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2003年4月10日発行181号ピースネットニュースより
『人間の楯』は無責任か
非暴力平和隊・日本共同代表 大 畑 豊
「有効かどうか疑問、甘い、ご両親やご家族も心配している、国だって心配している、迷惑、無責任、盾にもならん、自殺行為、特攻作戦に通ずる、重武装の相手に通じない、『敵』に利用されるだけ」。イラクに「人間の盾」として行った人たちに対して、批判的な論調がメディアでは目立っています。これに付随して、大規模な非暴力介入をおこなう非暴力平和隊(NP)の活動にも同様の指摘が寄せられています。
まず、今回のイラクでの行動に関しては、そもそもの問題は国連憲章も国際世論も日本国憲法も無視して、武力攻撃・支持していることであり、それに対して市民が、地球の一員としての責任を自覚し、目の前で(通信の発達した現代、この表現もあながち大げさではないでしょう)法的正当性の全くない武力攻撃がなされようとしていることに対し、無実の民衆が殺されて行くことに対し、自らの責任において、それを防ぐための最後の手段として、やむにやまれぬ行為として「盾」の行動にでたのです。命の危険性が伴う行為であり、全員がそうだとはいえないかもしれませんが、安易に決めた行動とは思えません。準備不足な点もあるかもしれませんが、非難されるべきは米国や日本政府の無責任、違法な行為です。
第二に、「非暴力介入」と言ってもその形態はさまざまであり、メディアで呼ばれている「人間の盾はその一形態と言えます。パレスチナでのISM(国際連帯運動)の行動も、イラクでの行動も、また、80年代から非暴力介入の活動をしているPBI(国際平和旅団)、昨年できたNP(非暴力平和隊)、その他20以上の団体の行動が同じ「人間の盾という表現をされたりしますが、その実際の活動はそれぞれ固有のものです。
今回のイラクでの行動に関しては、まさに命を賭して、と言ってもいいかもしれませんが、命を捨てに行ってるわけではありません。実際、現地に入り、先に出てきた人も別れる時には、「死ぬんじゃないぞ、命を大切にして危ないと思ったら帰るように」と言い残して帰ってきています。
特攻隊に比する人もいますが、特攻隊は軍の命令によって、自分の命を犠牲にして、相手を殺しに行くものであり、「盾」は自分の意志により、犠牲のリスクを犯して、現地の人の命を守りに、攻撃しようとする相手の良心に訴えに行く行為であり、全く別です。
また「人間の盾」という表現にも抵抗を感じています。勇ましさを強調しているようでもありますし、紛争地には行きますが、実際に、必ずしも銃口の前に盾のように身を呈すのが目的ではなく、「世界の人々が注目している」ということを示すために、相手の良心に訴えるためにその場にいる、プレゼンス(存在)が主な目的だからです。また自分たちが行くことによってメディアに、世界の人に関心を寄せてもらう、ということもあります。
そのプレゼンスを示すために、例えばPBIやNPは派遣までに1年あるいはそれ以上の期間をかけ周到な準備をし、またボランティアの訓練をします。派遣したけど殺されて終わったでは意味がありません。調査・国際的支援体制を整え、派遣されたボランティアが安全なように準備します。ボランティアの命を守れなくて、現地の人の命は守れません。実際、PBIの20年以上の活動のなかで、犠牲になった人はいません。その一方、PBIが「護衛的同行」(これが「人間の盾」と呼ばれたりする)を提供し、それまで続いていた暗殺が止まったという例を挙げることができます。
非暴力介入というと、「盾」行動のみに焦点がいってしまいがちですが、紛争地での活動にはさまざまなものあり、例えば監視行動、現地の様子を中立的立場から世界に知らせる情報発信などもあげられます。
全体的な非暴力的紛争解決のプロセスの中では予防を重視していますが、上記団体は「盾」「護衛的同行」に特化した団体といえます。また比較的最近になって活動が開始されているものが多く、すでに紛争が始まっている、深刻化しているために、非暴力的紛争解決の中で、まず武力の行使、殺戮や脅迫を止めさせようという「盾」的行動が目立ってしまっているのではと思います。
ついでに言いますと、PBIもNPも地元の非暴力による運動体から要請されて初めて派遣するものであり、要請無しに派遣することはありません。また政治的立場をとることもありません。
このような非暴力的手法に対して、効果を出すのは難しいのでは、という根強い指摘もあります。確かに容易ではありません。しかし、もし武力によって紛争が解決できるなら、すでにこの世から紛争はなくなっていてもおかしくはないでしょう。
2001年だけで世界で使われた軍事費は8390億ドル、約105兆円。1時間あたり120億円です。この3分の1の費用で、飢餓、難民救済、エイズ、砂漠化、債務超過、核兵器・地雷の廃棄等地球上のほとんどの問題が解決できると試算されてます。ブッシュ大統領はイラクの民主化が目的なんてことも言ってますが、この試算によると世界の民主主義の建設に3千億円となっています。イラク攻撃にかかる戦費試算、7兆6千億円よりもはるかに経済的で、建設的です。
私がPBIで活動して帰国した94年にPKOに関する論議が新聞紙上で行われていて、「非軍事・文民・民生」で2人日本人犠牲者が出た、やはり自衛隊でないとだめだ、という政治家の主張が出てました。しかし、その一方、同じ年のPKO活動では135人の死者を出しました。活動環境が違うので単純な比較はできませんが、これだけ犠牲者を出してもPKOは失敗とは言いません。非暴力なら犠牲は出ない、と言っているわけではなく、犠牲が出たとしても武力を行使したときより圧倒的に少ない犠牲ですむことがこの例や、非暴力行動の歴史をみれば明らかです。
大規模紛争に対して非暴力の手法を用いることに ついて一筋縄ではいかない課題ももちろん残ります。しかしさらに答えに窮する疑問が、武力による「解決」に投げかけられています。非暴力に対して理想主義・夢想主義といわれますが、私たちこそが現実主義者であると確信しています。金額だけでみても、未来永劫、1時間あたり120億円ものお金を使い続け不安な時代を生きるのか、その3分の1の費用で建設的プログラムを進めるのとどちらが現実的か。
非暴力、特に組織的な非暴力介入は最近始まったばかりの活動であり、人類の歴史以来ある武力・軍事介入に比べたらノウハウの蓄積はまだまだこれからです。あちらはお金も時間も人材その他莫大な資源を投入しているのに対して、こちらは極めて限られた資源で細々と実践してきているのが実情です。10年以内に2,000人規模の派遣を目指すNPの年間予算は世界の軍事費の1時間分にもなりません。しかしその財源確保にはたいへん厳しいものがあります。
また非暴力による平和構築には、軍事作戦のように短期に「勝敗」が明らかになるものでもないと思います。非暴力的手法に対して「効果を出すのは難しい」と言うのは将来的影響を考えずに、目の前の「勝敗」だけを見て、やっぱだめじゃないか、と言ってるようなものです。だめだと言って、ではまた血で血を洗う世界に戻るのか、ということです。
やっぱだめじゃないか、ではなく、ではどうしたらいいか、人類の英知を殺し合いでなく、和解のためにいかに結集していくか、ということが21世紀に生きる私たちに問われています。 |