湯之谷村長選で星候補大健闘!


はじめに

 新潟県湯之谷村(人口約六千人。スキー場なら厳冬期が閉鎖されているものの5月 までオープンしている奥只見丸山、温泉なら大湯温泉、キャンプや釣りなら作家の開 高健が熱を上げていた銀山平などがあり、登山でも越後三山といわれる越後駒ヶ岳・ 中の岳・八海山のベースとなる。)には既に奥只見ダムという日本最大級のダムがあ るが、現在、この村を流れる佐梨川に新たにダムを作り、その水を山の上のやはり新 たに作る明神沢ダムに、柏崎・刈羽原子力発電所の夜間余剰電力を使ってポンプアッ プし、ピーク時の急激な電力需用に備えようという湯之谷揚水発電所計画が進行中。
 その計画の対象地にイヌワシやクマタカが住んでいることから、自然保護運動や動 物保護運動のNGOや水没予定地権者と計画推進当事者である新潟県・電源開発株式 会社との間で同計画や環境アセスメントに関しての問題点など関して激しい議論が交 わされてきた。しかし7月末、新潟県知事は「湯之谷揚水発電計画」についに同意を 表明した。この計画は、エネルギーを浪費している日本の産業経済構造をそのままに して、都会の真夏のピーク時の電力需要をまかなうために、イヌワシが棲み豊かな水 と緑が広がる湯之谷の自然を切り崩し、総工費4000億以上というお金をかけて揚水 発電ダムを建設しようというものである。
 今、全世界でダム開発の見直しや撤退が始まっている中、ゼネコンや一部の政治家 の利権のために、日本ではこうした公共事業が未だに無理やり押し進められている。 湯之谷村の佐藤現村長は、このダム建設による莫大な固定資産税や補助金を当てにし て土建優先の行政を推進してた。しかしその結果、村は百数十億もの負債を抱え、村 が建設してきた「箱モノ」の維持管理に膨大な費用がかさみ、村の持つ本来の活力は 次第に失われ、観光業・農業の不振、高齢化、自然破壊などの問題が山積するように なっているのである。

1997年夏、村長選闘われる

 このような中で、1997年7月29日告示・8月3日投票の村長選が闘われた。何がな んでもダム建設を推進したい佐藤現職村長やその周囲の政治家達は、「湯之谷にダム 反対はひとりもいない」と豪語し、当初村長選は無投票と思われていたが、告示直前 にはなったが「ダムや箱モノ行政を見直し、農業を守り福祉を充実する」ことなどを 公約にして、全く無名の星たけとしさんが立候補表明したのである。県内の自然保護 団体や地域政党、そして内外の多くの個人などが集まって「イヌワシの棲む郷土の自 然を未来につなぐ会」を結成し、星たけとしさんを全面的に応援して選挙戦が闘われ た。星さんは1928(S3)年湯之谷生まれ、68歳で子どもの頃から森の石松のあだ名 で、人を疑わず真一文字に突き進む性格で知られ、1992(H4)年より小出タクシー 勤務(今回 村長選出馬のため退職)、妻・長男と三人暮らしの気さくなおじさんで ある。
 この湯之谷村は旧新潟3区−あの田中角栄・越山会のかつての支配地であり、現在 はその娘の田中真紀子氏の影響が強い場所である。彼等は環境保護の理念や政策を、 地方の現実の厳しさを知らない、都市型住民の「たわごと」として無視し、いわゆる 土建行政・利益誘導型政治の一点張りでやってきた。村議会が全会一致でダム推進決 議を上げ、電源開発も金にモノを言わせて、これまでこうした反対の声はなかなか表 に出てこなかった。しかし実際には不満を持つ多くの村民がいたのである。星さんの 立候補は、そうした中での、勇気ある決意であった。
 市民新党にいがたは、政党として唯一星候補の推薦を決定し、この選挙戦に全面的に関わり、多くの内外の有志達と共に、激しくそして楽しくにぎやかに、この選挙選戦を全力で闘い抜いた。

ヤッタネ!結果は大健闘!

 8月3日、投票がおこなわれた。有権者数約5000、投票率約80%、星候補は敗れた ものの1000を越える得票を獲得し、佐藤現町長は3000を切った。当初「星には100 も取らせない」と豪語していた佐藤陣営にとっては痛撃であったし、マスコミの評価 も「善戦・健闘」だった。この選挙戦を通して村の雰囲気は大きく変化した。また比 較的都市型の活動を続けていた私たちにとっても、本当に実りの多い経験を積むこと ができた。政党としては私たちだけの単独推薦だったが、多くのNGOが選挙を支え、 共産党の地元組織はほぼ公然とこの選挙を支え、新社会党・社民党・さきがけの現地 活動家達らもこの選挙戦に加わった。社民党国会議員も現地に乗り込んで協力してく れた。
 なお、自民党・新進党以外の政党の中(「太陽」などは新潟に無し)で、「市民が 主役」「環境」を標榜する民主党だけが唯一、この選挙戦及びイヌワシ保護に冷淡な 態度を取っている(新進党議員さえ、選挙戦とは関係ないものの、個人の肩書きなが ら「公共事業をチェックする会」のメンバーとして現地入りしているのだ)ことは、 この党の(少なくとも新潟組織の)本質がわかる、というものだろう。
 この選挙戦の意義と詳細報告は近日中にアップ。「週間金曜日」にも石川真澄さん がレポートを載せてくれている。



 以下は市民新党運営スタッフ高見優の総括報告記。

湯之谷村長選の政治的意味について



高見 優(運営スタッフ)


 「貧しくたっていいじゃないか。イヌワシの棲む自然と豊かな心があれば…」 と、星武利候補は村中のいたるところで辻説法を繰り返しながら訴えた。選挙結果 (八月三日)は次のとおり。

  佐藤孝雄(現職)  二、九六二票
  星たけとし候補   一、〇五五票

 かつて田中角栄の越山会王国と言われ公共土木事業の利権政治を一貫して推進 し、村議会がダム建設推進を全会一致で何度も決議し、村長も「この村にダム建設に反対する者は一人もいない。外の人が騒いでいるだけ」と豪語していた湯之谷村の村 長選挙としては、ダム建設反対を訴えた候補が二六%もの支持を集めたことは画期的 な快挙・大事件であった。
 この選挙戦は、この国の政治を考えるうえで多大の示唆を与えてくれるととも に、私たちだけでなく現代社会が抱える困難な問題にぶつかっているすべての人々 を、励まし、勇気づけてくれた。ここでは主として、この選挙戦によって得られた 数々の重要な政治的な教訓とその問題点について分析したい。

 まず第一の教訓は、「地域に人材あり」ということ。星武利さんは長らく東京方 面で就労し、六年ほど前に郷土に戻りタクシーの運転手をする。「村に帰ってみる と、箱モノはいっぱい出来たが、村は百数十億円もの負債がある。ダムで入ってくる 目先の利益はわずか数十年で消えてしまう。それより何千年、何万年かかって築きあ げられた大自然の方がはるかに価値がある。孫子(まごこ)にその大自然を残してや りたいし、自然と人間が大事にされる村づくりをしたい」と言う星さんは、新聞やテ レビなどから情報を得ながら物事を実に深く考えている。おそらく他の地域にも必ず こういう人がいるに違いない。
 そして、自然保護団体に入会したことで広がった人間関係が今回の星さんの出馬 につながった。したがって教訓の二番目は、市民運動団体(NGO)が地域で活動を 継続し、しっかりした人間関係を築いていたこと。
 ただ問題だと思うのは、市民運動団体が政治(選挙)と一線を画すことは原理的 に妥当であるとしても、事業者や行政とやりあってきたNGOメンバーの多くが、イ ヌワシ保護を争点とする村長選に対して、個人としても近寄ろうとしなかったこと だ。個人の政治スタンスはむろん自由であるが、それなら自分の支持する政党・政治 家にイヌワシ保護を働きかけたかと言えば、それもしていない。ある著名な自然保護 団体の幹部が「NGOは選挙に関わるべきでない」と言ったそうだが、NGOメン バーだって選挙権・被選挙権を有している。この幹部は、議員(議会)や行政に働き かける行動をしているのに、なぜ、どういう議員・首長が選び・選ばれるかについて は関心がないのだろうか? ここに、NGO活動家の「反」政治性という根深い問題 がある。
 三番目の教訓は、市民の手で選挙を担うグループ(「市民政党」)があり、候補 と政策が合致すること。『市民新党にいがた』の理念・基本政策である「民主主義」 「人権」「環境」「平和」と星さんの五つの公約(ダム建設見直し、イヌワシの棲む 自然を活かした村づくり、農業・福祉の充実、箱モノ行政の見直し、開かれた行政) は完全に一致した。当初、NGO中心の選挙だから政党は前面に出ない方がムラの選 挙は有利ではないかという考えもあったが、政党が選挙のときすら表に出ないとした ら、いったい何時どのようにして市民・有権者の支持を増やしていくのかと考え直し た。その気持ちを候補とNGOに率直に表明したところ、あっさり了解を得ることが できた。先に触れたように、いざとなると少数の例外を除いてNGOメンバーは頼り にならず、応援に駆けつけた石川真澄さんが「週刊金曜日」(八・二二号)に書いた とおり、今回の選挙運動の中核は『市民新党にいがた』が担った。
 『市民新党』は唯一の推薦政党として、これまでの経験を活かして具体的な選挙 運動の事務・活動をこなし、他政党の政治家らにも執拗に働きかけをした。その結 果、秋葉忠利衆議、大淵絹子参議(いずれも社民党)が日程を調整して応援弁士とし て駆けつけてくれた。組織として表向きは支援するに至らなかった諸政党も、その地 元メンバーたちが地の利を活かした協力をしてくれた。星さん支援を決めたNGO は、大石武一元環境庁長官ほか多数の賛同を集めた。県内外からの選挙ボランティア も増え、カンパも目標金額を大幅に超え、全体として明るい楽しい選挙戦となって大 いに盛り上がった。
 そういう積極的な支援活動が、候補・家族だけでなく村民を勇気づけた。政党・ NGO・村民が力を合わせて思い切って個人演説会を開催したところ、現職村長派の 締め付けで孤立しがちな村民も勇気を出して参加し、とくに二回目は七〇名に膨れ上 がり大成功だった。ある村民は私に、「オメエさんたちの力は大したもんだ」と何度 も繰り返して述べた。
 第四の教訓は、国民は政治に対して「無関心」「嫌悪」「あきらめ」ているとい うマスコミの見方は、必ずしも正しくないということ。無名でも星さんのような候補 が、争点がわかりやすい政治主張を持って選挙を戦うなら、今の政治情勢・時代は、 私たちが繰り返し述べてきたように、必ず市民を勇気づけ一定の支持が得られるとい う私たちの仮説の正しさが、この山村でも証明された。(その支持を増やし選挙戦で 勝利するためには、継続的な政治活動などいくつかの条件が必要になってくるが …。)
 そのことからすぐに導き出される第五の教訓は、日本全国どこの地域において も、湯之谷村長選挙のような戦いは可能であるということ。つまり、自民党の強さと いうものの実態はこの程度であるのだ。これまで、利権誘導の政治でないとムラの生 活は守れない、「市民の政治」などは地方の厳しい現実を知らない都市型市民の想念 に過ぎないと批判されてきた。しかし、国自身が財政危機により公共事業の見直しを せざるを得なくなっており、建設省・農水省などもダム計画の見直しに着手しはじめ た。
 政官財(業)の鉄のトライアングル構造を支える財政が破綻すれば、その構造に 致命的な亀裂が走る。大小を問わず利権に群がってきた政治構造がその支えを無くし たとき、利権誘導型政治家の生命は終わる。その恐怖は佐藤村長だけのものではな かった。だからこそ、選挙本番中に田中真紀子ほか三名の自民党代議士が相次いで応 援に駆けつけ、県議、全村議もフル動員されたのだ。
 投開票日の翌日、役場前に黒塗りの乗用車が数台駐車しており、村長室に行く と、当選祝いに駆けつけたらしい背広姿の大勢の人たちが、ニコニコしながらソファ に座っていた。村長とその土建会社にとって、大手ゼネコン鹿島や電発(株)、国、 県にとって、いかに重要な選挙であったか、ということがよくわかった。
 さて、ダム反対の議員が一人もおらず、各議員が村落ごとに厳しい締め付けをし たにもかかわらず、なぜ二六%もの星支持票が出たのだろうか。 その理由の一つ は、町村議会選挙は事実上、小選挙区制になっているからだ。つまり各村落・町内の 地域代表(一名)が選抜されるから、ダム問題のような政治課題については必ず利害 や考えが異なる一定数の有権者がいるのに、議員選挙ではそれらの民意が反映されに くいからだ。住民投票制度の必要性を示す根拠の一つである。
 第二の理由は、先に述べた財政問題等、これまでの政治手法に対する批判だ。自 民党政治・公共事業利権政治が危機を迎えているのだ。経済不況で政治資金も容易に 集まらず、ボス支配=派閥政治が終焉し、総主流派の自民党はより狭められた利権を巡って内部抗争を繰り返す以外に、その欲求不満のはけ口がない。政権病に冒された 他の政党も利権目当てで、政権に参加する機会を狙っている。だから、どの政党・グ ループも政策論争を避け、数合わせのみに汲々とする。この国をどこに導こうとする のか、市民のいのちや健康、暮らしや安全をどうするのかについての政策が全く示さ れない(いま行われている参院新潟選挙区の非自民統一候補の選考過程がその好 例)。
 以上概観したように、日本の政治をリードする政党・政治家の体たらくはこの通 りであり、そこにはほとんど何も期待することができない。
 湯之谷村長選の第六の教訓(成果)は、これまで政治や選挙にあまり関わったこ とのない多くの市民たちが、星さんの選挙運動に参加し大いに楽しんだことである。 まず何より星さん自身が「まさか自分が村長候補に…」と驚いているくらいだ。そし て、六八歳の星さんの勇気に続けとばかり、二年後の村議選に出馬してみようという 若い世代の村民が現れたのである。『市民新党』のサポーターも連日入れ替わり立ち 代わり駆けつけてくれた。その中から、湯之谷村でできるなら、自分の町や村でも やってみようという者も数人でてきた。「市民の政治」の未来は明るい。
 今回の湯之谷村長選挙は、まだ原発反対派が孤立した戦いを余儀なくされていた 巻町で、相坂功候補が原発反対を明確に掲げて町長選挙に立候補した状況(九四年 夏)に少し似ている。しかし、県都新潟市に隣接する巻町には、二十数年間たたかっ ていた原発反対勢力があり、かなりの数の都市型市民が居住し、数人といえども議会 内に反対勢力があったことを考慮すれば、湯之谷村の場合、ダム建設の反対運動は皆 無で議会も全員ダム建設推進派であり、はるかに厳しい条件下にあった。にもかかわ らずこれだけの結果が出たことは、巻町の時より、さらに情勢(時代)が進んでい る、と見るべきだろう。

 以上の政治的教訓や問題点が明らかになったのも、困難だといわれる現実の中で 実際に戦ったからだ。政治はそのことが重要なのだ。そして結果を直視したうえで、 その状況をどのようにして変革していくのか、科学的に分析・整理し、次なる方針を 立てること。これが政治運動・政党活動の基本である。
 「事は人において為る!」


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