雨ときどきどしゃ降り

渋谷・福祉行動の記録

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3 月×日

越冬の頃から顔見知りになった A さん,A さんの友人で面倒見のよさそうな B さんと一緒に福祉課へ.A さんの手足は何が原因なのか,膿がたまったよう な感じで風船のように膨れ上がっている.「入院しなきゃ無理だよな」と A さん.たしかに,衣類も満足に取り替えられなければ,いくら薬をもらったっ て治りそうにない.特にこんな腫れ方では.しかし福祉では翌日の診療所で薬 をもらってくれ,とのことであった.

B さんは右手がなぜか痛くてほとんど曲げることができない.出てきたケース ワーカーは,B さんが説明しているあいだ横目で睨みながら「フン!」「フン!」 と,聞きたくもないといった感じ.それが終ると,「それで?」と吐き捨てる ように言う.「病院に行きたいってこと?」 私が「あのですね」と横から口を はさむと,「あんたに聞いてんじゃないの!」と,火がついたように怒鳴る.B さんに向かってまた「それで?」

B さんはすっかり意気消沈してしてしまって,こちらを向いて「もういいです」 と言う.思わず言葉に詰まっていると,B さんはケースワーカーにも「もうい いです」と告げ,立ち上がって,荷物を持った.ケースワーカーは「あ,そう. もういいの」とだけ言った.

数日後,B さんに会った.「自分にもプライドがある.人間として扱われなけ れば誰だって傷つく.あんなふうにされてまで世話になりたくない」というよ うなことを,たしか B さんは言っていた.

3 月パトロールでは,炊き出しにぜひ協力したいという,近くのレストランの オーナーに出会った.何人かのセンパイが寝床にしていた渋谷駅東口の東急百 貨店前は,フラワーポッドが置かれて寝られなくなってしまった.

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5 月×日

前々日のパトロールで C さんに会った.上半身はすごくやせ細っているのに, 脚だけはパンパンにむくれている.一カ月くらい前からで,階段の昇り降りも つらいのだと言う.周りの仲間も心配していて,「糖尿病かもしれないから病 院に行け」と勧めるのだが,なぜなのか C さんはやんわりと,でも絶対に首 を縦に振らない.周りの強力な勧めもあり,福祉に行く朝の待ち合わせをした のだが,C さんは現れなかった.

あきらめて行こうとすると,C さんの姿が見えた.雑誌を入れた大きな紙袋を 持っている.C さんも古雑誌(2,3 日遅れのもの)集めで,日々の食をつないで いるようだ.「行きませんか」と言ってみたのだが,やっぱり「今日はこれを やらないと」との返事.

時々,自分の身体を痛めつけても,何か頑ななものを抱えて生きている人に出 会う.いつも穏やかな表情の C さんもそんな一人なのだろうか.下着などの 衣料は受け取ってくれるのだけれど.

この日は,3 月に皮膚科の診療所を紹介されたはずの A さんとともに,また 相談に行った.それなのに結果はまた同じ.あとで聞いたのだが,ここの福祉 課で皮膚科を紹介できるのは,唯一その小さな診療所しかないということだ.

駅構内で一度会ったことのある D 夫妻が窓口に来ていた.近くの X 市で共働 きしていたが,夫の心臓病で職とアパートを失い,以来野宿生活に.生活保護 の申請に来たが「住所がない」という理由で受け付けられず,がっくりと肩を 落として帰るところであった.「変な話ですよね.こっちは住所がないから困っ ているのにね」...ほんと変な話ですよね,と相槌をうつことしかできなかっ た.

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6 月×日

数カ月続けて福祉行動に付き添ってきて,私はその月曜日が来る度に気が重く なる.また傷つけられなきゃならないのか,そして人が傷つけられているとこ ろを見なければいけないのか,という気持ちで逃げたくなる.

この日も鉛のような足取りで区役所まで来たが,そこで会った E さんの明る い笑顔で少し元気づけられた.「がんばらなくちゃ」という感じ.渋谷の福祉 課へ来るのは初めてだという E さん.相談票を記入し,ソファで待たされて いる間,ほかにも来ている野宿の人の何人か,ケースワーカーから何やかやと 怒鳴られているのが嫌でも目に飛び込んでくる.E さんの肩が縮こまっていく のがわかって,辛い思いでいると,「厳しいんですね,ここは」と,下を向い たままつぶやくのが聞こえた.

E さんはアルコールから内臓をこわし,今年の春先までアル中で他県の精神病 院に入院していた.「治ったという自信がついて」退院したが,職とアパート は既になく,再び酒に手をつけていた.ここ数日は,胃腸が食物を受け付けな くなっていた.もう一度入院してアル中を治したい,と相談したはずなのだが, E さんは「だめだと言われた」という.落ち込んでいる E さんと二人で,も う一度ケースワーカーに声をかけるが,「一度退院歴のある人を受け入れる病 院は,渋谷にはないですよ」と,探す前から早口の断言調.E さんは,「前の 病院にも生活保護で 7 回くらい入っていた人もいるんですよね」「今なら治 せる気がするんですよね,酒を見るのも嫌になっているし」等々,つとつとと しぶとく言うのだが.アル中が一度くらいの入院で治るのは難しいことくらい, 素人の私にも想像がつくのだが,最後にケースワーカーが言ったのは,「治し たってどうせ野宿になるのだから」.つまり『どうせ死ぬんでしょ』という意 味なのだろうか.

結局近くの診療所で内科検診だけを受けることになった.待合室まで付き添い, 私の仕事の時間になったので,そこで別れた.

いつもこんなふうな付き合い方をしているが,中途半端なことをしているなあ と思っている.新宿で福祉行動をしている稲葉君たちに言わせれば,「診察か ら帰ってきてからが大事」とのこと.つまり,必要に見合った対応をそこから 追求していくということだ.私たちのは,与えられた枠内にとりあえず収めて いるだけ,とも言える.それでも人手などの条件のなかで,これ以上の取り組 みが難しいのが現状だ.

とにかく,野宿者に生活保護がまったくといいほど適用されない渋谷の状況の なかで,私たちの行動は何の力も持ち合わせていないかのようにさえ見える. ここに絶望し,他の区や市に移って,「福祉」を得ている人たちの話をよく聞 く.

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7 月×日

駅の地下構内から野宿者がとうとう追い出された.半蔵門線あたりを中心にい つも 40 人前後の人たちが休んでいた.いたちごっこのような一時的な追い出 しが前からあったところだが,今回は戻れない厳しい状況になっている.毎日 厳しい見回りがあるのだ.詳しい状況はまだ不明だが,パトロールで会ったセ ンパイは,「今はいいけど,冬が心配でねえ」と言っている.


いのけん通信第 12 号(Aug. 8, 1996)
(c) 1996 渡辺舞子,渋谷・原宿 生命と権利をかちとる会
inoken@jca.ax.apc.org

$Date: 1997/08/12 14:52:16 $ 更新

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