のじれん・通信「ピカピカのうち」
 

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結成一周年総会
〈参考〉アジア居住運動の経験


〔1〕はじめに

この一年間の『のじれん』の活動を総括すると、1998年ののじれんの活動は、基本的には対行政闘争に終始していたと言えよう。これに新たな光を投げかけたのは、98年末から始まった集団野営の開始である。ここから図らずも仲間の結束が生まれ、さらにある意味でのコミュニティーが生じ、コミュニティーを基盤とした自立的運動への芽が生まれてきたのである。総括会議の際に言われたように、『集団野営後ののじれんは、行政の言う「自立(=下層労働者への復帰)」とは異なる、多様な意味〔新しい意味での〕での「自立autonomy」に向けた質的変化』が生じつつあるのであり、今後、この芽をつぶさずに、育てていけるような態勢が求められる。

ところで、この芽を育てていくためには、またこの新しい光とこれまでの対行政闘争運動を適切に統合して結び付けていくには、1970年代から90年代に至る四半世紀のアジアの居住運動の展開から学ぶものが大きいと思う。実は、この四半世紀にわたるアジアの居住運動は、まさに上記のプロセスを歩みながら展開し、その中では運動方針の違いからくるさまざまな緊張や失敗も経験しながらも、数多くの実りを得てきたからである。

写真: 高架下にて,立ち退きの驚異にさらされながらの生活(フィリピン). 大きな流れを紹介すると、70年代は、(1)スラムや不法占拠地の住民の強制立退きに対して、コミュニティーを作って団結して、行政闘争を行う運動〔アリンスキーの対立型コミュニティー組織論〕が運動の主流だったが、80年代から、2つの新しい流れが順に出現した。一つは、(2)行政と協力して、また行政に入り込んで、行政の力を利用して(または、何らかの意味で行政も住民を利用している側面もある)居住環境改善を行う運動〔社会統合を目指す運動〕、そしてさらに(3)政府が何も出来ないなら、既存制度の側からの統合を待つことなく、自分たちで全く新しいものを切り開いていこうという運動〔自立的な空間や制度への運動〕への展開である。

以下もう少し詳細に、この3つの運動の展開について、穂坂光彦氏(日本福祉大学教員)の著述を引用して具体例も含めて紹介する。

〔2〕アジア居住運動の展開

*この節は、国際東アジア研究センター(ICSEAD)の研究プロジェクト『アジア地域におけるまちづくりに関する研究』1997の一部から抜粋。

2-1)対決型の組織運動

この四半世紀の間に居住運動の流れも変化した。70年代にアジアの居住運動を領導していたのは、アリンスキー流の対立型コミュニティ組織論であった。訓練されたオーガナイザーをスラム地区に送り、そこでの切実な生活課題について住民自身に考えさせ、解決のための組織化を促し、獲得目標を掲げて当局と対峙させ、より大きな社会変化の必要性を自覚させる。この運動は、マニラでトンド再開発の住民移転地を獲得し、香港で船上生活者に公共住宅への入居権を確保させ、ボンベイでは世界最大級のダラビ・スラムの改善事業を政府から引き出した。しかし多くの国で開発独裁政権が一定の協調姿勢をみせるようになるにつれ、「組織し、対決し、要求し、獲得する」型の運動は曲がり角に立たされた。

2-2)社会統合をめざす運動

80年代になって、二つの新しい流れが現れる。第一は、社会統合をめざす運動であった。都市経済成長から疎外されたスラム住民を社会的に再統合することが重要な政治課題となり、政府の施策のなかに住民が活動する一定のスペースが生まれた。これに対応して住民の側も、施策の受け皿組織を用意し、積極的に新たな制度を利用して居住改善に立ち上がる動きが見られた。それを支援するNGOの立場は、いままで虐げられてきた貧しい住民が(「一般市民」と同様に)既存の制度(銀行や行政など)を利用できるように、そして市民として認知されるように、組織的な力を高め支援する方向をとった。

写真: 当初,不法占拠の土地をCMPの制度で住民が取得(フィリピン). その典型例は、既に69年から始まっていたインドネシアのカンポン改良事業(KIP)、アキノ政権により88年に制度化されたフィリッピンのコミュニティ抵当事業(CMP)、92年にタイで設立された都市貧困開発基金(UCDO)であろう。たとえばCMPがめざしたのは、スクォッターに代表されるインフォーマルセクターの人々をフォーマルな融資システムに結びつけ、土地住宅へのアクセスを助けることであった。ここで重要なのは、オリジネーターと呼ばれる中間的集団の存在である。彼等は一定の手数料を得て、住民の組織化を助け、必要な書類を整えるなどのサポートをコミュニティに与える。多くのNGOが主体となって貧困コミュニティを支えた。

2-3)自立的な空間や制度への運動

80年代に台頭したもう一つの居住運動の流れは、貧しい住民の組織化によって、彼らに最も適する彼らだけの独自の制度・システムを既存の社会のただ中に創出していく方向である。それは新しいセルフヘルプとでも言おうか、既存制度の側からの統合を待つことなく、自立的な空間をつくる運動である。

その象徴的存在はカラチのオランギ下水道事業であった。マスタープランに従って下水幹線から枝線へと機能的に工事していく官僚都市計画と全く反対に、オランギ住民は金を出し合ってまず個々に路地の改善を始め、しだいに触手を伸ばすようにして排水ネットワークを街全体に広げていった。腐敗した行政がやってくれるのを待つ前に自分たちで解決へと歩みだし、住民の側が本来行政の仕事とされている領域まで踏みいってその自治能力を示すことができたら、そのときこそ初めて住民と行政との不平等な関係に変化がきざす。今ここで始めればよい、なぜ権力がやってくれるのを待つ必要があろうか。それがオランギのメッセージであった。

また、インド(アーメダバド)のSEWA、スリランカの女性銀行のように、既存制度の枠外に独自の融資プログラムを作る動きがめだってきた。これは単に、既存の商業銀行や政府融資機関が貧困者を対象にしていない、という否定的な要因のみからでてきているのではない。もちろん出発はそうであるけれど、これらがかくも持続し、似たプログラムがあたかも流行のように各国で行われるようになっている事実の背景には、より積極的ないくつかの理由がある。なかでも最も重要なことは、人びとが自分たちで築いた制度を「わがもの」と感じていることである。自分と仲間の金が自分たちがコントロールできる形で今ここにあり、自分が返した金は仲間のために使われる、という実感こそが、これらのコミュニティ・ベーストな融資制度を支えている。多少の利子の高低は問題にならない。

〔3〕上記観点をもとにのじれんの活動を見たときのコメント

3-1) のれじんは、1の対決型組織運動から3の自立的な空間や制度への運動への可能性が開けてきた段階と言えよう。ここで、3の自立的運動を考えたとき、日ごろ何も出来ないと思い込まされている人々が自信を取り戻す意味としても重要であることに注目すべきである。なにも既存の社会に再び、無理して自分たちを適応させて組み入れる必要はなく、自分たちの新しい社会を作り上げて行けば良いのである。そこに大きな魅力がある。それによって、逆に社会全体を変革していけばよいのである。そう考えると、ただ対行政闘争を繰り返すよりも、社会へのインパクトは大きい。

しかしながら、実際のアジアの現場では、外から来た支援者が自立的運動はこんなにすばらしいんだよと言っても、スラムの人々に(また何も出来ないと思い込まされている人々に)なかなか伝わらないことも多い。こんなとき、実際に別のスラムで同じような境遇にありながらも、少しでも自立的運動を進めて力を得つつある人々との交わり〔仲間同士の経験交流〕こそが力になっている。つまり、彼らに出来るのだから自分たちにも出来そうだと思えてくる。渋谷の場合に、そのような先行例が日本にはほとんど見当たらないので、最初は大変かもしれない。アジアのスラムの人々との交流がその助けになるかもしれないが、一方あまりにも状況が違うような気もする。……しかし、渋谷でうまく行けば、逆に、日本全国の野宿者を励ます良いモデルになることは間違いないだろう。

3-2) コミュニティーを基盤とする運動は新しい社会をつくるのにとても大事だと思う。日本は、近代化の過程で、それを失ってしまった。ここで、アジアの例をふりかえってみると、コミュニティーの結束の力が弱まる大きな要因が2つある。

一つは、対行政闘争を繰り返していくなかで、行政側があまりにも強くて、何一つ実りを得られない時期が長く続くときに、あきらめから、コミュニティーの結束は弱くなる。これは、もしかしたら、渋谷でも去年経験し、またこれからもありうることかもしれない。もう一つは、対行政闘争において、実りを得た結果、自分たちの生存を脅かす抑圧が弱くなって、生ぬるい状態になると、かえってコミュニティーの結束は弱くなる。日本の部落解放運動がまさにそのプロセスを歩んでいるかもしれない。また渋谷でも、これから気候が温かくなり、若干でもすごしやすい季節になり、また「エサとり」もどうにかなる状態が続くと、コミュニティーの結束は弱くなる可能性がある。

つまり、1の対決型の組織運動だけでは、コミュニティーの結束を持続させることは、難しい。そこで、アジアの経験では、3の自立的な空間や組織への運動が大きな力を持つ。これは、コミュニティーを結束させる大きな魅力となりうる。ただし、夢だけを先走るのではなく、現実的にやれることを一つ一つ積み上げることが大切である。夢だけが先走って、それがなかなか実現できないと、かえって、あきらめの雰囲気が生じるからである。

3-3)3つの運動の緊張関係について(以下、(1)は対立型コミュニティー組織論、(2)社会統合型運動、(3)は自立的な空間や制度への運動を指す。)

・(1)と(2)の運動グループは、しばしば対立することがある。しかしながら、貧しい人々の立場に立った社会変革を行うためには、表面的には無関係でも実質上で、その2つのグループを仲介するようなキーパーソンが求められる。例えば、タイではUCDOが国家プロジェクトとして、多くのスラムコミュニティーの貯蓄グループに対して、回転資金の貸し出しを行っている((2)の運動の成果として、国家予算から50億円を支出して、基金をつくり、この基金をもとに、各スラムコミュニティーに貸し出す制度が1992年に作られた)。しかしながら、そこからも取りこぼされる、より貧しい人々(例えば、橋の下にすむ人々)がいる。彼らが暴力的な強制立退きをされないためには、依然対行政闘争的運動が不可欠である。UCDOの責任者もそれを知っており、裏では、対行政闘争をする住民団体、NGOと連携をとっている。

・(2)の社会統合型運動は、個人的印象では、変なものも多い。運動として行政にすりよろうとするときに、そのこと自体、意向によっては(例えば、その運動家が自分の名誉なり、ステータスのため、また社会に目立つためにやるなど)貧しい人々にとって、かえって不利益になり、運動家だけが、利益を得ることがあるためである。また、行政に比べて、運動体の力が弱すぎるときにも、行政に利用される。しかしながら、その運動体なり、リーダーの意向が純粋でかつ力がある場合、この運動は、非常に大きな効果をもたらすことも事実である。よい運動体とそうでない運動体の違いは、主に、その運動が本音として貧しい人々の側に立っているか否か、その運動自身が貧しい人々のコミュニティーを育てる方向性を持っているか否か、またその運動のリーダーの人格によるように思われる。

・(3)の自立的な空間や制度への運動が(1)や(2)の運動および、行政や社会に与える影響は非常に大きい。

・ただし、(3)の運動方針に対しては、普通、次のような批判が(1)や(2)の運動からなされる。それは、自立的な運動に関わっていくことの出来ない、もっと弱い立場の人達がいて、その人達が取り残されてしまう、そこに分断が生じるといった批判である。これは、もっともな批判である。だからこそ、(1)や(2)の運動グループとの連携が必要だし、さらに、(3)の運動によって、実りを得つつある仲間自身が、自分達さえよければよいという利己的な考えから出来る限り脱却して、つねにより苦しい状況に置かれている人々に目を向けていることが必要である。(3)の方向に歩み出した仲間が、自分達さえよければという利己的、閉鎖的な状態に陥れば、その運動はその時点で、失敗に向けて歩み出すことが多い。

3-4) 最後に日本の特殊事情を意識しておくことも重要である。大きな違いが4点あると思う。

第一に、日本の野宿者達は、ほとんどが単身者しかも男性である。これに対して、アジア各国のスラム等の人々は家族であるし、またそれぞれの運動においては、どちらかというと女性の方が中心的役割を果たしているようである。

第二は、日本の野宿者は、公園や河川敷に住んでいる仲間以外は、普通は、一般的には定まった場所、またコミュニティーを作っていくような場所がほとんどないということである。これに対して、アジア各国のスラムの場合は、不法占拠であったとしても、コミュニティーを作ることの出来る、固まった場所がある。

第三に、お金の問題がある。一般にアジアのスラムでは、人々は、少し多額のお金でも、これまでの人生で扱ったことのない人が多い。そんな中で、たった10円でも20円でも貯蓄を続けて、自分達がコントロールできるお金をつくるということは、大きな自信につながり、そこから例えば貯蓄グループの形成は、コミュニティーの結束を強めるのに大きな役割を果たす。しかし、日本では、野宿者は、子供の頃は、大金を目にしたことがあるだろうし、また今でももし、一日仕事を見つければ、5千円以上の大金を手に入れることもありうる。そのような状況で、小額のお金を継続的に出し合う貯蓄グループのようなものがうまく育っていくかどうかという疑問もある。

第四に、日本の社会におけるコミュニティー意識そのものの問題がある。日本は、高度成長の過程において、このコミュイニティー意識をかなりのところで、置き去りにしてきたと思う。そういった状況で、再びコミュニティーを作り上げていくのは、並大抵の努力ではないであろう。しかしながら、日本の社会全体が再び真のコミュニティー意識を持つ社会に変わることができるとしたら、まずそれは、野宿者などの貧しい人々のコミュニティーづくりがその起爆剤になるしかなく、その意味で、このコミュニティーを基盤とした自立的な空間や制度への運動は、野宿者だけのためでなく、日本の社会全体を変革するために、非常に重要な方向であると思われる。

 


(CopyRight) 渋谷・野宿者の生活と居住権をかちとる自由連合
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