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2003年10月10日発行187号ピースネットニュースより
「子どもの物語にあらず」そして「彼らはテロリストにあらず」
チェチェンに平和と人権の回復を!
ピースネットニュース・市民平和基金 青山 正
「子どもの物語にあらず」というのは、チェチェン人ジャーナリストのザーラ・イマーエフさんが製作した映画の題名です。先ごろ東京で試写会があり、この秋にアムネスティが映画の上映とザーラさんのスピーキング・ツァーを全国17ヵ所で計画していますので、ぜひ直接見ていただきたいと思います。
この映画は戦火のチェチェンから隣のグルジアを経由してアゼルバイジャンに逃れてきた、チェチェン難民の子どもたちの証言だけで構成されているドキュメンタリーです。子どもたちが淡々と、そして実に率直に彼らの経験してきたこと、見てきたこと、そして彼らの願いを語っています。非常にシンプルな作りなのですが、それだけにずしりと見る者の胸に迫るものがあります。子どもたちの鋭い感想がチェチェン戦争の悲劇を充分に伝えてくれます。
この映画は2000年秋に完成し、その後2001年3月末にモスクワ在住のロシアの友人たちがザーラさんをモスクワに招き、発表会と記者会見がアンドレイ・サハロフ社会センターで行なわれました。ところが初日にザーラさんは路上で警察に逮捕され、人権団体の強い抗議で釈放されました。この映画はその直後モスクワの民放NTVが夜の最終時間に一部を上映し、その後は人権団体がビデオを配って広まっていきました。
映画の中の子どもたちの証言の一部を紹介します。
わたし全部見たの
「グローズヌイに住んでいたの。地下室に逃げたら、天井が落ちてきたの。爆弾が落ちて、屋根も何もかも みんなくずれちゃったの。なにもかも全部が降ってきたの。屋根から天井まで、みんなよ。飾りだなも、テレビも、かがみも こなごなに、こわれちゃったの。」
「戦争が始まった時、ぼくはおじさんの家にいました。ぼくといもうとで、爆弾の落ちてくるのを見ました。その時初めて、爆撃ってどういうことか、知りました。別の親類のところに行ったら、近所の家が爆撃でもえだしました。みんながないていました。」
「ぼくたちの家は、戦争でたくさん死んだんだよ。ぼくたちの家は、戦争になって、爆撃されたんだ。外に出ることもできなかった。グローズヌイからにげて来たんだよ。何もかも残して、にげて来たんだ。」
これらの証言にあるようにチェチェンの首都であったグロズヌイはロシア軍により徹底的に爆撃され、破壊されました。そのグロズヌイについて映画の中で子どもが、うたう「歌よ飛べ」という次の歌が印象的です。
「歌よ飛べ」
私は世界中で、きれいな町を見てきたが、
グローズヌイの町ほど、素晴らしい町はない。
これほど美しい花園は、どこにも無い。
歌よ飛べ、全ての山々を越えて飛べ!
歌よ!伝えておくれ、私たちの町の事を!
〈略〉
グローズヌイの街の灯は、我が家の幸せ。
スンジャ川の川面に白波が砕ける。
歌よ飛べ、全ての山々を越えて飛べ!
歌よ!伝えておくれ、私たちの町の事を!
〈以下略〉
この歌にうたわれたグロズヌイは破壊の限りを尽くされ、その美しさも見る影もありません。いや実際には1999年以来の第一次チェチェン戦争ですでに破壊され荒廃していました。その上に新たな破壊が加わりました。それでもグロズヌイに残った市民も大勢います。そのグロズヌイには子どもたちも大勢残りました。グロズヌイには戦前から少年少女民族舞踊団「ダイモーク(わが祖国)」がありました。そして今も戦火に残った子どもたちが踊りの練習を続け活動しています。このダイモークの活動を紹介した映画「踊れ!グロズヌイ(公開改題タイトル「呪われたものと聖なるもの」)」もあり、やはり試写会で紹介されました。戦争の重圧にもめげずに生きるチェチェンの子どもたちの姿は大きな希望です。
しかし、一方で解決の糸口が見えない戦争はますますチェチェンを追い込んでいます。ロシア内で相次ぐ爆弾テロは大半が、チェチェン人の犯行とされ、チェチェン人=テロリストという見方がマスコミで繰り返されています。しかし、言うまでもなくチェチェン人全てがテロリストであるわけではありません。そしてむしろロシア軍の行なっているチェチェン人への人権抑圧と攻撃こそが国家テロとも言えるものであるにもかかわらず、一昨年の9.11テロ以降、欧米諸国もほとんどその事実には目をふさいでいます。
最近ようやく日本でもチェチェン問題へ関心を持つ人が少しずつ増えてきました。この機会にさらに私たちもチェチェン戦争の終結と平和解決のための世論作りのために努力していきたいと思います。皆様のご協力をお願いします。
アムネスティ・インターナショナル日本
http://www.amnesty.or.jp/ |