<PBIインドネシアプロジェクト>
[野田まきのインドネシア便り]
No.1 2002年2月20日
Apa Kabar? (皆さんいかがお過ごしでしょうか?)
私は、2月3日に日本を発ちまして、無事にジャカルタに到着し、今は、ジャカルタから電車で東に8時間ほど行った、ジョグジャ(Yogyakarta)という町にて、語学学校に通っております。毎日、4時間の個人レッスンを受けています。
皆様もご周知のとおり、インドネシアは洪水の被害が多発しております。特にジャカルタは状況が悪化しています。私がジャカルタに到着した日は、幸いにも空港から市内までの道が開通しておりましたが、到着の日が早まっていたら、空港で足止めになっているところでした。空港では、PBIのスタッフが待っていてくれまして、PBIのジャカルタオフィスに無事に到着することができました。市内は、色々なところが水浸しで、道路も閉鎖されているところがたくさんありました。
2月4日に日本大使館に参りまして、在住の手続きを済ませました。大使館の方はとても良い方で、これからの私の活動の内容もご説明しましたら、私の安否を気遣っていただきまして、これからも頻繁に連絡をとるようにということでした。
2月5日にジャカルタを発ちまして、ジョグジャにやってきました。この街は、学生の町であり、また美しいビーチもあることから、たくさんの観光客の方が来るそうです。私が、ホームステイしているところから、ビーチまでは少し距離がありますので、まだ行っていませんが、今週末にでも、行ってみようと思っております。
今インドネシアは雨季なので、毎日のように雨が降っています。しかし困ったことに、いつ降るのかが定かではないのです。朝はとても晴れていた、と思っても、急に雲行きが怪しくなり、突然土砂降りになったりします。土砂降りになってしまったら、傘はほとんど役目を果たさなくなるので、とりあえず雨宿りをします。たいてい、20から30分で止むことが多いので。また、雷がすごい!雷の音でびっくりすることは今までなかったのですが、ここに来て、雷の音に何度驚かされたことか…
語学学校には、PBIからほかに3人ボランティアがインドネシア語のレッスンを受けに来ています。ソフィー(フランス人)、ウリ(ドイツ人)、それとサナ(スウェーデン人)です。英語で話すことが多いのですが、せめて学校にいる間はインドネシア語を使おうということに決めました。私以外は、結構話せるので、私は何とか追いつこうとがんばっていますが、なかなか… ホームステイ先の婦人はとても良い方で、私のつたないインドネシア語を、一生懸命理解しようとしてくれます。
ここには、2-3ヶ月滞在となる予定です。すべては、私のインドネシア語の習得力次第ですね。ここにいる間は、PBIの活動には参加できませんので、このインドネシア便りもしばらくは、インドネシアの観光案内となってしまいそうですね。(笑)
PBIの最近の動きですが、アチェチームに一人またボランティアが参加しました。アネッテ(オランダ人)の方です。彼女には、ジャカルタに居る時にお世話になりました。最近、また護衛的同伴をする団体が1つ増えましたし、GAMの司令官が代わったことなどで、情勢が少し変化しているようです。とはいっても、ボランティアたちは活動を継続しております。また、今月末までにはあと少なくとも2人の新しいボランティアがこのジョグジャにインドネシア語習得にやってきます。私以外は、ルクセンブルグでのトレーニング参加者です。カナダでのトレーニング参加者は、今アチェにいるアナ、と私だけですね。3月以降も、また新しいボランティアたちがやってくる予定になっています。
4月には、オーストラリアでPBIのインドネシアプロジェクトのトレーニングが行われることになっております。
それでは、また。
No.2 2002年3月2日
Apa Kabar? サポートグループの皆様、いかがお過ごしでしょうか?
3月になりました。こちらに来て、ほぼ1ヶ月がたちます。早いものですね。語学学校のほうは、順調に進んでいます。思ったよりもインドネシア語をマスターすることがとても大変で、四苦八苦しております。とはいっても、毎日使わなければならない、という状況にいるほうが上達は早いですよね。
先週末に新しいホームステイ先に移ったのですが、また来週頭に引越しです。これで3度目の引越しになります。今私が滞在しているお宅は、中国人系の家庭で、とても良い方達なのですが、犬が2匹います。犬はとても好きなのですが、動物の毛にアレルギー反応を起こす私には、ちょっと厳しい。ということで、また引越しです。
先週、PBIの新しいボランティアが、語学を学ぶためにジョグジャにやってきました。ナタリア、というルーマニア人の女性です。今月は、他に後3人来る予定です。みんな、ルクセンブルグでトレーニングを受けた方達です。語学を学びに来るボランティアは増えておりますが、今、アチェとジャカルタで活動をしている4人のメンバーが、3月で任期を終えるそうです。経験をつんだボランティアが離れていき、新しいボランティア達が続々とやってきて、新旧交代の時期なのでしょうか。
前回のインドネシア便りでは、インドネシアは雨季だとお話いたしましたが、2月の最後の週辺りから、まったく雨が降らなくなりました。とても暑い!こちらでは、お風呂に入ることを、“Mandi”(マンディ)と言いますが、1日に最低でも3回はマンディをしています。日本のお風呂と違うところは、まずお湯はありません。シャワーもありません。そして、あるのは水がめ。この水がめに水を常時溜めておいて、柄杓を使って水浴びです。始めは、少し抵抗がありましたが、今ではすっかり気に入っています。
それから、ビーチに行くということをお話したと思いますが、行ってきました。私が住んでいるところから、約1時間半、バスに乗っていきました。このバスは、ありとあらゆるところに止まってくれます。便利な反面、一向に前に進まないのが難点ですね。ビーチに行く前に、学校の先生や、ホームステイ先の夫人から「緑色の洋服を着ていってはいけません」と言われました。これは、この土地の人たちの迷信で、海の女神様は緑色の洋服を着ていて、ビーチに来た人が同じ緑色の服を着ているのは好まないため、大きな波を起こしてさらってしまう、ということでした。なかなか面白いエピソードではありませんか?ビーチで、緑色の服を着ている人は見かけませんでした。それに、このビーチは波が高すぎるため、「泳ぐな」という看板が立っていました。結局泳がずに、次の日にプールに行きました…
Batik(バティック)という染物がインドネシアでは有名です。マリオボロという繁華街に行くと、その通りの端から端までが、このバティックで染められた洋服や、タペストリー、そして絵などが売られています。各地域によって色合いが変わってくるらしく、ここジョグジャでは茶色、緑などを使ったバティックを良く見かけます。このバティックのやり方を学校で習えるというので、今週はそれに挑戦してみようと思っています。
それでは、また。
No.3 2002年3月11日
私のホームステイ先の近くにイスラム教との小学校があるのですが、そこでかわいらしい女の子に会いました。
私が写真を撮っているときに、たくさんの小学生が寄ってきて私のカメラをまじまじと見ていました。彼女もその一人でした。私は、そこで知り合ったもう一人のインドネシア人の男性とお話をしていました。その方は、日本に滞在していたことがあり、日本語が少し話せる人でした。
そこへ、写真に写っている女の子がやってきて、私と一緒に話をしていた男性に“どうして、私にもあのカメラ(私が持っていた)を日本に行った時に買ってきてくれなかったの?”と聞いていました。私は、彼女だけの写真を撮って、彼女に見せて上げました。彼女はとても喜んでいたので、一緒に写真をとることにしました。
No.4 2002年3月28日
Apa Kabar? Baik-baik?
皆様、いかがお過ごしでしょうか?こちらに来てからも、新たに多くの方々がサポートグループに参加してくれています。支援の輪が広がっていることとの証ですね。とても、心強いです。
さて、3月に入ってから、新しいホームステイ先に移りまして、今度はアレルギーに悩まされることもなくなりました。私の他に、PBIのソフィーが滞在しています。他に、西ティモール出身の男性が2人、滞在しています。彼らは、英語を学んでいて、これからヨーロッパに勉強をしに行くそうです。家族は、良い方達ですが、子供たちはほとんど一日中、Playstationのサッカーゲームをしています。こちらではゲームに没頭している若者をよく見かけます。
3月に入ってから、新しいPBIのボランティアが3人ここジョグジャにやってきました。イギリスから、スチュアートとルース、イタリアからパウラです。来週には新たにスウェーデンから2人来る予定です。語学学校に通いチームに入る準備をしている人数は増えていますが、現地で活動をしているボランティアの数は、任期を終える方がここに来て増えているので、とても忙しいそうです。今アチェには、5人。ジャカルタには4人のボランティアが活動中です。アチェは情勢がとても不安定で、2月、3月と休みなしに働いていたそうです。それに、2週間ほど電話回線が遮断されてしまい、チームとの連絡調整に四苦八苦していたそうです。ここに来てやっとお休みが取れることになったと、チームメンバーから久々に喜びと安堵のメールが届きました。
先週、PBIのボランティアとして2年間アチェで働き、3月末で任期を終える、オランダ出身のドリーナがジョグジャにやってきました。彼女はとても愉快な方で、色々な体験談を私達に話してくれました。彼女は、PBIアチェチームの創設者の一人でもあり、とても経験豊かな方です。彼女がいなくなってしまうのは、とても残念なことです。彼女はカラオケが好きで、アチェでもよくカラオケに行ったそうです。軍隊の人たちとも一緒になったこともあり、彼女曰く、カラオケはよい社交手段だそうです。
また、先週末には私の通っている語学学校のはからいで、アチェ出身の学生を招き、ちょっとした会合を開きました。アチェの情勢について話してくれたり、アチェの文化、特にJilbab(イスラム教徒の女性が身につける顔だけ出すかぶり物)はある地区に行くと私もかぶったほうがよいとか、ビーチに行っても水着では泳げず、必ずTシャツを着て泳ぐなど話してくれました。また、バンダアチェ(PBIのオフィスがあるところ)は比較的安全だが、バンダアチェを離れると、たくさんの軍隊の監視ポイントが存在し、GAMとの衝突も耐えないとか。また、この会合の他の趣旨としては、アチェの方言を聞くことでした。アチェの方言は私が習っているインドネシア語とはまったく違うのですが、ほとんどのアチェ住民は私が習っているインドネシア語は理解できます。しかし、彼らがインドネシア語を話すと、ここジャワ島の人たちと違って、かなり話すスピードが早い!理解するのがとても大変でした。彼らとは、また会合を持つことになっています。
また、PBIが護衛的同伴のサービスを提供しているKolisi HAMのメンバーがジョグジャの大学で2ヶ月ほど勉強をしているという情報が入り、私たちPBIボランティアは彼に連絡をとり、先日会ってきました。彼は、アチェで活動をしておりましたので、PBIの他のメンバーのことをよく知っており、PBIのアチェでの存在の大きさ、重要さを話してくれました。彼は来月中旬にもアチェに戻るそうですが、その前にまた私たちとあって、色々なことを話してくれるそうです。
明日はイースターなので、学校はありません。語学学校の先生の半分はキリスト教徒なので、明日は教会に行くそうです。今週末は、特に予定はありません。先週末は、ここからバスで1時間ほど来たに行った、カリウランという町に行ってきました。カリウランは、インドネシアで最も活動が盛んな火山ムラピのふもとにある町です。カリウランは、ジョグジャよりもかなり涼しく、とても過ごしやすいところでした。ムラピはここジョグジャからも天気が良ければよく見えますが、ほとんどは、雲の隠れています。カリウランからも昼間はまったく見えなくなってしまいますが、朝早ければよく見えます。朝6時にムラピを見ましたら、もくもくと煙を出していました。ちょっと恐ろしいですよね。
日本は桜がきれいと聞きました。お花見の季節ですね。インドネシアでも、桜は「さくら」と呼ばれています。でも、桜を見たことはまだないです…
では、また。
Sampai jempa lagi
No.5 2002年4月24日
Bagaimana kabar Kalian?
サポートグループの皆様、いかがお過ごしでしょうか?桜は散ってしまって、もうすでに暖かくなってきていると聞きました。それに、花粉症の季節ですよね。花粉症をお持ちの方には、つらい時期ですよね。私もその一人ですので、辛さが分かります。気を付けてください。
さて、私の方はというと、あと2週間ほどで、語学学校を終えられそうです。大分上達しました。2ヶ月前のまったく喋れなかった時期を思うと、ずいぶん上達した、といえると思います。先日、宗教と紛争について取り扱っているNGOを訪ねてみました。彼らは宗教間の紛争を解決することを目的とした団体で、おもな活動地域は、マルクだそうです。インドネシアでは、すべての国民は宗教を持たなければなりません。イスラム教、カトリック、プロテスタント、ヒンズー教、仏教、の5つから1つを選ばねばなりません。今では儒教や他の宗教も信仰することが許可されていますが、KTP(IDカード)には先に述べた5つの宗教の中の1つの宗教名が記述されています。政府によって、宗教を義務付けられていることに不満を待つ人も多いようです。
語学学校では、先日アチェ出身の女性を招いて、アチェのシャリア法(Syariat)についてお話をしてもらいました。シャリア法とは、イスラム教の戒律で、アチェでは3月15日からこのシャリア法が施行されています。シャリア法はとても厳格な法律であり、例を挙げると、すべてのイスラム教徒の女性は外出するときは、顔と、手と、足以外の体の部分をさらしてはいけないことや、未婚の男女は一緒に公共の場を歩いてはいけない,また罪を犯せば、このシャリア法にのっとって裁きを受けることなどがあります。これは、イスラム教徒の方だけに有効な法律と言われていますが、私もアチェに行ったら同じように振舞わなければならないかもしれません。今はまだ、施行されて間もないこともあって、イスラム教徒以外の方々には強制はされていませんが、今後どうなるのかは誰にもわかりません。イスラム教徒の方々の中でも、このシャリア法については賛否両論です。
PBIのボランティアのソフィーとウリはすでにアチェにて活動を始めています。彼ら曰く、バンダアチェはとても美しい街で、軍隊の姿は見かけるが、それ以外はとても落ち着いた感じがするそうです。毎日、とても忙しいようで、メールもなかなかできないようです。ソフィーとウリと入れ替えに、スェーデンから2人のボランティアが語学学校に通うためにこの街に到着しました。リナとミナです。今語学学校に通っているのが8人。アチェには6人。ジャカルタには、3人が活動しています。
PBIのトレーニングが4月のあたまにオーストラリアで行われました。6人のメンバーが新たに選抜されたそうです。彼らがいつインドネシアに到着するのかは未定です。また、5月7日から14日まで、ここジョグジャにてPBIインドネシアプロジェクトの今後についての話し合いが行われる予定です。
語学学校のアクティビティの一環で、ボロドゥールに行ってきました。ボロブドゥールは紀元前750-850年に建てられた、大乗仏教遺跡です。しかし、ムラピが噴火し、その火山灰に100年以上も覆われ、その姿は1815年にThomas Stamford Rafflesが発見するまで見られませんでした。ボロブドゥールは大きなストゥーパからなっており、それを覆うように、1212のレリーフが描かれています。そのレリーフには仏教の教えや、1000年以上前のジャヴァ人の生活などが記されています。私たちが行った時は、天候に恵まれ、ボロブドゥールからムラピ(火山)を一望することができました。

最近、とても暑い日が続いています。人々は、このムラピの活動が激しくなっているからだ,と言っています。インドネシア人も、この暑さにはまいっているようです。インドネシア人は暑さに強いのかと思っていたのですが、それは単なる偏見でした。
それでは、また。
No.6 2002年6月4日
Apa Kabar? Mudah-mudahan Kalian berbahagia.(お元気ですか? 皆様がHappyであることを願っています)
サポートグループの皆様、いかがお過ごしでしょうか?しばらくインドネシア便りを発信していませんで、申し訳ありません。5月の中旬に語学学校を終了し、その後インドネシア内を少し旅をし、6月1日より、チームに参加しました。今は、ジャカルタオフィスにて活動をしています。
5月の始めに、ジョグジャにてPBIの会議が行われました。この会議は、FACE to FACE MEETING と呼ばれ、年に2度開かれます。これまでのプロジェクトの評価、これからのインドネシアプロジェクトについてなど1週間にわたり話し合います。PBIのプロジェクト関係者は世界各国に滞在しており、通常は、Emailや電話を通しての情報交換をしています。チームメンバー以外は、フルタイムでインドネシアプロジェクトに関係しているわけではないので、年に2回行われるこの会議は、すべてのプロジェクト関係者が面と向かって意見交換ができるチャンスとして、とても重要なものです。会議が開催された時期はまだチームメンバーとして活動を始めていなかったのですが、会議に参加することによってPBIの活動や、仕組みをよりよく理解することができました。また、新しい政策に対しての意見交換、決議に参加することもできました。
ジャカルタオフィスには現在、マリッサ(スペイン)、ナタリア(ルーメニア)、リザ(マレーシア)、メーガン(オーストラリア)、ニナ(インドネシア、彼女はアシスタント)、そして私が活動をしております。アチェチームには現在、アナ(スイス)、アネッテ(オランダ)、ソフィー(フランス)、ウリ(ドイツ)、サナ(スェーデン)、ルース(イギリス)、ポール(オーストラリア)が活動をしています。ポールは今週末で任期を終えます。今週末には、ロブ(カナダ)がジャカルタチームに参加します。
ジャカルタチームはおもにアチェチームのサポートを行っています。アチェチームが護衛的同伴を行う際には、ジャカルタチームがバックアップを行います。具体的には、アチェは通信機能が定まっていないため、何かあったときにすぐに大使館などに連絡がとりにくいので、ジャカルタチームのメンバーが大使館などに連絡をとります。また、ジャカルタチームは、国際NGO,地元NGO,や国連機関と定期的な会合を持ち、情報交換などを行っています。
毎週月曜日、チーム全体のミーティングが開かれます。このミーティングでは、これから一週間の活動の役割分担(誰がどのミーティングに行くのか、誰が会計を受け持つのか、誰が食事を作るのかなど)、またインドネシアの情勢分析、前週で起こった重要課題についての論議などを行います。ジャカルタチームのミーティングは比較的短い(4-5時間)のですが、アチェチームは時には1日中ミーティングを行うこともあるようです。
月曜日、火曜日はヴィザの更新に行ってきました。このプロセスがとても長い!ただ、ただ待たされるのみ。しかも、今はワールドカップの真っ最中のため、すべての職員はTVに釘付けです。インドネシア人は、サッカーがとても好きで、たいていの人は他の国のチームのことも良く知っています。私よりも詳しい人が多い!それはさておき、すべての職員がTVに釘付けとなってしまったため、ゲームが終了するまで、誰も仕事をしようとはしません。もちろん、私のヴィザの手続きも滞ったまま。仕方がないので、一緒にゲームを観ることにしました。2日間、ただ待たされるのみのヴィザの更新でしたが、更新が終わったときには、くたくたになってしまいました。
ジャカルタに移ってから、私のアレルギーがひどくなり、毎日くしゃみをしています。ジャカルタは、かなり大気汚染が進んでいるので、それが原因だと思います。また、かなり蚊が多く、蚊帳なしには眠れません。それに、ジョグジャよりもかなり暑く、夜はクールダウン、というわけにはいきません。クーラーはないので、扇風機が何よりの頼りですが、寝苦しいこともしばしば。星もあまり見ることはできず、残念。でも、ジャカルタは首都だけあって、何もかも揃っています。ジャカルタに移動してまだ数日ですが、色々と探索してみようと思っています。
それでは、また。
No.7 2002年7月1日
Apa Kabar? Saya sekarang di Aceh. Sangat sibuk setiap hari!(お元気でしょうか?私は今、アチェに居ります。毎日とても忙しいです。)
6月23日にジャカルタからアチェに移動しました。この一週間はとても忙しい日々が続きました。仕事場と、生活の場が同じ、というのはなかなか難しい環境であり、承知の上でこの仕事を選びましたが、気がつくと1日中仕事をしていることもしばしば。仕事と、自分の時間の区別をしっかりつけていくことが大切だとしみじみ感じます。今回のインドネシア便りでは、PBIアチェチームの一日の活動を皆さんに報告し、わたしのアチェでの生活模様をお伝えできればと思います。
08:00 起床。キッチンにて朝食の準備。Makan Pagi(朝食;コーンフレークとコーヒー)をもって2階のバルコニーへ。
08:30 Emailチェック係り(毎月交替)になったので、オフィスに行って、メールのチェック。重要なメールが届いていたら、他のチームメンバーに報告。
09:00 Mandi(シャワーを浴びる)
09:30 クライアント、LBH(法的援助を行う団体)とのミーティング。明日からの護衛的同伴(PA)を伴うField Tripの最終チェック。今回のPA Tripは西アチェ地区へクライアント共に行動。
10:30 オフィスに戻る。クライアント、RPUK(避難民、特に女性と子供、へ援助を提供する団体)護衛的同伴の依頼の電話。
10:40 緊急チームミーティング: PBIとしてどのようにRPUKの依頼に答えられるのかを論議。依頼内容に対して不明な点などをチーム全体で話し合い、チームメンバー2人がRPUKへ行くことに。
11:30 RPUKとのミーティング。
12:30 Makan Siang(昼食)。PBIハウスの近くにあるWarung(食堂)にてMie Goreng(焼きそば)を購入。アチェの料理は全体的に辛い、でもとってもおいしい! 昼食をとりながら、RPUKとのミーティングの内容を報告。
13:30 チームミーティング。LBHとのミーティングの内容報告。PA Tripに行くメンバーは最終準備に取り掛かる。他のメンバーはRPUKのPA依頼について引き続き論議。
14:00 SPKP(拷問を受けた人たちへの援助を行っている団体)のメンバーがPBIハウスを訪問。ミーティング中であったため、6時にこのメンバーとのミーティング設定。
16:00 チームミーティング終了。今後の仕事の分担し、私はPAリクエストの報告書を作成することに。
17:00 報告書作成終了! ジャカルタチームへ報告書をメールで送信するつもりが、Lampu Mati!!(停電)。仕事にならないので、散歩に出かける。
18:30 SPKPのメンバーが家に遊びに来る(勿論6時にミーティングを設定しても、インドネシアでは時間通りには行かない)。PAリクエストではなく、最近の団体の活動などについてPBIへ報告。
20:00 チームメンバーがパスタを料理。チームメンバー全員でバルコニーにてMakan Malam(夕食)をとる。仕事とは関係のない話をし始めるが、気がつくと仕事関係の話になっていた...
21:30 オフィスに行って、先に停電のため送れなかった報告書を送信。同じころ、プロジェクトコーディネーターのセリア(カナダ)が、私たちの活動状況を確認する電話をかけてきた。電話回線が確立されていないので、かなり聞き取りにくい。
22:00 やっと自分のために時間が取れる。音楽を聞きながら個人Emailのチェック。ちょうど他のメンバーもメールのチェックをしている。
23:00 Mandi(寝る前に汗を流さねば!)
23:30 Selamat Tidur(おやすみなさい)
と、色々なことが次から次へと起こっています。予定を組んでも、予定通りに行く日はなく、単調な日々という言葉はアチェチームにはありません。忙しいと共に、寝不足気味ですが、仕事を楽しんでいます。毎日色々なクラインとに会い、インドネシア語で会話し、彼らの経験、悩み、これからの方針などを聞いているのは、とても興味深いです。アチェの平和を願って非暴力で平和活動をしている人たちの勇気には本当に頭が下がります。
先日(日曜日)初の休暇が取れました。チームメンバーと共にビーチへ。こちらでは、泳ぐときにはTシャツを着ます。イスラム教徒が大半を占めるので、なるべく肌を見せないようにするのが公共の場でのマナー。Tシャツを着てジーンズをはいて泳ぐのは、かなり不思議な感じがしました。日曜日だったので、アチェの人たちも海水浴にきていましたが、地元の人曰く、紛争が激しくなってきているので、海水浴に来る人たちも減っているとか。とても素敵なビーチなのに...(写真参照)
ワールドカップも終わってしまいましたね。様々な人たちを楽しませてくれました。日本は開催国であったこともあって、かなり盛り上がっていたのでしょうね。日本に居れなかった事が少々残念。しかしながら両親や、私の友人のメールにも、ワールドカップの話題が満載だったので、日本の雰囲気を感じ取ることができました。
サポートグループの皆様、また新しくサポートグループに参加していただいた方々、もしインドネシア便りに対してご意見、ご要望がありましたら、メールにてお知らせください。
Sampai ketemu lagi(それでは、また)
No.8 2002年8月10日
Apa Kabar? Saya baik baik saja. Muda-mudahan Kalian baik baik aja.(お元気でしょうか? 私は元気にしております。皆様も元気であることを願っております。)
すっかりご無沙汰してしまいました。アチェに来てからというもの、前回の「インドネシア便り」でお知らせしたような日々が続き、一日が過ぎるのがとても早く、気がつくともう一ヶ月以上が経ってしまいました。早いものですね。日本も梅雨が明け、夏真っ盛りなのではないでしょうか?こちらは相変わらず暑い日々が続いてますが、朝方はとても冷え込みます。寒い、と思うことなどないと思っていたのですが、扇風機も必要ないくらい涼しくなります。
先週は、ヴィザの更新のために、マレーシアのペナンに行ってきました。毎日PBIの仕事のことばかり考え、さすがに休暇が欲しい、と思っていた時だったので、ヴィザの更新も兼ねた短期間の休暇となりました。ペナンについた時は少しカルチャーショックを受けました。町はかなり欧米化されていて、アチェではお目にかかれないスターバックスなどが町にあふれ、バスに乗るときも料金が決まっているので値段交渉する必要がありません。たくさんのバックパッカーがいて、マレーシアの都市ですが、人々は英語を話します。たくさんのバーがあり、どこの店に行ってもアルコールを手に入れることができ、少し不思議な気がしました。アチェに戻ってくる前に、メダンの日本領事館の方にご挨拶に行きました。皆さんにはとてもよくして頂きました。
先月はオフィスにいることが何かと多かったので、今月からはなるべくクライアントに会いに行くようにしています。PBIインドネシアプロジェクト初の日本人ということで、クライアントから、「アジア人もPBIの一員になれるのね」とか「アジア人がきてくれて嬉しい」といった評価を受けています。どんどんクライアントに会いに行って、インドネシア語に磨きをかけないと、日頃英語でしかチームメンバーとは会話していないので、インドネシア語を忘れていってしまいます。しかし、インドネシア人(特にアチェ人)の方たちはとても暖かい人たちで、いくら私のインドネシア語がゆっくりで、分かりにくくても、私に時間を与えてくれ、理解してくれようとします。アメリカにいたときには、あまり感じ取れなかったことですね…
今アチェには、アナ(スイス人)、ソフィー(フランス人)、ルース(イギリス人)、ウリ(ドイツ人)、サナ(スウェーデン人)、ナタリア(ルーマニア人)、リザ(マレーシア人)、メーガン(オーストラリア人)、そして私の9人で活動しています。ナタリアは月曜日にジャカルタに移動します。アナは今月いっぱいで任期が切れてしまいます。一番経験豊かなアナが抜けてしまうのは痛いですね。それに、彼女は私と同じトレーニングに参加した唯一のボランティアなので、寂しくなります。ジャカルタにはロブ(カナダ人)、スチュアート(イギリス人)、リナ(スウェーデン人)がいます。ボランティアがアチェとジャカルタを行き来しており、メンバーの交代が常にあるのはかなり精神的に疲れてしまいますが、ボランティアたちはみんな良い人たちなので、生活していくこと、仕事を共にしていくことには苦労していません。しかし、9人のメンバーとミーティングをしていくのは本当に大変で、1日中ミーティングをしていることもしばしば。PBIは全員の意見が一致するまで話し合いを続ける手法をとっているので、意見の食い違いがあればとことん話し!
No.9 2002年9月9日
Apa Kabar? Saya sekarang di pantai untuk liberan! Tetapi ada hujan… (お元気ですか?私は今休暇でビーチに来ています。しかしながら、雨が降っています…)

インドネシアに来て7ヶ月目に突入しました。早いものですね。先月インドネシア便りを皆様にお送りいたしましてから今日までに、初の地方への旅に出ました。北アチェ県と東アチェ県へPBIの広報活動、ならびに地方にいるクライアントに挨拶に行きました。
広報活動は、警察や軍隊の長官、市長や市議会の方々に会いPBIの活動の説明をすることです。これは私達、またクライアントの安全確保にも役立つことで、大切なPBIの仕事の一環です。PBIは地方に行くときには、必ず警察、軍隊に私達の旅の詳細を事前にFAXにて知らせます。地方までの道中にはたくさんの Check Point が存在します。これは治安維持のために警察と軍隊が道沿いに駐在所を構えているもので、もし怪しい車が通ることがあれば、この駐在所に待機している軍隊、警察は車を止め、車の中を調べたりする権利を持っています。この駐在所の警告を無視し、車を止めずに走らせたため銃撃されたバスの事件なども起こっています。こういったことからも、PBIは地方に行くときにはその駐在所の人たちに私達は怪しい外国人ではなく、職務を遂行していることを知らせる!
No.10 2002年10月1日
Apa Kabar? Saya baru kembali dari Aceh Utara. Field Tripnya bagus sekali! (お元気でしょうか? 私は北アチェ県から帰ってきたばかりです。(北アチェ県の)旅はとてもよかったです。)
9月の終わりの週(25日から30日まで)北アチェ県のロクソマウェーという町にオランダ人のAnnetteと共に行って来ました。ロクソマウェーは石油、ガスが豊富な町で、日本からの輸送船も行き来しています。ロクソマウェーの町は、私が住んでいるバンダアチェよりもずっと小さな町で、市外の農村では銃撃戦がよく起こっています。今回の旅は、8月の旅同様、PBIの広報活動をしてきました。また、クライアントからの護衛的同伴の依頼があったので、それにも同行しました。広報活動では、議会委員長とあったり、市長のアシスタントと会ったりしました。PBIのことを説明するのにも大分慣れてきました。始めは理解してもらうのにかなり四苦八苦していたのですが、今では言葉の使い方にも慣れてきました。
今週は、他のメンバーが東アチェ県と南アチェ県に護衛的同伴でクライアントに同行しています。
今、アチェのオフィスには、ソフィー(フランス)、アネッテ(オランダ)、サナ(スェーデン)、リナ(スウェーデン)、メーガン(オーストラリア)、ウリ(ドイツ)、ルース(イギリス)そして私が活動しています。ジャカルタには新しいメンバーが加わりました。ナタリア(ルーマニア)、スチュアート(イギリス)、リザ(マレーシア)、イザベル(フランス)、ミナ(スウェーデン)、マリーン(フランス)が活動しています。
メンバーのアチェとジャカルタでの入れ替えもよく行われるため、チームワークを築くのがなかなか難しくなってきました。でも、それもPBIのヴォランティアのとしての直面していかねばならない現実です。
8月の初めにヴィザの更新のためにマレーシアに行ってから早2ヶ月。PBIに参加してからはまだ休暇をとっていないので、そろそろ休暇をとる時期。紛争地域にあまり長く居すぎると、精神的にダメージを受けるので、来週休暇をとることにしました。毎日軍隊と銃を見ている生活は日本に居たときの私には考えられない生活ですからね。
それではまた。
No.11 2002年10月29日
Apa Kabar? Saya masuk angin beberapa hari yang lalu, tetapi sedang sembuh.(皆さん、いかがお過ごしでしょうか?私は、数日前に風邪をひいてしまいましたが、大分よくなってきています。)
今月は、7日から14日まで休暇をとり、その後ジャカルタオフィスにて働き、24日から28日まで、北スマトラのブラスタギというところで、PBIのワークショップに参加しました。これはPBI内部のトレーニングで、ジャカルタチームとアチェチームが参加しました。日本語にどう訳していいものかと悩むところですが、主旨は、Facilitation and consensus decision making (会議・会合の進め方と合意形成)についてでした。PBIの決議はすべて、consensus(全員合意)ですので、その論理や、やり方、また、ミーティングを進めていくために必要なfacilitator(進行役)とはどう役目をするのか、またそのやり方についてのトレーニングです。これは、personal development(個人の力量を高める研修)の一環です。
今は、アチェオフィスに居ります。
休暇、ということで1週間ほどバリに行ったのですが、その間に、12日の爆破事件が起こりました。私が泊まっていたホテルは、事件が起こったところからほんの数百メートルしか離れていないところにありました。あの夜は、かなり疲れていたので、そろそろ寝ようかとベットについた矢先のことでした。かなり大きな爆発音と振動で飛び起き、あまりにも大きな音だったので、初めは私が止まっていたホテル内の爆発事故だと思いました。
部屋から飛び出すと、他に泊まっていた人たちも何が起こったのかと飛び出してきました。そして見たものは、大きな炎。炎は瞬く間に大きくなり、周りにあるものをどんどん焼き尽くしていきました。その時は、何が起こったのかまったくわからず、ガス爆発なのではないか、周りの人々は話していました。私自身も、まさかバリで爆弾が仕掛けられるとは思っていなかったので、ガス爆発なんだろう、と思っていました。
炎はどんどん広がり、小道は火事から逃げる人たちとバイクでいっぱいになっていました。消防車や救急車の音が鳴り響き、これはかなり大きな事故なんだということがひしひしと感じられてきました。
爆発から1時間ほどたって、私が泊まっていたホテルにも助けを求める人たちが集まってきました。何人かの人たちは火傷を負い、何が起こったのかを集まる人たちに絶望的な表情で語っていました。そのときに「爆弾が仕掛けられた」ということを知りました。ホテルには、惨事の中で見失った友人を探しに来た人たちもたくさんいました。
翌日は、すべての話題は昨夜の爆発事故で一色となりました。
人々はテレビに釘付けとなり、大惨事に言葉をなくしていました。PBIの友人たち、日本大使館のお世話になっている方から私の無事を確認する電話を頂きました。幸いにも携帯電話を持っていたので、連絡を取り合うことができました。現地で知り合ったインドネシア人たちは、自分たちの友人を一度に数十人と失ったことに大きな悲しみに打ちひしがれ、彼らの悲しみをどうすればよいのかと途方に暮れていました。爆破事件がおこった場所に行きましたが、あまりの惨状に言葉をなくしました。爆破事件が起こった場所だけでなく、その周りのすべてのお店の屋根や窓は粉々となり、いつもは買い物客でにぎわっている Legian 通りの姿をまったく失っていました。火傷を負った人たち、友人の行方を探す人たち、悲しみに打ちひしがれ泣き崩れる人たち……。
多くの人たちの命を一度に奪い取ったこの事件は許せるものではありません。未だに身元が判明していらっしゃらない方々もいます。この事件を期に、世界中の目がインドネシアに集まっています。バリは、インドネシアでも唯一安全な場所とされていました。また、多くの人たちが、インドネシアには行った事はないが、バリには行ったことがある、というコメントをすることも。
バリは観光が収入源の大半を占めています。この惨事はバリに大きな被害を与えています。それに加え、バリの人たちは、また爆弾が仕掛けられるのでは、とびくびくしています。また、バリの人々だけでなく、インドネシア全体が同じ恐怖を感じでいます。
その現場にいたこともあり、しばらくは事故のこと、バリのことに触れること、聞くこともできませんでした。大惨事を目の前にして、何もできない自分の無力さをひしひしと感じました。PBIはバリには活動拠点を置いていませんので、直接何かができるというわけではないのですが、PBIの一員としてアチェで非暴力平和活動を推進することで、その概念、活動が地方へも進展していくことを願っています。
この爆発でお亡くなりになられた方々に こころからご冥福をお祈りいたします。また、怪我をなされた方々の早期の回復をお祈りしております。
NO.12 2003年4月7日
皆様、お変わりはないでしょうか?インドネシア便りを送り始めて早くも1年が過ぎました。私のインドネシアでの生活を含め、PBIでの活動をサポートグループの皆様にお伝えしてきましたが、今回が最終号となってしまいました。
4月から、HDC(Henry Dunant Center;インドネシア政府とGAMの停戦合意を仲介したスイス主体のNGO)で働くことになりました。昨年の12月9日の停戦合意意向、「平和ゾーン」の設立や、武装解除がアチェにて進められていますが、それと平行して、市民社会の強化というのも進められています。これは、紛争後の再開発・平和構築を焦点としています。停戦合意が結ばれる前に、日本で東京会合というのが開かれ、そこで日本を含めた各国がアチェへの支援を採択しました。地元のNGOや州・県政府を通しての人道的支援・開発を進めていく分野で今度もアチェにて活動を続けていきます。今まで、PBIで学んできたことを十二分に生かせる機会だと思っております。
今まで皆様には非暴力での紛争解決ということで、私達PBIの活動を報告してきました。多くの方に賛同・支援を頂き、日本でも武力ではなく非暴力での紛争解決を望む声が高まってきたことを、この1年間メールを通して、また講演会などを通して感じる事ができ、嬉しく思っております。PBIを離れることとなりましたが、私の考え方が変わったというわけではなく、これからもPBIの活動、また非暴力での紛争解決、といった考え方は支持していきたいと思っております。
PBIのヴォランティアとして現地で活動してみたい、またPBIの活動をもっと知りたいという方は、PBIのホームページhttp://www.peacebrigades.org/ または、ciaomakinoda@hotmail.com にご連絡ください。
最後となりましたが、アチェの最近の状況を報告したいと思います。停戦合意後、銃撃戦や紛争が原因での死亡率がかなり低下しています。しかしながら、3月のはじめには、中アチェ県でJSC(合同治安委員会)のメンバーが襲われるといった事件が起こり、その後デモンストレーションなども多く起こっています。まだまだ不安定な状況であるともいえますが、5つの平和ゾーンは稼動しており、銃撃戦が少なくなり、平和への道を歩む一歩を踏み出していることに対しての市民の喜びの声を聞きます。皆様にも、今後のアチェの状況を見守っていただき、アチェの人々が平和の恩恵を受け続けられるよう支持していただきたいと思います。
一年間、皆様には私のサポートグループということで、本当にお世話になりました。これで、縁が切れてしまうというわけではありませんので、これからもご指導・ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願いいたします。
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