不況で働けない野宿労働者、生活保護制限は誤り 地裁判決


【名古屋】 不況やけがで働けず野宿を強いられているのに、生活扶助と住宅扶助の生活保 護を認めなかった決定は違法として、岐阜県出身の日雇い建設作業員林勝義さん (五八)が、名古屋市と同市中村区社会福祉事務所長を相手取り、同決定の取り 消しと慰謝料百万円の支払いを求めた訴訟の判決が三十日、名古屋地裁民事九部 であった。岡久幸治裁判長は「働く能力を活用していないから、生活保護の要件 を満たしていないとの判断は誤りだ」として、原告側の主張をほぼ全面的に認め 、同決定の取り消しと、名古屋市に対して慰謝料二十五万円の支払いを命じた。

判決は、「就労可能」とした医師の診察結果だけを根拠に、野宿生活者に対す る生活保護を制限した行政側の姿勢を厳しく批判している。今後の福祉行政に影 響を与えそうだ。

林さんは一九九三年七月、両足の筋肉がけいれんを起こし、仕事に就けず、野 宿を強いられた。同月三十日、中村区社会福祉事務所に対して、生活保護法に基 づく保護を申請。病院で診察を受けたところ、「筋肉痛で、就労可能」と診断さ れた。福祉事務所は「就労可能な場合は、生活保護を受けられない。仕事は自分 で探してほしい」と回答。「臨時的、応急的措置」として、医療扶助だけを認め 、生活扶助と住宅扶助を認めなかった。

裁判では、保護を受ける要件を定めた生活保護法四条の解釈が争点になり、林 さんが、あらゆる能力を活用して、仕事をしようとしたかどうかをめぐって、原 告・被告が、真っ向から対立した。

原告側は「不況で仕事が少なく、能力を活用しても、最低限度の生活は維持で きなかった」と主張。そのうえで、「稼働能力があっても、生活が困窮している 場合は、生活保護が受けられる」とした。

これに対して、市側は「稼働能力があり、能力の活用が不十分で、保護の要件 を満たさない」と反論。求職状況については、「就労の機会を得ることは可能で 、申請当日に、職が得られなくても、急迫していたとは認められない」として、 処分の妥当性を主張した。

判決は「野宿生活をしている日雇い労働者の原告が、就労先を見つけるのは極 めて困難な状況だった」と当時の雇用状況を認定。「軽作業を行う稼働能力はあ ったが、働こうとしても、実際に働く場がなかった」とした。そのうえで、「抽 象的な就労可能性を前提として、稼働能力を活用していないとの判断に過失があ った」と結論付けた。

厚生省保護課によると、係争中の生活保護訴訟は全国で九件。いままでに、住 所不定者の稼働能力を争った訴訟はないという。

●血の通った運用求める

【解説】 不況と病気で仕事がない路上生活者が、生活保護を認めなかった名古屋市の決 定の取り消しを求めた訴訟で、名古屋地裁は、働く能力があっても働く場がなけ れば生活保護は認められるとの初めての判断を示した。判決は、具体的に申請者 に働ける場があるかを調べず、申請を認めなかった市の対応を批判。血の通った 運用を求めたといえる。

裁判では、働く能力がありながら仕事がなく、生活に困窮している場合、生活 保護が認められるかが最大の争点だった。

判決は、生活保護の要件を「利用し得る資産、能力を活用すること」と定めた 生活保護法第四条について「働く能力がある場合、働く意思があっても、実際に 働く場がなければ、利用し得る能力を活用していないとは言えない」と解釈。具 体的に原告に働く場があったかを検討した上で「野宿者が急増している状態で、 野宿労働者が就労先を見つけることは困難だった」と市側の判断を誤りとした。

さらに市担当者が、原告を診断した医師の「就労可」という診断だけで、「稼 働能力を活用していないと判断した」と指摘した。

原告弁護団によると、生活保護の窓口では、医師の「働ける」という診断があ れば、そこで切り捨てられるのが一般的だという。判決は行政の冷ややかな対応 への戒めといえ、親身な取り組みを求められている。

(社会部・久保田正)

○原点に返る姿勢を

元京都市左京福祉事務所保護課長で、花園大社会福祉学部の中川健太朗教授( 生活保障論)の話 行政は住居がない人たちを生活保護法の枠から外し、医師の 診断などを根拠に画一的な対応をしている。生活保護法は、生存権を定めた憲法 二五条を具体化したもので、日本国民であれば、法律の基準以下の扱いをされる ことは許されない。行政側は控訴しないことで、生活保護法の原点に立ち返る姿 勢を示してほしい。今後、大都市を中心に生活保護問題が浮上し、保護を申請す る人が増えるなど、福祉行政の変革を迫る動きが加速すると思う。

○路上の仲間の救済訴え 「市は対応の再考を」 林さん会見

「支援してくれたみなさんのおかげで、何とか勝つことができました」。林勝 義さん(五八)は三十日、照れくさそうに語った。不況で仕事もなく、路上生活 を余儀なくされた林さんが、名古屋市などを相手取って起こした生活保護訴訟。 最後にすがった裁判所が、ようやく手を差し伸べてくれた。市内で路上生活する 労働者は六百人を超え、分かっているだけで昨年一年間に三十人以上が亡くなっ ている。

判決後、名古屋弁護士会館で記者会見した林さんは、紺の作業着姿。「少しで も野宿している仲間に、市の対応が変わってくれれば」と訴えた。

林さんは東京などで飲食店で働いていたが、十五年ほど前から建設現場へ。一 日契約の現金就労を糧にする日雇いが中心で、作業員宿舎を転々とした。

一九九三年七月初め、足のけいれんが原因で建設会社から解雇された。交通事 故の後遺症で「筋肉がかちかちになって、戻るまで動けなくなった」。所持金は 底をつき、新聞を敷いて寝るようになった。「食べ物がない時は、トイレで水を がぶ飲みした」

名古屋駅近くの「笹島」地区には、毎朝路上求人を求める労働者が集まる。毎 日のように通ったが、仕事は回って来なかった。

「仕事がなくて倒れかかっているのに、市は『働ける』と言うだけ。足が動か ないのにどうやって働くのか」。裁判を決意した。

提訴が理由で、せっかく見つかった仕事もやめさせられた。それでも林さんは 「みんな怒っており、自分は代表。全国の仲間が応援してくれたので頑張れた」 と振り返る。

○「働きたい」人の半数仕事持てず

深刻な不況下で、名古屋市内でも路上生活者が増えている。日本福祉大、大阪 府立大の学生らが、笹島で六十四人の路上生活者に聞き取り調査して今年五月に まとめた報告書によると、仕事がしたいのに仕事がない人はおよそ五三%。病気 やけが、高齢で仕事ができなくなった人を加えればおよそ八割を占めた。一週間 で二日以下しか働けない人がおよそ七割にのぼり、一日も働いていない人は四四 %にのぼった。

健康面から支援活動を続けている笹島診療所の記録によると、路上生活などで 健康を損ねて亡くなった人は九三年四十一人、九四年二十六人、九五年三十四人 。死亡時の平均年齢はおよそ五十六歳という。

○控訴、慎重に検討 名古屋市

「名古屋市敗訴」の判決を受けて、同市の倉坪修一民生局長は「判決文をよく 読んだうえ、控訴するかどうか慎重に検討したい」とするコメントを発表した。

同局の井上章保護課長は記者の取材に対し、「稼働能力の判断が争点となった ようだが、こちらの主張が認められなかった。判決は意外だ」と語った。


96/10/31 朝日新聞 名古屋朝刊