頻発する「襲撃」

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このところ渋谷・代々木で,路上で生活している人々が何者かに襲われるとい う事件が相次いでいる。以下はすべて,いのけんが渋谷・代々木で暮らす人た ちに聞いた話だ.

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二月二十日夜の十時頃, 宮下公園で寝ていたIさんは,男五,六人,女二 人のグループに「ガソリン」をかけられ火をつけられた.慌てて逃げ出し,こ ろげ回って火を消したが,軽度とはいえ顔の広い範囲に火傷を負った.

二月二十三日の明け方三時頃には続けて三件の事件が起こっている. まず宮下公園のすぐ脇の小屋で寝ていたTさん.突然,壁にしているブルーシー トが破られ消火器を噴射された.Tさんはもろに粉をかぶってしまった.男四人くらい が逃げていったようだという.

ほぼ同じ時刻,宮下公園から明治通りを隔てた児童会館.ダンボールハウスに 寝ていたFさんも,同様に突然消火器を噴射され,さらにその容器を投げつけ られた.

同日やはり相前後した時刻,代々木公園B地区.ダンボールハウスで寝ていた Gさんは,中に人がいるのを確かめるようにダンボールを蹴る音で目を覚まし た.酔った仲間が来たのかと「なんだ?」と言おうと顔を出した瞬間,消火器 を噴射された.何も見えなくなりモウロウとして立ち上がったところ,若い男 四人くらいの「マネキンいっちょあがり」「おもしれー」と言う声を聞いた. 逃げようとすると,消火器の容器や石を投げつけてきた.近くの仲間が何事か と寄ってきたところ「犯人」は逃げていったという.Gさんは後で頭や手に怪 我をしていることに気づいた.事件の起きた時刻や手口から,右の三件は同一 犯だと考えられる.

これらの話を聞いて,さらに代々木・渋谷で暮らす人たちに聞き込みを行った ところ,エアガンのようなもので撃たれたとか,朝方に無人の小屋から出火し たなどの事件が起こっていることがわかった.

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きっかけとなったかどうか判らないが,昨年五月に代々木公園で起こった襲撃・ 殺人事件の「犯人」,少年六名が逮捕されたという報道が今年一月にあった. 話によれば,少年たちのグループの対抗意識 ---「別のグループから『勇気 がない』と思われたくない」ことから暴行がエスカレートしたという. その後の審判で全員に少年院送致の決定が出されている.「社会的影響を考 慮した制裁的決定」だそうである.

その加害者本人たちのことを考えれば,「ホームレス」に対する認識や人権意識 について考える間もなく「制裁」が加えられたのは残念,という声にも肯ける. 彼らにこそ,路上で暮らすこととはどういうことか,人間としての権利とは何 か,を考える機会を与えてほしかったとも思う.

渋谷にたむろしている少年たちも他に行き場をなくしている者たちであって, センパイたちや我々と場を共にできる者たちだと考えないこともない.

しかし,その後調査して発覚した事件を合わせて考えてみても「犯人」の心 境というものがどうしても理解できない.路上で暮らしている人たちに対して 利害関係や怨恨があるわけでもない.ただ面白半分,ゲームの対象としてたま たまそこに居合わせた者に手を出したとしか思えない.

なぜ彼らがこのような行動を起こすのか?「教育」の問題として取り組むこと も重要だろう.「差別」を必然としているようなこの国の社会の変革を訴えて いくことも必要だろう.しかし彼らがセンパイたちに襲いかかっているという 現実を目の前にして,我々がまず考えるのはセンパイたちの生活・生命を護る にはどうすればいいかということである.路上に暮らす人たちと直に接すると ころにいる以上,そこから始める以外にない.

いま我々はセンパイたちに自衛・防衛を訴えている.いくら「護る」といって も四六時中我々が渋谷に張りついていることはできないのだし,最終的に自分 の生命は自分で護らなければならない.そのために仲間同士の団結を呼びかけ ている.寄り合いで情報を共有し合い,普段から顔を合わせて声をかけ合って おくことで,いざというときにも助け合える関係を作っておこうと呼びかけて いる.

それが問題の根本的な解決ではないことは解っている.しかし現実に起こっている 「襲撃」から生活を護らなければならないのだ.

正直言ってこの問題は,我々や路上に暮らすセンパイたちだけで捉えきれるも のではないと思っている.さまざまな視点からの意見を聞かせていただきたい.

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さて,いのけんの渋谷での活動は変化している(毎回「いのけん通信」に書く ことが違うので,読者のなかにはよくわからなくなっている方もいることでしょう. さまざまな模索の中で状況は変化しているのです).

地下鉄改札に向かう通路は,以前は寒さや雨をしのぐ場所として多くの センパイたちが休んでいた.ところが夏頃から地下鉄営団が追い出しの姿勢を 強化し,休むこともできなくなっていた.

いのけんとしては以前から,みんなで集まって話をする場を持ちたいと考えて いたこと,地下から追い出されたままでいる訳にはいかないことから,越冬の 時期に入ったのを機会に,毎週土曜日に渋谷駅の地下で寄り合いを開くように した.飯は隔週,あとはお茶だ.

土曜日の夜八時,地下の通路の広くなったところにブルーシートを広げ,座り 込む.センパイたちが集まってきて,多い時には五十食用意した飯が足りなく なることもあった.この寄り合いは大晦日の宮下公園での越年まつりをはさん で,三月まで続けられている.

「渋谷ではみんなバラバラで,まとまりなんかしないよ」と言われていた雰囲気 が少しづつ変わってきた.事務所で飯を炊く時間から一緒に準備に加 わってくれるセンパイが出てきたし,寄り合いの後のパトロールにも参加して 「オレも向うで寝ている仲間だからな」と声をかけて回るセンパイも出てきた. 先に書いた襲撃への対処法もセンパイたち同士が話し合っている. 寄り合いに準備するビラによく『仲間の生命は仲間でまもる』とスロー ガンのように書いてるのだが,だんだんそれが実現しつつある.

「寄り合いが始まってみんなで話ができるようになって,生きていく元気が出て きたよ」という言葉が耳に残っている.これからもさまざまな困難が降りかかっ てくるだろうが,それこそみんなの力でこの場をまもり抜いていきたいものだ.


いのけん通信第 14 号(Mar. 22, 1997)
(c) 1997 町田ナツオ,渋谷・原宿 生命と権利をかちとる会
inoken@jca.ax.apc.org

$Date: 1997/08/12 14:52:37 $ 更新

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