移民と郊外の運動 MIB コミュニケ 2005.11.9

『仲間よ、安らかにくたばれ、ただし静かにくたばれ。苦しみの叫びが遠くのこだまとしか聞こえないように…』


 暴動の理由を理解できない者は、健忘症か、何も見えていないか、その両方かだ。郊外では30年間にわたって、正義の実現が要求されてきた。蜂起、暴動、デモ、行進、公開集会、明確な要求をつきつけた怒りの叫びが、形をとるようになって25年が経過している。

 都市問題関連庁が、いわゆる不利な状況に置かれた地区の社会的排除と貧困対策のために設置されて15年が経過した。大臣たちは、マーシャルプラン、自由区、教育優先区、経済優先区、若者雇用、社会的連帯など、さまざまな公約を掲げてきた。郊外は「無法地帯」「無責任な親たち」、その他の「イスラム原理主義者の逸脱」について、ちょっとした殺し文句がなくて困っている閣僚や議員、メディアに格好のネタを提供してきた。

 郊外の住民、とりわけ若者は社会のすべての逸脱の責任をなすりつけられ、スティグマを押しつけられている。今日、車に放火するこの「郊外の若者」(それが黒人でありアラブ人であることは暗黙の了解)を、まるでフランスをめちゃくちゃにするためにやってきた外国人のように書き立てている。

 ところが1981年のマンゲット、1990年のヴォアンヴラン、1991年のマントラジョリ、1991年のサトゥルヴィル、1997年のダマリレリス、1998年のトゥルーズ、2000年のリール、そして今回のクリッシーでの若者たちの暴動のメッセージは明らかである。

 警察の犯罪が罰せられないのはもうたくさんだ。身なりや顔で判断する不審尋問はもうたくさんだ。ゴミ箱のような学校はもうたくさんだ。つくられた失業はもうたくさんだ。不衛生な住宅はもうたくさんだ。刑務所はもうたくさんだ。侮辱はもうたくさんだ。腐敗した政治家を擁護し、もっとも弱い者を制度的に断罪する正義のダブルスタンダードはもうたくさんだ。

 この叫びは、無視され、押さえつけられてきた。 沈黙して苦しみを押しつけられている数百万の家族、男性、女性は、一台の車が燃やされるよりもはるかに大きな損害であるような日常的に社会的な暴力を受けている。戒厳令によって、政府は、集団的な処罰と警察に全権を与えるような例外的な法律によって、こうした叫びに応えようとしている。くさい物にはふたをする。これは私たちの住む地区の長きにわたる記憶であり続けてきた。 正義と本当の平等が達成されなければ、私たちの地区には平和はありえない。どんな平和化もどんな戒厳令も私たちの闘いを止めることはできない。

 正義がなければ、平和はない。

2005年11月9日

MIB(Mouvement de l'Immigration et des Banlieues)移民と郊外の運動

(訳:稲葉奈々子)