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2002年8月10日発行173号ピースネットニュースより

「草の根から見たカンボジア内戦の実情」(2)
ピースネット白山フォーラム6月例会 2002年6月15日文京シビックセンターに於いて

るしな・こみゅにけーしょん・やぽねしあ 代表 松本 清嗣

●クメール・ルージュの支配
 ポルポトという人はパリに留学して、その時に当時のパリの左翼の中で、最も先進的で最も流行していた毛沢東思想に接します。パリから帰ってきて中国の左派寄りの思想を広めていく。シアヌーク時代に地下に潜る人たちにもベトナム=ソ連寄りと中国寄りに分かれていた。
 1975年でロン・ノル政権は倒れる。北京からの宣伝は、「爆撃を許しているロン・ノル政府と戦っているのはシアヌークの忠実な部下である」というものでした。クメールの人たちは、シアヌークに帰ってきて非常に平和なシアヌーク時代が戻ってきて欲しいと思ってゲリラを支持します。でも実際に解放戦線が入ってくると、どうもシアヌーク時代よりもやり方がちょっと違うのかなと思いながら彼らは解放戦線を支持していく。けれども、元ロン・ノル兵とか警察がどんどん殺されていくんです。うちらのスタッフも、その当時子どもだったんですけれども「僕こんなところ見たよ」というと「それは絶対言うな。そんなこというと恐ろしいことになるから」と止められたりしたそうです。ですから表向きはシアヌークの忠実な部下が、腐敗政権と戦っているという言い方ですけれども、実態は恐ろしい虐殺の部隊が村々を抑えていきました。
 プノンペンが陥落してクメール・ルージュ政権ができます。そこで始まったことはプノンペンにいる人たちを強制的に動かし、そこでロン・ノル政権に協力した人たちをどんどん殺していく、虐殺ですね。そのときのカンボジアの人口は600万から700万でしたが、虐殺で殺された人たちが100万から300万くらい、実数はよくわかりませんが三分の一から四分の一は虐殺もしくは餓死、あるいは病気で死んでいます。カンボジアのどの家族を見ても家族の中の誰かが死んでいます。家族全員が生き残っていることはないです。
 そのクメール・ルージュ時代は国全体が強制収容所になったような状態ですね。例えば村長になると、彼らが一番最初にやることは、「こいつはアンカー(=組織)に対して謀反を企てている。」、アンカーの悪口を言っていると告げ口すると、言われた人間は次の日には連行される。そのとき村人はポル・ポトもクメール・ルージュという言い方も知らないです。アンカーという言葉しか知らない。そこで殺されるか、強制労働、死に等しい労働をさせられます。相手を陥れることが自分の忠誠を証明する。ですから自分の地位を保つためにいろんな人たちに濡れ衣を着せるわけですね。そういう村長も誰かに告げ口されるんです。
 そして子ども達に対する学校教育をクメール・ルージュは廃止しますけれども、「カンボジアの腐敗したシアヌーク時代、ロン・ノル時代という不平等な、差別のある、古い時代を作ってしまった、そういう古い考え方で、新しい考え方を受け入れられない親がいたらアンカーに知らせなさい」と、密告させます。それで親達が連れていかれる。
 カンボジアの虐殺の構造も相手を陥れないと自分が守れないんです。そのうちに神経がどんどん麻痺していく。
 それがクメール・ルージュ時代で一番の働き手がどんどん死んでいくという状態で、国力も人々の力もガタガタになっている時に旱魃で収穫が非常に駄目になり、その時にベトナム軍がカンボジアに侵攻します。クメール・ルージュ政権はいともたやすく倒れ、そして親ベトナム・親ソ連のヘン・サムリン政権ができます。いまのフン・セン首相につながっていきます。
 この10年ほどの流れですけれども、ソ連が崩壊することによって完全にバランスが崩れます。カンボジアはぼちぼちながらも80年代は再建をしてきたんですけれども、ソ連の援助がなくなることによってこれは自力での再建は無理になりました。西側社会の力を借りないと無理だということになり、パリ和平協定が1991年に結ばれるんです。
 クメール・ルージュがヘン・サムリン政権にやられて、彼らはタイ国境に逃れます。例えばカオイダンキャンプはクメール・ルージュの拠点ですね。しかしタイ国境に逃れたときにはクメール・ルージュ軍は軍としての体をなしていない。この時中国からの軍事援助がなければ壊滅していました。
 日本の一部の方々もクメール・ルージュはすばらしい革命をしたんだといろんな宣伝がなされてました。この時のクメール・ルージュの評価は揺れてますね。どれが本当なのか訳がわからない。虐殺してるってのを日本で始めに紹介したのは本田勝一さんだと思いますけれども、それもデマだ、陰謀だと言われた。なんかもう、本当なのかうそなのかわからない。ただタイ国境から逃れた難民から話を聞けばすぐわかるんですよ。ものすごい虐殺があったんですね。でもそれがデマだという風にグチャグチャになって日本に入ってきたと思います。僕大学生だったですけれど、本当にわからなかったですね。カンボジアのことってのは非常にわかりにくかったです。

●内戦と復興の実態
 この軍事援助がクメール・ルージュを存続させ、それが四半世紀以上にわたる内戦をつくるんです。アメリカの支援を受けたソン・サン、ソ連の支援を受けたヘン・サムリン政権とベトナムとの間で内戦が続きました。このクメール・ルージュ以降の80年代の内戦の構造は完全に米ソに中国の入っている代理戦争ですね。ソ連が崩壊することによってバランスが崩れ、クメール・ルージュのやったことが国際的に認知され、中国もあまり支援するわけにいかない。タイも最後まで一生懸命クメール・ルージュを支援し、そして森林を伐採し、ルビーを採るみたいに、タイ国軍はクメール・ルージュと一緒になってかなり儲けたみたいですね。中国の武器・弾薬あたりもタイ国軍を通じて流れてると思いますけれども、この辺ではタイの国軍もかなりダークですね。ですからタイは両面でやるわけですね。一方でクメール・ルージュを支援し、一方で、ベトナムに対する防波堤をつくるとアメリカのソン・サンを支援した。そしてタイが共産主義・社会主義に対する防波堤であるとして、日本なんかも一生懸命官民上げて支援していくかたちで、タイは経済発展の土台を築いていく。タイの通貨が暴落したっていうのは軍事援助やそれに絡むものが借金に頼る経済を作ったからだと思います。
 90年代を振り返りますと、パリ和平協定が結ばれて、この時に大々的に国際援助が入り、UNTAC(国連暫定統治機構)の代表に明石康さんが就任し、日本がUNTACの資金の三分の二を出します。ところが明石さんはUNTACでものすごい足引っ張られてて、現地では非常に評判悪かったです。フランスの軍人が明石さんに逆らって、例えば全然決定がなされないとか、かなり明石さんは動けない状態だったですね。
 非常に腹立つのは、明石さんが代表をやってる時に二度にわたって通貨が廃止されているんですね。10リエル札、20リエル札、50リエル札の三種類が何の前触れもなく廃止されたんです。例えば人力車=シクロのお父さん、物売りのお母ちゃんがダンボール箱に一生懸命そういう小額紙幣を貯めてるんですよ。それが一夜にして紙くずになるんです。それを国連統治機構がやったんですよ。通貨を守るってのが国家の最も重要な、一番の機能だと思うんですね。それを明石さんやらなかったですよね。あれはないだろうと思います。例えば三種類の札を100リエル札に交換するよとUNTACがひと言言えば、通貨としての価値は守られわけでしょう。最終的に通貨の流通量を減らせばいいわけでしょう。どうせ通貨の価値が落ちるのはわかるから、例えば92年の4月で1ドル400リエルです。今1ドル3,900リエルです。でも第一回総選挙のときに2,500くらいまでいってたかな。これだけの政治的な激変の割には無茶苦茶にはなってない。
 そして総選挙が93年に行なわれます。この段階で4月5月に中田厚人さん、アンプルにいた警察官の高田さんが殺されています。僕自身の動きとしては総選挙前にいったん日本に帰りまして、大阪のカソリックでプロジェクトをやろうとするんですが、治安状態が悪いっていうことで、そことは分かれてこの年に「るしな」を立ち上げます。そして翌年からプログラムを始めます。その後も内戦は続いています。クメール・ルージュの部隊が武装解除をしなかったことを理由に、政府軍のフンシン・ペック党と人民党も武装解除をしなかったんです。クメール・ルージュと戦わなあかんということでそれぞれの党軍(国軍ではなく)がカンボジア政府内に統合化されずに残った。
 最終的には内戦・クーデターという形になります。これははっきりいってUNTACの責任です。すべての軍を武装解除させ、総選挙をするというプログラムだったんですが、もちろん無理な課題だったかもしれませんが、クメール・ルージュ軍が残っていたばかりにいつまでも内戦が続いてしまった。ですからUNTACは総選挙やって万々歳だっていったけどちゃんと火種を残したというか、解決できなかった。通貨を見捨てた、もう一つ将来に対して内戦の可能性がある三つの軍を武装解除できなかったということをもってUNTACの評価は低くていいだろうと思います。ただ総選挙をやったことの価値はものすごい高いですけれど、あれを万々歳で手を挙げている日本の人たちってカンボジア、国際社会から見ると、バカに見えるんですね。
 ということで一時期クメール・ルージュが押してきます。94年の末から95年にかけては我々のプロジェクト地も襲われます。95年の1月4日、夜中の11時から朝の5時までかけて100名以上のクメール・ルージュがバッタンバン市街地から18キロ離れたところにあるトラス村を襲いました。僕は次の朝バイクで村に行くんですけれども、いわゆる外国人は市街地に住まなければならないんですね。郊外に住んでいると襲撃、強盗にあう可能性があるから許されなかったんです。撃ち合いみたいな形にはならずに100名以上の牛車に乗ったクメール・ルージュが100軒以上の村の人たちに対して盗賊、強盗を行なった。彼らは金とかで貯蓄してますからその金をよこせ、ラジカセからバイクから取れるものを取っていく、物盗りですね。クメール・ルージュもこの当時資金的に困ってまして、多分ぶんどった戦利品をクメール・ルージュももちろん盗りますし、クメール・ルージュ兵士も自分達のものにするって、そして夜中の23:00から朝の5:00までいますから6時間もいて村人と話をしてるわけですね。クメール・ルージュが言うには「俺こんなことやってるの嫌なんだ」って。クメール・ルージュのボスは村長や軍人の家を焼けとか言うけどやらないんだと村人に言い訳してるんですね。この村では1軒が全焼、3軒が一部焼かれました。それを見ても95年、96年の段階でクメール・ルージュの士気は下がっていました。例えばクメール・ルージュの時代に幹部が贅沢三昧をしてたという話は聞かないです。記念日なんかにちょっと豚をつぶして食べるみたいなことはあったようですけれども、自分達がいい思いをするために虐殺政権を作って革命をやったようには思えないです。
 どちらかっていうとロン・ノルの政権時代とかヘン・サムリン政権、今のフン・センの政権は汚いです。ヘン・サムリン政権も80年代は比較的まだましですけれども、90年代になったら公共の土地をどんどん私物化して、それを転売してものすごい財産を築いていきます。あるいは国家予算の半分以上を占める軍事費なんかを流用する。そいうう非常に腐敗している政権に較べたらクメール・ルージュっていうのは比較的清潔な政権だったんですね。カンボジア人に民族主義者は誰だって聞いたらポル・ポトだっていいますね。今のフン・センの政権ていうのはベトナムのお先棒を担いで入ってきたから、侵略者を招きいれたと考えられています。
 カンボジア人はベトナム人が大嫌いです。それはフランスがカンボジアを支配したときに官吏、税金の取立てやなんかベトナム人にやらせたからです。カンボジア人ていうのはポォーっとしててフランス語の習得とか官吏登用試験になかなか受からなくて、ベトナム人は賢くて、フランス語もマスターして重用される。カンボジア国内の中間管理職としてベトナム人が入ってくるんですね。それでまた民族間の反発を呼び、それでフランスは安泰だったわけです。欧米の植民地化において民族間対立を煽るってのはかなり意図的にやりますけれども、カンボジアでもベトナムとカンボジアの対立を煽るようなかたちで支配しました。
 カンボジアの人は元々がベトナムが嫌いなんですよ。いつベトナムが侵略してくるか、領土を盗られるかと今でもベトナムを信用できない。タイも信用できないんですけれども、タイとはインド文化圏で一緒なんですね。ベトナムっていう国は漢字で越南ですね。これは中国文化圏で、インド文化と中国文化の対立があり、そういう意味で民族対立というところでは非常に厳しくなるんです。
 その当時カンボジアへの武器・弾薬は世界各地から入っていまして、ロケット砲はクメール・ルージュが武器供与を受けていた中国製は安いので当時で300円くらいですね。でも単に中国だけが軍事援助をしたわけではなく、世界各地からうんざりするほどの武器が流れ込んできてます。今はコントロールされてますが、ブラックマーケットで僕達でも買えます。今でも軍人が横流しするので買えますね。

●国連統治の問題
 これは地雷で、こちら側とこちら側は地雷原なんですね。その間の道はこの家族が自分達で地雷を撤去した。軍人でも給料は下っ端だからちょっとしかないし、いいことがないんで、自分達は地雷を埋設してきてどこにあるか、扱い方を知っているということで、棒を突き刺してやるんですよ。それがポコポコ事故に遭うんですね。それで92年段階であまりにそういう事故が多いんで、僕らバッタンバンにいるNGOが国連の地雷除去部隊に、農民や退役軍人たちが勝手に地雷撤去をして自分達の土地にしようとしているので(彼らが三年間耕したら自分の土地になるんですね)、彼らに対してちょっとでも事故を減らすために地雷撤去のトレーニングしてくれよと連名で申し入れたんですけれど、国連はNOを言いましたね。なぜかというと「地雷撤去は我々でやる。トレーニングを受けた農民が事故に遭ったら我々の責任になる」というものでした。もうすでに事故が起こってるにもかかわらず、本当にこいつら役人やな、自分の保身しか考えてへんのかって思います。人の命を助けに来たんと違うかと我々非常に憤りましたけれども。カンボジアで見てまして、本当に国連のオペレーションは愚かというか、無駄ばかりです。ええことやってますけどUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の中も足の引っ張り合いです。緒方貞子さんは別ですけど、まあひどい組織ですから。大切な活動も人権委員会なんかやってますけど、たとえば第一回の総選挙のときに人権委員会の人が来て農民に言うんですね。「ポスターを強制的に貼れ」とか、「この候補に投票しないと痛い目にあうぞ」とか脅しがあったら私のところに来なさいと、それは許さないからというんです。我々が人権侵害を報告したことがばれちゃったら、その人の命をあなた方は守れるんですかって人権委員会、あるいは国連の方々に聞いたら、絶句してましたね。強要されたり脅されたことをUNTACに言ってしまったことがばれたらその人の家は焼かれてしまうんですよ。そういう脅しの中で不正が行なわれてて、それに対して教科書でそういう脅しは人権侵害だから来なさいといったって守ってくれるわけではない。ですから僕は国連の人権委員会って非常に優れた団体で、そのためにいろんな人権が守られて国連の中でも優れていると評価していますけれども、実際に命が脅かされている局面における彼らは、やっぱ役人かな、どっか机の上で人権考えてるんじゃないかなって見えました。我々NGOもちょっとうんざりというか、ええことは言ってるけれども本当にこの人たちの脅かされている状況を変えようとしてんのかって思いました。
 一つ一つの部局が抱えてる資金が大きくてそれをフィードバックするのが弱いです。ある種のプロジェクトを導入した時にどんな結果が出て、どう改良していったらいいのかってのはユニセフですら弱いですね。あの強大な組織のシステムにメスを入れなければいけないと思います。日本のマスコミはなにをやっとんのだ切り込んでいくのがジャーナリズムであるわけで、みんなが言ってることを異口同音に言って、上滑りな議論をすることがジャーナリズムじゃないと思うんで、いろんなことに対して向こうから見てると腹立たしいですね。
 カンボジア国内では鉄砲の弾一つ作れないんですね。そんな正確なもの作ってない、彼らが作ったら暴発するんですよ。野鍛冶が鍬や農具を作りますけど、ライフルなんてとんでもない。それでもあれだけ膨大なライフル、弾、対人地雷、ロケット砲、ジェット戦闘機まで持ってるんですよ。それが全部軍事援助でしょう。それで内戦ですから、自国民同士が殺しあうんですね。その背後に軍事大国があって、死の商人がおって、そこでのヘゲモニー争い、米・ソ・中の対立ですよね。うんざりするような戦争です。
 ですから僕がいたCRSのプロジェクト地でボバルっていう村で保険のプロジェクトやりたかったけど結局できなかったんですが、村人が2時くらいから砲弾飛んでくるからそろそろ君達行ったほうがいいよっていうんですよ。砲弾が飛んでくる位置と時間が大体わかってるんですね。戦争してる振りをしてるんですよ。ずっとそうじゃなくて総攻撃をかけるときもあります。でも普段は鉄砲10発くらい撃っとこうかあとか、結局補給がずっと続くんですよ。戦争が終わるときっていうのは補給が終わるときですね。代理戦争はいくら前線が弱くなってもいつまでも補給が続くんですよ。ですから戦争をやらざるを得ない。そしたら命が大事やから、ヤラセの戦争をやるんですね。村がこういう形で焼かれていった、そのときにしてもクメール・ルージュ100名程度がえっちらおっちら牛車に乗ってきて牛車に乗って帰っていくんですよ。政府・プノンペン軍てのは何もしないんですよ。陣地を構えてて自分達が襲われなければ村が襲われても全然何もしない。僕が数えただけで40以上の村が焼かれてるんですよ。バンテミンテって所で200ヘクタールの収穫が焼かれてるんですね。僕が推測するに犠牲が多いほどええ、犠牲が多いほど援助を引き出せる。ですから何もしないですね。何もしないで散々焼かれるにまかせて、クメール・ルージュは残虐だ、恐ろしい敵だそしてあいつをやっつけるために軍事援助が必要だって形で各国から軍事援助を引き出しその後はたたきます。結局いい面の皮はカンボジアの村人で、どんどんやられて政策の道具ですよね。本当に腹立たしいわけですけれど、戦争をやったときに得をする人たちがいる。戦争がないと軍需産業は在庫が溜まって困るから、在庫一掃セールをしたい。湾岸戦争みたいなのがあるとすごい軍需産業は助かる。死の商人にしてもどっかで戦争をやってもらわないと武器売れないわけですから、彼らもどっかで戦争が起きるのを待ってると。待ってるだけじゃなくて彼らは仕掛けるわけですね。陰謀で、扇動政治家をくすぐりながら、武器なんかも売り込みながら戦争に駆り立ててく。死の商人、軍需産業、CIAのようなたちの悪い団体、軍事援助をする国が民族紛争をより凶暴にし、複雑にしている。民族紛争を解決するのは僕はすごい難しいと思います。人と人の憎悪を消すというか和解させるのは難しいと思います。でも軍需産業、死の商人、軍事援助がなくなれば戦争による武力衝突っていう事態は回避されると思います。ですからあのやつらが甘い汁を吸っている民族紛争、国境紛争っていうのは仕組まれてるなと思います。

●腐敗した政権と国際社会
 その後、97年段階でクメール・ルージュがほぼ壊滅。今度は第1回の総選挙で第1党になったラナリットというシアヌークの息子のフンシンペック党の軍と人民党の軍とが対立して、97年の3月にいったんは50キロにわたって戦端が開かれます。その場所はバッタンバンの辺りです。この辺りってちょうど僕らのプロジェクト地なんですよ。北の方のバンテミンチェイから南下してきて、トンレサップ川に陣地を構える。そしてバッタンバンに第8部隊かな。プノンペン政府軍がこっちをタンクで移動してきて戦車を構えて、僕らのほうはフンシンペックの陣地に入っちゃって、軍人は鶏盗ったり豚盗ったりするわけですけれど、道路を隔てて向こう側は人民党の陣地になると。いったんは撃ちあいも始まるんですけど、うっかり僕もそこに入りそうになって、たまたまうちでやってた仕事が長引いたおかげで国道沿いの戦闘に入らずに済んだんですね。それは大きな戦闘にならずに1日で済んで、そこの指揮官は更迭される。更迭っていう名の栄転ですよね、おまえらよくやったって言う形の処分がくだされ、その年の6月にクーデターが起きます。プノンペンの空港周辺で起こるんですけれども、それによってフンシンペック党の軍は完全に壊滅します。そして人民党の軍にカンボジア政府軍は統合されます。本当はこれを武力闘争による形でなくUNTACがやるべきだったんですね。国際社会はフン・センによる暴力的なクーデターを非難しますけれども、統合化されない軍を残したのはUNTACなんですね。クメール・ルージュがいるうちは、人民党とフンシンペック党はそれぞれ共通の敵と戦ってれば良かったんですけど、いなくなったからお互い目障りになる。フンシンペック党はすごいいじめられたんですね。フンシンペック党の軍にクメール・ルージュの投降兵を入れてったんですね。
 この時のクーデターも、まあひどいんですね。空港までの道にトヨタのディーラーがあるんですが、すべてそういう物件は差し押さえですよ。ここから入っちゃいけない。人民党の軍人が指示して車どんどん出していく。接収です。飛行場のエアコンから何から全部盗まれたんです。政府軍がああいう形で盗んでいく、誰がやってるのかわかってるんですよ。トヨタも非常に怒って損害賠償を要求して、そしてフン・センは何を言ってんだ、こんなに儲けてるじゃないか、一つのディーラーの車くらい無くなったからって騒ぐなというのです。その時フン・センは経済のセンスが悪かったですから、非常に甘く見てたんです。日本大使館、外交ルートなんかでも批判して、若干の補償は出たと思うんですけど。本当に腐った軍です。
 シーマックって地雷撤去のチームですけれども、これは軍人の集まりなんです。軍人ていうのはその地域の利権を私物化する、暴力団みたいなもんですね。そこに対して国際社会が強烈に支援するわけですね。地雷撤去してくださいと。案の定スキャンダルになる。資金が横流しされ、会計が不明瞭になる。そんなの当たり前なんですよ。素人が考えてみても今まで戦争や略奪してきた軍人さんがやってるわけで、ここに濡れ手に粟みたいな、日本から大量の資金が入りましたし、ダイアナ妃のお金なんかもかなり入りましたけど、もうちょっとまともなやり方があるんじゃないかと思います。会計がちゃんと執行されるように徐々に資金を増やすとか、とにかく外交のカードとしての援助というか派手なカード出したほうが国際社会に対して見栄えがする。シーマックみたいなシステムに対してちゃんとメスを入れるってことが何でできないのか。欧米の団体はアドバイザー入れようとしたりやろうとしましたけど、でも額がでかすぎますよね。結局はスキャンダルですね。ああいう巨額の資金が動く国際援助は往々にしておろかな結果を生みますね。今はシーマックは完全に評価が失墜したんで援助額はものすごい減ってますね。あのときにボーンてやるんじゃなくて、それを20年30年かけて小出しに出してればもっと腐敗も少なかったし効率的にできましたよね。
(つづく)

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