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2001年12月10日発行165号ピースネットニュースより
天皇制とナショナリズムを煽る動き
そして戦争をめぐる危険な考え
ピースネットニュース 青 山 正
ある高校生からの危険なメール
テロ対策法が成立し、自衛艦も米軍の支援のため、つまり戦争に参加するために出航していきました。その中で報復戦争と自衛隊の戦争参加に反対する行動も各地で精力的に行われてきました。しかし残念ながら日本において報復戦争を容認し、自衛隊の出動をも支持する人が10年前の湾岸戦争のころよりも増えている傾向があると思います。そういう中で「平和憲法を守ろう!」という素朴な感覚だけに依拠した反戦運動だけでは、もはや事態を変えることができないのではないでしょうか。PKO法の成立以来考えてきたことですが、いよいよ日本の市民も憲法9条だけに寄りかかった旧来の平和運動から脱皮が求められているのではないでしょうか。それはある意味で平和憲法を持たない他の国々の平和運動と同じ地点に立つことでもあります。
確かにこの間若い人々を中心に新たな感覚での平和運動の輪が広がっていますが、一方で戦争を肯定し憲法の改定をも容認する層が増えてきているようです。特に21世紀を担う若い世代の考え方が心配です。
先日ピースネット宛にメールで別掲の自称「政治家を目指す奈良県の一高校生」からの意見が届きました。名前も連絡先も書いていないので、本当に高校生なのか明らかではありませんが、内容の稚拙からすればやはり10代の文章かなと思います。あまりに極論で無茶苦茶なので無視しようかとも思いましたが、ある意味で象徴的な意見なので今回はあえて全文を紹介することにしました。
この文を読んで皆さんはどう思われたでしょうか。稚拙で極論ではあっても、やはりこの意見はとても怖いものだと思います。怖いと同時にこういう考え方をしてしまうことが悲しく哀れでもあります。私たちの意見に反発するのは仕方ないにしてもどうしてこのような考え方をしてしまったのでしょうか。
大半は無茶苦茶な意見です。自分が将来は支配者層に位置すると決めつけていますが、果たして思う通りに行くのでしょうか。ましてや彼は病気や事故で障害者になる可能性がゼロで、老人になることもないとすれば、ひょっとして人間ではなくロボットなのか、と思ってしまいます。けれども天皇制についての活用の指摘は、まさに本質を突いているかもしれません。皇太子妃の女児出産フィーバーはまさに異常です。ほとんどのテレビ局でまったく同じような特別番組を繰り返しやっていました。日本では常に天皇制を煽ることで一体感を強調し、民衆の不満を解消させたり、様々な矛盾をそらす役割があったのだと思います。現在で言えば経済の沈滞に伴う企業の倒産やリストラの進行という現状の社会不安を払拭し、あるいは、自衛隊の実戦への初参加という重大な問題をそらす役割としても使われるのかもしれません。
また彼の「経済的なグローバル化と自由化を進めるためには人権的な統制は不可欠なのだ」という指摘も当たっているのかもしれません。現在の反テロの対策と報復戦争の遂行は、同時に米国主導の経済のグローバリズム化推進とセットになっているのではないかと思います。そしてテロ対策の名目の下で各国で制定された人権とプライバシーを制限しかねない法律や政策は、世界で高まる反グローバリズムの動きをつぶすためにも活用される危険性もあります。
そして彼の「我々が社会に出る頃にはソーシャルダーウィニズムが復活しているだろう。我が国にとっては適者適存の理想の有史以来の実現である。誰が自分が競争しなければいけないときに高福祉国家など建設するものか。お前達は自分の面倒は自分で見ろ。」という考え方は、本誌の161号で紹介した「チーズはどこへ消えた?」という今年日本で400万部売れたと言われる本の影響もあるのかな思います。「変化に対応せよ」と競争を煽り、そして変化に対応できない人々を切り捨てることを説くこの本が大量に読まれたことと、戦争や自衛隊を肯定する人が増えていることはそれなりに連動しているのかもしれません。
「戦争論」の中身は
この「チーズ」本に加え、この高校生の主張とは必ずしも一致しませんが、やはり戦争に絡んで若い世代に影響を及ぼす本として、漫画家の小林よしのり氏の「新ゴーマニズム宣言SPECIAL戦争論」があります。その1号目は1998年に出版され79万部が売れたと言われていますが、今年11月にはその2号目の「戦争論2」が発刊されました。非常に大きなスペースを割いた新聞広告をご覧になった方も多いと思いますが、「今世紀100年の価値観を決定する歴史的超大作!」と宣伝され、小林よしのり氏も前作を上回るページを描き下ろして大変意気込んでいます。
前作については1998年の本誌11月号(128号)の巻頭でやはり取り上げましたので、それについては繰り返しませんが、その中で強調されていたのはかつての「大東亜戦争」=(日中・太平洋戦争)を美化し、「公」のために「個」を棄てることでした。つまり戦争に参加し「公」=「国家」のために命を捧げることがいかにすばらしいことであるかが説かれていました。
それに続く今回の「戦争論2」はやはり大半のページを「大東亜戦争」の「正しさ」の立証に割かれていますが、導入部は9月11日の米国での同時テロを題材にして最初から「戦争こそが人間の本性であり戦争こそが人間の生と存在の意味を問い直す最大の装置なのだ」と決めつけています。彼の手法は前作もそうですが一見すると冷静な事実の積み重ねによる反論の形を取りながら、非常に巧妙に全く関係のない例え話を活用したり、いくつかの間違いを指摘することですべてを否定したり、あるいは全く事実とことなることを単純化して決めつけ、それらをマンガ表現で誇張することであたかも彼の考え方が正しいと読者に信じこませるというものです。今回もその手法が多用されています。しかし一方で彼なりに米国主導のグローバリズム批判を展開し、チェチェンのことがでてきたりと、それなりに国際情勢に対する分析力を持っています。しかし、「国家という枠組みを守る」ことを重視し、さらに「21世紀のアイデンティティ・ウォーが開始された」から「日本人のアイデンティティを守れ」と強調しています。そして「祖父の持っていた歴史を取り戻して日本人に還るのだ!」と息巻きます。いろいろ並べ立てても結局はナショナリズムを煽る役割を果たしています。
そして「戦争を美化しているわけではない」と言いながら、かつての戦争の必要性と正しさを強調することで戦争を煽っている矛盾に開き直って、「わしは戦争を選ぶ!」「死ぬのも殺すのもやむを得ない!」と断言しています。そして「若者よ!『公』の意識を覚醒せよ!」として若者を戦争に駆り立てています。
また、小林氏は「『平和』の反対は『戦争』ではない」と言います。ここまでは私も同意見ですが、当然結論が違います。彼は「『平和』とは『秩序』が維持されている状態」であり、それゆえ「状態を表す『平和』という言葉の反対は『無秩序』である」としています。いったい「秩序」とは何でしょうか。おそらく彼の考える「秩序」とは支配者に都合のいい「秩序」なのだと思います。政府のいいなりになる「秩序」ある社会が「平和」だとすれば、そんな「平和」はいらないと思います。ちなみに私が考える「平和」の反対は当然一言で言うとすれば「暴力」だと思います。私からすると小林氏の「ごーまんかましてよかですか?」という発想そのものが暴力的なものであると思います。
今回の「戦争論2」がどれほど読まれるのかはわかりませんが、残念ながらそれなりに若い世代に受けるのだろうと思います。それは漫画という表現手段を使っているということもあります。しかし小林氏があとがきで「だが、未だに前作『戦争論』を超える、若者に届く『生きた言葉』を持つ論や作品は、残念ながらサヨク勢力や空想平和主義の側からは提出されていない。相変わらずの『死んだ言葉』で」と述べている側面もないとは言えないかもしれません。もちろん、だからと言って小林氏の主張が『生きた言葉』だとは決して思いませんが、非常に巧妙に工夫されていると思います。それを超える新たな平和論と行動が求められているのは言うまでもありません。そのためにも私たちもこれまで当たり前に使ってきた言葉や行動を見直し、本当に21世紀を平和の世紀とするために何が問われているのかを世界の人々と考えていきたいと思います。戦争に反対する、あるいは自衛隊の戦争参加に反対するだけではなく、積極的に平和を創り出すために何が必要なのか一緒に考えて、行動していきましょう。
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