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2002年1月10日発行166号ピースネットニュースより

2002年はグローバル・ピース・イヤーに
非暴力と共生の道へ踏みだそう!

信州・伊那谷 田村寿満子

 2001年9月11日は「終わりの始まり」とか、「終局の序章」と言われる。確かに何かがひとコマ動いた。外の世界も私の内なる世界も。今まではぼんやりとしか見えなかったことが、鮮明に見えるようになった。アメリカのエゴイスティックな傲慢さ、日本のこざかしいアメリカ追従、テロのためなら一丸となって結束する大国のご都合主義、アメリカがどんなに横車を押しても何も言わない国連の無能ぶりも、今まで分かっていたことではあるが、これを境になりふり構わなくなった国家体制をまざまざと見せつけられて、これで黙っていたら、もう未来はないという危機感を大勢の人々に感じさせてくれたのではないだろうか? アフガニスタンの難民の実状も空爆がきっかけでやっと衆目を集めることが出来るようになった。だからと言って空爆が良かったとは決して言わないが、バーミアンの仏像が壊された時にはニュースになるが国内避難民が100万人餓死してもなかなかニュースにならないとしたら、皮肉なことだ。そんなことも今回考えさせられた。
 写真集が完売したとか、支持率が70%とか言われて、それで強気だったのか、小泉首相は(日本政府は)アメリカの訳のわからない「報復戦争」を全面的に支持協力すると表明した。これは日本政府にとっては歴史的にも大きな一歩になるだろう。そして私たち一般大衆にとっては、それがどんな風に世相に反映してくるかが問題だが、そんなことは先の大戦で日本政府(軍)がどんなにアジアの人々のみならず、国民に対してさえ凶暴で恥知らずな行いをしたことか、歴史が如実に語っている。向こうが態度を表明した以上、ここで黙っていてはおんながすたる、じゃないが、国民に相談もなしにどんどん決められてたまるか、という気持ちが湧いてきて、「私は小泉を支持しない」という気持ちを先方に伝えるにはどうしたら良いかと考えている時にひょっこり頭に浮かんでしまったのが、「国会前座り込み」だった。
 実は私は「国会前に座り込み」ということをそれまで全くしたことがなかった。ただ、昨今の日本政府の戦争に対する準備体制に不安を感じて、去年の8月15日に始めて国会という所へ行ってみた。国会は会期中ではなかったので人通りも少なく、たまに歩いている人たちも夏休みに国会議事堂を見にきた観光客だった。何も知らない強味で、正門前にゴザを敷いて坐ろうとすると、衛視さんがすぐ飛んできて、「座り込むならあっち」と教えてくれたのが、議員会館前の歩道だった。たったひとり韓国の人が「教科書問題粉砕」のプラカードを立てて、座り込みとハンガーストライキをしていた。(ハンストをしていることは衛視さんが教えてくれた)敗戦記念日というのに誰もいなかった。この日は靖国神社の方でデモ隊(たった80人)と右翼(何百人)と機動隊(数百人)の小競り合いがあったらしい。
 戦争が始まってから、テレビの画面に国会前の首相官邸が映った時、「国会前は厳重警戒態勢です」とアナウンサーが言っている向こうで何か叫んでいる声が聞こえて、あのひっそりとした国会周辺とは違った顔だった。信州もこの戦争に対するローカルな動きとして、「テロにも戦争にも反対する市民集会」が作られ、一回目の会合には60人ほどの人が集まり、デモを提起する人、新聞に意見広告を出そうと提起する人など活発に意見が交わされた。これはこの戦争がもたらした良い面だった。私は「ピース トーク&コンサート」をしようと提案し、協力してくれる人も得てたのしい一日を過ごしたのだった。上天気の空の下、音楽と話を交互にはさみ、平和へのそれぞれのメッセージを表現し、後日地方紙に大きく取り上げられた。この日のデモは60人ほどが飯田市内を1時間ほど太鼓をたたいたり、唄をうたったりして、戦争反対の意思表示と「たのしくやりたい」心がミックスして、乳児から大人までゾロゾロ楽しく歩いたのだった。
「戦争では何も解決しない」というアメリカのWRL(WARRESISTERS LEAGUE)のロゴを入れたステッカーやバッジを作り、売上金の大半をペシャワール会へ送金することも始めた。
 11月11日は第一次世界大戦が終わって平和調印した日で、人々がもう戦争はやめようと誓った日だという。(実際にはそれからも切れ目なく世界各地で戦争は続くのだが)それで世界各地でジョン・レノンの「イマジン」を唄って平和を祈る時を持とうという呼びかけがあって、私も山梨県小淵沢町の催しに参加した。そこでは平和を祈るキルトを作っている人たちがいて、木の葉型に切った布にメッセージを書いて大きな布に縫い付けていく作業をしたり、ネイティブ アメリカン(アメリカ インディアン)の祈りの唄やイマジンを唄ったりしたあと、それぞれの思いを語ったりする時を持った。その後ちょっとしたはずみで「国会前に座り込み」の思いが言葉となって出てしまった。すると「それは面白そう」という賛同者が出てきて、トントン拍子に話が進み、日にちは臨時国会の会期中のうち、ゴロも良い12月3日から最終日までとなったのだった。ワントゥースリーgo! ということらしい。「まず自分の声明文を書いて賛同者を増やしましょう」というアイディアに乗り、苦心して声明文を書き始めることが、一番に私がすることだった。別口で長野県内各地から松本までピースウォークを計画しているグループがいて、そのウォークがいよいよ始まるという時(11月22日)、そのピース ウォークを松本から国会議事堂までやりたい人が現れて、アイディアは幾層にもどんどん広がっていった。私は国会座り込みの言い出しっぺとしての責任を果たすべく、一足先に高速バスで東京に向かった。2001年11月も最終週、3度目の国会行きだった。
 友人の紹介で衆議院国会議員の北川れん子さん(社民党)を議員会館に訪ねて座り込みの話をすると全面的に協力してくれることを約束してくれた。そして院内集会を開くように段取りしてくれた。院内集会?聞き慣れない言葉だったが、とにかく私たちの意図が伝わるようなチラシを作り、それを国会議員に渡して出来るだけ超党派の議員に参加してもらうと成功だということで、友人の家が早速チラシづくりの事務所と化した。どこにいてもチラシを苦労して作ることから仕事が始まる自分のお役目にヤレヤレ。会議室を借りるのにあたって、団体名がいるということで、急遽「国会前ピース アクション」という団体が誕生する。
 12月3日には渋谷の宮下公園に飯田・松本からピース ウォークしてきた一行、私のように東京都区内から歩いてきた一行、電車 バスで到着した長野・山梨・東京の面々など30名ほどが集まり、そこから歩いて国会議事堂へと向かった。参議院議員会館前には既にまっすぐ国会に来た人たちがキルトを生け垣に飾って待っていてくれた。さぁ今日から座り込みハンストの開始だというのに、院内集会のチラシを議員さんに配って回る仕事の方が忙しくて、なかなかゆっくり座り込めないが、ハンガーストライキの方は7日正午まで続けることが出来た。精神的には「断食」と言った方がぴったりするが、「食べない」と決めるとヒトの一日は途端にシンプルになる。私の場合はお茶とか梅干しは摂っていたので、お茶を飲むことで身体を暖めることはよくしたが、それ以外はすべてピースアクションに捧げることが出来て、この集中がとてもよかった。
 言い出しっぺの私が国会に来るのがたった4回目だが、このピース アクションのメンバーのほとんどが国会に来るのも始めて、座り込むのも始めて、政治にもほとんど関心がなかったという部類の人間だったので、何事も新鮮で驚きの連続だった。国会内を見学できると知って、「ピース アクション ツァー」という旗を作って、国会見学もした。大理石で冷たく囲まれた国会の建物は、見栄と権威の象徴だった。本会議室にある天皇の傍聴席は昭和11年に作られて以来、一度も使われたことがないそうな。あそこに描かれている建物の上部(細くなっている部分)は吹き抜けになっていて、ステンドグラスで飾られているのだが、その上にも部屋があるとか。出来た当初はダンスホールだったが、そこに登ると皇居から何からすっかり見えてしまうので、今はその部屋は使っていないとか。国会議事堂のてっぺんでダンスをするという発想に首をかしげてしまう。まったく無機質な場という印象。そう言えば、国会周辺の街路樹の銀杏の木もその無機質な環境にすっかり病んでいて、12月だというのに枯れることも出来ない風だった。
 こちらが国会を新鮮に思うと同じで、議員さんたちも私たちのようなタイプはあまり見たことがないらしく、北川れん子さんはじめ、山内恵子さん、川田悦子さんも歩道のピース アクションを訪ねてくれた。キルトを飾っているだけでなく、横一列に座り込みながら大きな布をひざかけのようにかけて、メッセージの布きれをちくちく縫っている私たちに道行く人が立ち止まり、話しかけてくれたり、一緒に坐って縫っていく人もいたり、まるでそこだけ華やいだ空気でとても国会周辺とは思えなかった。お茶を差し入れしてくれる人、訪ねてきてくれたひと、毎日楽しい出会いがあった。声明文が続々と届き、やむにやまれぬ思いを抱いているひとの何と多いことか、胸があつくなった。
 心配していた院内集会も国会議員7名(北川れん子、大島令子、山口わか子、福島瑞穂、中川智子ーここまで社民党、川田悦子ー無所属、緒方靖夫ー共産党、敬称略)と一般参加者40数名というまぁまぁの盛況ぶりだった。印象に残った話のひとつに川田悦子さんが激しい雨の中、48時間の座り込みをしても、マスコミは全く無視したという。そう言えば、このピース アクションのチラシも全新聞社に送ったが、一社も取材にさえ来なかった。報道管制というより無視。国会前で座り込みしても記事にはならないとさんざん友だちに言われていた。記事にならないから何も無いと思わせられている。マスコミが言わないなら私たちが言いふらすしかない。「ふぇみん」と「ピースネット」「女性新聞」の記者が院内集会には参加してくれた。もうひとつ川田さんのお話で、子どもに読書をさせる法律が出来たそうな。一見良い法律に見えるけれど、実は教育基本法に沿って子どもに読ませる本まで規制していく法律になる。この時代の中で同じ線上で作られているので、聞こえの良い法律でも油断してはいけない、という話にはなるほどーと深くため息。北川れん子さんはアメリカのバークレーのバーバラ・リー議員に会った話と国連は9割が人件費で1割が経費だが、NGOは9割が経費で1割が人件費だと教えてくれた。
 院内集会が終わり良かった良かったと喜んでいたら、外交防衛委員会を傍聴していた人たちがしょんぼりして帰ってきた。聞けばPKO法案が決議されPKFが解除されて、いよいよ自衛隊が正々堂々? と戦地で武器使用ができるようになったという。この日も良いことと悪いことが裏表にやってきた。院内集会をしていなければ、PKOが予定通り通過したことで挫折感を味わわされたかもしれない。
 国会での一連のピース アクションは臨時国会終了と共に解散し、ハンストもそこでやめた。アフガンではこの原稿を書いている今も空爆が続いているという。愚かなリーダーを持つこの世界で私たちが負けないためには、事態が悪化すればするほど、黙っていてはいけないということである。アメリカではまもなくシアトルからワシントンDCに向けて4ヶ月のピース ウォークが始まる。困難な時代だからこそ、己の出来るピース アクションを今年もやっていきたいと願っている。新たなピース アクションでまた新たな展開が楽しみだ。声明文を集めることも引き続きやってゆこう。
2002年、更に深く楽しみたいものだ。2002.1.5.記 

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