のじれん・通信「ピカピカのうち」
 

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たいしょうのインド訪問記


―前編―

田井将

 10月も半ばに差しかかり、夏の灼熱地獄の記憶が薄れかけた頃、突然、Sさ んから告げられた。「今月インドに行けるかもしれんで」と。長い間、世界各地 のスラムコミュニティの中に入り、ネットワーク作りや居住改善運動などに活躍 してこられた、その世界では「大物」であるアンソレーナ神父から、前々から、 日本の野宿者の当事者運動の活動者としてインドのムンバイ(旧ボンベイ)のス ラムやスクウォッター(占拠する人々)のコミュニティに訪れ、学ぶべきものを 学んできたらよいと言われていた。有り難いことに飛行機代は出して頂けるとの ことだ。これは行かねばなるまい。飛行機がいささか苦手な僕も、このインド行 きは心待ちにしていた。その機会は、6月の中旬にやってきた。今年4月以降、 ムンバイの線路沿い周辺の何十万人というスクウォッターに対する強制排除の嵐 に抗するために、世界各地のスラムの国際的ネットワークによる大規模なキャン ペーンの開催に合わせて、現地を訪れる予定だった。6月24日の全国行脚出発 直前の数日はぽっかりと日程があいている。あわてて1万5千円の大枚をはた き、「菊の御紋」の屈辱に耐えてパスポートを取った。しかし現地の強制排除の 状況が俄然と厳しくなり、開催を延期、我々の訪問計画も立ち消えになった。  それから4か月、忘れかけていた頃にそれはやってきた。未知の国、インド。 もとよりタージマハール(だっけ)も、ガンジス川も興味ない。恐らく旅行ガイ ドには観光客が避けて通る場所として載っているであろう、スラムやスクウォッ ターそし野宿者は、どのようにして生き、生活をしているのだろうか。どのよう に仲間を作り、つながり、結びついているのだろうか。アンソレーナ神父の言う 学ぶべきものとは一体何だろうか。

 前置きが長くなった。アンソレーナ神父も現地で待っているという。そろそろ 出発しよう。忘れ去った夏バテに脅えつつ。 


 10月29日(日) 

 12時成田発、エア・インディア。途中、デリーを経由してムンバイに着いた のは予定より1時間遅れの現地時間夜の9時頃、時差が3時間遅いので約3時間 の機上の旅だった。荷物が出てくるのと、入国手続きやなんたらで時間がかか り、空港を出た頃は12時をまわっている。飛行機や空港では空調がきいてい て、日本にいるときと違和感がなかったが、ドアを開けるなり夏が蘇ってきた。 インドは1年中夏だから当たり前だが、やはり匂いが違う。観光客はずっと南の 海の方に集中するが、僕と通訳(?)のSさんは、そのずっと手前のバイクラ駅 の近くセバニケタンのカトリック施設の宿舎を目指す。ひっきりなしに飛び交う クラクションをかいくぐりながら、タクシーは飛ばす。ヒンズーの正月の終わり らしくあちこちで爆発音とともに花火が上がる。宿舎近くで車をおり、歩く。そ れにしても人、人、人。さすが近々中国を越して人口世界一の国、人が車をすり よけているのではなく、車が人をすりよけているのである。Sさんはもう何年も のアジアの各地のコミュニティに入って様々なことを体験し、今回の旅も彼なし では実現しなかった。おまけに英語もからきしな僕にとって彼がいなければ、一 歩も歩くこともできない。とはいうもののさっきから地図を頼りに歩いているが なかなか宿舎に着かない。路上では、野宿の仲間が、男も女も年寄りも赤ん坊 も、野宿の仲間が道の真ん中だろうとどこだろうと寝ている。さんざん迷ったあ げく、宿舎についたころには2時近くになっていた。ベットに倒れ込むなり深い 眠りにつく。  


 10月30日 

 朝、同じ宿舎に泊まってるアンソレーナ神父と再会。3人でここから歩いて1 5分位のスクウォッターの地区を訪問する。ここに事務所のあるマヒラミランと いうグループは、NGOであるSPARC(地域活性促進協会)の働きかけで、 1985年に野宿の女性たちによって結成され、セービング(貯蓄)を基軸に活 動している。74年にスラムコミュニティの連合として設立されたNSDF(全 国スラム住民同盟)と、SPARCとの3者で86年同盟を結び、ともに活動し ている。ちょうど同じくACHRの交流プログラムで訪問していたブラジルのス ラムのコミュニティのリーダーたちとともに、早速マヒラミランの発足メンバー の女性によるセービングの「取り立て」に同伴する。セービンクの効果は、まさ にその共同性だ。1日に1世帯あたり1ルピーても、2ルピーでも、それがコミ ュニティ全体となれば大きな貯蓄になる。積み立てが一定額を越えると、融資を 受けることができ、住居の修繕や子供の学費などにあてる。また世帯の財布の紐 をにぎるのは女性で、セービングをすることによって地域の、引いては社会的な イニシアティブを得ることになる。その光景をビデオカメラで撮影していたのだ が、ルピー札を渡す時の手が震えていたのは思いすごしであろうか。 

 ブラジルのグループたちとの昼食の後、SPARCの事務所を訪問し、その中 心的な女性活動者であるシーラの話を聞く。彼女の話によれば、ムンバイでは、 スラムの住民や野宿者、スクウォッター合わせると約600万人おり、そのうち 野宿者が約2万3千世帯、線路脇のスクウォッター約3万2千世帯、またそれら のうちNSDFは25万世帯約200万人を組織している。日本から野宿者当事 者団体のメンバーが来たことはとても歓迎してくれ、色々とサジェスチョンして くれた。日本の野宿者や貧困者の運動がまだまだ力が弱いことについて、自分た ちも運動がここまで大きくなるのに15年かかったこと、最初は、撤去があって も道路が違うとお互いに関心がなく、自分のところを守るだけだったが、グルー プとして一緒に守るようになるまで4年かかったこと、忍耐することととゆっく り確実に進んでいくことが大事だと彼女は語る。また自分の所属するNGOであ るSPARCと当事者団体であるNSDFとの関係については、SPARCは住 民たちといつも一緒にいて、何かあれば相談は乗るが、ああしろこうしろとは決 して言わないこと、組織されていない新しい場所に行くときは、NSDFの住民 たちが行き、SPARCは後ろについていくだけで、行政交渉や裁判の時はSP ARCが一緒にやることなど、サポーターの役割として住民ができることはやら ず、どうしてもできないことをやるということを教えてくれた。(次号に続く) 

 


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