わってこない。以下、閣僚会議の争点とともにシアトルで一気に表面化した世界の市民・NGO運動の大きな盛り上がりの背景について概説する。

■閣僚会議の争点

●透明性・市民参加
 NGOは1996年12月の第一回シンガポール会議以来、WTO閣僚会議にオブザーバとして参加してきている。しかしオブザーバ資格を持つNGOが参加できるのは、各国閣僚がひたすら演説リレーを繰り返す本会議場のみ。WTOの最高決定機関である閣僚会議で採択される宣言文は、以後約2年間のWTOの作業・交渉の枠組みを決定するという重要な意味を持つが、この宣言案を巡る実質交渉はNGOの参加できない政府代表団会議(HODs)で行われる。さらに、対立点の詳細を詰める非公式会合がその背後で複数進行する。この非公式会合はGATT(関税・貿易一般協定)時代からの「伝統」であるグリーンルーム交渉(GATT事務局長室の壁が緑色だったことから、事務局長が任意に選んだ数カ国のみで行われる秘密交渉を指す代名詞となった)と呼ばれ、事務局長と議長から声のかからない政府代表団には、どこで誰が何を交渉しているのかを知る術はない。さらに、同時に多数の交渉が同時進行するため、たった3〜4名の代表団しか派遣できない小国は、たとえ声がかかっても全部に参加することは不可能である。
 こうした意志決定プロセスの不透明性と非民主性はシンガポール会議以来、NGOやメディア、途上国政府からの非難を受けて改善されつつあるように見えた。しかし、それもシアトル閣僚会議の準備交渉が行われるまでの話だった。一旦ジュネーブで準備プロセスがスタートすると、「同時に5つ以上の会議を行わない」、「グリーンルーム方式の秘密交渉は行わない」、というWTO事務局の約束はあっけなく破られた。
 その結果、蚊帳の外におかれたアフリカ・カリブ・中南米諸国70ヶ国が閣僚会議中にもこの問題を声高に批判、うち55ヶ国が共同で非難声明を議長に提出するという事態に至った。日米欧を中心に対立点の調整が進む中、実質的な参加を阻まれ、主張を遠ざけられた途上国は、場外の市民デモに勇気づけられ、議長が提案した最終宣言案の受入を拒絶したのである。途上国の主張はまた、情報分析能力に優れ、途上国政府の政策を共に策定してきた優秀な途上国NGOに支えられている。

●農業交渉の枠組み
 2000年から再交渉が開始される農業協定については、その大枠の方向性を巡り、ジュネーブでの準備プロセスにおける対立構造がそのまま閣僚会議に持ち込まれ、最後まで交渉が難航した。異例の高関税を維持している農産物に対し、鉱工業製品と同等の扱いを求める米国およびケアンズ・グループ(農業輸出国15ヶ国)と、環境・国土保全や食料安全保障などの農業の持つ「多面的機能」に配慮した交渉を主張する日本・韓国・EU、および(EU加盟を目指す)ハンガリー・トルコの陣営が真っ向から対立した。世界第二位の農業輸出大国でありながら「多面的機能」を理由に多様な輸出補助金を維持しようとしているEUに対し、農産物や繊維製品などしか輸出品目を持たない多くの途上国も反発、輸出補助金による農産物の国際価格低迷および先進国市場の閉鎖性を非難した。
 途上国は繊維分野についても先進国の数量規制の漸進撤廃(10年間で全廃の予定)が進まないことに不満を募らせている。こうした途上国の不満を抑えるために日本・EUが提案した「後発開発途上国(LDCs)からの全輸出品に対する関税撤廃」を米国も受け入れる姿勢を示していた。しかしこれでは途上国全体を満足させることができなかった。
 閣僚宣言の最終案からは米・ケアンズ提案(鉱工業製品と同等の扱い)も日・EU提案(多面的機能)も外され、農業協定20条にある「非貿易的関心事項への配慮」という文言だけが環境保全や食料安全保障、「途上国に対する特別かつ差異のある待遇」とともに残された。米国は閣僚会議が決裂した後も、当初から予定されている農業・サービスの再交渉は来年から開始すると主張している。

●ニュー・イシュー(投資、競争政策、労働、環境など)
 宣言の最終案には、アンチダンピング措置の濫用を回避する方向で規律を強化したい日本や多くの途上国の主張が取り入れられた。これが直接的には宣言案の不採択につながったと思われる。米国がこの文言の入った宣言案を拒絶したためである。途上国は繊維製品輸出などに対して米国からアンチダンピング制裁を乱発されており、これをWTOに訴えても結果が出るまでの3年間は制裁が維持され、米国がクロとされても、同品目に対し再度アンチダンピング制裁を課されるという理不尽な目に遭い続けている。
 さらに国内労組の圧力を受けた米国は「労働と貿易」に関する作業部会の設置にこだわり、また、EUはWTOとILO(国際労働機関)との合同委員会の設置を提案したが、労働基準や労賃の安さを理由に貿易制裁を課されること(先進国の偽装された保護主義)を恐れる途上国政府が一致して反発した。
 日・EUは「投資(海外直接投資)」の保護と自由化を次期交渉のアジェンダとするよう提案していたが、これには米国と途上国が反発した。

●生物特許(TRIPs27条3(b))とGMO
 準備プロセスにおいて、TRIPs(貿易関連知的所有権に関する協定)の27条3項(b)で認めている動植物に対する特許設定に反対し、これを削除する提案をアフリカ諸国は行っていた。途上国政府の多くはまた、今年末まで途上国に対して認められているTRIPsの実施(国内関連施策の整備)猶予期間を延長することを求めている。これら途上国の要求を世界のNGOは支持しているが、これらについて話し合うのは得策でないと判断した米国はTRIPsの再交渉は行わないと主張、対立が続いていた。一方、日本とカナダが各々提案していたWTOにおける「バイオテクノロジー作業部会」の設置に合意したEC(欧州委員会)に対し、EU各国の閣僚が猛反発するという一幕もあった。この作業部会設置提案に対しては、生物多様性条約のバイオセイフティ議定書の議論を優先するよう主張する途上国とNGOが反対を表明してきている。

■10万人のデモの拝啓にあるもの

 シアトルに集まった10万人の市民・NGOは、「WTOをぶっつぶせ!」と直接行動を行っている一群、「WTO協定の社会・環境影響を評価(アセスメント)し、自由化ではなく抜本的な軌道修正を!」と求める一群、そして「自由化原則に則りつつ、環境や労働などの問題への配慮を統合せよ」と主張する一群、に大別できるだろう。その中で暴挙に出たのは全体の1〜2%に過ぎず、大方は平和的な「非暴力」デモを行っていた。
 シアトルにこれだけの人々が集結するようになった背景には、以下の6つの社会・経済ファクターと、以下の4つの国際政治ファクターが存在すると捉えられる。

●社会・経済ファクター(貿易・投資の自由化に反対する層の背景)
@欧州の高失業率;欧州では、失業率の高い若年層を中心に社会への不満が高まっており、都市住居を不法占拠するというムーブメントなどが数年前から広がりを見せている。
A米国の雇用の質の低下と格差拡大;米国では貧困ラインを下回る生活水準にある人口が4、100万人、子どもの4人に一人が栄養不良に苦しんでいる。過去25年間に平均賃金は下降し続けており、失業率低下の裏では、製造業などにおける正規雇用が減る一方で、小売業などで不安定なパート雇用が増加している。
B土地を追われる世界の農民;途上国・先進国を問わず、世界各地で小規模家族農家や自給農家は土地を追われ、企業による工業的農業にとって代わられている。生活手段を失った農民は、プランテーション農園に安い賃金で雇われるか、都市のスラムに流れ込むというパターンを辿っている。外国資本に独占された途上国の農地からの輸出が増えても、この層には何の恩恵ももたらされない。
C社会民主主義的欧州社会と新自由主義的米国社会の間の価値観の衝突;欧州各国やカナダが培ってきた福祉国家(Welfare State)という言葉に表されている社会民主主義制度が、アメリカ主導の荒々しい自由化の波にのまれようとしている。各国政府は競って企業の応援団(Welcome State=企業誘致優先国家)になろうとしており、社会規制やセーフティネット(安全網)が劣化しつつある。
D環境問題、人権問題;環境NGOや消費者団体はかねてより、国境を越えて自由に動き回る企業に対し、進出先での環境破壊や健康被害を補償させ、人権や労働権、消費者の保護を義務づけるための国際ルールの策定を求めているが、これは未だ実現していない。
E格差の問題、独占・寡占の問題;NGOのもう一つの主張は、現行の自由化が国家間および各国内で格差を広げる一方、人々からセーフティネットを奪い、各国政府から所得再分配のシステム(税制など)や社会規制・経済調整能力を奪っており、それを代替する国際税制や国際規制は存在しないか全く不十分であるというものである。

●国際政治ファクター
@地球サミットの失敗;地球サミットで声高に「地球環境」と「開発」の問題が取り上げられた1992年、国連総会では「多国籍企業行動基準草案」が棚上げされ、以後、企業自らが自主行動基準を策定・実施することが主流となった。国連多国籍企業センターは廃止され、企業に対する国際規制への道が閉ざされた。
ANAFTAに対する不信任;米・カナダ・メキシコの北米3ヶ国で1993年に結ばれたNAFTA(北米自由貿易協定)に対し、各国で不満が高まっている。米国民には、雇用が賃金の安いメキシコに移転しており、また安い野菜や果物の流入で国内農家が窮地に立たされているとの実感がある。カナダでは医療、保健、教育、上下水道、エネルギーなどの公共的サービスを始め、あらゆる産業セクターが米企業の攻撃にさらされており、また米企業がカナダの国内政策にまで口を挟むようになったことへの不満が高まっている。メキシコでは米国からの安いトウモロコシによって小規模自給農が破綻しており、また環境破壊や汚染がさらに広がっている。
BAPEC並行会議;1995年に大阪で開かれたAPECサミットと並行して京都で行われたAPEC/NGO会議には、環境・人権・労働・社会発展・先住民問題など、さまざまなイシューに関わる活動家が域内から集まり、貿易・投資の自由化に対する共通の問題意識が生まれる契機となった。以後毎年、APECサミットでは並行して市民会議が各地で開催され、議論が深められてきた。
COECD・MAIに対する世界規模の反対キャンペーン;1995年から約3年間、OECD(経済協力開発機構)において先進29ヶ国が秘密裏に交渉を続けてきた多国間投資協定(MAI)に対し、さまざまな活動に取り組んできた世界各地の市民団体が一致して反対運動を展開、1998年12月にはこの交渉を打ち切りに追い込んだ。「企業の権利憲章」と称されたMAIは、そのあまりの企業優先の内容によって、世界中の市民が「自由化」の本質(本性)に気付く大きなきっかけとなった。

 このような経緯から現在、以下のような共通認識が広く市民の間に共有されるようになっている。
@「経済に人々が従属させられる(People for the Economy)」のではなく「人々のために経済が機能しなければならない(Economy for the People)」。シアトルでは「People over Profit(利益よりも人々を優先せよ!)」というプラカードを多数見かけた。
A現在は、各国民のお金(税金)や権利(政府を通じた社会・経済政策の実施)が私企業に移転され(乗っ取られ)ている状態にある。例えば、サービス貿易の自由化によって、公共(的)サービスは民営化を迫られ、非営利サービスは営利化を迫られる。生活を守るための環境・社会政策もまた、規制緩和の波にさらされている。
BWelcome State(企業誘致優先国家)ではなくWelfare State(福祉国家)を再構築しなければならない。これは今の自由化とは全く逆の方向である。シアトルに集まったNGOのスローガンは「No New Round. Turn Around !(新ラウンド交渉は要らない。WTOは方向転換せよ!)」というものだ。
Cさらなるグローバリゼーションの促進ではなくローカリゼーション(自律的、循環的地域経済の再構築)がオルタナティブとして大きくクローズアップされてきた。

■今後の課題

 WTOにおいて、大企業と大国の利益に奉仕するための国際貿易・投資ルールが着々と策定されていく動きに対し、10万人もの人々が抗議を行ったことは、世界中に強力なメッセージを発信した。興奮冷めやらぬ私の頭に浮かぶのは、1989年11月に共産主義体制が実質的に崩壊してちょうど10年経った今、シアトル閣僚会議の決裂が、1990年代を席巻した資本主義一辺倒のグローバリゼーションが崩壊を始める第一歩となるかもしれない、という期待である。
 しかし同時に、シアトルに集まった市民・NGOの主張も多様であり、矛盾さえ含んでいる現実をこれからどうしたらよいのか。対抗勢力として連携を深めつつある途上国政府と市民・NGOの間に長期的な共通目標は存在するのか。そして日本の問題としては、加害者(輸出大国としての日本)と被害者(国内の農山村の崩壊、食料・資源の海外依存)という両面を持ち、また依然として経済大国である日本の経済社会構造をどうしていくのか、という実は極めて国内的な問題が、いつの間にかWTO問題にすり替えられているという深刻な事態が存在する。さらには、世界の市民が連携を深める中、日本にはそれに応える成熟した市民社会がない、という私たち自身に突きつけられた重い命題をどうすればよいのか。本当のチャレンジは全てこれから始まる。