のじれん・現場からの声
 

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現場からの声

10月15日(金):STさん(45歳)の突然の死

 10月15日(金)にSTさんが突然、心臓発作(狭心症)で亡くなった。昼間、宮下公園下のベンチで仲間と話している途中に、突然「うっ」とうなって、そのまま前につんのめり、仲間が彼を抱え起こしたときには、もう心臓は止まっていたそうだ。(この部分は、詳しく知らないので、必要だったら変更加筆、高橋さんよろしく)

 私達は彼と個人的にも仲が良かった。実は、彼は、以前にもこのHPの「現場から」で登場している。7月3日にSさんの救急搬送の話を書いたが、そのSさんが救急車で運ばれるまでの長い間、渋谷ハチ公前で、Sさんの食事の世話をしていたのが、このSTさんである(7/3の現場情報ではTさんとして登場している)。まわりの人は、その当時、STさんのことを、「彼は45歳で、まだ体もしっかりしているので、仕事を見つけようとしたらどうにか仕事を見つけることができるはずだ。でも老齢のSさんのことが心配で、彼の世話を毎日しなきゃならないと思って、仕事に行かないんだ。」と言っていた。このSTさんは、何もSさんだけを大事にしていたわけではなく、渋谷の他の大勢の仲間のことをこれまでもよく気遣っていたみたいで、翌土曜日に行った追悼式では、多くの仲間が口々に「STさんはとても良い人だった」と彼の突然の死を悲しんでいた。

 しかし、このSTさんの突然の死は、実は突然ではなかった。7月3日に友人のSさんが救急搬送されて、入院が決まったのを聞くと、本当に上述したまわりの人の言葉を裏付けるように、その約一週間後に、2週間契約の現場仕事を見つけて、現場に出かけてしまった。

 ところが、なぜか一週間後に渋谷で彼を見かけた。何日か働いたある翌日の朝、起きたら突然胸が痛いというか苦しくなって、半日くらい動けなくなったということだった。午後からは、動けるようになったが、仕事は心配で、やめて帰ってきたということだった。その約一週間後の雨の日にも、また一時的に胸が苦しくなったと言うことを聞いた。そこで、渋谷ではよくそうするが、まず渋谷の福祉事務所に行き、そこから渋谷診療所を紹介してもらい、そこで検査を受けた。結果は、異常なしということだった。

 具体的にどんな検査だったかは、正確にはわからないが、後日8月28日の炊出しの際に、彼から聞いた話だと、だいたい、レントゲンと心電図(負荷無し)の検査だったようだ。そのとき、「いったん痛くなると数時間歩くこともできなくなるような状態が2回もあったのに異常無しなんて」とは思ったが、医者が検査をしてそう診断したんだし、その後2週間ほどは一度も痛みが来ることがなかったので、しばらく様子をみることにした。彼には、「もし今度もう一度ひどい痛みがあったら、また病院に行ってきちんと見てもらおう」と言って別れ、その後、時々、帰宅途中にハチ公前によって、彼を探し様子を聞くようにした。(実は,狭心症の発作の場合は、その発作がおさまっている時には、負荷無しの心電図では、異常を発見することは出来ず、負荷心電図の検査をしなければならないことなんてことを昔聞いたことがあるので、一抹の不安を持ったままだった。ただこのとき、この話をある医療関係者にしたら、医者が診てそう診断しているんだから大丈夫だよと言っていた。)

 その後、彼は、新宿で無料のレントゲン検査があるのを聞いて、自分でそれに行ったが、そこでも異常無しだった。一方発作の方は、それ以降はなかったので、私は、次第に安心して、夜ハチ公前で彼を探すようなことはせずに、ただ炊き出しの時だけ様子を聞くことにした。

 ところがである。彼は突然、10月15日に心臓発作でなくなったのである。その後の仲間の話だと、その前日と前々日にも痛みがあって、病院に行き、何か薬をもらっていたらしいことがわかった。ただし、なぜかその病院は、以前検査で行った渋谷の福祉事務所が紹介してくれた病院ではなかったらしい。なぜ、近くにある以前の病院に行かなかったのだろうか。また、そのとき行った病院でどんな検査なり、治療を受けたのだろうか、すべて今のところわからない。最初の病院での検査で異常無しと診断されたことと10月15日に亡くなったことだけが確かである。(P)

 


(C)1998,1999 渋谷・野宿者の生活と居住権をかちとる自由連合
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