のじれん・通信「ピカピカのうち」
 

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希望 と 絶望
はじめに

――シャワー室・医療街頭相談問題顛末記――

湯浅誠


 今年4月の「結成一周年総会」で、私たちは行政に要求をぶつけてそこから何かを勝ち取る、というタイプの活動形態から、自分たちで路上脱却を含めた広い意味での「自立」を手に入れる、という方向へ踏み出していくことを決めた。それがこの間頻繁にお伝えしている「就労支援プロジェクト」や弁当隊の活動、就労相談の実施などである。

 「仲間の命は仲間で守る」というのが私たちのスタイルであり目標だから、別にそれまでも野宿者問題の解決をすべて行政にお任せしたい、というドレイ根性で活動していたわけではない。炊出しや福祉行動の継続や仲間との関係作りは自分たちで自分たちを守ることの実践としてあった。「結成一周年総会」における新方針は、その領域をさらに拡大させていくものだった。たとえば何かの折に住民票のないことが大きな障害となる場合が野宿者にはよくあるが、以前ならば行政に何とか住民票を出させる方法はないものか、と頭をひねり、それを要求として行政にぶつけていったりしたものだった。今では住民票が出ないことを前提に、それによる障害を自分たちで別の方法でクリアできないものか、と頭をひねる。実際にはその両極の間には様々なバリエーションがあって、そうスッキリと二分できるものではないが、発想の仕方の問題をわかりやすい形で言えば、そういうことになる。それは私たちが行政に対する絶望へ一歩近づいた、ということでもある。

 しかし、行政の無策を批判し行政の現状に否を突きつけることで、行政の対応を改善させ野宿者問題を前進させる、という方向性を断念したわけではない。これから紹介するように、今年も行政闘争はやってきたし、これからも問題があれば取組むだろう。それは否定的な形を通じてではあれ、行政の改善可能性に対する一定の希望に基づいているという点で、行政に対する希望の表れである。最近では、行政を批判するだけではダメで、行政と同じテーブルにつき、行政と相談しながら少しずつ歩み寄っていくのが現実的な方策だという理解が一般化しているようだが、それは対等の力関係があって初めて成り立つ方針であり、日本の民間団体には基本的に適応できないものだと思う。現状を見るかぎり、多くは行政に影響力を及ぼそうとして同じテーブルにつく。それは、影響力があって無視できないところから同じテーブルが用意されるというのとは、進み行きが逆転している。プロセスの逆立ちした不健康さに対する十分な自覚を持たずに、役人と話しこむことで何か行政と対等の関係にあるような幻想を抱くとしたら、それは喜劇である。なぜなら、彼らがテーブルに歩み寄って行った時点ですでに基本的な勝敗は決しているから。基本的な枠組が決まってしまっているところで、些細な譲歩を引出したとして、それは長期的に見れば退歩である。「同じテーブル」を美化する前に「誰のテーブルか」を吟味する必要があるのだ。私たちは弱い。しかし弱いなら弱いなりのやり方がある。強がって見せても底はすぐ割れる。それは敗北主義ではない。なぜなら、弱い者が強くなる可能性があるとしたら、それは「弱いなりのやり方」に固執する以外にないから。それゆえ、否定を通じた改善可能性への希望は、少なくとも私たちにとっては希望の正しい表し方である。 

 しかし、それも怪しくなってきた。私たちは、一度徹底的に行政に絶望する必要があるのかもしれない。

 前置きが長くなった。本題に入る。


*   *   *


発端

 五月一七日に、私たちは渋谷区役所の関係部署が作る「路上生活者問題連絡会」宛に「要望書」を提出した。そこで要望したのは、次の二点である。

 (要望内容)

 一 これから暑くなるにつれて、シラミ・ダニ・ノミが大量発生してくる。野宿状態のままでは衣類や毛布、ダンボールやテントにたかったこれら衛生害虫の駆除は現状では困難である。また体や服の汚れやにおいが目立ち、衛生状態は悪くなる一方である。ふだんから体を洗い、服を洗濯して清潔にしていればかなり予防できるのであるが、風呂やシャワーに入る金はなく、着替えの服や、石鹸一つ、タオル一つすらもたない野宿者にそのような余裕などない。現在貴区にあるシャワーは、もともとは通院用であって、それも構造上一日四五人しか入れないというものである。この設備を改善し少なくとも一人一週間に一度はシャワーが浴びれるようにしていただきたい。またそれに併せ下着、タオル、石鹸を支給していただきたい。

 二 現在貴区内において野宿者が定期的に健康診断を受ける機会は皆無に等しい。過酷な野宿生活での健康状態は劣悪であり、特に中高年のほとんどは結核や糖尿病、高血圧など何らかの疾患を持っている。これらの病気はなかなか症状が表れにくく、発症し病気が重くなるまで何ら手を打つことができないというのが現状である。また就労にあたって診断書が必要なところもあり、健康診断を受ける機会のない野宿者にとっては仕事に就くことすらままならない。

 われわれは数年来、貴区に対し、街頭での結核検診や医師による医療相談の実施を求めてきた。その都度、貴区は予算や制度の問題を理由に拒否してきたが、もはやこの状況の中で手をこまねくことは許されない。すでに新宿区や豊島区では街頭相談を実施しており、成果をあげている。貴区においても野宿者に対する無料の健康診断、医療相談の実施を切に求める。

 私たちがシャワー室の改善と街頭相談の実施を求めるに至ったのには、それなりの経緯があった。渋谷区役所地下駐車場内にあるシャワー室は、六年前に「野宿者を診察する際に医者に不快感を与えないように」設置された。夜間に湯を沸かして貯水槽にため、それを昼間使うというタイプのものである。六年前には確かにそれで十分だったろう。しかし、野宿者の数は六年前とは比べものにならないほど増えている。その破綻は、すでに去年の冬に明らかだった。野宿者数の増加と越冬期の集中的な取組の相乗効果として、毎週月曜日の福祉行動には常に三十人以上の仲間が参加するようになっていた。シャワー室がある以上、当然それを希望する仲間は多い。もともと野宿者の方を向いて作られた設備ではないが、しかし汚れた服で冷えた体を包む野宿者の要望をそうそう無下に断れるものではない。通院者優先の原則は維持しつつも、自然とシャワー室を利用する仲間は増えていった。そして、シャワー室の利用がかなり一般化し、それを当てにして福祉窓口を訪れる仲間も出始めた頃、当然のことながらシャワー設備は限界に達した。貯水槽の容量は多くて四五人、湯をたくさん使う冬場には二三人分しかもたない。毎週毎週シャワー利用から漏れる仲間が出た。昼頃に窓口に来た仲間が病院に行こうと思ったときには、もはや貯水槽は空になっている、という状態も珍しくなかった。私たちは窓口で再三再四担当者に相談したが、設備の問題は福祉事務所単独で決められる問題ではない、とけんもほろろの対応だった。

 そして、冬が終われば春は来ずに「端境期」がくるのが野宿者のカレンダーである。「端境期」とは、予算使いきりのために集中していた二三月の公共工事が終わり、新規事業が開始されるまでの三ヶ月ほどの期間を指す。収穫、つまり実入りがないのだ。建設現場の日雇仕事などで食いつないできた野宿者がこの時期一斉に路上へと出てくる。それまで一度も百食を超えたことのなかった私たちの炊出しも、六月中旬にはついに百八十食を記録した。そしてそのまま梅雨が来る。今年は特に児童会館前で集団野営を行っていたためにダニ・シラミ問題は深刻だった。毛布を一括して管理しているためにそれを媒介に広がるからである。風呂のない生活に必ずしも慣れていない新しい野宿者の急増とダニ・シラミ問題の深刻化。そして次の冬(それがもう来てしまった!)一体どうなるのか、という不安。シャワー室問題を何とかしたい、と思ったのは、私たちにしてみればあまりにも当然過ぎる帰結だった。

 そして、衛生問題と言えば、真っ先に街頭相談を思い浮かべるのは野宿者問題の定石である。渋谷区ほど多くの野宿者が生活している地方自治体で、街頭相談を実施していないところは極めて例外的だ。役所の人間も野宿者の結核問題等々をこのまま放置していいと思っていたわけではない。伝染性のある結核は、人間のように野宿者と一般市民を区別してはくれない。しかし、ではどうするかと言うと、これまでどうもしてこなかった。渋谷区には「誕生日検診」など住民が無料で健康診断を受けられるシステムがあったが、保健所に行けば住民票がないかぎり受けられないと言う。福祉事務所に行けばようやく他区の街頭相談のやり方を勉強し始めたところだと言う。この問題も棚上げされたまま、空しく時を経過しつづけてきた問題だった。まだまだ理由を挙げれば言いたいことは山ほどあるが、切りがないので止めておく。とにかく、シャワー室と街頭相談の問題は「いいかげんなんとかしてくれ」と腹の底から声が漏れ出てくるような問題だったのだ。


*   *   *


衝突へ

 六月二日、私たちは福祉事務所から要望書への回答を受けた。それは次のようなものである。

 (渋谷区の回答)

 ・ 六年前の設置当初の目的は、通院および就労活動に限り使用させるというものだった。

 ・ 昨年度は前年度に比べて九倍の利用者があったが、面接相談時の調べによれば「本来目的」による使用は一二割程度に過ぎない。

 ・ したがってシャワー室利用を通院と就労に厳しく限定していけば、現設備で十分対応できるので、増改築の必要性は認められない。

 ・街頭相談については、今年度中の実施に向けて積極的に努力する。

 私たちは足をすくわれた気がした。渋谷区の解釈では、シャワー室問題が問題そのものとして存在しなかった。貯水槽の容量は十分足りている、間違った人間が使ってきたのが間違いだったので、その間違いを訂正すればいいのだ、と。そこには、ダニ・シラミ問題もさらに急激に膨れ上がった野宿者も存在してなかった。そんな問題はシャワー室問題とは関係がない、かといって他に対策もないけど、というわけだ。

 結局私たちは、区長は野宿者問題に冷淡だから事を大きくするとあなたたちのためにならない、という福祉事務所担当者の「忠告」を振りきって問題を渋谷区議会に持ち込んだ。その時点では、そうせざるを得ないもう一つの重要な動機が加わっていた。五月、渋谷では立て続けに三人の死者を出した。野宿者の路上死ほど、私たちの無力と行政の無策を痛感させる出来事はない。ああそうですか、と引き下がることは、彼らの死が許さなかった。六月七日に渋谷区議会宛陳情書提出。内容は要望書と重複する点が多いので、ここでは繰り返さない。

 そして、区議会はどうしたか。区議会は本議会前段の「福祉保健委員会」で陳情書を本議会に送付しないことを決めた。これで本議会では、私たちの陳情書はそもそも存在しないことになった(各議員に送付はされたらしい)。委員会での審議時間はたったの三分間。シャワー室についての質問はどの会派、どの議員からも出されることなく、ただ本議会に送付しないことだけが決定された。そして私たちはその三分間のために二日間、委員会を傍聴しつづけていた。

 議会というところはつくづく不思議なところだと思う。本議会に送付しないことを決めた後で、私はある議員から次のような話を聞かされた。本議会に送付された上で「不採択」になれば、行政サイドはその「民意」を盾に態度を硬化させる、だから本議会に送付されないよう配慮したのだ、と。門前払いされた人間がその「配慮」をありがたく思わなければならないとは、もはや私の理解能力を越えた話である。私は戸惑った。そしてなんとか「はあ」とだけ答えた。とてもこの人にはカナワナイと思ったのだ。この議員は被害を最小限に食い止めたぞ、と胸を張りたかったのかもしれない。しかし、被害を最小限に食い止めることが役に立つのは、次の攻撃のときである。残念ながらこの人にその準備はなかった。ただこの人は百歩退くかもしれないところを五十歩で食い止めたぞ、と胸を張っていた。……昔の人はうまいことを言ったものだ。ただおかげで面白いことを一つ発見できた。それは福祉事務所の担当者もその議員も、ものを言えば言うほど不利になるということこそ真理であり、そのことがわからない野蛮人に一生懸命それを教えようとして「忠告」し「配慮」してくれていたということだ。私は魯迅を思い出す。彼らは自分たちを「賢人」に、私たちを「ドレイ」に見たてているのだ。しかし、あいにく私たちは「バカ」だった。実際に私たちはその後も、壁に穴をあけようともがきつづけた……。

 六月十五日、本議会開催の日に、私たちは区役所前でビラをまき、マイクで声を張り上げ、デモをしながら議場に乗り込み、本議会を傍聴した。六月二十八日、二十人の仲間がシャワー室利用を福祉事務所窓口で申請した。七月五日、七十人の仲間が区役所に乗り込んで、庁舎設備管轄の総務部経理課他と保健所に押しかけて、シャワー室の増改築と街頭相談の実施を迫った。私たちはその間、次のようなビラを区役所前の道行く人々や昼食に出る区役所職員に配りつづけた。

 興味を示したジャーナリストもいたし、区役所が悪いと断言した職員もいたらしいが、具体的な力にはならなかった。そして十二日には、一人の野宿者が公務執行妨害の現行犯で、私服警官に逮捕された。私服警官は、その前の週から、区役所警備課の要請で私たちの後ろに付きまとっていた。そしてパチリパチリと私たちの写真を撮り続けた。それに抗議した仲間が彼らの餌食になった。私たちは七月二十二日に不当弾圧糾弾のデモをやった。毎日のように弁護士の接見や差入れも行った。方々でカンパも集めた。しかし三週間後に釈放されたときには、彼は私たちよりも警察を信頼するようになっていた。世にこれを分断工作という。生皮を引き裂くようなこの「合法的」な残酷さに比べれば、身内の恥を隠そうとする非合法的な隠蔽工作などカワイイものだ、と私は思う。


*   *   *


発想の転換

 八月四日。弾圧問題で渋谷区と再度交渉。逮捕が、要請した警備課が引き上げた後に、渋谷区役所内のしかも職員が執務しているカウンター内で行われたにもかかわらず、渋谷区は警察に対する抗議や申入れ等をまったく考えていないと言う。もちろん、シャワー問題について見直すつもりもないし、街頭相談の時期や規模を確定する気もない。闘いに闘って成果なし。私たちは行き詰まった。そのとき、会議で誰かが言った。よし、福祉がやらないのなら、自分たちで金を集めて風呂に行こうじゃないか、と。

 それから三度の街頭カンパ行動。炎天下の中、日陰のないところでカンパ箱を持ってじっと立ち尽くすのは辛い。が、初回は一万ちょいのカンパが集まった。その金で替えの下着を買い、参加したみんなで風呂に入った。

 太陽熱を利用した温水設備の研究に着手し始めた者もいた。ポリバケツを使って、いろいろと実験したらしい。資金とシャワーボックスと設置場所があれば、技術的にはいける、という答えだった。

 そして私たちは、この冬に充実した医療相談の実施と、自前のシャワー設備の設置のための資金集めをすることに決めた。


*   *   *


 私たちは、野宿者問題を、基本的に社会経済問題だと考えている。若い頃から働いて働いて、もういらないと言われたとたんに路上しか行く場所がなかった、という労働者を生み出すような下請け孫請けひ孫請けの重層的な中間搾取構造を持った企業が堂々と人々を使い捨てていく、そしてそれを許している政治や社会のあり方はおかしいと考えている。今日のメシ代すら持たない者が生活保護すら受けられない、こうした政府のやり方とそれを許しているマスコミや社会のあり方はおかしいと考えている。家庭や学校や職場で「あれをやれ、これはやるな」と命令と禁止を繰り返し、人が自分で考えるきっかけを常に押さえつけてきた、こうした家庭や学校や職場のあり方とそれを許している政治や社会のあり方はおかしいと考えている。自ら野宿者を生み出しつつ、生み出しておきながらそれを差別し排斥する市民社会のあり方と、そしてそれを許している市民社会の構成員のあり方はおかしいと考えている。そしてそうした事柄一切合切に目をつぶっておきながら、自分たちの「自立支援」ルートに乗らない野宿者は「悪い野宿者」として遠慮なく「退去指導」していく、と公言して憚らない行政の底の浅さと面の皮の厚さとズブズブの官僚主義と、そしてそれを許している「国民」に腹を立てている。だから私たちは行政の責任を免責するつもりはない。

 しかし、人は誰もみな忙しく、なかなか私たちの声に耳を傾けてはくれない。だから私たちは自分たちでやって見せなくてはならない。その結果を見て、人々は初めて原因に思いを馳せるだろう。なんだできるんだ、あれじゃあなんで自分はできないと思ってたんだろう、自分ができないと思っていたその根っこ、自分にどうせできないだろうと思わせていたその何か、実はそこに何かマチガイがあったんじゃないだろうか、と。

 そして……

 今年十一月に、渋谷区はとうとう街頭相談を実施することを決めた。それを私たちは、私たちの長い長い働きかけがようやく実を結んだその成果だと思っている。福祉事務所の窓口や地域の図書館にひっそりと貼られた主催者名すら載っていないその案内は、まるで人に見つけられるのを怖がっているようですらあるが、一度やったからには、それは毎年やられるだろう。それが官僚主義というものだ。

 十月には、しかし、また死者が出ていた。彼は面倒見がいいことで評判の野宿者だった。彼は数ヶ月前に胸の痛みを訴えて、渋谷区の福祉事務所を介して病院での診察を受けていた。負荷なしの心電図をかけた結果、異状は出なかった。彼は路上へ戻された。死の前々日、彼は再び病院へ行った。しかし、今度は渋谷区ではなく、新宿区の福祉事務所を介して行った。そして再び路上へ戻された。亡くなったとき、彼は仲間と一緒に座っていたという。ウッとうめいて前かがみになり、そのまま亡くなっていた。虚血性心不全だった。遺体は警察が回収し、福祉に電話連絡が一本行く。親類が引取りを拒否した場合、彼の亡骸は無縁仏として処理される。親類が彼の遺体を引き取ったかどうか、私たちにはそれを知る術もない。彼の「プライバシー保護」のためである。別の医師の話では、狭心症は負荷のある心電図をかけないとなかなか発見しにくいそうだ。誤診とまでは言えないが、不適切な処置だったのではないか、という私見を述べた。誤診ではないが不適切、違法ではないが不適切。このあいまいな領域のおかげでどれだけ多くの野宿者が臍を噛む思いをしてきたか。死の前々日、なぜ彼が近場の渋谷区役所でなく、新宿区まで足を運んだのか。その無言の抗議を無言の抗議として受け取ることのできない渋谷区と、それを許してきた私たち。私たちはただ、誰も弔う者のないその仲間の死を弔う路上追悼会を執り行うことしかできない。近々、彼と寝起きをともにしていた仲間たちの手で、その野宿者の四十九日の法要が執り行われる。

 渋谷区主催の街頭相談。長い長い働きかけの末に踏み出させることができたこの一歩を、なにはともあれ、私たち、まだ生きている者たちは喜んではいる。しかしこの喜びは、なにか体の芯から出てくるそれとは違っている。今年の春頃だったら、ましてや去年であれば、体の芯から喜べたかもしれないのに。つまりはまた一歩、絶望へと踏み出してしまったのだろう。それは喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのか。喜ぶべきことなのだろう、それが別の希望を切り開くかぎりにおいて。(おしまい)


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