のじれん・通信「ピカピカのうち」
 

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ホームレス法案問題について

 ホームレス法案問題について

 今年6月、民主党によって「ホームレスの自立の支援等に関する臨時措置法案」が国会に提出された。同法案は、先の国会で継続審議扱いとなり、9月末に開催される臨時国会で引き続き論議される予定だ。
 この法案をめぐっては、全国の野宿者運動団体が集まる「寄せ場・野宿者運動全国懇談会」でも繰り返し議論がなされた。その議論の経過の中で7月に提出された私たちのじれんのレジュメ、そして、9月の全国懇で作成された民主党に対する全国野宿者運動の意見書を、ここに掲載します。
 法案問題については、なお全国の野宿者運動が引き続き議論を継続していますが、私たちは「その意思決定プロセスおよび決定内容の両面において、当事者の自己決定権が尊重されることを求める」という原則に立って、全国の野宿者運動団体と足並みをそろえながら、政治過程に右往左往することなく、私たちにできることを一歩ずつ着実に進めていきたいと考えています。(編集部)

*****

7月8日全国懇レジュメ
のじれん

なすびwrote:
議題:立法問題
 各地・団体で、下記の二点について一定議論をしてきてください。
(1) 立法化要求の運動を現時点で行うことについてどう考えるか
(2) 民主党「ホームレスの自立の支援等に関する臨時措置法案」の内容についてどう考えるか
* なお、前回の全国懇談会での論議で、民主党案に対する見解をまとめて意見として出すことになっています。

 以上の提案に対し、以下、のじれんの見解を示します。
 立法化問題は、言うまでもなく全国の野宿者および野宿者運動に降りかかってくる重要な問題ですが、だからこそ
(1)外的状況に引きずられない主体性の確立
(2)法律制定によって等しく影響を受ける全国の足並みの一致
を一番の目的に設定して議論すべきだと思います。なぜなら、どんなにすばらしい法律が制定されてもそれを活用する力が伴わなければ現場の武器として活かすことはできないし(生活保護法適用の現状がそれを示していると思います)、活用する力を持つためには、野宿当事者および全国の野宿者運動団体の力強い結束が不可欠だと考えるからです。

 現状を率直に評価すれば、全国の野宿者運動団体、そして野宿当事者に法律制定を受け止め、乗り越えて、それをしたたかに活用していく主体的準備が整っているとは言えない状態にあると思います。制定後ン十年を経過した生活保護法の活用に向けた主体的条件にしてからが、ともすれば違法な運用がまかり通る、「遠慮がち」になるといった現状の中で、法律よりも明日の宿、明日の食、明日の仕事、明日の一斉清掃、明日の我が身の方が気がかりだというのが、多くの野宿当事者および野宿者運動団体の率直な本音ではないでしょうか。そしてそれは間違っていない、というか、それが間違っているとしても、私たちはその主体的条件を飛び越えることはできない(代行主義に開き直るのなら別ですが)。そうである以上、本来ならばその主体的条件の整備にこそ全国の運動体の全精力を注ぐべきで、それこそ運動の「本筋」だ、というのが私たちの意見です。

 しかし他方、国会レベルで法案制定問題が取り沙汰され、それが通過した場合に省庁・地方自治体のみならず野宿当事者自身がそれに縛られてしまうことも事実です。したがって、野宿者の利益になるにしろ不利益になるにしろ、何らかの態度決定は必要だろうと思います。しかしその場合にも上記(1)(2)のポイントを踏まえて判断する必要があるでしょう。現実の法案および法案制定過程はそれに対する「乗るか反るか」を要求してきます。しかし、「乗るか反るか」のオール・オア・ナッシングに私たちが同調する必要は必ずしもないはずです。全国の運動団体および野宿者の主体的条件が十分に整っていないことを認識し、それに向けた条件整備に主眼を置きつつも、「これだけは言っておきたい」ということを言っていけばいいのではないでしょうか。
 「現実の政治状況はそんなに悠長なものではない」「これに噛まなければ取り残される」という政治判断もあるいは可能かもしれません。しかし主体的条件を無視あるいは軽視して状況に「追いつけ追い越せ」としゃかりきになったところで、それは付いて来れない当事者をふるい落とす結果にしかならない。かつてこうした日本人の精神性を「優等生文化」と揶揄した人がいましたが、私たちはそのような精神性からくる失敗例を数限りなく知っているし、だからこそ野宿者問題に関わっているわけです。行政が「全員を掬い上げることなどできませんよ」と苦笑してみせるのは勝手です。しかし野宿者運動体が同じことを言うならば、行政が言うのとはわけが違う。早い話が「おしまい」です。
 こうした見方を「素人政治」と言うのかもしれません。しかし私たちは、その鈍臭い「素人政治」の大切さを私たち自身の「就労支援プロジェクト」の挫折を通じてイヤというほど思い知らされました。だから今回はどうしても同じ失敗を繰り返したくはない。

 そのために三点、国会運営の行方如何にかかわらず、私たちが「これだけは言っておきたい」ということを挙げます。

1、仲間の声をもっと聞くべきだ
 今回の法案に対して、仲間たちは率直に言って戸惑いまくっています。「なんだかイキナリ『自立させる』『ホームレス問題を解決する』『自らの自立に努める』ってことになっているぞ、オイ」という感じでしょうか。それは法案作成にあたった民主党WTがどこの現場に何回足を運んだかといったこととは率直に言って無関係な事柄です。
 たとえば「どこどこの町で撤去があった」と言えば、それがどれだけ遠い場所であろうと仲間たちはその意味を一瞬で理解します。しかし国から「自立させる」「解決する」と言われてもどうしてもピンと来ない。それはたとえば生活保護法のような「立派な」法律がありながらも、国は何もしてくれないもの、行政は追い出すもの、と数年来にわたって相場が決まっていたからです。端的に言って「お上」に対する根強い不信感がある。
 「しかし今回はいいこと言ってるんだ。戸惑うのはそれに向けた準備をしてこなかったからだ」という意見もあるかもしれません。そうなのかもしれない。しかし、だからと言って当事者および運動体の主体的条件を飛び越えるわけにはいかない。それは広く言って私たち自身の責任です。準備が「できていない」ところはその準備をしてこなかったことの、準備が「できている」ところはそれをきちんと伝えきってこなかったことの。だからこそ、「できている」ところも「できていない」ところも、全体の不均衡性を自ら引き受けて仲間が自由に議論できる場所、さまざまな意見を戦わせることのできる場所、作成当事者に自分の懸念を問い質すことのできる場所が必要なのではないでしょうか。
 国や政府に対してそのような場面を設定していく必要のあることはもちろんですが、そのためにはそれ以前に、運動体自身がそのような姿勢を持つ必要があり、それが問われているのではないかと思います。
 「対策」が進めば進むほど、それが行政主導の管理型で行われるのか、仲間の声を反映して自治的要素を盛り込めるのか、の岐路における仲間の力量が問われることになります。それは極端に言えば「撤去」と本質的には変わらない。ある契機を仲間の力に転化することができれば、それは長期的に見て仲間にとってプラスだし、現に私たちはそのようにして撤去反対闘争を闘ってきた。逆にある契機を仲間の力に転化できなければ、「対策」が進んで「路上生活者」は減っても「ホームレス」は不可視化するだけ、ということにもなりかねない。その意味で、今こそ仲間の声が問われているのだと思います。
 仲間たち自身が自由に声を発し自信を深め確信を強めていく場を設定すること、場合によっては「要求」すること、現在何よりもまずそのことが必要なのだと思います。

2、路上の人権、という視点がない。
 本法案のすべてのベクトルは路上から「自立」へと向かっています。国・行政の言う「自立」とは国との給付・納税の関係において予定された法体系の下に編入されることを指していると思いますが、十分な納税者でもない代わりにまともな給付対象でもなかった野宿者は、国との関係においてまさに「自立」して(=世話にならずに)暮らしてきたとも言えます。
 それはもちろん本人が好んでおこなった選択ではありませんが、しかし当初は強いられた選択が、他に行き場がなく自力で路上での生活を築き上げる中で一定程度の安定を得て、国・行政の用意する「自立」の受け皿よりはマシな(と本人が感じる)生活基盤を築いてきてしまっていることも事実です(シェルターよりもテントという選択をした仲間が多数いたことは記憶に新しい)。それは一方で行政の無策が追い込んだ状況ではあるけれども、他方でそうした状況の中でもしたたかに生き抜いてきた仲間の底力の立証でもあるわけです。
 問題は、「自立」の定義でも「シェルターとテントどちらが人間的か」でもありません。現実問題としてセンターやシェルターよりもテントや路上を選ぶ仲間のいることがわかっている私たちとして、本法案が路上の人権に触れていないのはやはり問題ではないか、ということです。
 また、東京都の「自立支援センター新宿寮」の3月末日現在の統計によれば、入所延べ数116、退所延べ数73のうち、「自立困難」で「就労自立の可能性無し」と判断された退所者数が9、全体の7,7%います。全国3万人で単純比例して2310人。行政自身の方から「お断り」という人だけでこれだけいるわけです。もちろんセンター運営に関して改善の余地は大いにあるし、一度しか利用できないという制限も撤廃されるべきで、この数は変えられないものではありません。
 しかしどういう形にせよ路上に留まる仲間が相当数いることが明らかである以上、国・行政の言う「自立」に至らない野宿者の人権に配慮する規定があって然るべきだと思います。本法案に対する仲間の戸惑いの一つの原因は、それが「そんなことできないよ(もともと国・行政の言うような「自立」生活を維持できなかったから路上にいるわけで)」と思い/思い込み/思い込まされている仲間の不安に本法案が何の回答も用意していないところにあります。

3、国の責任の取り方が不十分である
 本法案において「国等の果たすべき責務」が明記されていること、これが現状に比して大きな前進であることは言うまでもないでしょう。しかし他方で、相当長い期間にわたり野宿状態を放置してきたこと、その結果一方で命を落とす仲間、他方で自力で生活基盤を築き上げてきた仲間が相当数存在しているという「現状」(本法案 第一 目的)、生活保護法がありながらこうした事態を放置してきた「現状」に対する国の評価が今一つ見えてこない。
 本法案そのものがその「現状」に対する評価なのだ、ということになるのでしょうが、その場合話は2、に戻る。「ほっとかれた間に苦労して築き上げた生活基盤。それを今度は『自立させる』『努力せい』と言われても……」ということです。
 2、と重複する論点が多いので、ここでは補強のためにお隣韓国のケースを引き合いに出したいと思います。
 韓国は97年末のIMF危機の後、日本に比べればかなり迅速に施設を相当数建設しました。路上の炊き出しなども当初はかなりあったようですが、ソウル市も政府も公園への「定住化」は一方で阻止・妨害してきた。また施設サービスの充実に比して、路上サービスの充実には一貫して不熱心でした。その結果韓国露宿者は大規模な撤去を伴うことなく施設へと流れた。そして現在は、約6千名のうち500名(8,3%!)が駅周辺に留まっている、という状況です。施設退所後の元露宿者がバラバラのまま潜行して不可視化してしまう、といった状況もあるようですが、運動体が現在最も苦労している課題として路上サービスの充実と、施設内の入所者の組織化という点が意識されていることは、私たちにとっても参考になるのではないでしょうか。行政の「対策」と歩調を合わせて「自立」を推進してきた韓国露宿者運動のコアメンバーは、路上の放置と施設内入所者の孤立を招いたこれまでの運動の経緯を「失敗」と総括していましたが、彼らの「失敗」から私たちが学ぶべきなのは、やはり路上の人権への配慮と(もう少し遡りますが)「対策」を活用する当事者の主体的条件の整備!
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 日本の場合、国・行政の無作為という歓迎できない事態の結果であるにせよ、路上サービスもそれなりのものが行われるようになっており、当事者の主体的条件も少しずつ整いつつあります。不利な状況の中で愚直に築き上げてきたこれらの「拠点」にこだわることで初めて、長期的に見た仲間の利益も実現されていくのではないか、というのが私たちの考えです。

以上。念のため繰り返しておけば、これは今後の国会運営の進展如何にかかわらず、私たちの方から主体的に提示すべきだと思われる主張です。




民主党ホームレス問題PT議員各位

 「ホームレスの自立の支援策等に関する臨時措置法案」をめぐる私たちの意見と要望

 私たちは、各地で日雇労働者や野宿者のための支援活動を行っている、当事者ならびに支援者団体の連絡組織です。
 私たちはそれぞれの地域で野宿を強いられる人たちと具体的に関わりつつ、生存権の保障を求めて自治体への行政交渉などを行ってきました。そして、90年代半ばからの野宿者の増大とその状況の深刻さの中で、私たちは全国的な連携を深めつつ、政府に対しても適切な対策を求める交渉を行ってきました。また、一昨年からは反失業全国行動という形で野宿者の全国集会を行い、昨年は国会に向けたデモンストレーションも行いました。昨年秋時点での私たちの見解は「野宿者の権利保障等に関する要求書」として政府に提出しました。
 これらの一連の取り組みにおいて、私たちは以下の統一された意見をもっての全国的な行動を行ってきました。
(1)一切の野宿者排除を許さない
(2)政府は野宿者を生み出した責任をとるべきである
(3)一刻も早い適切な対策をとるべきである

 このような中、国会内で野宿者問題に関する議論が一昨年から始められたことは、私たちが求めてきた問題点が国政レベルでようやく取り組み始められたことを示すものであり、むしろ遅すぎたくらいであると考えています。同様に、前国会で民主党から衆議院に対して提出された「ホームレスの自立の支援策等に関する臨時措置法案」(以下、「法案」)に関しても、私たちの取り組みに関心を向けられたものと理解し、今後の取り組みに非常に大きな関連や影響を持つものとして受け止めています。
 私たちは、この法案の本質的な主旨が、現在の野宿者をめぐる問題の責任が政府・自治体にあることを指摘し、これまで対策を立てていなかった政府に対し、その解決のために具体的な措置を求めるものである点を理解し、その主旨については大いに賛同いたします。
 その一方で、具体的な法案の内容に対しては、運動体の中でも、非常に期待を抱いている団体もあれば、懸念を持っている団体も少なくありません。それは、これまでの各団体の取り組みの内容の比重や、地域的な事情の違いもありますし、決して適切とは思えぬ行政府による法の取り扱いの現状から、立法そのものに対する疑問をも含んでいます。

 そのため私たちは、この法案に対して単純に賛否を統一して表明することはできません。しかしながら、この問題に長く取り組んできた当事者・支援者として、期待も懸念も含んだまま率直な意見表明を行う必要があるとの結論に達しました。
 そこで、この意見書において、私たちが問題にしている論点を提示させていただきます。これらの点に関して、十分な検討を要請いたします。

1.国・政府、および自治体の責任について
 この法案の主旨と同様に、私たちは現在の野宿者問題における政府・自治体の責任を問題にしてきました。
 高度経済成長やエネルギー転換など、その時代において政府が進めてきた労働力移動政策の中で多くの失業者が生み出され、使い捨てられてきたこと、さらに、その失業者が野宿化するにあたっては、就労対策や生活保障対策において、政府に根本的な責任がある、という認識によるものです。就労対策はあくまで「民間活力依存」を通してきた結果、民間企業の論理の中では高齢者はほとんど職を得ることはできず、生活保障にあっても、生活保護法の理念に反するような運用が行われてきました。これらが野宿せざるを得ない人々を直接的に生み出し、他の生活の選択を困難にしてきました。それにも関わらず、各自治体は野宿者を「怠け者」「本人のせい」とみなし、野宿者を追い出すために強制排除を繰り返してきました。
 政府が人を駒としてではなく人とみなし国の責務として就労対策と生活保障対策を行い、自治体が野宿者が自ら選択しうるメニューを多様に準備しさえすれば、現在のような野宿者問題は起こり得ません。行政府の歴史的責任の認識がないところで一方的に出される「対策」は、野宿者の実情と気持ちに沿ったものにはならず、今後も野宿者自らが選択し得るものにはならないでしょう。
 しかしながら、「法律案を提出する理由」で指摘されている責任は、現状の社会的問題に対処する責任があるということでしかなく、産業構造の転換や政策の中で生み出され、使い捨てられてきた歴史性についての視点がありません。これは、行政府の責任の根拠を道義的な責任の枠に収めてしまうものであり、国・政府が野宿者を生み出し、さらに無策がその増大を助長してきたという責任を明記すべきです。これは、この臨時措置法を受けて行われる政策の性格に大きく反映する観点です。

2.「自立」および「意志」をめぐる問題について
 法案は「自立の意思がありながらホームレスとなることを余儀なくされた者が多数存在し」ている点を冒頭に指摘することで始まっています。これは、かつて自治体行政が「本人が好きで野宿をしている」「社会生活を拒否している」などという不見識を持ち続けていたのに対し、野宿が本人の意志に反して強いられた状況であることを明確に指摘したものであり、評価できます。しかし、法案全体に貫かれている「自立」というキーワードや「自立の意思がありながら」という言葉には、別の懸念も持たざるを得ません。
 それは、現在、自治体行政がかつてのような不見識な発言をあまりしなくなった代わりに、「自立の意志がある(=良い)野宿者」「自立の意志のない(=悪い)野宿者」というような分類・選別を行おうという意図が強く出てきているためです。必ずしも野宿者の希望や生活状況にフィットしない「対策」が、しかも選択肢のほとんどない形で出された場合、例え就労意欲に溢れ野宿からの脱出を希望している野宿者であっても、それを拒否することは当然のことです。その事情は野宿者個人で異なります。さらに、多くの野宿者は自ら職安や福祉事務所に足を運び、窓口で「要件を満たしてない」と門前払いされてきたのであり、その結果、この法案で言うところの「自立」の意欲すら失い、自力で生き残るためにテント小屋やコミュニティによる生活を作り出してきています。しかし、自治体はこのような野宿者に対し「対策を出しているのに自立の意志がない」というレッテルを貼り、本人が望む対応を放棄することが少なくありません。従って、私たちは「自立」という言葉の意味について敏感にならざるを得ませんし、「自立の意志」の有無についての判断が他者によって行われるこ!
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 しかしながら、法案の中には「ホームレス」の定義はされているものの、キーワードとされている「自立」の定義が明記されていません。「自立とは何か」という問題、そして「自立の意志があるか」という問題は、判断する側の恣意性が強く反映されます。
 しかも、「ホームレスの自立の支援策等に関する臨時措置法案」であるにも関わらず、「ホームレスの自立への努力」が規定されています。行政に責任を課すことが法案の主旨であるならば、支援を受ける側に努力を課す文言など必要ありません。これは、行政側が「自立への努力をしていない」と判断すれば、野宿者の分類を恣意的に行う危険性を内包しており、野宿者本人の意思を踏みにじる危険性があります。
 この点に立脚し、私たちは、野宿者に対しても正当な生存権と市民権が保障されるべきであると考えます。すなわち、本人の意志に反して排除や生活変更の強制をしてはならないこと、また「自立の意志」が見られないからといって万人に保障されるべき住居の保障や生活保障の対象から外さないことを求めます。

3.排除をめぐる問題について
 行政・警察・地域による野宿者排除は、本質的な問題の解決にならないことはすでに明らかです。しかし、2.で示したように、従来の行政の対応からすれば、行政が一定の「対策」を提示することにより、逆に「対策」に乗らない野宿者は強制排除の対象となる可能性もあり、強制排除をちらつかせることによって本人の意思にそぐわない選択を強要される可能性もあります(現に、1999年5月に出された政府の「当面の対応策」においても、「公共施設からの退去指導」が文言として盛り込まれています)。行政の無策の中、既にささやかな生活手段を自ら手にしてきた野宿者にとっては、行政の提示する「対策」が自分の求めるものではない場合も、少なからず起こります。
 その場合でも、一切の強制排除は許されないものであること、 野宿者の尊厳に基づいた自己決定の原則を堅持すべきであること、強制排除ではなく多様なメニューを用意することで野宿以外の選択を可能とすること、すなわち、生存権の保障を、法案の中に明記すべきです。
 本年6月19日の議員会館内での集会においてお一人の議員は、友人から電話でうかがったというニューヨークの事例を出され「ニューヨークは市長さんがきちんと対策をとっているので、ホームレスは800人程度しかいない」とお話になりました。大変失礼ながら、これは全くの議員の不勉強としか言いようがなく、このようなお話を聞くと本法案の立法主旨に疑念すら抱かざるを得ないことを指摘させていただきます。
 ニューヨークではジュリアーニ氏が1993年に市長になった直後から警察力を大幅に拡充し、大がかりな「治安対策」に乗り出しました。ホームレスの人々は排除され、シェルターに強制的に入れられるか、さもなければ逮捕され刑務所に送られました。それがジュリアーニ市長の「ホームレス対策」です。このようなニューヨークでの排除には、東京都ですら「白書」の中で疑念を表しています。シェルター自体も多くの問題を抱えており、生活条件の劣悪さや、低賃金労働力を供給する「飯場」とも言える現状には、ニューヨーク・タイムスなどのマスメディアも問題を指摘しています。市長はこれを改善するどころか、シェルター入居者に労働義務を課すという方針を昨年出し、人道上問題であるとして裁判所にストップをかけられている有様です。また、このような排除によって、マンハッタンでは路上からホームレスの姿が大幅に消えましたが、ブルックリンやクイーンズでは生活保障を受けないホームレスの人々がいまだに多く見られます。
 このようなジュリアーニ市長の「ホームレス対策」を評価する議員の見識には驚きを禁じ得ず、法案自体への疑念ともなります。そのような危険性を排するべきだとお考えであるなら、「本人の意思に反する排除をしてはならない」という文言を法案の中に明文化すべきと考えます。

4.生活保護法との関連について
 日本において最低限の生活保障については、既に生活保護法で定められています。本法案は、生活保護法との関連を「基本方針」で策定するものとしており、生活保護の運用をさらに後退させないかとの懸念があります。
 現在既に、国による野宿者対策としては自立支援事業(法外援護)と生活保護法という二元的体制がとられています。このような二元的体制は野宿者に対する総合的な権利保障を阻害するばかりでなく、生活保護の対象から排除・劣等処遇するものとなっています。
 生活保護法がその主旨通りに運用されていれば、多くの野宿者は野宿状態から脱することができるでしょう。しかし、住居がない、あるいは定まっていないことや、年齢、稼働能力を根拠に、野宿者への生活保護適用には高いハードルが設けられていました。住居もなく、日々の食事にも事欠くほど生活に困窮している野宿者に対して、保護実施機関は「住居がないから保護ができない」、あるいは単に「稼働能力があるから」などといった理由で違法に保護を実施していないのが、全国のほとんどの地域の実情です。野宿者であることを理由に他の者と差別的な処遇を行わないことは当たり前として、野宿者に対しては、最低生活以下の生活である野宿状況をふまえ、より積極的に生活保護を適用して最低生活保障を行うことが必要です。
 一部の自治体では、法的根拠のない法外援護により、その場限りの恩恵的なメニューがありましたが、時としてそれは「生活保護を受けさせない」ためのメニューとなっていたと言っても過言ではありません。野宿者の支援運動を行ってきた様々な団体が、生活保護の適切な適用を求め、わずかずつではありながら行政の姿勢を変えてきていました。本法案が従来の法外援護を法的に位置付けようという性格を持つものであれば、それは生活保護運用の後退につながることは明白です。
 本法案が野宿者の総合的な権利保障をめざした点は評価できます。対象を「自立の意思のあるホームレス」と限定してしまったために、むしろ現在の自立支援事業の施策基準(就労自立の意欲のあるもの)を生活保護法にまで及ぼし、結果として生活保護法の劣等処遇を正当化しかねないものとなっています。
 これらの問題を考慮すれば、以下の点が強調されて文言として明確に加えられるべきと考えます。(1)生活保護の実施を法の趣旨どおり積極的に生活保護を適用して、最低生活保障とホームレス状態からの脱却の助長をはかること。
(2)生活保護の実施にあたり、ホームレスであることを理由に差別的に扱ってはならない。保護実施機関は住居が無いことを理由に保護の適用を拒否してはならない。保護の要件を他のもの以上に厳しいものとしてはならない。
(3)国及び地方公共団体は住居のない要保護者に対して、住宅扶助を現物給付する宿所提供施設等の施設や住宅の建設を進め、また、保証人問題にも対応し、住宅入居策を実施すること。
(4)本法案に則って行われる自立支援事業は生活保護基準以上のものであること
 また、昨今議論となっている生活保護法改正問題においては、野宿者の現状を踏まえ、本法案との整合性とも加味しながら、最低生活保障の内実が削がれず、要件が厳しくならない指針が出されるべきであると考えます。

5.「構造改革」と就労対策について
 現在盛んに語られる「構造改革」ですが、本法案はその「構造改革」とセットとなった「セーフティ・ネット」の一角をなすものと位置付けられます。しかしながら、いくらその「セーフティ・ネット」を広く何重にも張ろうと、その上で危険な綱渡りをさせる「構造改革」であれば、それは大きな問題を含んでいると言わざるを得ません。すなわち、野宿者を生み出さない、野宿を強いられない社会システムを具体的に構想することが非常に重要であると思われます。
 しかし、現在与党が行おうとしている「構造改革」では、金融関連だけでも130万人の失業者が出ると民間シンクタンクが推測しています。世界的なグローバル経済下で弱肉強食の競争社会が強化されれば、そこには必ず蹴落とされる人たちが生み出されます。私たちはこのような「構造改革」には反対します。また、貧困を増大する施策とセットで出される「セーフティ・ネット」では本質的な問題解決にはならないと考えます。
 政府がどのような社会システムを構想し、どのような労働政策を講じるのか、その中で野宿者への就労対策を具体的にどのように出すのかが問われています。
 法案に明記されるべき点で言えば、次の点が上げられます。
(1)野宿となる最大の原因が失業であることは各地の調査から明らかであり、一般労働市場まかせでは野宿者の就労は困難である。従って、政府・自治体の責任よる公的就労の創出による雇用保障は不可避である。
(2)従来イメージの失業対策事業とは異なる公的就労の創出は可能であるし、それが行政責任である。
(3)「公共職業訓練・職場適応訓練」を野宿者に対して実効的に運用していく必要がある。

6.政策への当事者の参画について
 野宿当事者の意志という点では、法案の中には野宿当事者が参加し意見表明する機会が保障されていません。当事者ではない者による「実態に関する全国調査」が、現実の「実態」をどれだけ反映し得るか疑問であることは、これまでの行政の「調査」報告からも容易に予想されます。法案の理念としても行政に対する縛りとしても、「実行計画策定や評価機関への野宿当事者の参画を保障すること」など、当事者が意見を表明する機会の保障を文言として入れられるべきだと思います。
 すべての野宿者にとって最も基本的な欲求は、「自立の意思があるのにそれを受けとめるシステムがない」という以前に、「人間として取り扱ってもらいたい」という点にあります。それは、長い間問答無用で追いたてられ、福祉事務所に行っても相手にされずに追い返されてきた人々が不幸にも持たざるを得なかった実感です。この広く浸透した不信感を払拭する
ことが、国の責任を認めることの内実であらねばならず、そこからしか「基本方針」および地方自治体諸施策への当事者の協力も期待し得ないことは明らかだと思います。そのためには、徹底した公開性と説明責任、そして調査・企画・調整・決定・実施各段階における当事者参画が不可欠です。「住所不定者」としてほとんどあらゆる行政サービスから排除されてきた野宿者の「社会復帰」を目的とするのが本法案の根本趣旨であるならば、それゆえにこそ、その実現のためには従来よりも一歩踏み込んだ当事者参画の機会保障とそれに対する行政サイドの尊重義務が明記される必要があると考えます。野宿当事者の「自立」=「社会復帰」を国民を含めた国全体で盛り立てようとするならば、そのための方針策定段階から当事者を対等の立場で受け容れるという姿勢を国があえて積極的に示すことが肝要と考えます。

 以上、本法案に対して一定の評価と期待を持ちながらも、少なからぬ当事者・支援団体が懸念している事項について、要望を含めて示させていただきました。
 民主党プロジェクトチームの皆さんのご尽力に敬意を表しつつも、以上の点、ご検討とご配慮をいただき、国会審議に反映していただければと存じます。

2001年9月
寄せ場・野宿者運動全国懇談会



 


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(のじれんメールアドレス: nojiren@jca.apc.org