「世界社会フォーラム」/「持たざる者のフォーラム」参加報告 

下川雅嗣  

渋谷・野宿者の生活と居住権をかちとる自由連合/   

グローバリゼーションを考える日雇・野宿者運動準備会

<はじめに:新自由主義的グローバリゼーションに対抗する野宿者運動>

 日本における野宿者増加の最大の原因は失業であり、その失業は単に不況だから生じたわけではない。政府が人々の働く権利、しいては生きる権利に対する責任を放棄し、すべてを市場のおける競争と自己責任に帰そうとする全世界的な新自由主義的グローバリゼーションの進行と密接な関係がある。そして野宿者はそのグローバリゼーションの非常に顕著な被害当事者である。現在そのような文脈で運動を捉えなおす取り組みが、日本の野宿者運動の中でもはじまっている。この捉えなおしは、野宿者運動が他のいろいろな持たざる者の運動と繋がっていく可能性、また日本だけではなく全世界の持たざる者と連帯していく可能性を秘めているし、野宿当事者にとっては、自分たちの置かれた状況・経緯が、構造上生み出されたものであると自覚し、自己責任の呪縛から解放され、社会変革の主体となる契機となる可能性を秘めていると思われる。
 のじれんでは、先進的に2000年、新自由主義的グローバリゼーションへの対抗を打ち出し、沖縄サミットに向けて野宿者の全国行脚を行ったが、それ以降、運動をその文脈で捉えなおすという点においては途切れていた。しかしながら、後述する『声なき者(No-vox)の世界会議』の呼びかけをうけて、山谷、渋谷の日雇・野宿労働者運動団体及び他の新自由主義的グローバリゼーションに対抗する他の運動団体と共に2003年10月東京で『持たざる者の国際連帯行動』が取り組まれ、さらには2004年11月3日には、もっと広い枠組みで、『社会的排除に抗し、グローバリゼーショ反対する「持たざる者」の国際連帯行動』を行った。この流れの中で、国内の野宿者運動団体のネットワークとして『グローバリゼーションを考える日雇・野宿者運動準備会』が立ち上がり、野宿者運動団体の枠を超えたネットワークとして『「持たざる者」の国際連帯行動実行委員会』が立ち上がり、また世界の持たざる者・声なき者との連帯関係が少しずつ構築されつつある。
 今回、この流れの中で、日本の野宿者運動から大阪と東京のメンバーが、2005年1月26日から31日にかけてブラジルのポルトアレグレ市で開催された『第5回世界社会フォーラム』及びその前日から同じ場所で開催された『持たざる者のフォーラム』に参加した。ここではその報告を中心に行うが、それを通して、新自由主義的グローバリゼーションに対抗する野宿者運動としての方向性の重要性、また運動をそのように位置付けるためのヒントに少しでも資することができればと思う次第である。

<『世界社会フォーラム』と『持たざる者のフォーラム』>

 世界社会フォーラム(World Social Forum, 以下WSFと略)とは、先進国の政治家、財界人、多国籍企業の代表、世界銀行やIMFの理事が集まるダボス会議(世界経済フォーラム)に対抗する民衆フォーラムとして、2001年から毎年1月に10万人以上もの人々が全世界から集まり、特にアメリカ帝国主義や新自由主義的グローバリゼーションに反対し「もう一つの世界」を構想するための様々な試みを議論・実践する場と言われている。第4回目のみはインド・ムンバイで行われ、それ以外の4回はすべてポルトアレグレ市で行われている。今年も15万人くらいの人が全世界から集まった。それだけの大行事であり、人々の将来への希望を語る場であるため、全世界の多くの国々ではその期間中、新聞の第一面の記事になっていたらしい。にもかかわらず、日本の新聞だけはほとんどこれを取り上げなかったと聞き、やはり日本社会の問題性を感じざるを得ない。しかしながら、私はここで、このWSFの報告をやろうと考えているわけではない。
 このWSFの期間に合わせて、同じブラジル・ポルトアレグレ市で『持たざる者のフォーラム』も開催された。これは後で詳述するが、新自由主義的グローバリゼーションへの反対と言いながら、その被害を一番受けているはずの貧困者・持たざる者自身があまり見当たらないWSFに対して、同じ場所で全世界(といっても現状ではヨーロッパ、インド、日本の代表者と現地ブラジルの持たざる者たち)の持たざる者のフォーラムを開き、WSF参加者に対して持たざる者の存在を示し、同時にこの機会を使って持たざる者同士の実際の国際連帯関係を模索するためのものであった。私たちは、まずこの『持たざる者のフォーラム』に参加し、そのフォーラム参加者、すなわち「No-vox(声なき者)ネットワーク」の人々とともに行動し、WSFに関わった。

<No-voxと『持たざる者のフォーラム』>

 まずNo-voxネットワークについて説明しよう。No-voxとは『声なき者』の意味である。このネットワークは、フランスの野宿者運動(ex. DAL:主に住宅への権利として空きビルを占拠する運動)、失業者運動(ex. AC!)、及び移住労働者運動などの団体が中心的コーディネーターになり、ポルトガルやイタリアなどEU圏での貧困者運動団体、そしてインドのダリット運動団体、日本の野宿者運動団体などが緩やかにつながり、国際的な『持たざる者』連帯のネットワークを構築しようというもので、数年前から様々な場で国際連帯行動に取り組んでいる。今回No-voxは、現地の野宿者当事者運動団体(MNLM:Movimento Nacional De Luta Pela Moradhia (居住のために闘う全国運動))と共に、WSFの始まる前の1月25、26日にポルトアレグレで、『持たざる者のフォーラム』を開催し、その後WSFの開催期間において、そこに集まった全世界の人々に『持たざる者』の存在をアピールする実際的行動という形でWSFに関った。なお今回の持たざる者のフォーラムには、前記以外にも新たに、ブラジルの先住民族(グアラニ族)の方々やウルグアイ、アルゼンチンからの参加者もあった。このフォーラムで話し合われて、確認されたことは主に下記の4点である。

1.WSFに対するスタンス:No-voxは、第3回のWSF以降、片足をフォーラムの中に、片足をフォーラムの外に置くという形で関わってきている。WSFは持たざる者の運動としては好ましい場ではない。なぜならばわれわれが模索しているような持たざる者のネットワークを提供してくれない。WSFに貧困者の居場所は存在しない。一口で言うとWSFは中流階級のフォーラムだ。しかし、それでは、つまり持たざる者が存在しない運動だったら、WSFがスローガンにしているもう一つの世界は不可能である。よってわれわれNo-voxは、このWSFの機会を利用して、持たざる者の存在を示し、持たざる者のネットワークや運動を実際に作っていく場所にしたい。

2.No-voxネットワークはどのようなグループを好むか。
 前提:我々は具体的直接行動とそれを行う団体を好む。
(1)
我々は貧困者・持たざる者の運動に関心がある。新自由主義的グローバリゼーションの最大の被害者は貧困者なのだから貧困者が中心とならなければならない。
(2)
中流階級の人々は、一緒になれば世界を変革できると言っている。しかしながら、貧困者が中心にならなければそれは不可能だろう。だからといって我々は開かれたネットワークを模索するので、中流階級を排除はしない。
(3)
我々はしばしば、左翼、労働組合、宗教運動とぶつかることもある。しかしながら、持たざる者の運動は彼らをも包摂していく必要がある。しかしながら、我々はいずれからも独立性・自律性を確保しておかなければならない。

3.No-vox運動の特徴

(1) 我々はNGO・NPO及びそれらのネットワークではない。
(2)
持たざる者とは誰か:この15年くらい労働者運動、移民運動、野宿者運動はそれぞれ個別に運動を行い成長してきた。これらが全部つながっていく必要がある。
(3)
ネットワークの持ち方:困難な点は、異なる運動がどう結びつけるかということである。No-Voxは法的な組織・硬い組織ではなく、インフォーマルなネットワーク、各種運動の自由連合(free association)を目指す。

4.今後取り組んで行きたい具体的国際的行動
(1)
例えば同じ日に各国で大使館に押しかけるような行動はできないか。
(2)
課題を決める際に重要なことは、A)どのような課題が重要なのか。B)それを貧困者自身が理解して主体的に取り組めるのか、といった点であろう。

 <WSFに対して『持たざる者』の存在をアピールする実際的行動及びMNLM>

 さて、全世界の人々に「持たざる者」の存在をアピールする実際的行動であるが、具体的には、MNLMがポルトアレグレの野宿者のために1月25日未明、ポルトアレグレ市の中心街にある旧政府社会保障省機関の空ビルを占拠することで始まった。これはもちろんWSFにポルトアレグレ市の野宿者の存在を示す、と同時に彼らの住む場所を実際に確保するためでもあった。占拠突入は約100人で行い、実際に住むのは50世帯くらいだと言う。実は私は予定が早まったため突入には間に合わず、私が到着した25日昼は、すでに突入後で、そのときには、まだ警官隊が多数バリケードを張っていて、それ以上の野宿者及び外国人(No-vox支援者)が中に入らないようにしていた。
 ここでMNLMの紹介を少ししておくと、この運動は主に都市の空ビルまたは空き地を占拠してそこを自分たちの住宅にする活動をやっている。これは、このような空ビルが多数存在するからできる運動(ブラジル全土では1000くらいの空ビルがある)で、各都市に拠点を持つ全国当事者組織である。現在までに約30万世帯が参加し居住を勝ち取っている。用意周到に計画をし、ブラジル全体では2週間に1ビルくらいの割合で占拠を行っていると言う。また彼らはただ居住を確保するというだけではなく、都市での生活全体を守り、共同体を育てることも同時に狙っている。彼らの挙げている5つの主要課題は次の通りである。

(1) ビル占拠。ただし占拠するだけではなく全体のプロセスを大切に。つまり組織化の準備、占拠後のコミュニティーづくり等。
(2) 占拠後の抵抗。これによって永続的な住居にできる。
(3)
都市の土地所有をより公平にするための規制化の実現。
(4)
新技術の開発(環境と調和する都市での生活方法、家作り、居住の新しい技術の開発)。
(5)
協同組合の強化。たとえば信用協同組合を作り、共同でお金を管理する。 社会的経済のモデルの構築。

 なお、MNLMは、2002年にポルトアレグレで行われたWSFの際にも空きビルを占拠することによって持たざる者の存在をアピールし、その後現在に至るまで、そのビルに68世帯が住み続けている。さて、今回のその後の経過は、25日午後3時から再度の交渉(国連役人、ポルトアレグレ市長とMNLMの交渉)が行われ、その結果、WSFの終わる2月1日までは占拠していても良い、その間、電気・水道を供給するとの約束を得る。一部にその約束で引き下がることに異論もあったが、とりあえずこれで妥協し、WSFの期間中にこの件を既成事実化・社会化することによってこのビルを確保することにした。その後外国人も中に入れるようになり、私も翌日は中に入り、また一緒に行った日本からの活動家もWSFの期間中そこに宿泊した。なお、思惑どおりこれは地元の新聞の一面に写真入りで載る。占拠した人々は早速地下に炊事場をつくり、2日目から共同炊事を行いながら共同体づくりに着手した。また占拠したその夜から、ブラジルが植民地化された歴史、その後の貧困者の抑圧の歴史、抑圧との戦いの歴史をビデオ等を用いて各人が意識化できるような機会が随時設けられていった。このように参加者一人ひとりが主体的にこの運動に関っていること、関われるように運動が作られていることに感銘を受けた。
 さて、そうこうするうちにWSFが開始されるわけだが、WSFは、26日の夕方から行われる約15万人が参加する大規模デモ(というよりお祭りウォークのようなもの)で開始した。No-vox及びMNLMは、『持たざる者のフォーラム』で、ただデモに参加するよりは、ちょうど占拠ビルの前をWSFデモが通るので、デモ隊が通る間はビルの窓及びその前の道路より一段高いところで「持たざる者」のプレゼンスを示し続ける方が効果的であると判断し、デモには最後尾につくことにする。デモは大規模で、デモ隊がその前を通り続けるだけで3時間ほどかかり、その後私たちもデモに加わって約2時間は歩いた。その間の主なシュプレッヒコールは?Ocupar, Resistir, Para morar (占拠、抵抗、居住のため)、?土地改革を実施しろ、?闘いを通して平和は勝ち取れる、の3種類だった。当初の判断は正しく、非常に目立つところで、多くのデモ隊が注目し、大いなる歓声、拍手を浴びた。しかも私自身はデモの全景を見ることができた。またかなりメディアもやってきて、私も2回ほどテレビのインタビュー(ブラジルとフランスのTV)に答えた。なお、占拠ビルの中の家族には子供もかなりいて、小さな子供たちがシュプレッヒコールを一生懸命あげている姿は印象的だった。喉が潰れても、子供たちがシュプレッヒコールをあげだすとやめるわけにはいかなかった。家族ぐるみのシュプレッヒコールには非常にエネルギーがあり、まさに生き死にがかかっている叫びだった。その後最後尾(実際は後ろから5つ目)についてデモも行ったが、これも何でもありのデモで非常に楽しかった。デモをすることによって貧困者が一体感を覚え、また本当に元気になっていくことを実感した。日本のデモではそれを体感することは難しそうに思い、その違いが際立っていた。

(占拠ビルのその後:WSF最終日の1月31日にポルトアレグレ市の住宅局にNo-voxとして交渉に行く。その際に、この占拠には国際ネットワークが支援しているので、排除したら大変なことになるとプレッシャーをかける。しかし、2月14日にポルトアレグレ市は、占拠ビルからの追出しを実行しようとした。これに対して、帰国したNo-voxの仲間たちが、フランス、ポルトガルのブラジル大使館へのデモを予告し、各国からの抗議文を送ることによって、行政の排除を阻止し、現在も彼らは、このビルで生活を続けている。)

<MST(土地なし農民運動)>

 さて、もう一つ書きたいことがある。ちょうどWSF開催中の日曜日(30日)にポルトアレグレから約130Km離れた農村で、MST(土地無し農民運動)設立25周年記念集会があるので、WSFを抜け出して参加しないかと誘われ、それに参加してきたことだ。その場所は、25年前に始めて占拠した農場だそうだ。MSTの概略を説明するとMSTは土地を持たない貧しい農民たちが、使用されていない土地を占拠し、そこにとどまり続けることによって土地を求める権利を追及していく運動である。MSTの行動はまず野営から始まる。数十家族まとまって、自分たちの土地を手に入れるまで、占拠予定地の近くにテントを張って座り込む。そうして来るべき占拠の日までの間、共にテント村を組むメンバー間で教育活動を行う。そこでは、自分たちの置かれている状況を自ら認識すること、社会への批判意識をもつこと、運動の意義を理解することを目指す。そして時期が来たら、空き農地の占拠を行う。こうして現在、約40万世帯が土地を手に入れ、10万世帯が野営状態で待機しているという(総計250万人)。土地を手に入れた後もMSTの活動は続く。住民グループを組織し、農産品をどう生産していくかその中で相談して決める。協同組合を作り皆で生産活動を行っていくのである。また、インフラ整備、教育、公衆衛生などについてもこのグループで協働して取り組んでいく。運動によって手に入れた土地では有機農業を行い、農薬や化学肥料は一切使用しない。それは一人一人が自然環境に対する責任を自覚しているからだ。これらのプロセスにおいては、一貫として、「学びは理論ではなく生活実践の中から自然に生まれるべき」「まず自分たちの置かれた状況を理解することから歩みは始める」とするパウロ・フレイレの教育学・意識化教育がベースになっており、参加者一人ひとりが主体的に資本主義ではなく平等で社会主義的な社会の建設を目的として意識しているのが感じられる。もともとルラ・ブラジル大統領はこのMST運動を応援していたし、MSTは彼の支持基盤の一つである。しかしながら、ルラ政権になってからも実質上の農地改革はまだなされていないし、それどころか現政権になってこの2年のうちに農地獲得闘争の中で68人が殺されている。
 さて、設立25周年記念集会であるが、数千人もの人々が集まってきていた。過去に占拠した農場の中の道を、列をなして延々と歩き会場へ向かう。集会の始まりは演奏される音楽にあわせて海の中での踊りで告げられる。その後、広場に設営された会場でそれぞれのスピーチが行われた。まずMSTの事務局、その後、ブラジルの中で農地改革に積極的な近隣の州の知事の演説(内容は、民営化と遺伝子組換種子への反対の表明)、MSTのリーダーの演説、ベネズエラの農業大臣、ブラジルの農地改革大臣、ベネズエラのチャベス大統領の演説と続く。その中で特に印象的だったのは2つあって、まずMSTのリーダーの話が素晴らしかった。さすがにこの大きな運動の精神的支柱だけある。その要点を箇条書きにすると次のようなものだった。

・もともとここは何も生み出さない、蚊だけを生み出す土地だった。それが今や有機穀物を生み出している(MSTは、むやみやたらに土地を占拠する運動ではなく、長い間ただ 大地主に所有だけされて、全く使われていない土地のみを占拠する。この原則はMNLMも同じである)。
・現代の農業は2種類ある。ひとつはアグリビジネスに管理された農業で、もうひとつは小規模循環型農業である。管理された農業では、企業がすべてをコントロールし全世界で同じものが作られ、消費される。なぜ全世界で同じものを食べる必要があるのか。もともとその地域にあったものが作られ、その人々の口になじんだものが食べられるのが自然だし、人間らしいのではないか。我々は後者の農業を目指す(実際彼らは、自給自足のための農作物をつくり、その余力で出荷用の米を作るのを原則としている)。これは新自由主義的グローバリゼーションへの完全なる対抗である。
・チャベス大統領に対して:あなたは農地改革を行った。それはすばらしい。ブラジルではまだ行われていない(とブラジルの農地改革大臣を見る)。ベネズエラでまず農地改革が行われ、次にブラジル、そしたらラテンアメリカ全体の農地改革が可能になるだろう。ベネズエラに関して言えば、農地改革の後は、教育改革が必要ではないか。ただアメリカ流の教育は意味がない。貧しい人が力を持つための教育、平等で社会主義的な社会を作るための教育が必要だ。そのための改革である。また管理型農業ではなく循環型農業を教えるための教育、シモン・ボリバルの歴史、さらにラテンアメリカがこのような状況におかれていることが意識できるような教育が必要だ。我々が置かれている状況を意識することは貧困者にとっての強力な武器であるからだ。

<おわりに>

 No-voxのメッセージである「新自由主義的グローバリゼーションに対抗するもう一つの世界を本当に可能にするためには、その最大の被害当事者である持たざる者がその運動の中心に現れなければならない」というのはまさにそのとおりであろう。また、ブラジルの都市でかなり力を持っている持たざる者の運動(MNLM)と農村で非常に大きな力を持っている持たざる者の運動(MST)の2つを体験し、両者ともに、(1) 持たざる者自身が主体的に運動をやっている、(2) 自分たちの置かれた状況の原因をきちんと意識している(反新自由主義的グローバリゼーション、反アメリカ帝国主義)、(3) よって、築き上げようとしている生活様式、運動のやり方も一つ一つ新自由主義への対抗が意識されている、ことに大きな感銘を受けた。またどちらの運動においても頻繁に聞かれたメッセージ、「我々が置かれている状況を意識することは貧困者にとっての強力な武器だ」が心に強く残る。
 一方、日本における今の野宿者及び野宿者運動のおかれた状況に目を向けてみると、野宿を強いられる根本原因である失業問題に対しては、政府は基本的には、自助努力を基本とした民間活用(NPOなども含む)だけで応じようとしており、人々の働く権利に対する責任を放棄している。さらに、2004年10月29日での代々木公園での強制排除、2005年1月24日名古屋白川公園での強制排除に代表されるように、特に公園等公共地に居住している野宿者に対しての排除圧力が急激に増大している。また排除・追い出しにおいては、なんらかの表面的・一時的な対策併用で、それに応じない、応じられない場合に本人の自己責任の問題に帰するカモフラージュされた排除も増えてきている。明らかに新自由主義的グローバリゼーションの沿った政策によって野宿者はいよいよ周辺化され、社会的に排除されつつある。このような状況の中で、日本の野宿者運動を新自由主義的グローバリゼーションのコンテキストで捉えなおすこと、野宿者自身が、自分たちの置かれた状況・経緯を意識化し当事者がより運動の主体となっていくことが重要であろう。また、日本の反グローバリゼーションの運動において、顕著な持たざる者である野宿者及びその運動がきちんと位置付けられることが、もう一つの世界をつくる運動のためには欠かせないのではないだろうか。