特別立法反対100万人署名

最終更新日:1997/04/02 00:00 歴史背景の説明
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琉球処分:

 1879年(明治12年)3月27日、列強国入りを目指しはじめた日本は、かねてより琉 球に突き付けていた首里城の明け渡しなどを含む琉球を解体する「御達書」の受入 を強制するため、ついに軍隊を率いた内務大臣松田道之を琉球に派遣し「御達書」 の応諾を尚泰 王に迫りました。そして琉球は武力衝突を避け、ついに3月29日に首 里城を明け渡し、その後琉球は解体され日本国に併合されていきます。これが俗に いう琉球処分です。日本が琉球に言い渡した「御達書」の中には日本軍を琉球に駐 留させる条項もあり、琉球側は最後までこの条項だけは強固に拒否していましたが 、軍をどこに置くかを判断するのは、中央国家が決めることで、なお且つ琉球は小 国にあり他列強国から守るためにも必要である、琉球が意見することは一切ならぬ 、と軍の駐留も強行されていきます。

最高裁による117年後の「御達書」追認:

 さて、それからちょうど118年後の現在です。
沖縄にある米軍基地用地問題で、基地提供は国の責務でなおかつ、どこに基地を置 くかは、総理大臣の裁量で決めることで、沖縄が意見する義務は無いと、1996年8 月28日に日本国司法最低栽で言い渡たされました。さしずめ「御達書」から117年 後にそれが追認されたということでしょうか。その年の9月中旬、大田沖縄県知事 は苦渋にみちて基地強制使用のための公告縦覧に応じます。
 約120年ものあいだ、琉球・沖縄から文句を言われ続けられてきた日本政府はさ すがにうるさく邪魔に感じてきたのか、今後は沖縄から一切の文句言わす手段を剥 奪しようと「法のブルドーザー」を用意してきました。このブルドーザーを用意す るため日本政府は25年いや、50年かけて用意周到に準備してきたのでした。

第二、三の琉球処分:

 1952年4月28日、日本はめでたく主権を回復し国際社会に復帰します。このとき まちがっても日本が暴走しないよう、日本の施政権から沖縄を外し米軍という担保 を沖縄に置くことを了解します。この日は沖縄では「屈辱の日」と記憶されていま す。第二の琉球処分とも呼ばれます。このあと、沖縄では本物のブルドーザーで住 民が追い出され、ちゃくちゃくと基地が建設されていき、高度な機能をもつ複合基 地群となり不沈艦空母と異名を持つにいたります。この時代は、日本は沖縄に施政 権が及ばないとの理由で、沖縄の苦悩を見て見ぬふりをします。そして、1972年5 月15日を迎え、沖縄の施政権が日本に返還されました。復帰以降政府は、安保条約 を楯に沖縄の叫びに対して不誠実な対応に始終し相変わらず見て見ぬふりをします 。復帰を第三の琉球処分とも呼びます。安保面からは、日本が沖縄に復帰した日と の呼び名もあります。

ウルトラC:

 復帰の日、復帰で基地の無い沖縄を願望していた沖縄県民に、悪名高き布令・布 告に優るとも劣らない「沖縄公用地暫定法」が待っていました。軍・自衛隊用地の 賃貸借契約が結ばれていない土地は公用地とするという法律でした。さすがに、こ の法律に無理があったことは政府も認めていたのか5年間という時限立法でした。
 1977年5月15日を迎えたとき「沖縄公用地暫定法」が失効しました。契約拒否地 主は? ちゃんと存在していたのですね。そしてこの時点では「沖縄公用地暫定法 」に代わる法律も有りませんでした。俗にいう「安保の空白」が起こったのです。 しかし、この空白は4日間で終わってしまいました。日本政府はここでもとんでも ないウルトラCをやってのけたのです。失効したはずの「沖縄公用地暫定法」がな んと生き返ったのです。沖縄戦で土地登記簿が焼失していたため実は沖縄の多くの 土地は、特に基地内の土地は地籍境界が明確になっていない場所たくさんあり、こ れを口実に「沖縄地籍明確化法」5年時限立法を制定しその付則で「沖縄公用地暫 定法」を過去に溯って更に5年間延長するという、これまた法治国家の看板が泣く ことをなんの恥じらいもなく平気で行ったのです。

はじて法を遵守した政府:

 そしてその五年が過ぎ、1982年5月。二度目の「沖縄公用地暫定法」の失効 の日を迎えました。  こんどは、、、
 ある程度、地籍が明確になったため米軍特措法による強制使用に切り替えてきま した。ただ日本政府は困りました。自衛隊基地に特措法が適用できないのです。そ れまで、あれだけかたくなに10年も基地が必要だとと説いていたのに、なんとあ っけなく土地を返還したのでした。金網で囲まれてですが、、、、最近、政府はこ の土地を返還する政策は失敗だったと嘆いています。
 米軍基地のは、あとから考えると地籍が明確していないと土地収用法の適用基準 を満たさないために「沖縄地籍明確化法」を策定したようなもんです。でも実際に は現時点でも地籍不明確土地は多数あり、実は適当な図面をこしらえて土地収用法 にてらしているのです。よって強制使用するための規定を本来満たしていない土地 があるんです。なお、今回行われている強制使用手続きは4度目の特措法適用にな ります。

復帰25周年へのプレゼント:

 今年5月15日は節目の復帰25周年を迎えます。さてはて、はてさて、 梶山官房長官らがいう、必要最小限の特措法改定とは実はまやかしであり有事立法 に等しいく、土地所有者の憲法で保障された諸々の権利をことごとく剥奪し、永久 に基地を固定化するまさに「法のブルドーザー」そのものである、とんでもない沖 縄へのプレゼントであることが判明しました。もう幾度めの琉球処分となること しょうか。詳しくは、

・特措法改悪法案の全文(沖縄タイムス)
  http://www.inforyukyu.or.jp/~o-times/day/1997032813_2.html

・米軍用地収用特措法改悪は「有事立法」の制定である
 (改悪案に対する一坪反戦地主会の解説)

にありますが、
(1)県収用委が審理中に使用権原が切れた場合、損失補償金を地主ではなく供託所 に供託する(地主が請求してはじめて地主に支払う)
(2)県収用委が裁決を却下しても、防衛施設庁が建設大臣に審査請求をし、その審 査請求そのものが却下されるまでは継続使用できる。
(3)現行法では、決定に不服があれば、審査請求、裁決取消訴訟など救済手段が保 障されているが、暫定使用中は一切の救済手段がない。収用委が裁決却下し、 建設大臣が審査請求の手続きをすすめなかったばあいなど。
(政府からすると一番安上がりに永久に土地を使用できる?)

などなど、明らかに憲法違反、法律の遡及などして「有無を言わさず土地をとりあ げる」まさに有事立法そのものへと内容の変質、収用委員会の否定、憲法を瓦解さ せる内容となっています。こんなんで、沖縄の基地を縮小する意志が本当にあるの でしょうか。まぁ、無修正で法案が成立すると沖縄だけにとどまらず、さしずめ、 ファシズム国家への第一歩を踏み出したというところになるでしょうか。

1972年5月15日、日本国声明:

 『沖縄を平和の島とし、わが国とアジア大陸、東南アジア、さらに広く太平洋諸 国との経済的、文化的交流の新たな舞台とすることこそ、この地に尊い命をささげ られた多くの方々の霊を慰める道であり、われわれ国民の誓いでなければならない と信じる』これは、沖縄日本復帰のさい日本政府が出した政府声明の一部です。

2022年5月15日:

 沖縄復帰から50年目。さて、どういう社会になっていますでしょうか、、、、
一つのキーワードとして、今年秋までに、日米安保再定義に伴って日米ガイドライ ンの内容を決めることになっています。その後有事立法制定?。でも、今後、国鉄 債務の表面化、銀行の債務問題、国の財政危機、年金制度危機、、、
などなど多くの財政課題を抱えています。はたして、軍事に金をつぎ込む余裕はあ るでしょうか。未来を左右するのは、私たちいかんしだいです。文化や精神的な豊 かさを追求する社会を作っていきたいですね。

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