のじれん・通信「ピカピカのうち」
 

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 <特集:野宿者排斥を許すな!!>

路上生活者への行政対応改善に向けて


相談員I氏をめぐる対応記録
 野宿当事者と支援者で構成される「のじれん」(以下、私たち)は、平成10年3月以降、毎週月曜福祉事務所保護課において野宿者の付き添いや権利擁護活動、救急搬送された方の病院・施設面会、また、週に2回渋谷区域を巡回して福祉サービスの情報提供や安否確認などを行っています。その記録の一部を以下に記します。

(対応記録 より)
1、 金井さん(仮名) 63歳 男性 
平成14年10月19日現在入院(9月面会記録)
 経過: 平成14年9月27日(金)に福祉へ行った際、24日に生活保護申請をしたために相談係長と面接をし、その後、胃の痛みを訴え通院を希望した(医療扶助の申請)が、I氏に「そんなに痛いんだったら、自分で警察に行って救急車を呼んでもらえ」と窓口で追い返され、その後言われたとおりハチ公前交番でその事情を説明し救急搬送をした結果、入院するに至った。

 私たちが病院面会した際には、涙を流して以上の経過を語った。
補足:その後何度か他の職員とも話し合ったが、「金井さんは金曜の昼ではなく晩にきていたので、病院の受付時間は終了していたし、土日は事務所が閉まっているので、その間何かあったら救急車を呼ぶように助言した」という旨の説明があった。

 金井さんが何時頃相談したのかは受付票やハチ公前警察の記録を調べれば明らかにされるだろうが、問題はそのことではなく、私たち面会した病院で初めて行って顔を合わせた際に、金井さんから発せられた第一声が、I氏に対する憤慨の気持ちであり、そのことで野宿当事者が深く傷つけられたという事実である。 


2、 玉置さん(仮名) 70歳 男性 
平成14年10月19日現在入院(7月福祉記録)
経過:先週病院へ行った際、医師から杖が必要と書類を出した。
 
 それをI氏に提出したら、1日検討すると言われ、翌日には「年金をもらっているのだからそこから出すように」と言われた。玉置さんは怒鳴り「のじれんの人と話す」と言って帰ろうした際に、I氏が玄関まで追いかけてきて、誰かの忘れ物の杖を貸した。
 
 その後I氏は玉置さんに謝罪したとのことだが、「こういう生活をしていて、一番、悔しい」と嗚咽を漏らしていた。

補足@:その後の私たちが本人の意志に基づき医師からの書類を渡すよう係長にも求めたが、「手元にはない」と言われた。

補足A:玉置さんのもらっている年金は生活保護基準を下回るものであり、専門家である医師からの書類が出ているにも関わらず、その年金を使うよう迫ることは法に反している。

 玉置さんは、その後脳内出血のため路上で倒れて、救急搬送された。私たちが玉置さんの涙を見たのは、脳内出血で半身麻痺となった院内ベッドの上と、I氏の発言を訴えてきた時のみである。

3、 朝長さん(仮名)
52歳 男性 現在路上生活 (1月以降 福祉記録・聞き取り)
経過:人間関係が上手く行かず、更生施設を自己退所した経緯をもつ。
 1人で小屋に閉じこもり、人とも話さず、食事も数日間取らない等、心身的に不安定な状態が続いていた。

 私たちだけでなく自分自身でも何度か救急車を呼んでいたが、胃炎や「栄養失調」と診断され、点滴を打って帰されるばかりであった。

 もともと、「お上のお世話にはなりたくないから福祉には行きたくない」という気持ちが強い朝長さんであったが、何度も私たちが「福祉から通院すること」を勧めた結果、弱った足腰を引きずって区役所へ行き、保護課から病院へ行った。

 その後診察結果を伝えに区役所へ戻ったわけだが、そこでI氏に「あんたなんか何億回病院へいっても治らないよ」(本人)と言われた。その一言をきっかけに朝長さんは「もう福祉へは行きたくない」と再度言い張るようになった。

補足:朝長さんの細かい経緯を把握していなかったとは言え、明らかに衰弱しており、しかもほとんど来所しない相談者に対してI氏が投げかけた言葉が職務に反していることは明らかである。

 その後、私たちはI氏を抗議し、I氏はそれを認め、朝長さんの小屋まで出向き(平成14年5月17日)、本人に直接謝意を示していた。
 その後朝長さんはドヤ保護となったが、精神的に不安定となり担当ケースワーカーと相談した上で自己退所を選んでいる。現在でも、I氏に言われた発言を鮮明に覚えている。(平成14年10月12日再度聞き取り)

4、 木村さん(仮名) 享年63歳 女性 
経過:平成13年10月20日、渋谷区役所トイレで倒れており救急搬送。翌々日の22日に死去。
 
 死因は脳内出血であった。木村さんは息子である重雄さん(35歳)と共に野宿生活をしていたが、I氏に「お宅の息子、頭おかしいんじゃないか」と言われたことにショックを受け、亡くなる4ヶ月前から頭痛を訴えていたが決して保護課へ行こうとはしなかった。
 私たちは巡回訪問の際に市販の頭痛薬を手渡すぐらいしかできなかった。
 
 また、I氏から靴の支給を相談した際には、「ありがとうと言え」と求められたとの苦情を漏らしていた。

補足:たとえI氏の言動がなかったとしても、木村さんは同様の症状で死去したかもしれない。
 また、どのような文脈におけるI氏の発言だったのかは不明瞭である。しかし、ここで問うべきことは、@問題発言そのもの とAI氏の発言により野宿者にとって唯一の手段である保護課のサービスすら拒絶するようになった という事実である。息子のことを馬鹿にされて喜ぶ母親などいない。

5、 中村さん(仮名) 享年60歳 男性
経過:平成13年4月8日、保護を受けていた簡易宿泊所から救急搬送され、その後病院で死去。

 足が不自由で杖を使用していたが、区役所から通院する際にI氏から「いちいち交通費を出していたら福祉がつぶれる」と言われ、I病院まで歩かされたと生前語っていた。
 
 また、法外援護を利用する際に「ドロボウ」呼ばわりされたという。簡易宿泊所へ入ってから一週間ほどで死去された。

補足:この件に関しては、足の障害という個別性を配慮しないI氏の接遇が問われている。死因とは直接の因果関係はない。

 また、本ケースではないのかもしれないが、I氏の利用者に対する「どろぼう」発言は、他の相談員も聞いたと証言(10月21日)している。

6、 真中さん(仮名) 54歳 男性 現在路上生活 (10月福祉記録・聞き取り)
経過:以前、めまい・吐き気・高血圧で通院した。血圧は上が220、下が130だった。
 
 その医者は「こんなんじゃ働けないから、役所の書類があればもらってくるように」と言ったので、役所へ戻ってI氏にそのことを伝えたが、「生活保護を一度断っているから駄目だ。そんな書類はない」と言って書類を出さなかった。

 


(CopyRight) 渋谷・野宿者の生活と居住権をかちとる自由連合
(のじれんメールアドレス: nojiren@jca.apc.org