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2002年5月10日発行170号ピースネットニュースより
生活の中から「平和」を求め続けた
阿波根昌鴻さんの死を悼んで
「非暴力平和隊」日本サポートグループ 大 畑 豊
その日、私はたまたま用事があって那覇におり、昼の便で東京に帰る予定だった。朝、帰り支度をしていると阿波根昌鴻さんの入院先から電話があり、急きょ駆けつけたが、すでに亡くなられたあとだった。阿波根さんの体にふれるとまだ温かさが残っており、見た目には前の晩にお見舞いしたときとかわったようすはない。違っているといえば酸素マスクが阿波根さんの口からはずされていたことぐらいだった。一人の偉人の死を前に言葉もなく立ち尽くすしかなかった。
「平和運動家」「反戦地主」と阿波根さんの称号はいくつかあるだろうが、やはり現代の「偉人」であり「聖人」であったと思う。
私が阿波根さんの主宰した「わびあいの里」の仕事を手伝うようになって5,6年になる。その頃には阿波根さんはすでに車椅子の生活で、お客さんが来た時だけベッドから起きて出てきて、10分とか15分だけ話しをする感じであった。だから私の知る阿波根さんはその協働者である謝花悦子さんやその周りの人々から聞いたものになる。里での仕事の合い間合い間に「阿波根はねー」と謝花さんが問わず語りに話す阿波根さんの日常生活での言葉、行動には阿波根さんの著書には現れてない阿波根さんの「すごさ」があらわれている。
ある時、私が重たい箱をギィギィいわせて移動させていると謝花さんが「たんすをギィギィ動かしていたら阿波根が、あなたにたんすが痛がっている声が聞こえないか、と言われてね」と言われ恐縮するしかなかった。阿波根さんは著書のなかで「わしらの闘いを非暴力直接行動というようないい方をしてくれる人がおる。わしらはそういうものかとも思ったが、だが、わしらの闘いの基本は、何よりも相手のことを考える闘いということだったのであります」と言ってるが、この相手というのは敵対者や人間のみならず、動物や植物、そしてこうした無生物にまで及んでいる。
阿波根さんは運動と生活を結びつけて行動したという点でも先駆的であったと思う。「世の中に善人がどんなにふえても資本家が権力を握っているあいだは戦争はなくならない。口先だけでいくら叫んだところで強い権力の座にある戦争屋に勝つことはむつかしい。戦争反対は生活の中から始めなければならない。戦争屋の喜ぶことはしない」と言うが、ある時、阿波根さんは「ちり1つ捨てない人だった」という話しになったとき、こんな話しを聞いた。「歯磨き粉のチューブを切り開いたものがとってあったんですが、これは、普通、絞りきったら捨ててしまいますが、阿波根はそれを切り開いて中に残っている歯磨き粉をハブラシでこすって、あと5回使える」。あと5回使えるものを捨てて新しいものを買う事は資本家を喜ばすことになる、と言ってたそうです。私が最初に阿波根さんに会ったとき、15年ぐらい前でしたが、その時に阿波根さんが着ていたシャツもゴミ箱から拾ってきたものだった。変な話、阿波根さんは「大地主」でもある。農民学校を建てるためにコツコツと買いためてきた土地がある。それが軍隊に取られ、結果として軍用地料も入ってくる。楽をしようと思えばできるにもかかわらず、自らをここまで律し質素に保つことはなかなかできないことである。「平和を望む運動家は、生活の場でも平和でなければ本当の平和は実現しない。何か特別なことをするのが平和運動ではない。悪いことだけはしない、生活の場から平和をつくりだしていく」。この「悪いことだけはしない」という一つだけとっても私なんぞは日々反省である。
大量虐殺の20世紀を人類は経験し、21世紀こそは平和と非暴力の世紀に、と願っていたが、その願いむなしく、9・11の事件やアフガン攻撃、イスラエル・パレスチナでの紛争が深刻化している。こうした状況の中で私たちが阿波根さんの実践から学ぶべき点は多い。第二次大戦中は太平洋上でもっとも血なまぐさい戦場となり、米軍そして「友軍」と呼んだ日本軍からも虐殺され、集団死を強要され、戦後は、占領軍によって家を焼き払われ、土地を奪われ、収穫を待つ農作物までも無残に焼かれる。生きのびるために弾拾いをしているところを撃ちまくられ重軽傷者や犠牲者、投獄される者がでる。「思い出すだけで気絶するほどの苦しみ」を体験し、いわゆる「テロリスト」が出てもおかしくない状態であったが、その代わりにテロとは対極の徹底した非暴力主義者が生まれたのである。
今のパレスチナの状況に対し、阿波根さんはなんと言うだろうか。アメリカからネイティブ・アメリカンの女性が来たときに阿波根さんはこう言っている。「アメリカはもとはあなた方の国であった。だが、先にいたからといって全部自分のものと思ってはいかない、地球というのは地球におる人全部のものである。ケンカはやらん方がいい。向こうは武器も持っておるからね。大きな気持ちで白人とつきあっていったらいい」
「わしらは30年以上も米軍と闘っておるが、アメリカやソ連(当時)の損になることもやらない、ウソもいわない、短気もしない、道理をもって納得させる」
そんなことができるのか、それで平気か、と思ってしまうが、実際に阿波根昌鴻という実例がある。阿波根さんは反戦地主がどんどん減っていくなか、こう言っている。
「ただ一人でも最後まで耐えるなら、勝利は絶対確実である」
この言葉は、ガンジーが非暴力運動について言ったのと全く同じ言葉である。
(参考文献:『米軍と農民』『命こそ宝』共に阿波根昌鴻・著、岩波新書)
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