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2002年8月10日発行173号ピースネットニュースより

心の中の“テロリスト”―『非暴力』『気づき』『慈悲』

中東市民文化交流友の会 大島 みどり

 6月4日から14日まで、わたしは中東市民文化交流友の会の一員として、イスラエル・パレスチナを訪問した。前号のピースネットニュースで、「イスラエルに入国拒否されて」というレポートを先発隊として入国予定だった大畑氏が書いたが、われわれ訪問団本隊総勢40名弱は、その大畑氏の入国拒否から3日後何とか目的地に足を踏み入れることができた。もちろん入国までの過程は厳しく、一度『入国拒否』され、それが『キャンセル』そして一転『入国許可』という、おそらく前代未聞の事態が起こった(パスポートにはその3つのスタンプが押されている)わけであるが、それは在日イスラエル大使の親書をもってしても“当局”には通じない、“戦時下”の状況がそこにあったということに他ならない。言い換えれば、いま日本のトップがさかんに押し通そうとしている『有事法制』が施行されれば、いついかなる場合に日本が“有事態勢”になり(され)、外国からの人々が“理由もなく”『入国拒否』されることになるか、その可能性をわれわれは実体験したことになる。到着早々説明もないまま待たされ、呼ばれるや否や訳も分からず出国の荷物検査が始まり、中断、再度の待機、そして日付も変わってからやっとのことで空港の外で待ち受けるバスに乗り込むまでの3時間、われわれ日本人の日常からは想像もつかない事態が、このイスラエル・パレスチナで起こっていることを、わたしは初めて確かな実感として感じることができた。
 昨年4月末から「非暴力平和隊・日本グループ」の活動(現在は定例会が中心)に参加していたわたしは、仕事として国際協力の分野で数年間関わる一方、「紛争解決・平和」問題については、主に沖縄の問題を通して関心を持っていたが、政治的・社会(経済)的側面としての世界情勢には疎かった。ただ“ひとりの小さな人間”として、「なぜ戦争・紛争(基地も)がなくならないのか」「どうしたらひとりでも多くの人が、安全で心安らかに、そして少なくとも衣食住のある程度の満足を得るほどに暮らしていけるのか」ということを、自分が生きていく中で考え、答えを出すための努力と行動をしていきたいと思っていた。今回のツアー参加は、つまりわたしのそうした思いや、昨年からやっと少しずつ具体化してきた行動の中の、ひとつの当然かつ必然的な通過点だった。それらの“具体化してきた行動”は、ひとつひとつが独自の背景や理論、アプローチを持っているものだったが、共通して言えることは、「自分を知り(気づき)、自分以外のものを思い(慈悲)、すべてのものが共生できる世界を作り出す」ために『非暴力』を手段としていることだった。
 もちろん『非暴力』ということばの意味には、単に「身体的な暴力をふるわない」という次元から、もっと広く「ことば、経済、差別・偏見などによる暴力を行使しない」というレベルまで含まれる。たとえ相手が身体的暴力を振るわなくても、あらゆる意味でわれわれは日常的に暴力行為を受け、また同時に気づかぬまま自分が同じように誰かを(ことばや、態度という)暴力で傷つけている。昨年の同時多発テロ事件の後、アフガニスタンを“テロリスト”と呼ぶ巨大国家に対し、一方ではその巨大国家こそが“テロリスト”だと反論するむきがあった。が、では振り返って自分ははたして暴力行為をしてはいないかと考える人は少ない。降りる人の前に電車に乗り込む、他人の話しを遮ってしゃべる、そうした行為は「暴力」ではないと言えるか。問題の真実(どうしてテロ行為が起きるか)を知らずにいることは「暴力」ではないと言えるか。アフガニスタンやイスラエル・パレスチナは、自分の日常には決して関係のない世界で、知らずとも支障はなかったかもしれないが、それでは日本のホームレスの人々の問題はどうか。沖縄のヘリポート移設問題はどうか。いじめやダム建設や温暖化は…?「関係ない」と済ませることが、誰か(や地球)を傷つける「暴力」行為とはなっていないか。そしてその自分の無意識の「暴力」行為が、誰かを現実のあるいは(巨大国家がレッテルを貼るような)公認の“テロリスト”に仕立て上げてはいないか。なぜなら、紛争地で“テロリスト”と呼ばれ、基地問題やその他の問題で“当局”と衝突する人々こそが、実は“テロリスト”などではなく、その問題の最たる“被害者”で、その問題を“部外者然”として“被害者”に押し付けた人々こそが、隠れた“テロリスト”なのだ。ベツレヘムにあるドゥヘイシャ難民キャンプでホームステイしたときに、ある若者が言った。「ぼくらは世界など当てにしない。今までどれほどの報道が世界に送られたか。それにも拘わらず、彼らがぼくらに何をしてくれたというのか。彼らがぼくらを“テロリスト”と呼ぶのであれば、ぼくらはそれを誇りに思う。」わたしは返すことばに詰まった。やっとの思いで「われわれはあなたたちを忘れてはいない。帰国したら、見たこと、聴いたことを、ひとりでも多くの人たちに話す。どうか命を無駄にしないでほしい。自尊心を失わないで欲しい…」と言いながら、このことばがはたして彼にとってどれほどの意味があるのか、わたしには全く自信がなかった。難民キャンプへ外国からの訪問者があるたびに、彼は同じような会話を、“紛争地”に住んだこともなく、これから住むこともないであろう“部外者”と繰り返しているに違いない。いつまでそれを続けなくてはいけないのか…。それにしても彼のことばには、「人間は誰しも“テロリスト”になる可能性を持つ」ということを実感した者だけが語る不敵とさえいえる力強さがあった。「自分たちは“テロリスト”である」という誰もが認めたくない事実に気づき、それを受け入れている青年。もしかしたらそれは「気づき」というより、あきらめと自暴自棄に近いことばかもしれない。が、人間はそこまで追い詰められて初めて、“テロリスト”としての自分を感じ、またそこから初めて“テロリスト”となる他人の痛みが分かるようになるのかもしれない。「気づき」に到るまでの厳しい現実があるからこそ、「慈悲」の心が生まれるということなのか…。そう考えると、その“厳しい現実”を(たとえ目の前にあっても)見ることなく毎日を過ごす日本人はいったいどうなのだろう。もちろん家族や親戚から自爆者が出ることもなく、ある日突然自分の家や町が破壊されることもない生活は、何にもまして幸運なことである。が、気づかぬうちに自分が「暴力」的行為をしていたり、誰かを現実の“テロリスト”に仕立て上げたりしていたら…?どこからどこまでが自分の幸せであり、どこからが他人の幸せなのか、線を引くことなど不可能なのだ。真の『グローバリゼーション』とは、貨幣やモノ、人の流れが速く、すみずみまで広がり、それによってほんの一握りの人間が経済的に豊かになることではない。人種・民族、宗教、経済状況、その他すべての違いを超えて、みんなが、あるいは地球全体が幸せを分かち合うことができる状態や環境を作り出すこと。そこには国境線も、自分と他人の幸せの境界線も、何もない。
 最後にわたしがいちばん辛かった話をひとつ。ガザ地区で、昔から住んでいた土地を奪われ、いま住む家も何度も攻撃にあっているという農家を訪ねた。その家の主が言った。「…日本人は、今までたくさんのモノを発明してきた。あなたたちは何でも作ることができる。だから、こんどはわたしたちのために『問題解決』の方法を発明して欲しい…」皮肉でも何でもなく、彼の本心だった。だからこそ、このことばはわたしの胸にグサリとささった。そう、われわれ日本人はこれまで本当にたくさんのモノを作ってきた。もちろんその中には、われわれに害を及ぼすものもある。あるいは、役に立つ発明と、害をなす発明が同じ数だけあるかもしれない。そうであれば、日本人はこれから何を発明すべきか。パレスチナの平和のために、「有事法制」が役に立つのか、沖縄のヘリポート移設・新たな建設が役に立つのか。われわれ日本人が“テロリスト”ではなく真の平和建設者としてすべきことは目の前にたくさんある。
(報告会資料および9月初旬完成予定の報告集をご希望の方は、ご連絡ください。)

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