のじれん・通信「ピカピカのうち」
 

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「自立支援センター」とは


現在、全都野宿労働者統一行動実行委員会(全都実)が早期開設を求めている 「自立支援センター」は、最初から野宿の当事者の望む形で現れたものではな かった。「排除とセットになった隔離収容か? 野宿から脱するため野宿者が 主人公となった対策か?」「自立支援センター」をめぐるこの二年間の動きは、 「誰のための対策か」を問う野宿者と行政との激しい攻防の連続であった。以 下にその闘いの経緯と意義を見ていきたい。

行政が「自立支援センター」の構想を最初に提示してきたのは、一九九六年七 月に発表された「路上生活者問題に関する都区検討会」最終報告書だが、当初 の構想は同年一月の新宿西口ダンボール村強制撤去の際に受け皿として設置さ れた「芝浦臨時保護施設」(芝浦寮)をモデルにしたものであった。強制排除 直後、多くの野宿者が収容所入りを拒否する中、七九名しか入寮しなかった芝 浦寮(定員二〇〇名)は二か月後には閉鎖され、東京都は「七九名中、五六名 が就職した」と発表したが、実際のところは多くの入寮者を暴力団飯場を含む 短期就労の現場に送りこんだだけであった。結局、数か月後にはそのほとんど が野宿に戻されたのである。この芝浦寮をモデルにしてセンターを作ったとし ても、東京都が手配師の代わりをするだけで終わってしまうことは明らかであ り、この構想には当事者・支援者から批判が相次いだ。

その後、九七年に入り、都は新たにダンボール村が形成された新宿西口地下広 場を「環境整備」(つまりは排除)するための受け皿として「自立支援セン ター」の暫定実施を企てたが、この構想も新宿連絡会の反対運動によって潰え 去った。

事業の推進が困難になり、袋小路に陥った東京都福祉局は、九七年一〇月、方 針転換を余儀なくされる。新宿連絡会をついに当事者団体と認め、対等な立場 での話し合いを受け入れたのである。一〇月一三日、都は民間施設を使った 「自立支援事業」を始めるにあたって当事者向けの説明会を開催し、その中で、 一、排除とセットにしないこと、二、施設に住民票をおけるようにすること、 三、仕事が見つからない人を放り出すことはせず、生活保護などで対応するこ と、などを約束した。「排除ではなく、対話に基づく対策を!」という野宿者 の長年にわたる声がついに行政を、そして当事者自身を、突き動かした瞬間だっ た。

こうして始まった自立支援事業(第一期)には計六〇名が入寮し、都と入寮者 による団体交渉も二回開かれた。その中で、寮内でのプライバシーの確保や事 業プログラムの改善(就労が決まり、給料が貯まった人は公営の低家賃住宅に 移れる、就労先で不当に解雇された場合には再び事業に戻れる等)などがかち とられていったのである。

今年二月の新宿西口地下広場火災の際も都との話し合いにより、新宿区内に 「自立支援センター」を設置することで、新宿連絡会は自主退去を行なった。 その約束どおり四月に開設された二か所の「自立支援センター」(暫定実施) では現在、約一一〇名が就職活動に励んでいる。しかし過去最悪の失業率の中、 職安に自分で通って仕事を探すという現行の方式では高齢者の就職は困難を極 めており、入寮者は全都の野宿者とともに都に対して入寮者向けの雇用創出を 一貫して求めている。また寮の運営法人(社会福祉法人・有隣協会)の強圧的 対応も問題になっており、「自立支援センター」が真の意味で「仲間の屋根と 仕事」を保障するものになるかどうかはこれからが正念場と言える。

現在、都内には確認できるだけで四三〇〇人、推定で約五〇〇〇人が野宿を強 いられており、その数は増えることはあれ減ることはないと考えられる。行政 から引き出した「自立支援センター」という対策を更に野宿者自身のものにし ていくため、闘いはまだまだ続いていく。

 


(CopyRight) 渋谷・野宿者の生活と居住権をかちとる自由連合
(のじれんメールアドレス: nojiren@jca.apc.org