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2001年9月10日発行162号ピースネットニュースより
金子みすゞ、そして「蝶の舌」
── そこから見える希望は?
ピースネットニュース 青 山 正
「芸術の秋」というにはまだちょっと早いかもしれませんが、ピースネットもたまには芸術的にいきたい、ということで、今月は詩と映画をテーマにちょっと考えたいと思います。
●金子みすゞ
まずは最近何かと話題の金子みすゞ(敬称略)です。今さら説明の必要がないと思いますが、1930年に26歳という若さで自殺してしまった薄幸の、しかし非常に感性豊かな童謡詩人です。彼女をテーマにして、芝居が上演され、続いて先頃テレビドラマの放映があり、これから映画の上映もあります。なぜこれほどまでに急に人気が出てきたのか、それはひょっとすると今の日本の状況と関係しているのではないかと、私はつい考えてしまいます。
私も彼女の詩に大変心を動かされました。私が金子みすゞを意識したのは昨年の秋からです。いくつかのイベントで在日朝鮮人の歌手である李政美(イ・ジョンミ)さんの歌を聴き、非常に惹きつけられ、また癒される思いを抱きました。彼女のCDを買ってその後よく聞いているのですが、その歌の中に金子みすゞの詩が二つ入っていました。その中の「私と小鳥と鈴と」という詩には、本当に「ハッ」とさせられました。もちろんそれにふさわしい曲を付け非常に澄み切った声で歌い上げる李政美さんもすごいと思うのですが、この詩が大正時代に創られたとはとても信じられず、その感性の鋭さと時代を感じさせない普遍性にはまったく驚かされました。
「私と小鳥と鈴と」
私が両手を広げても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のやうに
地面(じべた)を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに
たくさんな唄は知らないよ
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
実にシンプルな詩ですが、不思議な魅力と普遍的なメッセージを持った詩だと思います。私はこれをぜひとも石原慎太郎東京都知事に読ませたいと思ったのですが、どうせあの差別と権力むき出しの発想では、この詩は理解できないかもしれませんね。(でも彼も考えてみれば小説家だったわけで、それなりの感性はあるはずだとも思うのですが、残念ながら今の石原知事のきわめて権力的な言動からは、感性のかけらも感じられません。)
この詩は実は今の小学校の国語の教科書にも掲載されています。それはもちろんいいことだと思うのですが、でも現在の教育の現場の中で、この詩がどのように子どもたちに伝えられているのか不安です。また、子どもたちも素直にこの詩を受け止める余裕がなくなっているのではないかと思います。子どもも教師も、そして親や行政もこの詩をちゃんと受け止められれば、もう少し違った学校になるのではないでしょうか。いやそれは学校だけではなく、社会全体にも言えることかもしれません。
「みんなちがって、みんないい。」と言える社会は、考えてみればとてもあたりまえのことです。けれども現実には差別と競争にあけくれ、そして同じ人間同士で違いを理由に殺し合いをしています。そして今問題となっている扶桑社の「新しい歴史教科書」や「公民教科書」は、そうした現状をさらに悪化させ、人と人の違いをより広げることになるのではないかと思います。
ピースネットを以前修学旅行で訪問した小学生は、「平和とは何なのか、あらためて考えていきたいと思います。これからは一人一人差別なく生きていきたいです。」と手紙をくれました。こうした感性を持つ子どもやおとなを少しずつ増やしていければ、この息苦しい社会も少しは希望が見えてくるかもしれません。そういう意味では今の金子みすゞブームというか再評価の高まりは、今の日本社会のある種の閉塞状況の中での国家主義・差別主義を煽る危険な歩みに疑問を持つ人々が増え、現状を問い直そうとするひとつのきっかけになるのかもしれない、と私は期待しています。金子みすゞの詩は、21世紀こそ生きる詩だと思います。
●「蝶の舌」
それから映画ですが、この夏私が見た中でとても感銘を受けたのが「蝶の舌」というスペインの映画です。単館上映としては大ヒットのようで連日大入りで、東京に続きこれから各地でも上映されるようです。原作のスペイン国民文学賞に輝いた3部作の短編集をうまくアレンジした映画としてのすばらしさはもちろんですが、見終わってからホロリとさせられると共に、いろいろと考えさせられる映画だと思います。
おそらく多くの映画評に取り上げられているので、知っている方もいるでしょうし、これから見ようという人にはあまりくわしく中身を紹介しない方がいいのかもしれませんが、まず簡単にこの映画を紹介しましょう。
映画は1936年のスペイン・ガリシア地方の小さな村の小学校に喘息のために一年遅れで入学してきたモンチョ少年が主人公として描かれています。初めての学校でやさしい先生や友だちと出会い、そして自然の中で先生が教えてくれた蝶には細くてゼンマイのように巻かれている舌があることなどを学んでいきます。その蝶の舌は普段は隠れていて見えないけれど、密を吸う時にはその巻いている舌をのばします。このことは様々な意味合いを込めて、この映画の主題となっています。
そしてこの映画では自然の美しさとすばらしさが大事な要素として描かれています。しかしそれと対極にあるかのように、時代は共和制から王党派・ファシズム派によるクーデターによりスペインは内戦の時代に入っていきます。1936年7月17日にガリシア・アンダルシアなどでフランコ将軍率いる陸軍がクーデターを起こし、共和派狩りを始めます。
次々と共和派が逮捕されていく中、共和派だったモンチョの父親を心配した母親が関係の書類を焼き払い、王党派の証として、家族そろって教会にいきます。そして逮捕された共和派の人々が連行されトラックに乗せられるラストの場面で、モンチョの母親に促され父親もモンチョも家族のために、「アテオ(不信心者)!アカ!」とののしりの声を上げます。連行される共和派の中にはモンチョが大好きだった先生も含まれていました。その先生にもモンチョは「アテオ!アカ!」と叫びます。しかしモンチョは最後に石を投げつけながら、「蝶の舌」と叫びます。この場面は実にジーンとさせられ、またいろいろと考えさせられます。
モンチョは先生と二人にしか通じない「蝶の舌」という叫び声を上げることで、彼の思いを先生に伝えたわけです。それは時代に対する勇気ある一つの抵抗の象徴であるとも言えます。あるいはそう叫ばざるをえなかった時代の厳しさを象徴することでもあるでしょう。その後スペインはファシズム派の勝利により1939年に凄惨な内戦が終結し、数十万の共和派の人々が処刑されるという暴力と暗黒の時代に入りました。
もちろん現在の日本はそういう状況ではありませんが、でも表面的なパフォーマンスを繰り返す小泉首相への圧倒的な支持が続き、批判する目があまりに弱い日本のありようは、やはり怖いものがあると思います。「新しい歴史教科書」に見られる国家主義・民族主義をあおる潮流は言論界でも強まり、一方で「日の丸・君が代」の強制に見られる教育の場での教師や子どもたちへの統制の強化は、世界の共生と平和を求める21世紀の希望をくじくものです。
この映画は現在のスペインにおいても大きな反響を呼びました。それは過去の問題としてではなく、長く続いた軍事政権の時代から解放され民主化を達成しながらも、右傾化の揺り戻しやバスクなどでの独立をめぐるテロに苦しむスペインの現在の問題とも絡むからでしょう。そういう意味では現在の日本の状況とつながるものがあるのかもしれません
「蝶の舌」の中で先生が語る言葉で非常に印象的なものが二つあります。ひとつは「あの世に地獄などはない。憎しみと残酷さ、それが地獄の元になる。人間が地獄をつくるのだ。」という現実の社会を見据えた言葉です。もうひとつは教壇を去る最後の講義の締めくくりに子どもたちへ贈った「もし、我々に続く世代が自由なスペインに育つことができたら、もう誰もその自由を奪えない。ありがとう。ありがとう。自由に飛び立ちなさい。」というやさしさと希望に満ちた言葉でした。
私たちも現実を見据えつつやさしさと希望を持って歩んでいきたいと、「蝶の舌」を見ながら考えてしまいました。
※本文中の「蝶の下」に関する詳しい情報はここをクリック
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