2002.2.20


韓国訪問団の報告

2003年2月9日〜11日

 

■社民党韓国訪問団のメンバーは次のとおりである。

顧問:大田昌秀、団長:土井たか子、副団長:東門美津子 事務局長:保坂展人、団員:中川智子、大島令子、又市征治、大脇雅子

■従軍慰安婦訪韓団のメンバーは次ぎのとおりである

民主党:岡崎トミ子、共産党:吉川春子、社民党:大脇雅子、無所属:田嶋陽子

私は、二つの団に参加した。


2003年2月8日

 ホテル・ニューオータニにて、団長を鄭大哲新千年民主党最高委員とする高位代表団と会う。アメリカからの帰途、日本に立ち寄り、小泉首相ら政府要人と会談。社民党の訪韓団との予備折衝的会談であったが、中身は濃いものであった。

 廬武鉉次期大統領は、これまでの選挙の組織とは関係無く、お金にも無縁で、ネガティブ・キャンペーンにもめげず、新しい若者たちの力で当選した、時代の生んだ大統領と言われている。人権派の弁護士。チョン・デチョル氏は、「アメリカへは重い気持ちでいったが、帰りは軽い足取りになった。柔軟性のある対応だった。北韓の核に対しては、各種のチャネルを通じて、平和的対話によって、核を持たないよう説得をすることで合意ができた。21世紀の韓日は、未来志向に発展するよう友好に努めたい。」と挨拶を述べられた。

 秋美愛議員は、「アメリカの考え方は、対話、経済封鎖と孤立、武力攻撃の3つが考えられるが、武力攻撃は、朝鮮半島に及ぼす被害は甚大であり、経済封鎖も長引けば脱北者や難民が多く出て、戦争になるので、平和政策しか取る道はない。経済支援をしつつ、対話をし、核の廃棄をさせる。アメリカに対話を粘り強く訴えて行く。日米韓が足並みをそろえる。核の放棄と包括的解決が重要である」とアメリカへの姿勢を説明された。

 土井党首は、靖国神社参拝問題と国立墓地建設の構想、東アジア非核地帯平和構想などについて語った。わたしは、村山訪朝団で北朝鮮を訪れたとき、金永南最高人民会議委員長が、「わが国は、経済強勢大国を目指して行く」と語った事実を述べた。韓国と日本には平和的解決しか選択肢は無い。

 

2003年2月9日(日)

 従軍「慰安婦」のハルモニの共同の家「ナヌムの家」へ。ソウルから南東へ1時間半。林の木立は冬枯れて、行く道すがらの田んぼの水は凍っていた。こざっぱりとした住まい。現在10人のハルモニが住む。男性も含めて日本人と韓国の人たちのボランティアが、あったかいゆず茶でもてなしてくださる。私達の法案の説明をして、6人のハルモニから話を聞いた。どの話も日本の犯した罪の深さを思い知らされる。立法不作為の下釜判決の原告も。みな耳が不自由だったり、手足が痛むと言う。日本大使館前の水曜デモはなんと544回にのぼり、その持続力に頭が下がる。並みの精神力でない。それだけ恨みが強いと言うこと。わたしたちも歴史の「記憶」を風化させない様に持続して頑張らなければならない。デモの数はギネス・ブックに載っているという。

 「ナヌムの家」に併設された歴史館の入り口に銃剣で幾重にも刺し貫かれた女の胸までの像があった。祈りを捧げた。

 夜は、社民党の打ち合わせ会。ロッテ・ホテルの中国料理。民主党の女性委員長という金希宣さんの話を聞く。廬武鉉次期大統領は、北の金正日とお互いに自由に会える環境を作りたいと言っていると話し、陸路で金剛山に行くことができることは、ベルリンの壁以上の意味があるという。金大中の「太陽政策」の成果は、韓国NGOの人達の交流が活発化したことと離散家族の再会が定期的に行われる様になったこと。

 

2003年2月10日(月)

 11時。青瓦台大統領府にて金大中大統領と会談。広大な朝鮮式建築。伝統的な美しさに圧倒された。以下前大統領の談話。

 「北朝鮮と国交が無いことは不自然で、日朝ピョンヤン宣言が締結されたのに、拉致と安全保障問題のため対話が行われていないのは遺憾なことだ。国際的な話し合いは、あいてが気に入るとか、気に入らないと言うことで無く、対話をし、問うべきものは問い、是正するものは是正することが、国際的対話にとっては、大切である。韓半島と国益の平和のため、対話をしなければならないから、対話するのである。ブッシュ大統領はそれを理解し、軍事行動をしないと約束した。国交正常化と並行して拉致の問題を執拗に話し合うことは可能ではないか。」

 「一括妥結のみが重要と言うことをアメリカに主張している。ギヴ・アンド・テイクで、行くこと。北は安全を保障せよといい、アメリカは大量破壊兵器を放棄せよといい、お互いに、貴方が先にそれをせよといって、不信感を強めている。北はイラクの攻撃が終われば、アメリカは北を攻撃するのではないかと死活をかけた対応をしている。経済支援など与えるというメッセージを発した交渉をすれば、解決に向かう。半島で戦争があれば、韓日は大きな被害を受ける。この問題は平和的解決しかない。APECにおける韓日米の宣言もあり、平和的対話をはじめなければならない。イラクの問題では国連が危機に瀕しているという土井党首の危機感に同感する。」

 土井党首が、ノーベル平和賞をうけたカーター元米大統領やマンデラ元南ア大統領ら等、賢人が集まって国際的危機に際して、平和のために先鞭をつける仕事をして欲しいと提言したのに対し、「身にあまる高い評価をありがとうございます。十分に検討します」。

 そして大統領は、韓国の経済危機を乗り切るために、財閥や企業の代表者や中小企業の人たちと対話をし、不良債権を果敢に処理し、銀行は黒字に転じたこと、可能性のない企業を潰し(2100中600)30の財閥も16解体した。自ら競争する企業を支援し、企業が栄え、税金を国に払うことが国益であり、政治献金は要らないと、断固として話し合ってきた。社会福祉を充実することと経済が競争力をもつことは、別個の問題であると確信に満ちて語った。

 2時、廬武鉉次期大統領と会談。白い襟のついた紺色の長い上着と薄茶のズボンと黒い布の靴という民族衣装をまとい、静かだが率直な語り口。韓国の国旗が立ち、「国民が大統領である」というスローガンが、青い壁面に白く浮き出ている。自らこうしたスローガンを掲げる大統領は只者でない、と思った。

 1988年国会議員となり、5回のうち3回落選し、ハンナラ党の強固な地盤を選んで困難な選挙に挑み、時代の生んだ大統領となった人。

 「靖国参拝反対の理由は、日本の国民が平和を愛する国民になること、そのために総理が戦犯を祭る靖国に参拝してはならない。しかしながら、感情的に対応することはしない。過去の戦争の謝罪は求めつつも、未来志向で、対話と交流を続けたい。土井党首の国立墓地構想の提言に感謝する。」

  「金大中大統領の抱擁政策を継承し、発展させる。北の体制を保持し、経済援助をしつつ、平和を優先し、信頼醸成をする。忍耐心をもって対応して行く。境界に軍事力が集中しすぎているが、大量兵器の放棄は可能だと思う。北とアメリカを説得し、南北間の交流を行い、平和を制度化する。このために米日韓が緊密な連携をし、国内の世論を統合する。困難なことだが成し遂げる。」

 「南北の交流を図り、中国との関係も深め、経済協力体制を作り、アジアの統一を呼びかけたい。国民にも説得して行く。」  「死刑廃止については、まだ韓国では少数意見だが、国民的合意を作っていく」

 戦時性的強制被害者問題解決促進法案、いわゆる従軍「慰安婦」に国の謝罪と補償、真相究明委員会の設置を求める民主党、共産党、社民党3党共同提出の法案(韓国語訳)を渡したことについては、「従軍慰安婦問題については、古い問題であることは知っている。韓国政府が強く出ると日本の国民の感情を悪くすることに、慎重な配慮がいる。しかし日本人による普遍的正義を求める行動にたいしては、ありがたく感謝している。」 思慮深い言辞のなかに本質を見抜いた思想が包まれていて、心打たれた。

 4時半 趙培淑議員(検事から弁護士になった女性) 「韓国社会は今回の選挙で大きく変わった。組織、お金、ネガティブ・キャンペーンが通用しなかった。インターネットが大きな役割を果たした。いままでの日当を払っての選挙ではなく、自発的に、募金もして、市民が変わった。自分たちの大統領という意識が生まれ、政治か変わることを求めた国民、若者が変わった。」  韓国は一足先に政治の転機をむかえたのだろうか?

 6時半 韓国挺身隊連絡協議会の人たちと食事会。尹貞玉元挺対協にも再会。抗日運動の元祖の人達となごやかに韓国料理を食べる。家庭的で美味。

 

2003年2月11日

 西大門刑務所歴史館訪問。網走刑務所と同じ作りかた。アウシュビッツよりショックは少ないものの、拷問の声が響くのには、こたえた。JAL12時5分発、13時45分名古屋空港着。

 


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