斗いのグローバリティへ、抵抗しながら連帯しよう!

荒木 剛   

(日雇全協・山谷争議団/グローバリゼーションを考える日雇・野宿者運動準備会)

 このパンフレットは、今年('05)1月、地球の裏側にあたるブラジル・ポルトアレグレで開催された世界社会フォーラム(WSF)?というより、全く知られていないNO-VOXによる「占拠」とフォーラム、連帯行動?にNO-VOXフランスをはじめ、種々の支援を受けて参加した2名(大阪・釜パト、東京・渋谷のじれん)の仲間の現地報告を中心とした報告集だ。
 すでに東京2月11日、大阪5月29日に、ビデオを使った報告と討論の集会がもたれ、それぞれ成果と課題を残した。その地平で、'03年の取り組みとしてあった(「持たざる者」の国際連帯行動のプレ企画)、ブラジル「土地なき農民」(MST) 活動家シロ・コヘアさんとの交流記録を併載し、更に<寄稿><1>今回のWSFについて、<2>WSFの中の「持たざる者」の発するメッセージ性のリンカクが少しは明らかになったと思う。
 我々=「グローバリゼーションを考える日雇・野宿者運動準備会」は、2000年沖縄サミットに向け、「持たざる者」の全国行脚から、01年「ホームレス東アジア交流」を取り組んだ仲間と、山谷圏で2000年から諸々の交流を重ねてきた仲間に、野宿者?移住労働者運動を横断して取り組む仲間らが、昨年6月ソウル行動を機に起ちあげた。
 そこに昨年11.3「持たざる者」の国際連帯行動を契機に合流した仲間達の、「持たざる者」を共通項とした、いまだ小さな当事者・活動家のネットワークというのが実相だ。東京圏では、11.3「持たざる者」実行委の枠で、7月18日(文京区民センター、夜7:00〜)「病」者「障害」者と共に、「心神喪失者等医療監察法」「障害者自立支援法」に抗する、討論・交流会を決定し、更に9月期(日程未定)には、ふき荒れている移住労働者?「不法滞在」摘発に抗するシンポジウムを予定し、今年も11月3日に「持たざる者」の取り組みを目指している。『排除するな!』の声を、各処の現場・当時者から起ちあげ、「持たざる者」の反グローバリズム運動への呼びかけも、このバンフレットには行間の声として込められている。

  報告文にも、「持たざる者」、NO-VOXについては説明的記述が含まれているので、是非とも報告文を読み込んでもらうことにして、ここでは、ポイントと思われる幾点かを出してみたい。
 「持たざる者」?95年12月、公共交通機関の全国ストのただ中、フランスでポンピドゥセンター「占拠」に際して、『持たざる者』の宣言?「職がない、住居がない、社会保障がない、収入がない、職業訓練経験がない、滞在許可証がない、市民権がない…今日フランスではこうした状況を数百万人が経験しています。これが『持たざる者の宣言』のイニシアチブをとった7市民団体の見解です。…私たちは、誰もが連帯して、職を持つ者とともに、労組、社会運動団体、失業者の団体、貧困者、ホームレス、若者が行動することを提案します。」
 グローバル化の極に生み出される「持たざる者」、とても良く分かるカテゴリーだ。が、この前提に、94年12月、パリ・ドラゴン通りの建物「占拠」と民衆大学の取り組みに際しての、『排除された者の宣言』ともいうべきマニフェストが在る。
 「排除とは、雇用や住宅や収入などの基本的な生活手段を奪われることだけを意味するのではない。知へのアクセスからの断絶をも意味する。」
 <この占拠では、ホームレスの61家族が空きビルに入居した。そして運動はそれにとどまらず、「住宅は権利である」がそれだけでは充分ではないと述べられた。ホームレスや失業など貧困をめぐる問題を、それぞれ個別な存在としてではなく『社会的排除』の構造のなかで相互に関連するものとして把握される必要が訴えられた。>(稲葉奈々子)
 フランスにおいて『社会的排除』は、雇用・連帯省の存在や反排除法などで(内実はともあれ)社会的カテゴリーとして成立している。「社会関係の織物の崩壊と、それに続く集団的価値の喪失とに関連するリスク」(『グローバル化と社会的排除』) と規定される「社会的排除という概念は徐々に世界中で通用するようになりつつある」(同、A・バラ、F・ラペール)。「グローバリゼーションによって生み出される貧困のキーワードは、『排除』です。(伊預谷登士翁『グローバリゼーションとは何か』)
 昨年の11.3「持たざる者」集会は、「持たざる者」-「排除された者」を通底する「社会」からの眼なざし、不安→非安全→危険→排除・抹殺という「治安対象」化を孕んで、とりわけ現状の日本からの社会的カテゴリーの起ちあげと、連帯の未熟さの上に構成されている。
 この現実の踏まえから、『基調』内の「民衆の安全保障」という文脈が問題とされたのだ。
 いずれにせよ『排除』の実相、『社会的排除』に抗する連帯の内実をもっての(行動を通した)社会的カテゴリーの起ちあげがポイントだ。

 「NO-VOX(声なき者)」?02年「持たざる者」たちがヨーロッパ社会フォーラムで「声なき者のアピール」。
 「私たちは、第3回世界社会フォーラムと、各大陸ごとのフォーラムが、地球上のあらゆるところに出現している貧困層の運動を統合し、貧困層の姿を見えるようにし、この出会いの中心に貧困者を位置づけることを要求する。それによって、この取り組みに新たな活力を与え、経済的な新自由主義という独裁と斗うすべてのアクターを団結させるために。」
 01年1月、WSFで『声なき者の宣言』
 アピールの声がWSFには受け入れ(とどか)なかったとして、報告文にも触れられているWSFへの現状の評価とスタンスが取られている。「私たちは、世界規模にネットワークを広げるために力を注ぎ、このネットワークをNO.VOXと呼ぶ。」
 「持たざる者」「排除された者」の世界ネット= NO-VOX

 「排除された人々(者)」「持たざる者」「声なき者」、これらの呼称は全て、サパティスタのメッセージに呼応するものであり、メキシコの先住民の軍であるサパティスタは自らを無制限に解き放ち(開き)、?そこに新自由主義に抗する全ての若者が連なることを呼びかける。自らの主体規定(自己同一性の獲得)より、連なることに意義(価値)を見る。それ故、NO-VOXの「中心に貧困者を位置づけること」という声に連帯(連なることを想う深さに於いて、サパティスタのメッセージ性に於いて、我々もまた共振するものだ。
 我々の内部での議論、6月ソウル行動報告集のなすび文章「今、日雇・野宿者運動こそ、反グローバリゼーションの斗いを基盤的な柱に据えるべきだ」に対する<反グローバリゼーション運動が、『持たざる者』を柱に据えるべきだ」(渋谷のじれん)という議論は、現在もなお継続中だ。
 そして、日本の「持たざる者」として、現在のWSFでは、武装集団ということで、サパティスタ、そしてバレスチナの解放勢力が参加出来ないことに、「連なるべきだ!」と声を出す必要があると考える。

 最後に、斗いの現場から、抵抗と連帯を一体に起ちあげるべく、自らの現状について点検してみたい。
 我々は、この間、「ホームレス措置法」下の排除状勢に抗し、1月期の三波に見る名古屋行動(1月24日、白川公園の7名に対する市700名による強制排除)と、大阪?東京でも強まる排除攻勢に、各個撃破されるな!と声をあげ、行動し、4月名古屋反排除集会の一翼を担ってきた。そして現在も、東京-代々木→上野、大阪・西成公園をめぐる排除攻勢に抗せんと活動中だ。
 1月、白川での「排除」がテレビ報道された同日、1月22日、厳寒の韓国ソウル駅で暖をとっていた野宿者2名の「死」と、その仲間への鉄道警察の非道の対応(まだ息のあった仲間を台車に乗せ駅外の寒空に一時間近く放置)に怒り、抗議する処へ、警察の大量動員(一端、引き上げる約束をしたにもかかわらず)に怒りの「決起」、主謀者として6人が逮捕の報(内容はこの様ではなく「ソウル駅でホームレス『暴徒』化」であったが)。
 幾多の取り組みーその一つ、詳細なレポートの翻訳作業は、現在も継続中?はなしえたが、自らの現場での「排除」との取り組みを、グローバルな文脈のなかで位置づけ、洞察する、そしてその現場の質をメッセージとして発する-法途として、把握しえた不十分な段階であれ、ちょうど、昨11月3日に、フランスNO-VOXの仲間が行動した様に、例えば、韓国大使館への申し入れ、「決起」の道理性・それを生み出す無策の現状への抗議、そして何より6名の早期釈放(6名は一ヶ月後に釈放)を求め、たとえ少数で、ショボイ取り組みであれ、何より行動すべきであったのではないか?
 ある意味、それは韓国で斗う人たち以外には、我々「持たざる者」しかなしえなかった行為であり、それはまた、自らの現場での取り組みをも内実に於いて豊かにするものであったのに…。
 この間、我々が、" 会議と集会"に(これは必要なことだが)集中して、緊張感と自らを解き放ち、何より、メッセージ性を鮮明にする直接行動を日本の現状の中から再建してゆくことに、反グローバリズムを掲げ、いや「持たざる者」の苦斗と怒りの中から、着実に育成していくことに無頓着すぎたことは確かだ。
 てんやわんやの徒である我々だが、斗いのグローバリティへ共に前進する「排除された者」「持たざる者」そして「声なき者」と共に、行動し、そして考えてゆく。共に新自由主義グローバリズムに、そして「持たざる者」のタイムテーブルでの連帯を前進させよう!