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2002年3月10日発行168号ピースネットニュースより
国際非暴力平和隊を創ろう!
個人的な体験と準備に向けた動き
「市民がつくる平和─非暴力平和隊プロジェクトの展望─」
2002年1月27日文京区民センターに於いて
国際非暴力隊事務局、ピースワーカーズ代表、サンフランシスコ在住
デイヴィッド・ハートソー David Hartsough
私は世界中をまわって、同僚というべき平和活動家にお会いすることが多いのですが、一人一人でいると孤立して無力さに打ちひしがれることがありますが、世界の平和活動家が横につながることによって力を獲得していけると思います。
私の生い立ち
私の育った環境について申しあげますと、多様な世界中の人々の中で育ったと感じています。世界中のいろいろな人種の人たちと同胞だと思っています。
私の父は牧師でした。私の父は第二次世界大戦において良心的兵役拒否をしました。良心的兵役拒否の立場は決して人気のあるものではありません。ある教会で良心的兵役拒否の立場をとる牧師はそう長くいられない。そこを追い出されるとまた次の教会に移る。私の最初の5、6年間は父の教会の移るのに応じていろいろな所で生活しました。
私は父や母がまさに口で説教するだけではなく、信念を実行する姿をみて育ってきました。
私が高校生の時に、世界中のいろいろな所から人を招待するプログラムがありました。その時に私は広島から来た若い日本人女性の話を聞く機会がありました。彼女は「原爆の子どもたち」という映画を上映し、その後で広島の被爆者のすさまじい経験を話した後、「世界の人たちが二度と広島の被爆者と同じような苦しみを味合わないよう全力を尽くしたい。」と話しました。原爆を落とした人たちを憎むのではなく、また報復を叫ぶのでもなく、この苦しみを他の人に味合わせないために全力を尽くすという彼女の考えに非常な衝撃と感銘を受けました。
1955〜6年にかけてアラバマ州モンゴメリーにおいてマーティン・ルーサー・キング牧師の指導のもとに黒人の人種差別に抵抗する人権運動が始まりました。私は兄弟と一緒に父に連れていかれキング牧師に会いました。
彼らは白人の人種差別主義者に徹底的に暴力的な攻撃を受けるわけです。黒人の側はあくまでも非暴力で人種隔離に抗議する。その黒人に対して人種差別主義者は暴力的な攻撃をしかける。暴力的な攻撃に対して黒人の側・人権運動の側はあくまでも非暴力の抵抗や市民的不服従の方法で社会を変革をしようとした。暴力に対して暴力ではなく非暴力の方法で紛争を解決するという努力みて非常な感銘を受けたわけです。
私はこの経験から、これから先非暴力により紛争解決・社会変革に自分自身携わろうと決意しました。
私は50年代末から60年代初めにかけて大学生活をおくりました。私が最初に入学したのはペンシルバニアの大学で、圧倒的に白人の多い大学でした。そのころ教育の場における人種隔離を克服しようとして白人と黒人を一緒に教育をしようとする試みがありました。私も1年生の時に、一緒に勉強するべきだと思いましたから黒人の学生を呼ぼうと努力して一人二人の黒人の学生を入学させることができました。そのころワシントンDCにハワード大学という圧倒的に黒人の多い大学があり、ここが人種隔離を克服するために白人の学生を求めていました。私は自分自身が信じていることを実践すべきだと思い、圧倒的に黒人の多い大学であるハワード大学に移りました。
この大学では1960年2月に大規模なすわり込みがありました。このころアメリカでは人種隔離されていますからレストランなどは白人用と黒人用に別れていました。黒人が白人のレストランに行くと追い出されます。そのような人種差別政策に対して、私たちは黒人を入れないレストランに行くわけですね。黒人を入れないレストランに行くと逮捕されます。黒人の学生たちは逮捕されても繰り返しこのような方法で人種隔離政策を批判し、私も黒人の友人と一緒にレストランに行って逮捕されるということを繰り返していました。ワシントンDCというのはメリーランド州とバージニア州の中間にあります。そのころバージニア州ではレストラン側の意に添わない客に対しては6ヵ月の懲役や罰金1000ドルという刑罰がありましたから、バージニア州には行かないでメリーランドのレストランに行って週末を牢屋で過ごして出てくるということ経験していました。
6月には人種隔離政策を批判するすわり込みがアメリカ南部全体に広がっていきました。ついに、私はバージニアで、もちろん6ヵ月牢屋にいるのはいやだし、1000ドル罰金を払うのもいやですけれど、だまっているわけにはいかないので、バージニア州のアーリントンにあるドラッグストアーに行きました。行く前に暴力に対してどのように非暴力で対応するかという徹底的な非暴力トレーニングを受けました。
私は2日間ドラッグストアーのカウンターに座って食事をくれという。彼らは何もないという。私たちは食事が出るまでずーっと待ち、その間店の側は様々な嫌がらせをする。侮辱するとか、蹴るとか、タバコの火をつけるとか、暴力的なことをする。それに対していっさい暴力的な対応をしないで、愛で対応する。私にとってはきわめてつらい2日間でした。
2日目の終わり頃私は瞑想にふけっていました。敵を愛そうと努力していました。するとある男が近づいてきて私に対して、「ニガーラバー」という言葉を発しました。その人の顔をみると憎しみに満ちていたわけです。彼はナイフを向けて「刺すぞ。」と言いました。本当に私の胸の近くまでナイフが迫りました。私は2秒間刺されるかもしれない状況のなかで、彼にこう言いました。「あなたがよいと思うことをしなさい。それでも私はあなたを愛する。」
すると彼は去っていきました。私は刺されそうになりなながらも非暴力で対応した。非暴力の方法が機能する。非暴力で一定の目的を達成することができる。これは大きな試練であり凄く強烈な経験でしたした。
私たちのすわり込みに対して店の外に500人位の群衆が集まりました。この集まった人たちにメッセージを読み上げました。「この町の宗教的指導者に訴える。人種隔離の政策をもし変更しないのであれば、私たちは1週間後にもどってくる。」
その時私の親しい新聞記者が私たちを連れて脱出させてくれました。私たちはワシントンDCの大学で6日間恐れおののいて震えていたんですけれど、1週間後に連絡を受けて人種隔離政策を止めると聞きました。このような事は100年前に宗教指導者がやっていても良かったことだと思いました。私はこの時歴史を傍観するのではなく歴史を作ることができるということを感じました。
非暴力の平和構築の中から印象的なエピソードを
たくさんの平和構築の経験の中から二つお話ししたいと思います。
1989年のフィリピンです。私たちはフィリピンの宗教者協議会から呼ばれてフィリピンのネグロス島にいきました。そのころネグロス島では暴力的な紛争が起きていて、かなり広い範囲の住民は自分の家から避難せざるをえませんでした。教会にかくまわれていたわけです。
自分の家をのがれて500人位の人が教会のホールにいました。ある時武装した集団に、「2日以内にここを去らないなら殺す。」と脅されました。それに対しカトリックの神父さんは涙を浮かべてどうしたらいいんだろうと言うわけです。それで私は中米などで実践されていたPBIなどの護衛的同行の手法について話しました。神父さんの目が光り、これだと言いました。
国際的な宗教者に対してこの500人の人々を守るためにフィリピンに来ることを要請する手紙を書きました。
私は神父の国際的なプレゼンスを求める要請の手紙をFAXでフィィリピン中の国際的な団体に送りました。すると短時間で25人の人たちが私たちのいた教会に駆けつけてくれました。そこで私たちは記者会見をしました。武装集団に対して、「ここにいる500人の人たちは孤立していない。私たちは彼らとともにいる。もしかれらに危害を加えるなら世界中の人が見ている。」と言いました。すると武装集団は私たちを襲うことはありませんでした。これが非暴力平和隊の発想です。つまり世界が見ているということが大切です。
次はコソボの事例です。コソボでは90年代の初めのころから非暴力の運動が展開していました。私は1996年に初めてコソボに行きましたが、96年のコソボはユーゴスラビアの抑圧的な政策で爆発する寸前の状態でした。コソボの非暴力の活動家から、もっと多くの非暴力の活動家がいないかと言われました。第三者の存在が必要だと言われました。それで国際社会の目をコソボに向けさせたいと思いました。それは例えば1980年代に南アフリカのアパルトヘイトに対して国際社会が対応した様に。私はコソボの事態を知った後ヨーロッパや北アメリカを旅をしてコソボのことを訴えました。コソボに国際的な平和活動家が入って行くことにより暴力が防げると訴えました。例えば200人の勇気のある訓練された非暴力の平和活動家がいたとしたら事態は変わっていただろうと思います。
事態は予想通り暴力がエスカレーションし空爆に至りました。暴力の応酬により事態は解決したかと言えば、まったくそうではなく憎しみを増しただけであります。この人種間の憎しみは1世代に渡って続くと思います。
非暴力平和隊の具体的なプロジェクトについて
1999年5月にハーグで行われたハーグ平和アピールというNGOの会議には9,000人以上の人々が集まりました。「戦争をなくす時だ」というのがスローガンで、戦争をなくすためにはどうしたらよいかという議論をしました。もちろんハーグ平和アピールというのが行われている時期というのは戦争の最中でした。NATOのユーゴ空爆が行われている最中です。何もしないで傍観するのか、それとも空爆するのかという議論のたて方が行われました。非暴力の平和構築に携わってきた私たちはそうではなくて第3の道があることを訴えたかったわけです。
ハーグでは何回かのセッションがありなかなか全体像がつかみにくいのですが、私たちのセッションでは70年前にガンジーが提案したシャンティセナ、平和隊の発想、つまり紛争地の要請にもとづいて派遣するボランティアの平和グループを今こそ実現する時期ではないかという合意にいたったわけです。それ以来2年半たちますが、私は世界の各地をこのように旅してアジア、アフリカ、中東、ヨーロッパ、合衆国などで、このような会合で支持者を得る努力をしてきました。
ハーグの会議の最後に100人から1,000人の規模の非暴力平和隊というのもを組織して世界の各地にある非暴力の運動の求めに応じて派遣し、紛争の暴力化が起こる前に武力紛争を予防しようという提案があり、それを受けて私たちはここ2年半活動をしてきたわけです。
私はいろいろな所を旅してきましたが、アジアについていえば日本の他、非暴力革命の経験があるフィリピンとこれから紛争の暴力化の恐れのあるインドネシアや、それからタイでは仏教者の平和運動のネットワークがこれに関心をもってくれました。
カンボジアでは平和行進をやった人たちが関心をもってくれました。韓国の人たちも非暴力平和隊に関心があります。韓国の人が今心配しているのは今のテロに対する武力行使によってせっかく進展した南北和解の動きを逆行させるのではないかということです。それに対して非暴力平和隊は何かできるのではないかと言われました。
インドでは2月の上旬に行って会議に参加しますが、(本誌次号で大畑さんが報告します。)テロと戦争に対して非暴力の方法を探求します。インドはガンジーの国でシャンティセナの伝統を引き継ぐだけでなく国際的な動きもあります。
お隣のスリランカでは、サルボダヤという運動があります。これはガンジー主義にもとづく運動で2,000位のサルボダヤのコミュニティーがあります。これはライフスタイル自体もガンジー主義に基づいて根本的に考え直していく運動ですが、彼らも国際的な非暴力のプレゼンスを求めています。
ラテンアメリカにはセラパ(SERPAJ)というネットワークがあります。これは正義と平和を求めるラテンアメリカ各国の団体のネットワークです。ヨーロッパにはシビルピースサービスが各国において展開しています。私は世界の各地を旅行してこのような動きに働きかけてきました。私たちの非暴力隊プロジェクトには7人のノーベル平和賞受賞者と300以上の団体が賛同しています。
今のプロジェクトの準備について言いますと、暫定国際運営委員会というもがあり、これは世界の各地域から選ばれた委員が議論する場ですが、これがいままで3回開かれました。昨年の7月末に研究プロジェクトの報告書が提出されました。これは私たちのウェブサイトでダウンロードすることができます。364ページという超大な報告書です。また、私たちのウェブサイトは月に8,000人がアクセスしています。
私たちはニュースレターを年に6回電子メールで発行しています、それから年に数回印刷物のかたちで発行しています。
私たちは世界の紛争地域から派遣要請を受けています。スリランカ、フィリピンのミンダナオ、パレスチナ・イスラエル、ビルマ、朝鮮半島、インドネシア、コロンビア、エクアドル、ジンバブエ、ナイジェリアなどです。
それからメンバーのトレーニングプログラムの開発中です。次の暫定国際運営委員会で派遣地域を3つにしぼります。さらに調査研究しどの地域において非暴力平和隊が有効か検討します。今年11月にインドのニューデリーで非暴力平和隊の立ちあげ会議を開催します。それから平和隊のメンバーのリクルートはすでにおこなっていますが、立ちあげ会議の後選択をし訓練を始めたいと思います。2003年の春に活動を始めたいと思っています。
私たちの考えは実現しつつあるところです。一つの問題は資金集めですが、200人のフルタイムのメンバー、400人の予備スタッフ、500人の支持者を維持するのに一年間に800万ドルかかります。これは世界の1時間の軍事費にしかすぎません。しかし資金集めは決して楽でありません。努力しているところです。
私たちの目標は、「非暴力的な平和維持を実現する。紛争が暴力化する可能性をおびている地域において暴力化させない。その地域において人権活動や平和構築をしている人々の生命を守る。」ということです。
かつて戦争の犠牲者は90%が軍人でしたが、今の戦争では90%が一般市民です。私たちはこのような状況で何ができるか考えたいと思います。
世界をまわっていて私はいくつかの確信をえました。まず一つは早期に対応することの重要性。紛争の暴力化の前の段階で活動しなければ効果がない。空爆が始まってしまえば遅いのです。それと世界の各地にある非暴力の運動を支援する事の重要性です。伝統的な平和運動はこの辺が弱かったかもしれません。世界の様々な地域で非暴力の運動をしている人たちがいる。その人たちを支援し横につなぐことが重要です。
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