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2004年6月10日発行194号ピースネットニュースより

「ガンジーの視点から現代文明・平和運動を見直す」
4・17非暴力を考える公開学習会より 

田畑 健 『ガンジー自立の思想』編著者、鴨川和棉農園代表・「和棉のタネを守るネットワーク」

チャルカの思想とは
 今日はガンジーの思想のことをわかってもらいたいということですが、ガンジーさんは糸紡ぎをしていました。チャルカの思想というふうに僕は呼んでいるんですけれど、それがガンジーさんの思想の中ではかなり大きな部分を占めています。インドの国旗の中央にガンジーさんは糸車を掲げたんですね。最初はほんとうの糸車でした。今は丸い車輪の部分だけがインドの国旗の中央に掲げられているんですけれど、ガンジーさんはインドの国旗に糸車をはっきりと掲げたんですね。それがどういうことなのか、チャルカの思想というのがどういうものなのかということも含めて理解してもらたいと思っています。
 ガンジーさんが言ったのは自分たちの毎日着る服を自分たちの手で紡ぎだそう。棉を植えてそして糸を紡いで、自分たちの着る服を自分たちの手足を正しく使って紡ぎだそという思想を掲げたんです。そこからガンジーさんの言う非暴力ということと大きくつながっているので、その前に糸紡ぎとかチャルカ、いわゆる糸車なんですけれど、そこを知ってほしいと思います。
 僕が一番最初にインドに行ったのが20年くらい前です。日本の棉を復活させていくのが大事だとは思っていたんですけれど、それがどれだけの意味があるかということを20年前の僕にはよくわからなかった。それと、具体的には棉の弓の打ち方が日本ではもうどこにいっても見られない、わからない、インドに行けばわかるかなと思って行ったんですね。それで、インドで棉のことを勉強しようとしたらガンジーさんのアシュラムに一番に行きなさいと言われ、行きました。朝晩のお祈りの代わりにチャルカをみんなで回すんですね。いまもそれはやってるんですね。ラージガードというデリーのガンジーのさんのお墓では、金曜日ごとにやってるんです。ガンジーさんのアシュラムではお祈りの代わりにチャルカを回すということなんですね。それと、自然エネルギーの研究として牛糞でメタンガスを発生させるとか、太陽熱で料理するとか、そういうことを沢山研究していて、自然農法とかも研究していました。僕が20年くらい前に鴨川で田舎暮らしを始めてちょうど2,3年くらいたったころだったんで、すごく興味深いことばっかりだったんです。
 イギリスから帰ってきてガンジーさんは、国民会議派というところに所属していたんですけれど、しばらくして国民会議派から抜けます。それは主に国民会議派がチャルカのことを正しくというか熱心に取り上げようとしないからでした。ガンジーさんは国民会議派の会費を手で紡いだ糸で支払うみたいなことも含めて、糸紡ぎがすごく重要なものだといっていたんですけれど、国民会議派はそんなに取り上げてくれない。糸紡ぎのチャルカに対する取り組みが不十分だというか一致しないということで、主にそのことを理由に国民会議派から抜けて、インドの中央部のワルダという今も電報なんて届かないところにアシュラムを築いて、そこで牛の飼い方とか、それから手工業、村落手工業のあり方を研究します。例えば鍛冶屋さんだとか堆肥の作り方だとか、そういう研究に没頭していくんですね。ほとんど政治の舞台から姿を消して、ワルダって今でも僻地であまり他に何もないところで、そしてすごい暑いところなんですね。そこで村落手工業協会とかを作ったりします。
 村落の手工業を第一にする。それからガンジーさんは全インド手紡ぎ者協会というのも作ります。政治活動から一線を画して、そういう民衆の生活の具体的なことを考えていた。綿作りの研究をしたりとか、そういう具体的なことをガンジーさんはやっていたんですね。

スワデシ・スワラージの重要性と産業革命の本質
 なぜ糸車、チャルカなのかということなんですが、ガンジー思想の中に非暴力というメインの思想がありますけれど、それと同じくらいにスワデシ・スワラージというガンジーさんの基本的な概念があります。スワデシというのは国産品奨励という日本語で訳されます。インドの人たちの生活に必要な物をインドでまかなっていくという、自給自足的な意味合いがあると思うんですね。それとスワラージというのは自治という意味です。経済的なスワデシという自給的な体制の中で、スワラージ=自治が生まれるというのが、ガンジーさんの基本的な考え方です。その核心をチャルカが担っていくわけですね。
 自分たちの衣服を自分たちで紡ぎ出していく。ガンジーさんが『ガンジー自立の思想』の中で「近代機械文明は悪魔の文明だ」と言っています。近代機械文明こそが人間を破滅に導くと言ってるんです。イギリスの産業革命に始まる近代機械文明は、誰もが物質的なものを沢山安く生み出して、その結果人間が物質的に豊かになっていくということで、資本主義の人も社会主義の人もみんなが機械はいいものだと思っている時に、ガンジーさんは近代文明の悪の本質は機械なんだというふうに言っています。
 近代機械文明というのは当然イギリスの産業革命から端を発しています。そのイギリスの産業革命の一番最初に先駆的な発明といわれたのが、ジョン=ケイという人が飛び杼(ひ)をつくるんですね。それまでは横糸を右から左に入れることを手で、手織りの時代はやっていたんですけれど、飛び杼というのはその横の杼を左右にいれるのを紐を引っ張ると左から右に、右から左にと手で引っ張るといく、それだけで織る速度が2倍になったと言われています。その飛び杼が発明されると織る速度が速くなるので糸が間に合わない。当然機械がまだない時なので、手紡ぎの糸を使っていたんですけれど、手紡ぎの糸だと間に合わない。それで紡績の機械が発明される。紡績機械が発明されてワットが蒸気機関を発明して、ワットの蒸気機関と織り機が結合して機械が登場していくということなんですね。機械というのは機のからくりを意味します。産業革命以前はすべて手紡ぎ手織りで服をまかなっていたのですけど、機械が登場して人間の生活に必要な衣服が自動的に簡単に楽に得られるようになった。それがイギリス産業革命の中心なんです。
 イギリス産業革命の、機械の登場でうんと楽に自分たちの服が得られるようになった。それまで日本でもどこの国でもそうなんですが、先程お見せしたように糸を紡いで機を織ってというのはとても大変だったので、服はものすごく貴重品だった。何代にもわたって日本では着物やなにかを着ていたというようなそれだけ貴重品だったものが、とても楽にまかなえるようになった。そしてイギリスで起こった産業革命が綿の織物を真っ先に機械化していった。イギリスでは栽培できない棉を原材料にした。そこで世界が大きく変わった。なぜかというと、原材料である棉をどこから入れてきたかというとアメリカ南部から運んできたわけです。
 アメリカ南部では、棉の栽培のため畑を作るとかはそんなに大変な仕事ではないんですが、棉の収穫がすごい大変なんですよ。僕らもそうなんですけれど、畑はいくらでも広げることはできるんですよ。棉の収穫は最盛期に間に合わせないといけないので、収穫がどれだけできるかで畑の大きさを決めるくらい収穫が大事なんです。その時にできるだけ安く収穫するために始めにインディアンを使おうとした。だけどインディアンは体があまり丈夫ではないので、アフリカから奴隷を連れてきた。働き盛りの黒人の奴隷を連れてきて、広大なアメリカのプランテーションで働かせたということなんですね。そこでできた沢山の棉をイギリス産業革命以降、イギリスの機械がそれを加工して全世界に売っていった。なぜ棉だったのかというと、羊毛だと世界商品になりえないということなんですね。羊毛は一部の寒冷の地域では需要があるんですけれど、やはり世界で通用する織物というと綿製品なんですね。アメリカはそれまで奴隷制というのはまったくなかったのですが、この棉作を始めるようになって奴隷制を導入した。世界中で最後まで奴隷制をひいていたのはアメリカだった。それはやっぱり棉作なんですね。南北戦争が起こるまでアメリカでは奴隷が何千万人とははっきりした数がわからない位、5千万人とも言われていますが、奴隷としてアフリカから連れてこられた。

近代機械文明のもたらした世界大戦
 ガンジーさんはこの機械がすべて悪の源なんだというふうに言っているわけです。機械は原材料を必要としている。それから、市場を必要とします。なぜ機械がそんなに悪いかというと、自国だけでは成り立たない。大量の原材料を必要とする。そして自国だけでは賄えきれない大量の製品を生み出す。それを大量に買ってくれる市場を必要とする。イギリスは自国の国民のために沢山の綿製品を工場で生み出したのではなくて、それはみんな輸出用だったんです。当初はヨーロッパの方に輸出し、それから世界中に綿織物を輸出していた国だったんです。 インドの中でも今はバングラデッシュと言いますが、ベンガル地方は一番織物が盛んで、いい織物が作られていたのがダッカだった。ダッカから美しい織物が世界中に輸出されていた。そこに東インド会社を設けて当初はその織物を買い付けるための会社だったのが、逆に今度はイギリスの綿製品を売りつける会社に変わっていくんですね。
 産業革命が発展していくにつれて、そのダッカの職人たちの手工業をつぶすためにダッカの職人たちの手を切り、目を潰し、ダッカの織物業を壊滅的に潰していった。なぜインドが狙われたというと、その当時はイギリスよりもインドや中国の方がリッチだったということです。イギリスはちっちゃい島国だった。どちらかというと繁栄しているのはインドだとか中国だとかということなんです。イギリス、中国、インドという三角貿易というのがあって、中国からイギリスにはお茶だとか紅茶が行って、それで綿製品がインドに行って、インドからアヘンが中国に行くというのが三角貿易でした。その要にイギリスがいたということなんです。
 ガンジーさんはこの機械のシステムが自国だけでは成り立たない、世界を巻き込んでしか成り立たないシステムだと見抜きました。例えばイギリスだけじゃなくて他の国もこのシステムを採用するとみんなが市場を求め、原材料を求め合う。そういうふうにすると確実に奪い合いがおきてくる。世の中が戦争に巻き込まれていく。自国のものだけで成り立つシステムではない機械のシステムを世界が採用すると、これはかならず戦争の元になるんだとガンジーは予見しています。
 イギリス産業革命以後、世界を巻き込んだ戦争というのが世界大戦という形であったのは、やはりこの産業革命により近代国家となり、その近代国家の市場と原材料の奪い合いの結果に他ならないということです。例えば日本はアジアで唯一侵略する側にまわった国ですが、それはアジアで唯一機械を取り入れることに成功した国だから、原材料と市場が必要だった。
 ガンジーさんが言いたかったのは、自分たちの生活に必要な物は自分たちの手足を正しく使って得ていくということです。その方法を間違えると、いわゆる機械を採用すると人類は確実に幸福にはなれない、不幸にしかならないんだということをガンジーさんは言ってるんですね。

ガンジーの考えた非暴力は
 インドの初代首相のネルーさんは、どっちかっていうと社会主義で、機械工業を取り入れて、物質的に豊かになっていくという方法を選んだ。当時ガンジーさんの言うチャルカこそ平和の道筋のプロセスの一番根底にあるものだということを、理解する人はほとんどいなかった。ガンジーさんがもう晩年くらいの時は、ほとんどみんながチャルカを見向きもしませんでした。ガンジーさんの言っているチャルカの思想をほんとには理解せず、村の人たちもチャルカを回そうとしないということで、ガンジーさんも嘆いていた。それほどガンジーさんのチャルカの思想は当時のインドの人にも理解してもらえないで過ぎてしまった。ガンジーさんはチャルカの思想を理解しない限り、100年たっても自分の唱えている非暴力っていうのはわからないだろうというふうに言ってます。ガンジーさんの唱えた非暴力というのは、非暴力で権力をとる、社会を変える、というプロセスではなくて、自分たちの生活、暮らし方から自分たちが着るもの、食べるものをどうやって得ていくのか、そのことが根底から社会を変えていくんだというものです。
 例えば日本でも縄文から弥生にうつる時に、稲作が入ってきます。耕作するようになる。それ以降ずっと富の基本が米でした。何万石とかくのは富の基本がお米だったからです。農耕を基盤とした社会だった。それが近代明治になって機械が導入されてお米が基本じゃなくて、都市ができて工場ができて、富の中心が工場の中で生産される物質になっていく。その時に例えば日本でもどこの国でも近代化というのは、繊維産業から始まるんですね。ドイツでもイギリスでも日本でもそうです。日本では明治に野麦峠だとか女工哀史だとか言われましたが、みんな繊維産業です。着るものをどのようにして得ていくか、ということで社会が大きく変わった。それが近代機械文明ということですよね。文明の基盤が大きく変わっていくとガンジーさんは考えていたんですね。
 ガンジーさんはインドの独立を最終の目標にはしていなかった。だからインド独立の式典にはまったく行く気がなかった。カルカッタの街中をヒンドゥーとイスラムの宗教融和のことでカルカッタの街中をさまよっていた。ガンジーさんはいつも言ってるんですけれど、インドを支配する政治家がイギリス人からインド人になるような独立をしても、ほんとに貧しい人たちの暮らしは何にも変わらないと言っています。そうじゃなくてそういうみんながほんとに豊かに暮らしていけるように、今の文明自体を変えていかない限り、何も意味がないんだということを言っています。単なる政治じゃなくて、暮らし方自体を変えていかなければ人間の社会の基盤が変わらないと彼は考えていました。だから晩年はアシュラムで村落での手工業とかチャルカのことをやっていました。それは政治の世界から引退してということではなくて、本当の社会の変革、根底からの変革のためにはそれしかないんだということで、チャルカの普及に取り組んでいました。ところがそのことがほとんど理解されないできてしまった。
 インドに行くとよく言われるのは、「ガンジーさんがいたからインドの近代化が遅れたんだ」ということです。日本のガンジー研究者の中でも、このチャルカの思想を唱えたことがインドの近代化が遅れた原因で、唯一のガンジーさんの負の思想だとはっきり言う人もいます。
 ということでチャルカの思想というのは、ほとんど日本では紹介されないできたんですね。意図的に無視されてきたんです。僕が20年前に行った時インドでは「カディーホワイアンドハウ」というガンジーさんの英語の本があったのですが、それが10年くらい前に行ったときはもう絶版になっていました。これはガンジーさんの思想の本質をなすものだと私は思っていたんですが、それがもうインドでも手に入らなくなってしまったんです。それくらいガンジーさんのチャルカの思想は、インドでも日本でもあまり正しく受け入れられてこなかった。ただガンジーさんはインドの旗の中央に糸車を掲げるくらい彼の中では根本的な一番確信的な思想であることは間違いないんですが、それをみんな意図的に無視してきたというか、意図的に理解しないようにしてきた。社会主義者も近代機械文明を否定するということは思想の根底としてありえないということで、ガンジーさんの考えを無視してきたわけですね。
 こういう時代にあって、ガンジーさんのチャルカの思想がもう一度新しい見方でぼくらの思想の中に入っていかなければならないんではないかと思って、僕が99年にこれを『ガンジー自立の思想』としてまとめて発行したんです。僕ははっきり言って田舎暮らしをして鶏の世話をして暮らしている人間です。棉畑を作って暮らしている人間がなんでこういう本を出さなければいけないのかなぁと思ったんですけれど、誰もこの思想を紹介してくれる日本のガンジー研究者がいなかった。ということでやっぱりしょうがないと、2年位かけてこれをまとめました。

ガンジーさんの素顔
 ガンジーさんの本で『ガンジー自叙伝』というのがあります。ガンジーさんはイギリスに行って法律の勉強をするんですね。法律の勉強をしてインドに帰ってきて弁護士になったんですけど、最初の法廷に立った時、足が震えて緊張して何も弁護ができなくてそれで全く自信を失ってインドでは弁護士活動がもうほとんどできないくらいになってしまった。それで南アフリカに行くんですね。ということでガンジーさんは最初から立派な形でやってたわけではない。それから南アフリカにフェニックス農場というのを作るんですけれど、その中で畑仕事とかを始めてやるようになる。そしてインドに50歳くらいになって帰ってきて、糸車をまわすようになるんですね。ガンジーさんは自分で床屋をやったりとか、縫い物が上手だったりというエピソードが書かれています。そういう本当に人間的なガンジーさんを書いてあります。最初イギリスでは舞踏会やなんかに背広を着ていくんですが、おしゃれして出て行くのに30分も40分もかっかてたりしていた。そんな赤裸々なガンジーさんの自伝なんですね。これは池田運さんという方が書かれています。他のガンジー研究者が何冊かガンジー自叙伝を出しているんですけれど、結構間違っているところがあります。どちらかと言うと日本では政治家、宗教家としてしかガンジーさんを紹介していなくて、チャルカのこととか、具体的に庶民の生活の中で暮らしのあり方を考えていたガンジーさんの姿は紹介されてこなかったので、僕はぜひそういうガンジーさんを知ってほしいと思います。今もガンジーさんのアシュラムに行くと朝晩のチャルカ、それから畑仕事、自然エネルギーの研究とかそういう具体的な生活の方法が探られています。そういうことも日本でも知ってほしいなと思います。

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