96年衆院選奮闘報告!


                     市民新党にいがた 中山 均

■挑戦結果

 初の小選挙区制でたたかわれた今回の衆院選−12日間の選挙戦を、私は多くの方々 からカンパや激励をいただいて、そして県内外の多くの仲間達から支えられて闘い抜 くことができました。
 今回私が出馬したのは新潟1区、これは新潟市全域が選挙区です。この選挙区は、こ れまでも、市会議員選挙、県議選(「新潟市区」という形で新潟市全域)などが同じ 選挙区となり、私たちが何度も選挙戦を闘ってきたエリアです。今回の選挙では、私 の他に自民党公認候補、社民党を離党し無所属で社民・新進・民主から推薦をとった 現職(当時)の関山信之氏、そして共産党公認候補という手強い相手揃いの闘いでし た。

■今回の奮闘の意義と各方面からの評価

 今回の得票は約1万5千、得票率は約7%です。今回の選挙では、当面の目標を供託 金返還ラインの10%と設定して闘いましたが、そこまでには及びませんでした。しか しこれは同じ新潟県の他の選挙区の共産党や社民、新社会、民主などの候補と比べて も遜色ない数字で、昨年の参院選で私たちが獲得した得票の約1.5倍です。新しい小選 挙区制では大政党有利のたたかいとなり、政党公認候補はほとんど無制限にビラやポ スターを使えます。彼らは企業やゼネコンから政治献金、多額の政党助成金を使って 組織選挙を闘い、一方私たちは狭い事務所で、すべてボランティアと市民のカンパで この選挙戦を闘いました。やってみると想像以上に不利な点がたくさんありました が、労働組合や企業団体などの組織を持たずともここまでやれるということ、そして ほんのちょっと前まで本当に小さかった市民の力が現在共産党などと同等の基盤を持 ちつつあり、1万という数字を出し続けコンスントな支持基盤を固めつつあるというこ とに、私たちは大きな自信を得ています。しかも同じ選挙区の共産党候補は全国的な 追い風にも乗って既成政治への批判票をかなり集め、これまでの最高の得票を得てい る(約2万2千)ので、こうした状況の中での私への投票は、「市民新党にいがた」へ のかなり意識的な投票行動であると言うこともできます。前朝日新聞編集委員で現在 新潟国際情報大学の石川真澄氏は、ドイツ緑の党も5%を越えるのに大変な苦労をした ことに触れながら、「新潟1区で市民新党にいがたの中山さんに、死票となることがわ かっていながら7%もの人々が投票したこと、これは絶望的な状況の中で、かすかでは あるが未来に向けた力強い希望だ」と述べて下さっています。周囲の支援者にとって も次も頑張ろう、という雰囲気が生まれています。なお、得票率が10%を越えれば供 託金が返還されるだけでなく、選挙費用のかなりの部分が公費助成されるので金銭的 な心配もほとんど必要なくなるのですが、共産党候補もこのラインを突破できている 人はそう多くはありません。このラインを突破することが、私たちにとってもやはり 当面の目標となりそうです。
 ですから、目標には及びませんでしたが、私たちは至って元気です。意外な「善 戦」に、マスコミも比較的好意的な論調です。300万円の供託金は戻ってきませんで したが、多くの人たちから寄せられたカンパによって、他にかかった選挙費用全体で 計算しても現在赤字を150万程度に圧縮することができています。選挙戦期間中で は、連日の街頭演説で道行く人の中でじっと聞き入っている市民の姿が何人も見られ ました。また、高校生が「資料とサインを下さい」と言ってかけよってきたりという こともありました。「どこにしようかと思ったけど、演説を聞いて、あなたにするこ とにきめたわ」という中年の女性もいました。選挙戦終了後も御礼の街宣まわりを やっていると、家から飛び出してきて「残念だったね。またがんばろうね」と声をか けてくれたり、「演説を聞いて涙が出た。これからもがんばって」と電話が入ったり ということもありました。新しい自立した市民の政治的登場の萌芽を、この選挙戦を 通して確信することができました。

■今後に向けて

 一方、静岡2区では空港反対運動の事務局でローパス(地方議員政策研究会)にも関 わりのある中村英一君が公示直前になって立候補し、1万8千を獲得しました。彼の決 意も私たちの闘いに鼓舞されたものです。ドイツ緑の党が発足当初5%を越えるのに大 変な苦労をしていますが、新潟と静岡の結果は、ここ日本でも、私たちのような政治 勢力が7%から8%ほどの支持基盤を持ちうると言うことを証明しています。こうした市 民派の挑戦が全国で展開されていけば、私たちは確固とした自立した全国市民派勢力 として政治的に登場して、将来的には比例で何人かの議員を当選させることも夢では ないと確信しているし、今回の結果はその可能性を示すことができたと思っていま す。これまでもさまざまな場で訴えてきましたが、将来いくつかの流動的状況を経て 生まれるであろう市民派全国政治勢力の形成のためには、全国各地域の市民派政治勢 力、新社会党や社民党内の市民派・護憲派勢力、ローパスや「平和市民ネット」など に参加する活動家やグループが、硬直した組織関係や対立に陥ることなく、胸襟を開 いた討論を重ねて行くべきだと思っています。沖縄問題での組織を越えた一連の連携 は、そのための良い空間にもなるでしょう。私たちが各組織を越えて横断する人的交 流を持ち続けたいと思っているのはそのためです。具体的には2年後に迫った参院選や次の地方選、衆院選などに向けて、各地の皆さんと議論を始めたいと思っています。
 「市民新党にいがた」のスタッフはほんのわずかです。市民運動的な成果も、全国 の皆さんに比べればほんのささやかなものです。それでも、ひとりひとりの強固な意 志があれば、社会的にインパクトのある闘いは可能です。当面の結果に一喜一憂せず に、そうした市民派政治勢力の全国的登場のために、各地でもぜひ、地域政党や地域 政治勢力をつくって、奮闘されることを訴えます。
 最後に、カンパや激励を下さり、今回の闘いを支えて下さった全ての皆さんに、心 から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。



資料:衆議院議員選挙立候補表明にあたって

(1995年10月)

 早ければ年内、遅くとも来春までにおこなわれようとしている衆議院選挙は、「政
治改革」の名の下で導入が強行された小選挙区制度施行後初の選挙となります。多様
な意見や価値観が存在する現代社会において、小選挙区においてたったひとりの議員
を決定し、最大49%もの死票を出す、既成の大政党に有利なこの制度に対し、私たち
は一貫して反対を唱えてきました。この選挙制度は、国民を政治からますます遠ざ
け、むしろいっそう多くのお金の飛び交う、「汚い」選挙を拡大させるものとなると
思われます。その選挙に、私と市民新党にいがたはたたかいを挑むこととなりました。

 私は、本年4月の統一地方選にあたって、長年務めていた新潟大学を辞し、新潟市
区から県会議員に立候補し、多くの新潟市民の御支援をいただきながら、力及びませ
んでした。しかし私たちは、その同じ県議選で隣の中蒲原選挙区から武田県議を当選
させることができ、また4年前の得票をはるかに上回る形で山田市議の再選もかちとる
ことができました。そして本年7月の参院選では、新潟県選挙区で高見優候補をたて
て既成政党にたたかいを挑み、当選ラインには及ばなかったものの、全県に広がる新
しい市民派のネットワークを形成することに成功しました。その選挙結果の中で、特
に新潟市では1万余票を獲得することができました。
 こうした一連の成果は、自分自身の選挙戦も含めた、私たちと仲間の、そして私た
ちに思いを託してくれたひとりひとりの市民達が共に生み出した、貴重でしかも偉大
な財産であると思います。

 私たちは、地方議会に2名の議員を送り出し、国政選挙をたたかい、一連の活動を
通じて、いかに政治が市民から遠いものになっているのかをあらためて痛感していま
す。議会はほとんど総与党化し、政策論争や行政への監視機能が消え、「官官接待」
や利権まみれの大規模開発事業によって貴重な税金が浪費され、そればかりでなくそ
うした事業によって森林や河川が破壊され、そして住民の意思を無視した原発建設計
画や産廃施設、ダム建設が進められようとしています。また、場当たり的で土建事業
を一時的に利するだけの農業対策や中小企業対策は、世界大に拡大する巨大企業や
WTO(世界貿易機構)の論理と支配力に対して全く無力となっています。
 そして新潟の農業や中小地場作業が直面している問題は、第3世界における飢餓や
債務地獄、構造調整という名による経済・文化・環境の破壊と表裏一体の関係にあり
ます。私たちが不断に声を出し、行動していかなければ、政治はますます遠いものと
なり、巨大資本の論理によって、世界の人々の人権は蹂躙され続け地球は窒息する方
向に向かってしまうと思います。
 今、こうした巨大資本や開発優先・高成長・大量生産・大量消費の論理ではない、
環境を大切にした、地域循環型の、新しい価値観に基づく社会が求められていると思
います。そうした社会をつくるために、昨年10月に私たち市民新党にいがたは出発し
ました。
 市民新党にいがたは、その「理念・政策」の第1に、「市民が政治の主人公」を掲
げています。新しい社会をつくっていくために、現実の政治からはほど遠い、しかし
本当に当たり前のこの理念を実現するために、可能な限りのあらゆる政治的場面にお
いて、あらゆる政治的権利や機会を利用し、市民の立場で市民の政治を実現する。遠
いところから叫ぶのではなく、私たち自身が、「政治」を、「自治」を、「民主主
義」を、市民の側に引き寄せなければならない。−それが今回の立候補の最も大きな
理由であり私たちの最も根本的な政治的立場でもあります。
 

 私の立候補は、以上述べたような世界観と新しい社会に対するイメージに裏打ちさ
れ、私たち自身の一連の成果に基盤を置いたものです。そして原発に関する住民投票
条例を実現することを通して「民主主義」を取り戻そうとしている巻町民の奮闘に勇
気づけられたものであり、さらに、遠く南の海で、真の平和と自由・自立のために、
米軍基地と日米安保体制そのものに全面的に対決することを選択しつつある沖縄県民
のたたかいに鼓舞された決意です。そして何よりもこの立候補は、総保守化・総与党
化するこの時代に当たって、既成の大政党や利害集団に頼ったり、あるいは政治その
ものから自らを遠い位置に置いたり眼をそらしたりするのではなく、常にひとりの自
立した市民である自らが行動することによって政治や社会を変えていこうとする、私
と仲間達の決意と確信の表現であることを強調し、決意表明に代えたいと思います。

          1995年10月25日    市民新党にいがた所属 中山 均


中山 均 経歴
1959年 新潟県黒埼町生まれ 36歳 (生年月日:1959年7月10日)
1979年 新潟大学歯学部入学。
 学生時代より平和運動・反原発運動に参加、アジア第3世界問題にも取り組む。
1984年 軍事問題研究会新潟支部結成に関わり、事務局スタッフとなる。
1985年 新潟大学歯学部卒業、歯科医となり同大学歯学部歯科放射線学講座に入局。
 88年からは同歯科放射線科医局長。歯学部では頭頚部癌などさまざまな病変の画像
診断に関する研究や、他科との共同で医療情報のネットワーク化を手掛け、画像診断
や放射線教育に関するシンポジウムの講師なども務めた。
 研究や診療・教育に携わるかたわら、学生時代から続けていた軍事問題・アジア問
題等では東京を始め県内各地で講演をおこなった。県内を中心に各地の軍事基地調査
活動も進め、その実態を明らかにするスライドも製作。
1987年 新潟大学の学生らとフィリピンを訪問、バタンガス地方のODA計画(現在各
地で立ち退きが強要されている「カラバルゾン計画」)の実態を調査。
1989年 「食と農を考えるシンポジウム」開催に関わる
1990年 韓国を訪問、民衆運動団体と交流
1991年 陸上自衛隊新発田駐屯地資料館に侵略戦争を賛美するパネルが掲示してある
ことを発見、これを告発する運動の中心を担い、国会でも取り上げられ掲示物の全面
見直しが計られた。
1992年 湾岸戦争1周年を期に、パレスチナ駐日総代表を招き、県や新潟市・長岡市
への表敬訪問や県内各地での講演集会をコーディネート。
1994年10月 市民新党にいがた結成に関わる。同運営スタッフ。
1994年12月 新潟大学歯学部を退職
1995年4月 新潟県議選に出馬、力及ばず。
1995年4月 内線の続く旧ユーゴのクロアチアへ訪問、反戦市民運動団体、戦争犠牲
者を救援するNGOなどと交流。
1995年6月 市民新党にいがた県議会政策スタッフ。
1995年8月 フランス核実験抗議のため、新潟在住の青年のタヒチ現地抗議行動派遣
をコーデイネート。



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