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2002年7月10日発行172号ピースネットニュースより

イスラエルに入国拒否されて

中東市民文化交流友の会 大 畑 豊

 本来ならば「パレスチナ・イスラエル訪問報告」になる予定であったが、標題のとおり私は入国拒否されました。他の30数人のメンバーも一度は入国拒否されたが、奇跡的に拒否がキャンセルされて無事? 入国し10日間にわたるツアーをすることができたので、その報告は次回他のメンバーがする。今回はその前段としてのこのツアーの説明と入国拒否の簡単な報告をしたい。
 そもそもこのツアーを主催したこの会は、6月にパレスチナで行われる予定であった非暴力大行動に参加すべく、一般市民に呼びかけてできた即興の団体である。呼びかけられたのは4月半ば。呼びかけに応じて集まってきたのは学生や退職者、カラテの指導者、音楽家、パレスチナの活動に関わってきた者、スナック経営者やコンビニ・オーナー、教師、弁護士、自給的生活者等バラエティーに富み、出身地も北海道から沖縄まで広がり、パレスチナに関する知識もさまざまであった。これらの人々が日をおうごとにぼちぼち集まってきた。
 私は比較的初期に呼びかけに応じ、事務局の一員となった。その時点で決まっていたのは6月4日〜14日に訪問するということと、現地非暴力行動に参加すること、ウズベキスタン航空で行くということ、そして50人募集するということだけだった。最初の事務局打ち合わせ会でそのことを説明され、予想される課題や疑問点、やるべきことなどを話しあった。
 5月1日に第一回準備会がもたれ、以後毎週会合を持つが、一ヵ月間ではできる事は限られている。
学習会では、パレスチナの国際連帯運動(ISM)に参加して怪我をされた清末愛砂さんに忙しい中計3回もきてもらったり、現地に単独入国してきた森沢典子さんやピースボートのスタッフにもご協力願った。現地情報に詳しくなっていくに連れ、やはり現地下見は欠かせないという合意ができ、私と会のメンバーではないが、現地に住んでいた事のある森和信さん(日本パレスチナ医療協会)が5月20日〜25日の日程で行く事になった。現地で動けるのは3日間だけだったが、現地の人の多大な協力のおかげでそれなりの準備はできた。入国・出国では厳しい尋問に2時間ほど要したが、無事通過できた。
 悪夢は2回目の訪問、つまり本番で起きた。先遣隊として皆より3日ほど早くイスラエルのベングリオン空港に着いた私は、前回同様目的、泊まるホテル、日数などを聞かれた。しかし、質問はそこまで。尋問らしい尋問も受けずに、別室に連れて行かれ、帰りのチケットを取られ、荷物検査。特に言葉もかけられないので何が進行しているのかもわからない。こちらから「入国できないのか」とも聞けない。荷物検査が終ったリュックに成田行きの荷札が付けられているのを見て、ダメ確定になり、なぜ入国できないのか聞いても理由は言わない。問答無用に、帰りの飛行機に乗せられた。
 2泊3日、機内で、機内食を食べて過ごしただけの、私にとってもっとも短い海外旅行になってしまった。残念無念。しばらくは入国拒否のハンコを押されたパスポートを見て過ごしていた。

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