沖縄百万人署名運動ニューズレター


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=== Vol. 1(96.8.26号) ===


<呼びかけ人より>
■基地のない沖縄、基地のない日本、
平和なアジアと世界を求めて■

富山洋子
日本消費者連盟

 かねてより準備を進めていた「沖縄の米軍用地強制使用のための特別立法に反対す る百万人署名運動(以下、百万人署名運動)」が、米軍基地用地の強制使用に係わる 代理署名訴訟の最高裁判決がでる八月二八日を期して立ち上がった。百万人署名運動 は、予想に難くない最高裁判決による障壁を、まず突き破ることから始まるのだ。こ の運動はいかなる権威・権力に屈しない人々の意志の結集によって、「基地のない沖 縄、基地のない日本、平和なアジアと世界」を求めていく取り組みなのだ、と私は捉 えている。
 及ばずながら、私も呼びかけ人の一人として、この運動をもり立てていこうと意を 決しているが、これまで沖縄の問題に取り組んでもいないのにここに一文を寄せる羽 目になってしまい、冷や汗三昧で原稿を書いた。  私は三三年に生まれた。小学校では、侵略戦争を担う少国民として教育されたが、 戦争は子どもにとって歓迎すべきものではなかった。日常的に向かい合っていなけれ ばならなかった死がいつも胸にわだかまっていた。  死は、自らや身近な人たちにいつ襲ってくるのか、ニュースで見る赫々たる戦果の なかで、敵・味方を含めてどれほどの人々が死んでいったのか。  たとえ生きのびたとしても、天皇の赤子として一人でも多くの敵を打ち殺し、やが ては自らも死ぬことが賛美される生き方しかない未来は、ひもじさよりも忌まわしい。  大人たちも戦争を歓迎していない、そして怯えていることに私は感づいていた。大 人たちは自らの思いを率直にできないほど、弾圧はきびしかった。子どもが口にする 言葉さえも、「憲兵が来るよ」と制せられた。  小学校六年生の時、岩手県の疎開先で敗戦を迎えたときの安堵感と解放感は、今も 忘れない。
 思想と言うほどのものではないが、私はその後の思考と行動の原点は、子どもの戦 争体験と一九四五年八月一五日にこみ上げてきた安堵感と解放感をしっかりと我がも のにしていきたいという想いがある。
 そう見得は切っても、腰を据えてきたとは言い難い生き方を恥じているが、自らへ の責任はこれからの生き方に課したいと思う。
 戦後の日本の歩みは、私たちの生き方、暮らし方に安堵と解放をもたらすものでは なかった。私たちの運動も人々の意識も、それらを培っていくだけの力と気迫を持た なかった。
 沖縄の人々は、私が持ち得た束の間の安堵感と解放感さえも縁のない暮らし方、生 き方を戦後は、安全保障条約の下強要されてきたのだ。
 薩摩による侵略、明治政府による琉球処分とその後の政府による統治、国体(天皇 制)護持のための決戦、日本軍による島民に対する蛮行など、日本(ヤマト)が、沖 縄の人々にもたらした事実は、重い歴史として、私の意識に横たわっている。
 しかし、戦後五〇年あまりの沖縄問題は、私にとっては歴史ではない。それは、日 本列島に生きるすべての人々に対しても言えるのではないだろうか。
 昨年の九月には、三人の米兵によって小学生の少女が強姦された事件には衝撃を受 けたが、一九五五年の九月三日には、六歳の幼女が強姦された上殺害されていた。五 二年に、「平和条約」が発効し、沖縄は米軍の統治下におかれた。一九五五年の沖縄 は、朝鮮やベトナムに向けての出兵の基地として、戦争体制のまっただなかにあった。
 大田武二さんは、いち市民講座(第二二回)で、怒りを組織した五五年から五六年 の「島ぐるみ闘争」も直接的には「銃剣とブルドーザー」あるいは「戦車まで出動」 させた米軍の暴力の下に蹴散らされてしまったと話されている。米軍の暴力で土地を 奪われた人々は、中南米などに移民、つまり棄民として島を追われてたという。
 その後も数えきれないほどの痛ましい事件があった。沖縄の人々の粘り強い抵抗に もかかわらず憲法で謳われている平和的生存権からは程遠い暮らしが押しつけられて いる。
 昨年九月の痛ましい事件に対して、いち早く沖縄の女たちが行動を起こした。「基 地・軍隊を許さない行動する女たちの会」の高里鈴代さんや天願真弓さんは、基地・ 軍隊は、構造的暴力である」とし、「国民や世界のためではなく、あなた自身のため に軍隊は必要だと思いますか」と問うている。
 此の問いの向う先は、沖縄・日本に米軍の基地や軍隊を温存する安保条約は言うに 及ばず、憲法違反である自衛隊の存在にも向けられているのではないだろうか。
 更に言えば、個々にとって国家とは何かという根源的な問いかけが秘められている と思う。
 私が関わっている日本消費者連盟では、憲法を活かすが運動の一端として、基地の 問題に取り組むことを今年度の総会で決めた。
 第一章を含めて、憲法についての問題点はあるにせよ、憲法に盛り込まれた原点を 、ひとつひとつ具体的に獲得していく、その重要な取り組みとして「沖縄の米軍基地 の縮小・撤去を求め、特別立法に反対する」署名運動の一翼を担っていきたい。 

■署名運動記者会見の報告■
九月下旬に第一次署名集約
一〇月には国会請願も

 八月十三日、沖縄特別立法に反対する百万人署名運動を呼びかける記者会見が参議 院議員会館でおこなわれた。
 この記者会見には四人の呼びかけ人が参加した。
 内田雅敏(呼びかけ人世話人)、上原成信(一坪反戦地主会関東ブロック)、富山 洋子(日本消費者連盟)、信太正道(ゴランPKF派遣訴訟原告団)。
 NHKのテレビライトのなかで、進行役の高田さんが発言した後、内田さんが経過 と署名運動の趣旨を説明。
次いで、呼びかけ人が一人ひとり運動を呼びかけた思いを発言。
 その後で、記者からの質問を受けるという形で、進行した。
 内田さん。経過・主旨説明のなかで次のように述べた。
 沖縄米軍基地強制使用問題で今月二八日には最高裁判決が予定され、九月八日には 県民投票が行われる。この大きな節目のなかで、橋本内閣は強制使用のための特別立 法制定の動きを強めている。この一年間の本土の側の沖縄の闘いに呼応する運動は極 めて脆弱であり、しかも相互に連携し、一つの大きな流れになっていない状況である 。沖縄と本土の歴史的関係を踏まえた沖縄連帯、反安保の闘いに取り組みたい。
 七月一九日、六月に行われた沖縄発全国キャラバン総括会議で、今後どうするのか の一環として百万人署名運動が論議され、八月十五日敗戦の日に際し、改めて沖縄の 問題を呼びかけることとした。
 沖縄人口一二七万に匹敵する数字を目標とすることは大変であるが、従来の運動参 加の枠を超えて、特に本土の側の広範な人々に訴えたい。
 富山さんの発言。「日本消費者連盟の今年の活動の柱の一つに沖縄問題への取り組 みを決めた。戦争体験者として、沖縄の人々の気持ちを思いやると、本当に胸が痛む 。基地被害の実態に目を向け、運動に取り組みたい。」
 上原さん。「特別立法とは、大田知事の署名拒否が政府に衝撃を与え、従来のルー ルが『不都合』となり、また、勝手にルールを変えて都合良くしようとしているのだ。」
 この上原さんの発言のなかには、沖縄米軍用地強制使用の歴史が凝縮して表現され ている。七二年沖縄返還に際して、強制使用に反対する地主会(反戦地主会)にたい して公用地法を制定し、七七年には公用地法の期限延長とともに地籍明確化法を制定 し、さらに八二年には米軍用地特措法を制定。これでもなお抵抗を続ける反戦地主会 に対して、特別立法を準備しようとしているのだ。沖縄の歴史からみると土地取り上 げの新しい攻撃だ。
さらに上原さんは運動の現状のなかで、「小さく分岐している本土の側の運動が大 きく合流していくことを期待したい」と発言。
 信太さん。「特攻隊の生き残りとして、自分の体験を話すと何故愚かな戦争をした かと若い人から言われる。では、今どうなのか、あの愚かな道に通じていないのかと 、若い人に問いたい。」
 内田さんの発言。「戦後日本の復興はアジアへの戦争責任と賠償責任を放棄・免れ 、日本から沖縄を切り離すことによって成立した。戦後五一年になって、今、そのツ ケを問われている。正面から向き合いたい。」
 記者からの質問に答え、九月下旬に第一次署名集約、一〇月二二日には第二次集約 と国会請願を予定。またインターネットでの署名もできるように準備したいと発言。 八月二八日最高裁判決の日に全国会議を開催し、署名運動を発足したいと締めくくっ た。(八月一四日の沖縄タイムズ、琉球新報、朝日新聞に報道され、一三日当日のN HKで報道された。)  (文・朝日)

  <事務局から>
■百万人署名運動がスタート!■

 百万人署名運動がいよいよはじまりました。
 事務局もその反響の大きさに大わらわの毎日です。
 初日、事務所にいったところ、「一四日に沖縄タイムス、一五日には朝日新聞に取 り上げられたんだって。」とのこと。「へぇー」といつものように軽く考えていたの が大間違いでした。事務所に集まった人で軽く世間話をしながら、発送でもと思って いたら早速電話がありました。
 「もしもし、新聞をみたんですけれども。」と、男性の声。署名のことを知ってか けてみたとのこと。教職員の方で、回りの人や生徒にも話をしてみるので至急署名用 紙を送ってくれとのことでした。組合の執行部が取り組まないので、自分は一人で頑 張るからそちらでもしっかりやってくれと逆に激励されました。
 また主婦だという方からも「署名ってどのようにやったらよいのでしょうか。」「 頑張ってください」と、地域で取り組んでいる人の様々な質問、激励がよせられました。
 中には「回覧板で署名をまわしてもよいのでしょうか。」とこちらが驚いてしまう 提案も。自分の地域でやってみたらどんな反応が帰ってくるだろうか、と考えさせら れてしまいました。
 初日は事務作業も全くはかどらないままに、電話対応でテンテコマイでした。初日 だけで、六〇本を越える電話があって、それぞれに自分の地域で奮闘している苦労、 思いを寄せてくれるのですから。急きょ人を集めて三人体制でなんとか一日を終えま した。まさにうれしい悲鳴というヤツです。実に多くの人が何かやらなくてはとうず うずしているのが、電話応対をしていればよく分かります。
 体制不足のまま始まった百万人署名運動ですが事務局個々人の粉骨砕身(?)の努 力と全国のいろんな人々からの強い叱咤激励もうけながら体制を組みおえ、なんとか こなしております。
 特別立法を阻止し、沖縄から基地を撤去させる闘いに勝利するために、事務局は発 送と電話対応で頑張ります。これ以上忙しくなるのが怖い気がしますが、まだほんの 少しばかり事務局の体力には余裕があります。ぜひ各県、地域での取り組みをどんど ん始めてみてください。その時はご連絡ください。
 それからぜひ一度事務所に遊びに来てください。手伝いもよろしくお願いします。
(沢田)


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<呼びかけ人より>

■沖縄を通して本土の戦後のあり様を検証しよう■
内田雅敏(弁護士)

一、日本の戦後の始まりは一九五一年九月八日サンフランシスコ講和条約を締結して 、日本が主権を回復したとき(発効は翌五二年四月二八日)からだと言われている。 確かに同条約によって日本は主権を回復した。しかし、同条約第三条は、
 「日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)孀婦 岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島を合 衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合 衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合 衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の 権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。」
と述べ、沖縄を日本から切り離した。侵略戦争と植民地支配という不正義の清算とし てなされたはずのサンフランシスコ講和条約自らが新たな「植民地支配」を創設する という不正義を行ったのである。この不正義は、一九四五年八月一五日日本が降伏す るにあたって受け入れたポツダム宣言にも反するものであった。
同宣言は、
 「三大同盟国(米国、英国、中国)ハ日本国ノ侵略ヲ制止シ且之ヲ罰スル為今次ノ 戦争ヲ為シツツアルモノナリ右同盟国ハ自国ノ為ニ何等ノ利得ヲモ欲求スルモノニ非ズ
 右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本 国ガ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪シ又ハ占領シタル太平洋 ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ満州、台湾及ビ澎湖島ノ如キ日本国ガ清国人 ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ日本国ハ又暴力及ビ貧慾 ニ依リ日本国ガ略奪シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆遂セラルベシ」
と連合国に領土的野心がないことをはっきり述べている。
 ところが、サンフランシスコ講和条約第三条による「不正義」が一九七二年の沖縄 復帰まで二〇年続いた。そればかりではない。七二年の復帰以降も二〇年間の「不正 義」の間に拡張され固定化された米軍基地がそのまま維持され、今日にいたっている。
 サンフランシスコ講和条約第一四条は、
 「日本国は、戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して、連合国に賠償を支払うべ きことが承認される。しかし、また、存立可能な経済を維持すべきものとすれば、日 本国の資源は、日本国がすべての前記の損害及び苦痛に対して完全な賠償を行い且つ 同時に他の責務を履行するためには現在十分でないことが承認される。」
として、日本の戦争賠償を基本的に免除した。この免除が前記第三条による沖縄に対 する米国の施政権の代償であったことはもちろんである。

二、サンフランシスコ講和条約の問題点はそれだけではない。それは同講和条約が日 米安保条約とセットであったことである。日米安保条約は日本の再軍備と米軍に対す る基地の提供を内容とするものであるが、この条約が戦力の不保持、交戦権の否認を 規定した日本国憲法第九条と相容れないものであることは明らかであった。日本の戦 後は法大系的に見るならば、憲法大系と日米安保体制という、本来相容れない二つの 法大系の奇妙な同居と後者による前者の空洞化の歴史であった。このことが私達日本 人の遵憲・法精神をいかに損なってきたことか。

三、つまり日本の戦後とは、憲法第九条との整合性を無視した日本の再軍備と米軍に 対する基地の提供、便宜の供与(現在年間約六四〇〇億円もの「思いやり予算」が税 金から支給されている)、そして沖縄の切捨てによって戦争賠償の免除、一部軍人ら を除いて戦争責任の追及の免除を得てきた歴史であった。
 今、アジアの各地の人々から日本政府、あるいは企業に対して様々な戦後補償の請 求がなされており、米軍基地の重圧に苦しむ沖縄の人々から異議申立てがなされてい るのは、前述したような日本の戦後のあり様が引き起こした必然である。
 社会党、総評ブロックを中心とした戦後の憲法運動が一定の役割を果たして来たこ とは認めながらも、しかし戦後補償問題、あるいは沖縄問題に十分な取組をして来な かったこと、とりわけ一九七二年の沖縄復帰以降、平和運動の中から沖縄問題が急速 に抜け落ちていったことは否定することはできない。
 本年三月三一日、沖縄読谷村の楚辺のいわゆる「象の囲」の内部の土地の使用期限 が切れる寸前、反基地闘争の高揚を前にして、長年にわたって反基地闘争を担ってき たある沖縄の弁護士が「闘いの火種を絶やさずに続けてきて本当によかった。」と、 しみじみ語っている姿に感動させられた。
 戦後補償問題、沖縄問題の抜け落ちてきたこれまでの反戦平和運動の不十分性を克 服し、沖縄の人々の島ぐるみの闘いに呼応し、百万人署名運動を成功させようではな いか。そして沖縄問題を通じて私達本土自身をも変えようではないか。

■九・四 沖縄で反基地サミット■
百万人署名運動への
協力を要請

 日本初の県民投票を五日後にひかえた九月四日、那覇市で「全国基地問題緊急サミ ットin沖縄」が開かれた。主催は反戦地主会、大学人市民の会、基地・軍隊を許さ ない行動する女たちの会。
 夜に県民投票推進大集会が準備されているあわただしい雰囲気のなかでの緊急呼び かけではあったが、全国から三四団体、四〇人の反基地団体、沖縄と連帯する市民運 動家、大学人、地方議員、生協グループの代表らが参加した(私たちは反基地の「全 国キャラバン」を提案)。
 司会を桑江テル子さん(基地軍隊を許さない行動する女たちの会)がつとめ、参加 者一人一人が三分程度の運動紹介・アピールなどを行った。
 沖縄特別立法反対百万人署名運動からは呼びかけ人の富山洋子さん(日本消費者連 盟)、大久保青志さん(前東京都議)、事務局を担う天野恵一さん(反安保行動実行 委員会)とわたしも市民の意見30の会・東京として参加した。
 今回の反基地サミットの目的は、本土の米軍基地を抱える地域や沖縄からの米軍演 習移転に町ぐるみで反対する地元住民、反安保・基地撤去を求める市民運動体と、沖 縄の労働組合、女たち、市民グループ、反戦地主らが一同に会することで沖縄と日本 (本土)から基地・軍隊をなくしていくための共通の課題を出し合い、交流を深めて いくことあったと思われる。
 その点では短時間であったが各地のとりくみが報告され、沖縄の人たちにも本土で のとりくみの一端が生の声で伝えられたことは次の一歩につながるのではないか。
 神奈川ネットワーク運動からは三名が参加し、県民投票を支持する署名一二五七名 分が持参された。大分県の山下恭子さん(日出生台米軍演習移転反対玖珠、九重、湯 布院三町連絡会議)は「戦後直接受けた米軍被害のあまりのひどさにこれまで米軍の ことは地元で語られなかったが、移転で火がついた。真っ先に立ち上がったのが七十 代の人たちだ。人口一万二千人の町で三千人が参加して米軍移転反対集会がもたれた 。米軍基地整理・縮小、演習移転反対の全国ネットワークの形成されつつあり、沖縄 にも広げたい」とのべた。富山、大久保両氏から百万人署名への協力と反基地全国キ ャラバンの要請が行われた。わたしは市民の意見30の会・東京がとりくんでいる安保 条約をなくして日米平和友好条約をという運動を紹介した。
 沖縄からは有銘政夫さん(違憲共闘会議長)が県民投票後の運動にふれ「県の収用 委員会で実質公開審理を行い、もう一度国の不法占拠状態を明らかにする」「最高裁 は憲法判断をしなかった。今後はアメリカ世論にも訴える。」とのべた。照屋秀傳さ ん(権利と財産を守る軍用地主会代表)は「沖縄と本土は支援でなく共闘の関係だ。 基地に自分の土地をとられている地主は二万数千人になり年々増えている。」と発言。
 太田知事を支援する「市民・大学人の会」の米盛裕二琉球大教授は、「太田知事支 援の電子メールでアメリカ市民の協力を求めている活動などを報告した。
 集会終了後は参加者で県基地対策課を訪問し激布、署名などを手渡した。
 その後、県民投票推進協議会主催の五千人が参加した熱気あふれる大集会に参加し た。夜七時だというのに真夏のように蒸し暑く、日が明るかった。
(吉田和雄/市民の意見30の会・東京)

■百万人署名 各地からの報告■

広島から

 9月4日(水)広島市内では、12時15分から45分間、繁華街の紙屋町・そごう前で百 万人署名に取り組んだ。「ヌチドゥタカラひろしま」の女性、「不戦兵士の会」の元 兵士、「ピースリンク」のメンバーら10名で200名近くの署名がとれたのには驚いた 。手製の横断幕を2人で持ち、マイクを交代で訴え、ビラまきの人をのぞくと、5人の 署名ボード持ちでこれほどの署名がとれるほど、人々の反応は非常によく、手応えを 感じた。
 おりしも、米国によるイラク攻撃のさなか、その不当性についてもふれながら、少 女暴行事件からちょうど1年の今日、米軍基地の縮小・撤去に向けての県民投票の意 味、本土の市民の意志表示の重要さ、百万人署名の意義について各弁士が呼びかけた。
 私は、毎週火曜日「平和憲法を守るヒロシマ訴訟団」の定例宣伝行動に取り組んで もいるのだが、沖縄に関するビラの受け取りが非常に良いことについては昨年の10月 から毎月感じていた。しかし、署名への反応がこれだけあるのには驚いた。関心の高 さと行動への「かけはし」としてはこの百万人署名運動の意義はタイムリーであり、 各地で大胆に街頭にうって出る必要がある。
 人々は、沖縄に関する署名だとさえわかると積極的、かなりの人が働きかけられる ことを待っている様子がうかがえた。ビラを受けとった人の署名率はもちろん高かった。
 次回、8日(日)は模擬投票(「9/8沖縄県民投票と連帯する模擬投票」)を呼びか けている人たちと合流して、正午から午後6時まで取り組む予定である。
(久野成章/ピースリンク・広島・呉・岩国)

宮城から

 8月24日、仙台・わだつみ会の集会で内田弁護士が講演。100万人署名を訴えた。
 その後30日夕、電通労組・大内委員長へ荒井幹夫さん(宮城県古川市在住/反日の 会)から電話で次のような叱咤激励をいただいた。 「内田弁護士の話を聞き、古川市内の宣伝許可を一週間とり、妻と二人で百万人の街 頭署名を始めた。2時間で150人の署名を集めた。こんな反響は古川では初めてだ。 人数がいればもっと集められる。応援頼む。仙台ではどうなっているのだ」
 なお、宮城のニュースに、荒井さんより叱咤激励の一筆をお願いすべく、対応中。
(仙台 細川)

■署名運動本格的にスタート!■
最高裁の不当反動判決に怒り

 八月二十八日午前十時半から、参議院議員会館で「沖縄の米軍用地強制使用のため の特別立法に反対する百万人署名運動」発足のための全国会議が開催され、首都圏、 宮城、新潟、大阪などから七十五人が参加しました。平日の午前中で、しかも当日午 後に沖縄「代理署名」裁判の最高裁判決を控えているという、なかなか参加しにくい 条件だったにもかかわらず多くの方々に参加していただきました。
 呼びかけ人を代表して阿部知子さん(小児科医)、上原成信さん(沖縄・一坪反戦 地主会関東ブロック)、内田雅敏さん(弁護士)が、沖縄の闘いに寄せるそれぞれの 思いを語りました。阿部知子さんは、厚木基地の爆音による疾患を医師として診断し た経験から、基地問題について考えるようになったいきさつを語りました。
 首都圏以外からの発言では宮城の電通労組の大内さんが、県道一〇四号線越え実弾 演習の移転地となっている王城寺原演習場現地の反対運動と結び付けて、「百万人署 名運動」を多くの人々の中に広げていく決意を語りました。市民新党にいがたの中山 さんは、六月の沖縄発全国キャラバンで、巻町の人々が訪問した沖縄キャラバンの一 行を歓迎し、沖縄の闘いに深い理解を示したことを紹介し、「沖縄にいらない基地は 日本にもいらない」という運動を強化していきたい、と述べました。
 また沖縄社会大衆党委員長の島袋宗康参院議員の秘書である新垣重雄さんは、九月 三日、四日に那覇で行われる全国基地問題緊急サミットの呼びかけを行いました。新 社会党からは、「沖縄連帯・基地をなくす共同行動のための全国連絡会議」を結成す る訴えが発せられました。同連絡会議では、百万人署名運動に取り組むとともに、十 月二十二日には日比谷野外音楽堂での集会とデモを計画しています。
 当日、武器使用を隊員の個々の判断に委ねていたPKO法の規定を隊長の命令で部 隊単位で使用できる方向に「見直す」ことに反対して、総理府のPKO協力本部に申 し入れ行動を行った方や、執行部で取り組みを決めた千葉高教組からも発言がありま した。
 会議では、九月中旬に第一次署名集約、十月中旬に第二次署名集約を行うとともに 、国会情勢を見計らって国会請願行動を行うこと、当面九月四日に全国百カ所、九月 八日には全国五百カ所で街頭署名を行い、地域・職場などでの運動の広がりを気運を 拡大していくことが確認されました。またインターネットでの署名運動の方法につい て、その進め方について説明がありました。
 午後からは、それぞれ最高裁前で傍聴券の獲得、判決を待ち受ける行動に参加しま した。しかし午後三時、わずか十五秒で閉廷になった最高裁での判決は、大田知事の 上告棄却でした。しかも大田知事が署名代行事務を拒否したことは「日米安全保障条 約、日米地位協定に基づく我が国の国家としての義務の履行にも支障を生じることに なることがあきらかである」から、知事の業務代行拒否を放置することは「著しく公 益が害されることは明らか」というまったく反動的なものでした。
 この判決への怒りに燃えて、午後六時半からは日比谷野外音楽堂で抗議集会が開催 され(主催 違憲共闘、反戦地主会、一坪反戦地主会、市民・大学人の会)、三千五 百人が参加しました。この集会では会場内で机を出し、できたばかりののぼりを掲げ て百万人署名の呼びかけを行った。多くの人々が署名に応じてくれ、また地域や職場 に持ってかえって周囲の人々にも呼びかけたいと署名用紙を求める方もたくさんいま した。
 集会では違憲共闘の有銘政夫さんが「主権者である私たちが先頭になり、こんな政 府、こんな裁判所は作りかえるという決意をする日が今日だ。主権者としての誇りと 自覚にたって県民投票を成功させる。アメリカの世論も喚起して日米両政府を追いつ め、安保破棄まで闘おう」と力強く檄を発しました。
 反戦地主会の池原秀明さんは「憲法の上に安保が最高の『憲法』としてそびえたっ ている。しかし裁判は単なる手続きの一通過点にすぎない。残された公告・縦覧や県 収用委で最後の最後まで手綱を引き締めながら闘い続ける。すでに知花さんの土地の 不法占拠が四カ月も続いている。来年五月には三千人の土地の使用期限が切れる。そ の前に何としても解決したい政府がもくろんでいる特別立法を阻止する闘いを貫くこ とを確認しよう。安保のグローバル化の中で、政府は反安保の火の手が上がることを 恐れている。あらためてわれわれは安保廃棄の闘いを強めることを決意する」と語り ました。
 署名運動最初の出足は好調で、大きな反応を得ています。しかし、沖縄の人々の闘 いに応え、政府の姿勢に反撃する運動を作りだしていくにはこれからが勝負です。思 い切って運動を広げ、目標を達成しましょう。
(事務局 国富)

新たな署名収集媒体としてインターネットのホームページ上でも直接署名を集めてい ます。インターネットにアクセスできホームページを見ることのできる人は署名用紙 を手配してもらわなくても家から職場から手軽に簡単に署名をしてもらうことが可能 となります。しかしインターネットに署名場所をおいてもそのアドレスを広く知って もらわないことにはなんの効果もありません。インターネットでのアドレス「URL」 を宣伝することが必要となります。機関誌やビラなどで署名活動を案内されるときに はぜひこのインターネットでのアドレス「URL」も一緒に案内していただきますよう お願いしたいと思います。URLは「署名用紙」の方だけを案内していただければ結構 です。通信でもパソコン通信でのフォーラム等やインターネットでのメイリングリス トでも積極的にURLを幅広く案内していただければと思います。また、ホームページ を持ちの方はリンクを張っていただくようお願いします。

URLは、
「賛同要請」http://www.iijnet.or.jp/2go-green/Okinawa/P_join.html
「署名用紙」http://www.iijnet.or.jp/2go-green/Okinawa/Millions.html
です。ホームページをお持ちの方はリンクをよろしくお願いします

また両用紙ともパソコン通信の、
Nifty-serve:FACTIVE Mes(3)の
*1005 08/23 [marine]百万人署名運動賛同の呼びかけ
*1006 08/23 [marine]百万人署名運動署名用紙
PC-VAN: DAISAN 7番ボード「国内線」の
*3505 96/8/23[marine]百万人署名運動賛同の呼びかけ
*3506 96/8/23[marine]百万人署名運動署名用紙

にも、転載してありますので、ご活用ください

<事務局から>
■9/4〜8全国百カ所で署名運動がスタート!■

若者に支持広がる

 事務局には個人で署名用紙を送った人たちから署名用紙、賛同の振替が続々と届い ています。街頭用の横幕、ノボリの注文もとどいています。みなさんの沖縄連帯、基 地撤去への熱い意気込みを感じます。賛同(金)、署名運動の連絡先への協力を引き 続きお願いします。生活者ネットワークでもとりくみがはじまります。
 九月四日東京では新宿南口(署名数一七六人)、吉祥寺駅北口(一二〇人)、亀戸 などで百万人署名運動がスタートしましました。広島では昼休みを利用して十人ほど で四五分間で二百人の署名が集まったようです。
 九月八日には、事務局集約で八十数カ所で少なくとも百カ所をこえる所で署名運動 がとりくまれました。ぜひ、今後のとりくみも合わせ報告を寄せてください。
 この日は東京・首都圏三八ヶ所、関西など八都府県六四ヶ所など百ヶ所での沖縄県 民投票模擬投票が行われ、九万四八五票を集めたようですが、署名と一緒に取り組ん だ所もありました。実施状況は、仙台四五〇、石巻一五〇、古川三三〇、新潟二〇〇 (9/4)、大阪一一〇〇(二ヶ所)、松本三五三、広島六五〇、香川(坂出、丸亀、 高松二ヶ所)三〇〇、川崎二三〇(溝口駅)、所沢一九六、吉祥寺四〇六、静岡、郡 山、東京約二〇ヶ所などです。わたしの印象では高校生と女性がすすんで署名に応じ る人が多くかったように思います。新しい時代のなだれを感じます。新宿駅西口では 九五〇、下北沢一二七、小岩八〇、池袋七五、阿佐ヶ谷七一、お茶の水七三、荻窪七 九などでした。大阪の「沖縄の心に学ぶ吹田の会」では三時間で二〇人余りの模擬投 票、賛成四八六、反対二六、無効一、署名は二三七があったとの報告がありました。

次は全国キャラバン
9/22〜23日米首脳会談前後
全国一斉の署名運動を!

 九月八日の沖縄県民投票の成功は、先の代理署名最高裁判決をはねかえすものでし た。九月十日の橋本・太田知事会談から日米特別行動委員会、九月二十四日の日米首 脳会談と、沖縄の未来にかかわる重要な政治日程がつづきますが、沖縄のことは沖縄 が決める、沖縄にいらない基地は日本にもいらないという立場から次に運動を進めた いと思います。マスコミでは「特別立法は見送り」のような見出しが散見されますが 、よく見れば、政府は特別措置法の改正案を準備しているのですから新たな法改悪で 反戦地主の土地を強制使用することに変わりはありません。
 一つは十月から全国各地で沖縄の反戦地主らを招いた交流集会と署名を組み合わせ た地域キャラバンを、各地で取り組みませんか。東京・関東地区では九月十六日から 二三日までの各地区集会にあわせて、協力を要請しています。
 二つは、九月二四日前後の日米首脳会談にあわせて全国一斉百万人署名をもう一度 街頭で繰り広げましょう。今度は二百カ所を目標に成功させましょう。取り組みの連 絡おまちしております。(吉田)


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=== Vol. 3(96.10.3号) ===


<事務局から>

■沖縄の基地問題は何も解決していな米軍用地の強制使用のための法の改悪・改正に 反対し、百万人署名の目標達成のために全力をあげよう■

大田沖縄県知事が9月13日に公告・縦覧に応じた後、米軍用地強制使用のための特別 立法の提出は見送られることになったから、特別立法反対の百万人署名運動を続ける 意味はなくなったのではないか、という疑問が寄せられました。9月24日に開かれた 実行委員会は、この問題について討論し、署名運動を継続すること、駐留軍用地特別 措置法の改正をはじめ土地強制使用のための法の改悪に反対すること、年内を目標に して署名の目標を達成することを決めました。以下は、そのことについての見解です。

(一)
大田知事は「公告・縦覧」代行を受けいれたが、沖縄の米軍基地の整理・縮小問題は 何も解決していない 

 九月十三日、大田沖縄県知事は、橋本首相との会談をうけて、米軍用地強制使用の 手続きである「公告・縦覧]代行を受け入れることを発表しました。大田知事は、「 基地問題や経済振興開発に関する県の要望に対し、橋本総理自ら国が前向きに取り組 んでいくことを表明しており、今後の道筋が明らかになったことから、国と県との連 携を図ることが最も重要と判断した」と、これまでの拒否の態度を転換する理由を述 べています。
 私たちは、大田知事が公告・縦覧代行に応じる態度に転換したことを非常に残念に 思います。そして、肝心の基地の整理・縮小について、基地のタライ回しが続き、問 題が解決される見通しが立っていないにもかかわらず、大田知事が政府に協力する判 断を下したことに大きな疑問をいだきます。とくに、沖縄の人びとが、九月八日の県 民投票で基地の存続に反対する意志を直接に表明した直後だけに、その残念な思いが 募ります。
 沖縄の違憲共闘、反戦地主会、一坪反戦地主会は、大田知事の態度転換に対して抗 議の声明を出し、あくまでも米軍用地の強制使用に反対し、基地撤去まで粘り強くた たかい続ける意思を表明しています。私たちは、反戦地主・一坪反戦地主をはじめ基 地撤去をめざす沖縄の人びとと連帯していきたいと思います。私たちは、本土におけ る反基地や反安保の声がいまだ小さいことが、政府と和解する大田知事の判断の一因 にもなったことをきちんと見つめ、沖縄の人びとと共に歩むことができる運動を作り あげていきたいと考えます。

  (二)
沖縄では来年五月に三千人の土地の使用期限が切れるが、県収用委員会の公開審理も 採決までには一年の時間がかかるため、国による不法占拠が再現することは必至であ る。そのため、政府はあくまでも、駐留軍用地特別措置法を改正して米軍用地の強制 使用を継続することを企てている 

 大田知事が公告・縦覧事務の代行を受け入れ政府と県の和解が成立したことによっ て、あたかも沖縄問題が解決されたかのような雰囲気が作りだされています。大田知 事の態度転換は、沖縄問題は終わったという幕引きを演出することに一役買っている のです。
 しかし、問題は何も解決されていません。政府は、あくまでも日米安保は至高であ り基地は絶対に必要だという立場を変えず、その重圧を沖縄の人びとに押しつけよう としています。普天間基地の移転について「嘉手納基地への統合」案に続いて、「海 上ヘリポート」構想が出されてきましたが、これは基地のタライ回しに反対する声が 強いことに対する苦るしまぎれの方策であり、むしろ基地の整理・縮小が実際には進 まないことを告白するものにほかなりません。
 そして、来年五月十四日には、嘉手納基地内などにある三千人の反戦地主・一坪反 戦地主の所有地の使用期限が切れます。これらの土地を引き続き強制使用するために 、公告・縦覧の手続きを終えて、県の土地収用委員会が公開審理に入りますが、強制 使用の裁決が出るまでには少なくとも一年の時間が必要だと言われています。来年五 月までにはとうてい間に合いません。そうすると、今年の知花昌一さんの土地の不法 占拠に続いて、来年五月には、三千人もの土地の国による不法占拠が再現される事態 になることは必至です。
 そこで、政府は、駐留軍用地特別措置法を改正し、収用委員会の裁決が出るまでの 審理中は米軍用地の継続使用を認めるという暫定使用制度を導入しようと準備してい ます。収用委員会の裁決が出なくても土地の強制使用ができるようにしようというわ けです。これは、特別立法が狙っていた県の収用委員会の権限を取り上げる企てを、 特別措置法の部分改正という形で行おうとするものです。現に、臼井防衛庁長官は、 大田知事が公告・縦覧に応じたその日に、特別措置法の改正の研究を続け、特別立法 を検討することもあると明言しています。また、政府は、使用期限切れの土地を六カ 月に限って使用できる「緊急使用」の措置に訴える準備も進めています。これは、今 年の知花さんの土地の強制使用のために政府が突然持ち出して収用委員会で不許可に なったやり方ですが、政府がなりふり構わず、こうした手段を強行してくることが予 想されます。

(三)
ひきつづき、米軍基地の縮小・撤去、日米地位協定の見直し、軍用地強制使用のため の特別立法(駐留軍用地特別措置法の改正)反対を要求する百万人署名運動を全国津 々浦々に広げよう 

 私たちは、米軍用地の強制使用のための立法化が、総選挙後の国会で、新規の特別 立法の形ではないとしても、駐留軍用地特別措置法の改正という形で行われる危険性 は高い、と判断します。そこで、私たちは、「特別立法」反対の中身が、特別措置法 の改正をはじめとする米軍用地の強制使用のためのあらゆる法の改悪・制定に反対す ることであるという趣旨を明確にし、年内をメドに署名運動をさらに継続・拡大して いきたいと思います。
 署名運動は、予想外に大きな反響を呼び、とくに若い世代の人々の共感を呼びなが ら、全国各地に広がっています。これから、一カ月ごとに署名を集約し(第一次の集 約は予定通り、九月末です)、情勢を判断しながら国会への提出の時期を検討してい きたいと思います。総選挙の期間中も、署名運動は十分に可能です。ぜひ思い切って 、署名を広げてください。
 「沖縄米軍基地の縮小・撤去」、「日米地位協定の見直し」、「軍用地強制使用の ための特別立法反対」という署名の意味は、ますます大きくなっています。百万人署 名の目標達成のために、ともにがんばりましょう。

■元気に署名運動を進めよう■
九月二四日緊急実行委員会を開催

 全国会議が開かれた八月二八日から約一カ月、沖縄をめぐる情勢に追われる形で慌 ただしくスタートした百万人署名運動を、活動、組織の両面から振り返ると同時に、 八月一三日に大田知事が「広告縦覧代行」受諾を表明して以降、署名運動の今後の進 め方について全国から問い合わせが多く寄せられたこともあり、緊急の実行委員会を 開催しました。
 実行委員会には緊急の呼びかけにも関わらず首都圏を中心に三〇人ほどが参加、今 後の運動の進め方について活発な議論が展開されました。
 会議は・全国会議以降の活動報告、財政、・大田知事の「公告縦覧代行」受諾以後 の状況をどう見るか・今後の署名運動の進め方と活動計画、の三点が議題。・と・を 中心に意見が交わされました。
 議論の詳細は誌面の都合で紹介できませんが「ニュースNO3」一面に掲載している 実行委員会からのアピールとしてまとめられています。要は「基地の問題も、特別立 法についても」問題は何ら解決していない。反戦地主会や一坪反戦地主会、沖縄の人 びとと連帯して、百万人署名運動を今まで以上に元気に押し進めようと言うことです。
 署名の提出予定日が衆議院開催・総選挙の関係で十一月以降にずれ込みそうですが 、選挙期間中でも署名運動は行うことができます。目標の達成をめざして署名集めを 継続・拡大してください。なお、全国キャラバンについては十一月実施を目途に計画 します。各地でキャラバンの準備討論を進めて下さい。
 事務局には、毎日、署名や賛同金が届けられます。今日現在(九月二十五日)で署 名数は約二万七千人、賛同人・団体の数七百、賛同金・カンパ「三百万円」にはまだ まだ届きません。目標の達成のために、これまで以上のご努力、ご協力をお願いします。

(沖縄・百万人署名運動事務局)

<呼びかけ人より>
■百万人署名の運動のこと、これからの反安保行動のこと■
吉川勇一(市民の意見30の会・東京)

 大田県知事の名簿縦覧承諾、国会の解散・選挙など、かなり大きな状況の変化があ ったが、百万人署名運動が初期の設定通りの締切日を目標に継続されることになって いるのは、別掲の記事の通りである。
 にもかかわらず、署名運動が開始当初から沖縄県民投票にいたる時期にもっていた ような「はずみ」が、徐々に消失しているように私は感じている。
 「呼びかけ人」の一人であるから、もちろん、私も責任を免れぬわけだが、実は、 県民投票の日、吉祥寺駅前の街頭署名に加わった私には、一方で内心忸怩たるものが ないではなかった。確かにほかの署名運動の時に比べて道行く人びとの反応はよく、 署名はかなり集った。
ただ、「今日は沖縄では基地問題などを問う県民投票が行なわ れております。戦後、今日にいたるまで、苦しみをおしつけられてきた沖縄の人びと に連帯する署名にご協力くださーい」などと、声をはりあげながら、一方でこれは沖 縄への「依りかかり」だなあ、という思いが避けられなかったのだ。
 極端に言えば、「あんた、沖縄の人びとを気の毒に思わないの? 安保や基地の被 害を沖縄だけに押しつけといて、今日も遊びに行くの? 署名ぐらいしたっていいじ ゃないの」とでも言っているような、免罪符バーゲンセールの店員のような気分が、 心の奥のほうから払拭できないのだった。
 そこでは、問題は依然として沖縄の人びとの問題であって、道行く人びと自身の問 題とはなっていないのではないか、と思えた。「すぐ近くの横田には、極東最大の米 空軍基地があります」などとも言ったが、それも横田周辺の人びとの問題であって、 吉祥寺の駅前を歩く人びと自身の問題にはさせられない。  「沖縄の人びと同様、 横田周辺の人たちも気の毒だよね」なのではないか。
 「沖縄の軍用地強制収用に反対し、新しい反安保行動をつくる実行委員会」のニュ ース『熱風突風』第1号に出ている結成集会での武藤一羊氏の問題提起、とくにその 前半に私は全面的に共感する。彼は遠慮した表現ながら、運動の「沖縄依存」傾向へ の批判をのべている。もちろん、百万人署名自体は、この時期に行なうものとして間 違ってはいない。武藤氏もそれをさして言っているのではない。だが、この署名運動 自体は極めて限定された時期の、限定された目標のためのものであって、「天野さん が言う」と武藤さんが言う「沖縄に依存するのではない具体的な反安保闘争」の中心 的切り口ではないだろう。
 武藤氏は、続いてそういう切り口の一つを提案している。それへの反響を私はまだ 知らない。しかし、それをそれとして議論しようではないか。私自身も、いくつかの 場で、一つの切り口を提案した(例えば、『派兵チェック』 七月十五日号)。今、 私たち「市民の意見三〇の会・東京」は、市民がつくる「日米平和友好条約」(当初 の「民衆による『日米安全保障条約』という呼称をそう改めた)の最初の草案の起草 を進めており、「市民の意見三〇の会・東京」が一二月 七日に開く予定の集会で発 表する予定だ。ここでは、その構想や内容を紹介する紙面がないので、それにふれら れないが、私は、これも安保をわれわれ自身の問題としてとりあげる一つの「切り口 」だと考えている。
 やはり沖縄・安保をめぐる会合でのべたことだが、阪神大震災の被害者が提案して いる「大規模災害の被害者への公的支援」の市民立法運動がある。運動の中心にいる 芦屋の山村雅治氏や西宮の小田実氏らは、たびたび上京して国会議員に働きかけ、ど うやら来年初頭の参議院本会議に提出できる可能性が見えだしている。この法案は、 阪神大震災の被害者への救済の立法ではない。日本中、いたるところで起こる可能性 のある大規模災害へ対処するための法案であり、私たち自身に直接関係する問題なの だが、ここでも「沖縄・ヤマト」の関係が、つまり「棄民」と「いずれ棄民にされる はずなのに、まだなっていない人びと」との関係がなかなか払拭できていない。
 私の住む保谷市の市議会では、この「市民立法」をもとに国会が被災者への公的援 助の立法をせよ、という決議をつい先日(九月二五日)に満場一致で可決した。全国 の地方自治体では初めての決議だ。生活者ネットの市議が、共産、民社、さらには公 明、自民の議員にまで働きかけて成立させたのだが、これを報じた『朝日新聞』東京 版は、第 三面に一段の記事であった。ところが、大阪版では、 一面の「天声人語」 の真上に三段で詳しく報じた。何度も言うが、この立法案は、日本全体の問題であっ て、阪神大震災の被害者だけの問題ではないのに、そうなってしまうのだ。いずれも 国家による「棄民」であるのに、沖縄と連帯する運動とこの運動がなかなか接点を見 出せずにいるのも、私にはもどかしい。
要は、現在の日米安保をなくし、民衆の安全を保障する運動を、自分たち自身の運動 としてつくりだすことなのだが、そこに焦点をしぼった討論の展開を、もう一度私は よびかけたい。

<呼びかけ人より>
■国民一人一人の声を!■
小島清文(不戦兵士の会)

 沖縄の基地問題をめぐって、大田知事が全国民の基本的人権にかかわる問題として 主張されている平和的生存権について、政府は「国の平和と安全を維持し、存立を全 うするためには必要な自衛処置を採ることは国家固有の機能として当然である」と述 べている。また先にクリントン米国大統領の来日、日米安保の「再定義」と関連して 、橋本首相は「万一の事態を想定し、現在の法律制度の下で、何が出来るか、何がで きないかを検討して行きたい」と述べ、「米軍の存在はアジアの安定、日本の安全の ために役立っている」と挨拶していた。そして「憲法や有事法制といった観念的な議 論」は避けて、普天間返還の見返りとして、「有事の際に米軍が国内の自衛隊基地や 民間空港を使用」することを共同研究しようというのである。自国防衛の代替手段の 筈だった日米安保は、いつの間にか極東の安全、さらにはアジア太平洋の安定のため にと、次第にエスカレートし、何がなんでも沖縄県民の土地をその基地に利用しよう としている。
 日米安保は終戦直後の日米の力関係もあって、その成立時からいわば憲法の枠外に 置かれていたという経緯もあったし、また日本人は憲法九条を補完する現実的な防衛 手段としてこれを容認してきた。こうして日本では憲法論議もなく、いつからこの国 が「独立国」になったのか、ならないのか、あいまいなままに沖縄の苦悩をよそに国 民も、米国の傘下に安眠を貪ること五十余年。政党はハレものに触らないようにと、 憲法問題が起こると、いつも避けて通ろうとした。そして何か周辺に問題が起こると 、いつの場合のキーワードも「有事」である。それがどこの国の有事かも問わない。 そしてこの場合の有事に備えるという意味は、簡潔に言えば戦争に備えるということ である。
しかし日本は、その憲法で国際紛争解決の手段としての戦争は否定している 。日本にとっての有事の解決法方は戦争ではなく、平和的手段による解決以外にはな い。必要なのは安全保障のための軍事力ではない。従って、日本が独立国であるのな らば、自らの憲法に対して、この際明確な国民的意思の再構築がどうしても必要にな る。そして国民の安全保障のためには、どうしても軍事力が必要なのか、人間はどう しても戦争から逃れることは出来ないものなのか、ユネスコのセビリア会議でのよう に、すべての人が真剣に議論しなければならないのはその点である。神学論争は無意 味と称して議論を避けることは、問題の解決にならないし、日本の政治には哲学がな いとの批判を避けることもできない。
 「神学論争は無意味」と、戦後世代の頭だけで考える論者や、有事へ「現実的な対 処」をと主張するものは、戦争がどのように非条理で悲惨なものか、「現実」とはど のようなものなのかを戦争体験者たちに聞くがよい。大田知事もその悲惨な体験者の 一人である。次に今日の問題として、安保再定義によってこの国の基地が利用される ことによって、狭い国土に原発銀座を持つこの日本が近隣の仮想敵国からの報復攻撃 、中距離誘導ミサイル攻撃によって、上陸戦を展開するまでもなく、瞬時のうちに人 間が住めなくなる状態になることは、この頃は子どもでも知っている「現実」である 。この様な予測を前にしては、陸上自衛隊の必要性、存在価値すら問わなければなら ないというのが検討すべき「現実的な」課題である。いつでも一時代遅れた戦争や誤 った歴史観で、この国の将来を間違えてもらっては国民は迷惑である。「沖縄」は、 日本がまた戦火に巻き込まれるのか、自由で平和な国民一人一人の民主国家になるの か、の分かれ道である。一握りの権力者たちに任せて置く問題でもない。国民一人一 人が自ら考え、自らの判断を述べる時である。

■百万人署名 各地からの声■

壁を突き破るために
……ひとつの提案

 八月二八日の沖縄代理署名訴訟最高裁判決を傍聴した私は九月九日、東京地裁の韓 国朝鮮人B・C級戦犯の補償・謝罪を求める訴訟の判決を傍聴した。そして司法の、 というより権力、体制の壁の厚さを改めて実感した。
 そこで思い出したのだが、三年前の総選挙の際行われた第一六回最高裁裁判官国民 審査に当たっての、「司法の独立と民主主義を守る国民連絡会議」の運動への参加の 体験である。
 この運動はビラをまいて「憲法と人権を守らない裁判官には×印を!」と訴えた。
 間近と伝えられる総選挙、したがって国民審査では全員に×をつけよう。第九回( 一九七二年)の国民審査では反動的姿勢の露骨な下田武三(元駐米大使)に×が集中 し、平均して九パーセント前後で推移している不信任率が下田については十五パーセ ントを超えた。運動の成果である。不信任率が急上昇すれば、五〇パーセントを超え るのはまだその先のこととしても政府の心胆を寒からしめることは必至である。沖縄 の震源地として是非この「全員×印運動」を展開しよう。
東京都大田区・佐藤斉一

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秋の気配の濃くなり出した今日この頃です。活動ご苦労様です。間に合うか気がかり ですが署名送ります。子供達の入っている幼稚園、小学校、合唱団、少年団のお母さ んたちに声をかけしてもらいましたので、すくないかナとは思いますが、気持ちを沢 山込めておくります。アメリカが中東に関わっている今基地のある日本には何の相談 もありませんが、普通の人びとが無意識のうちに日本も関わっていることがそれを知 らずに考えずにいることがとても恐ろしいです。
 町田も座間からの飛行コースになっていて、時々爆音を残し米軍機が飛んで行きま す。子供達が二、三、歳のころまで、その音を聞くと、こわがり、泣いていました。 大人の私でもこわい。そして毎日の生活の中にいつもあるとしたら、精神的におかし くなるナと思います。沖縄の人たちに苦痛を押しつける権利は私たちにはありません 。同じ土上には立てませんが、沖縄を思っている人間がここにもいるよとお伝えした く参加させていただきました。また、できそうな事がありましたら参加させて戴きた いと思います。よろしくお願い致します。
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない……・宮沢賢治・
祈りつつ      (町田市)

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情勢が変化して来ていると思います。私個人は大田さんの決断をはっきり否定はでき ません。ただ署名していただいた皆さんに、これをどのように活用なさるのか、責任 をもってお答えしなければなりません。何かの機会にどの程度の賛同があり、どのよ うに活用したか(新聞紙上でも……)を、教えていただけたら幸いです。
 選挙、いったいどの党にいれたらよいのでしょう。国民として何をどうしたらいい のか。本当に悩んでおります。民主勢力の結集にお知恵と力をおかし下さい。

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沖縄を離れてはや三〇年近くなります。復帰する前も復帰した後も沖縄の状況はあ まり変わってないように思います。ベトナム戦争当時、ベトナム帰りの米兵達に風し んを感染させられて約千人(現在二〇代)耳の不自由な子ども達が生まれました。こ の事も絶対に忘れてはなりません。昨年の痛ましい少女の事件も永久にわが痛みとし て忘れてはならない事件です。それから妹の親友も二〇代の時に若い米軍兵どもが旧 五八号線(?)泊〜コザ線をカーレースのごとく猛スピードで競いあい、青信号の時 道路横断中ひき殺されました。あまりにもむごいことです。
本土の方は沖縄の基地がどういう状況にあるか実感として感じないと思います。沖 縄に一年程住まない限りは。それは仕方ないことでしょう。でもあきらめないで理解 していただくよう。うったえ続けていきましょう。
 今横田基地まで歩いて五分ほどの所に住んでいます。(約二〇年)私がこの地に住 んで以来、米兵が事件を起こしたという新聞記事は幸いに一件もありません。沖縄で は数えきれないくらい米兵の起こす事件が多すぎます。飛行機の騒音は八〇ホン以上 ありますが沖縄でならされましたので、この程度のことはそれほどうるさいと思いま せん。近隣の方はとてもうるさいと言いますがやはりうるささの点で沖縄と横田では 比較にならないほど沖縄は爆音すぎます。安保は国民の大半が賛成しています。沖縄 の基地縮小がむずかしいならば、本土にも分散してほしいですね。普天間基地の会場 ヘリポート案が出ていますがなぜ沖縄なのと橋本首相に言いたくなりますね。新しく 作るのならなぜ本土にしないのですか。
 理想を言えば、二〇〜三〇年計画で沖縄は県民全員で人材を育て失業問題を解決し 日本から独立した方がいいかと思います。独立でもしない限り本土国民からずっと基 地を押しつけられた状況にいつまでもいることでしょう。もともと沖縄と本土は違う のだから。でも、東京は好きです。それから横田基地で一年半ほどアルバイトしたこ とがありますが米人は気さくであけっぴろげで沖縄人に似た所がありましたので私に とって性にあった職場でした。英語がペラペラであればいろんな事が言えたのにと思 います。米人は好きです。でも基地は絶対反対!
 一人でも多くの沖縄県民が英語がペラペラになって沖縄の状況を通訳なしで米人に 直接、主義主張ができるようになりたいものですね。
(K)

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署名が遅くなり申し訳ありませんでした。
 病弱な為、今は八名しか集められませんでしたが、これが今自分にできる八人分で す。 中には、先日の大田知事の署名で無駄なのではないかというものもおりました が、私はそうは思いません。
 現在、目に見える形としては報道通りでしょうが、本人の意識である方向へ向かっ ている気がいたします。
 もしかしたら間に合わないかもしれなかったし、私自身本気で署名を集めようとし たかは定かではありませんが、それが人間の姿だと思います。
 人間は実際の所、自分の身にふりかかってこなければその状況におかれている人の 苦痛が分からないものですが、少し想像力を働かせれば、その状況の自分の気持ちが 明らかになってくると、少し歯がゆかったです。
 残念なことに現状の日本人の姿は自分が生きることで精一杯で他人の事など気にか けられない状態のように思えます。でも、少しづつ何かが自然にある方向にゆっくり と向かっているようにも思え(病身の為その辺の感覚は鋭敏なので)これからもこの ような活動をされている方々を微力ながら応援させて下さいませ。
 これが政治的思惑に利用されないよう祈りながら筆を置かせていただきます。  
(T)


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