内閣総理大臣及び閣僚の靖国神社参拝に関する質問主意書  

2001年8月9日

 

小泉純一郎内閣総理大臣は、八月一五日に靖国神社へ参拝する意向を示している。 したがって、次の事項につき質問する。

1、小泉総理大臣は、八月一五日の終戦記念日に靖国神社へ参拝するのか。それは公式参拝か、私的な参拝か。また、なぜ八月一五日なのか。

2、内閣総理大臣と記帳するのか。もし記帳するならその理由は何か。

3、玉串料あるいは供花料を公費から支出するのか。参拝には公用車を使用するのか。

4、参拝には閣僚を同行するのか、それとも単独で行くのか。

5、本殿ではどのような形式で参拝するのか。二拝二拍手一拝の「神道儀礼」にのっとって参拝するのか。

6、参拝後、靖国神社境内で行われる「戦没者追悼中央国民集会」(「英霊にこたえる会」と「日本会議」共催)に参加するのか。また、当日はどのような行動予定か。

7、二〇〇〇年三月の政府統一見解においては、公式参拝は「一九八六年以降は諸般の事情を総合的に考慮し、今日まで差し控えられてきた」と述べている。「国民や遺族の方々の思い及び近隣諸国の国民感情など」の諸般の事情を考慮するとしながら、なぜ今、靖国神社を「公式」参拝しようとの判断に至ったのか。歴史教科書問題の影響等について周辺諸国とのあつれきが伝えられる中で、特に近隣諸国の国民感情をどのように考慮したのか。

8、合祀の基準はどのように定められ、合祀の推薦と決定はどのように進められているのか。戦前、戦後それぞれに関して明らかにされたい。

9、特に、戦前に関しては、「陸海軍省において一定の基準を定めて」おり、「前例に基いた」とされているが(『靖国神社問題資料集』国立国会図書館一九七六年五月、三頁)、それはどのような前例か。また、一九四二年に作成された「合祀資格審査内規」(前掲書三頁)の内容を明らかにされたい。

10、前掲書には、一九四五年一一月二〇日、臨時大招魂祭が執行され、同祭において、「招魂されたみたまのなかから、合祀に必要な諸調査のすんだみたまを、昭和二一年以降三七回にわたって合祀してきた」と記されている。この際、「招魂されたみたま」は、どの名簿によったのか。また、どのような「調査」をし、合祀されたのは何名で、合祀されなかったのは何名か。合祀した者とされたなかった者の違いを明らかにされたい。

11、合祀の決定に際して、当事者の意向を確認したのか。その際に合祀の辞退はできるのか。また、合祀された後に取り消すことはできるのか。合祀を取り消すことができない場合、その理由を明らかにされたい。

12、戦後、靖国神社が宗教法人になってからも合祀は続いているのか。その際の名簿はどのようにして入手していたのか。また、その名簿の入手はいつまで続いたのか。

13、一九七八年にA級戦犯が合祀された経緯を明らかにされたい。また、政府はいつの時点で事実を把握したのか。

14、本殿において、皇族である北白川宮能久親王及び北白川宮永久王には二人で霊璽一座を充て、合計二四六万余名の祭神を一括して霊璽一座を充てているとのことである(『靖国神社』大江志乃夫、岩波新書、一九八四年、一七〜一八頁)。祭神は同格であるとされているが、皇族のみ別格にしている理由は何か。

15、靖国神社における「創設以来の特殊の祭儀伝統」、戦前、陸海軍省が所定した参拝方式(『ジュリスト』八四八号、一九八五年一一月一〇日、五五頁)、及び現在の参拝方式をそれぞれ明らかにされたい。   

右質問する。

 

内閣総理大臣及び閣僚の靖国神社参拝に関する質問に対する答弁書

2001年8月16日

1について
 小泉内閣総理大臣は、平成13年8月15日には靖国神社に参拝せず、同月13日に、「総理大臣である小泉純一郎が心をこめて参拝した」ものと承知している。  なお、昭和53年10月17日の政府統一見解において示した考えは、現在も変わっていない。

2について
 小泉内閣総理大臣は、今回の参拝において、「内閣総理大臣 小泉純一郎」と記帳したものと承知している。これは、記帳に当たりその地位を示す肩書を付すことが、その地位にある個人を表す場合に、慣例としてしばしば行われているからであると理解している。

3について
 小泉内閣総理大臣は、今回の参拝において、玉串料については公費、私費ともに支出しておらず、事前に献花代を私費で支出し、往復に公用車を使用したものと承知している。

4について
 小泉内閣総理大臣は、今回の参拝において、他の閣僚を伴わないで参拝をしたものと承知している。

5について
 小泉内閣総理大臣は、今回の参拝において、本殿において一礼をする方式で参拝をしたものと承知している。

6について
 小泉内閣総理大臣は、平成13年8月15日には、千鳥ケ淵戦没者墓苑を訪れ、その後、全国戦没者追悼式に出席したが、お尋ねの「戦没者追悼中央国民集会」には参加していないものと承知している。

7について  
 小泉内閣総理大臣は、御指摘の点も含めた諸般の事情を熟慮した上で、平成13年8月13日に、今日の我が国の平和と繁栄は戦没者の尊い犠牲の上にあり、その気持ちを表することは当然であって、二度と戦争を起こしてはならないという気持ちからも、靖国神社に参拝したものと承知している。なお、平成12年3月に、徹指摘のような政府統一見解を示した事実は存在しない。

8から12まで、14及び15について
 お尋ねについては、昭和21年2月2日に靖国神社が宗教法人となるよりも前に関しては、先の大戦等において戦没した軍人等につき原則として陸海軍両省内部での検討結果に基づき陸海軍大臣から天皇に上奏しその裁可を経て合祀が決定され、また、昭和20年11月19日から21日までの間、先の大戦等に関し同年9月2日までに戦没した軍人等につき招魂祭祀の対象となる者を個別には特定しないまま御指摘の臨時大招魂祭が行われたが、合祀すべき者の特定及び調査が行われていなかったため、靖国神社が宗教法人になるまでの間に合祀はされなかったと承知している。明治12年に東京招魂社から靖国神社に改称された当時の祭式については、明治12年6月4日太政官達(東京招魂社、靖国神社卜改称、別格官幣社こ列セラルル件)により、「祭式ハ神社祭式二準シ陸軍海軍二省ノ官員之ニ臨ミ執行スヘシ」と定められ、その後、靖国神社祭式(大正3年陸軍省令第2号)により、大祭式、中祭式及び小祭式の別に祭式が詳細に定められた。その他の点については、調査した限りでは政府内に事情を把握することができる資料がないため、お答えすることができない。
 また、靖国神社が宗教法人になった後に関しては、お尋ねはいずれも宗教法人である靖国神社の宗教上の事項であるから、政府としてお答えする立場にない。なお、お尋ねの皇族の合祀については、靖国神社が公表した資料によれば、靖国神社が宗教法人となった後に行われたとされている。
 なお、厚生労働省及びその前身である旧厚生省等においては、その所掌する戦没者遺族援護事務等の一環として旧陸海軍に関する人事資料等を保有してきたことから、昭和62年3月までは、靖国神社から戦没者等に関する情報提供の依頼があった場合には文書で回答しており、その後、平成2年7月までは、靖国神社の依頼に応じて当該人事資料等の閲覧を認めていたところである。

13について
 靖国神社がいわゆるA級戦犯を合祀した経緯については、承知していない。なお、政府としては、昭和54年4月19日の新聞記事等により、いわゆるA級戦犯が靖国神社に合祀されていることを認識したものである。


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