武田貞彦のなんでも日記

(01.1〜01.10)

9月12日(水)
武田です。BCCにて知人友人に送ります。

事件の大きさに驚かされながらも、ブッシュの「報復宣言」、ヨーロッパ首脳、そして小泉の「断固支持声明」に、「それは違う!!」と苛立っています。ニュースも「テロ批判」一色。「民主主義とテロとの戦争」と垂れ流しつづけています。それは違う!!テロを暴力によって解決することなどできない!
以下、友人から届いた「米国への「テロリズム」について、米国の非暴力平和主義のNGO、戦争抵抗者連盟(WarResisters League)が声明」を転送します。戦争抵抗者連盟は、第1次世界大戦に反対した人々によって1923年に設立された組織 だそうです。詳しい説明は、上記ホームページ(http://www.warresisters.org/)にあります。

ぼく達も行動しなければなりません。(9.12)


======友人より、他のMLからの転載

米国への「テロリズム」について、米国の非暴力平和主義のNGO、戦争抵抗者連盟(WarResisters League)が声明を出しました。以下がその拙訳です。

君島東彦


戦争抵抗者連盟(War Resisters League)の声明
2001年9月11日
ニューヨーク

 わたしたちがこれを書いているいま、マンハッタンは包囲攻撃を受けているように感じられる。すべての橋、トンネル、地下鉄が閉ざされ、何千人、何万人もの人々がマンハッタン南部から北へゆっくり歩いている。ここ戦争抵抗者連盟の事務所にすわっていて、わたしたちがまず想うことは、世界貿易センターの崩壊で命を落とした何千人ものニューヨーカーのことである。天気は快晴で、空は青い。しかし、煙りの下の瓦礫の山の中でおびただしい数の人々が死んだ。その中には、ビルの崩壊のときその場にいた数多くの救急隊員も含まれている。

 もちろんわたしたちは、ワシントンの友人・同僚たちが、ペンタゴンにジェット機が突入したときに巻き添えになった一般市民について想っていることを知っている。そしてわたしたちは、この日ハイジャックされた飛行機に乗っていた何の罪もない乗客たちのことを想っている。現時点で、わたしたちはどこから攻撃が来たのかわからない。

 わたしたちは、ヤサー・アラファトが攻撃を非難したことは知っている。もっと情報が入るまで、詳しい分析は差し控えるが、しかし幾つかのことは明らかである。ブッシュ政権はスター・ウォーズ計画に膨大な支出をすることを議論しているが、それが最初からでたらめであることははっきりしている。テロリズムはもっとありふれた手段でこんなにたやすく攻撃することができるのである。

 わたしたちは、合衆国議会とブッシュ大統領に対して、次のことを求める。これから米国がどのような対応をするにしても、米国は一般市民をターゲットにすることはしないこと。一般市民をターゲットにする政策をいかなる国のものであれ認めないこと。これらのことをはっきり認めてほしい。このことは、イラクに対する制裁──何万人もの一般市民の死をもたらしている──をやめることを意味するであろう。このことはまた、パレスチナ人によるテロリズムのみならず、イスラエルによるパレスチナ人指導者の暗殺や、イスラエルによるパレスチナ住民に対する抑圧、西岸およびガザ地域の占領も非難することを意味するであろう。

 米国が追求してきた軍国主義の政策は、何百万もの死をもたらした。それは、インドシナ戦争の悲劇から、中米およびコロンビアの暗殺部隊への財政援助、そしてイラクに対する制裁や空爆などに至る。米国は世界最大の「通常兵器」供給国である。米国が供給する兵器は、インドネシアからアフリカまで、最も激しいテロリズムを助長している。アフガニスタンにおける武力抵抗を支援した米国の政策が、結局、タリバンの勝利とオサマ・ビン・ラディンをつくりだしたのである。

 他の諸国も同じような政策をとってきた。わたしたちは、これまで、チェチェンにおけるロシア政府の行動や、中東およびバルカンにおける紛争当事者の双方の暴力などを非難してきた。しかし、米国は自己の行動に責任をとるべきである。たったいままで、わたしたちは国境内で安全だと思ってきた。快晴の日、朝起きてみて、米国の最大の都市が包囲攻撃されているのを知って、わたしたちは、暴力的な世界においては誰ひとり安全ではない、ということを思い起こした。何十年もの間、米国をとらえてきた軍国主義を、いまこそ終わらせるべきである。

 わたしたちは、軍拡と報復によってではなく、軍縮、国際協力、社会正義によって安全が保障されるような世界をめざすべきである。わたしたちは、きょう起きたような、何千人もの一般市民をターゲットにする攻撃をいかなる留保もなしに非難する。しかしながら、このような悲劇は、米国の政策が他国の一般市民に対して与えているインパクトを想起させるものである。わたしたちはまた、米国に住むアラブ系の人々へ敵意を向けることを非難し、あらゆる形態の偏見に反対してきた米国人のよき伝統を思い起こすよう求める。

 わたしたちはひとつの世界である。わたしたちは、不安と恐怖におびえて暮らすのか、それとも暴力に代わる平和的なオルタナティヴと世界の資源のより公正な分配をめざすのか。わたしたちは失われた多くの人々を悼む。が、わたしたちの心が求めているのは、復讐ではなく和解である。

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 これは戦争抵抗者連盟の公式の声明ではないが、悲劇が起きた直後に書かれた。戦争抵抗者連盟の全国事務局のスタッフと執行委員会のメンバーが署名して、公表される。
2001年9月11日

                asif ullah
                Carmen Trotta
                Chris Ney
                David McReynolds
                Joanne Sheehan
                Judith Mahoney Pasternak
                Melissa Jameson

(君島東彦訳)



9月5日(水) 晴れ
昨晩は、中里村で開かれた「ふるさとの清津川を考える」(天野礼子さん講演会/村主催)に、仲間数名と参加してきた。「NOといえばダムはできない」と題した天野さん(公共事業チェックNGOの会代表)の講演は、世界、日本の情勢が確実に「脱ダム」へと向かっていることを解説し、「清津川は間に合った!中里村がNOという限りダムはできない!」と約400名の参加者に元気を与えた。村長をはじめ、議会も全会一致でダム反対を決議している中里村。誇らしい我が郷土である。



9月4日(火) 晴れ
一・二日と、札幌で開かれた「虹と緑」の総会に参加してきた。「虹と緑」として「緑の政治ネットワークをめざすことが提案され「積極論」「慎重論」が議論され、修正案もだされ「来年の総会で決定」することとなった。ぼく自身の総体的な感想としては、「虹と緑」としては「緑の党」に向け、一山越えたという印象だ。緑の党の結成は、「虹と緑」だけでなせるものではなく、他の団体、グループとの話し合いが大切になってくる。いずれにしても、日本緑の党の結成に向け、事態が動き始めたことは確かである。とってもうれしい!


8月30日(木) 晴れ
「湯之谷揚水発電中止へ」昨日の「日報」の1面、大見出しである。今春より、予算がついておらず、事実上の休止になっていたのだが、このような形で新聞に出ることになった。電発による正式な発表は9月上旬という。やったー!!という思いだ。いままでやってきたことが、一つの形になった!
95年、県議当選直後、友人からもちかけられた「イヌワシを守る」運動がこの問題との出会いだった。4年間の県議会活動の大きな柱の一つであったし、「環境保護」「公共事業」「国政ロビー」等々、今日的テーマを実践をもって学ぶことができた。97年の湯之谷村長選の応援は、ぼくの親父の倒れたときと重なり、忘れがたい。環境NGO,30数団体が連名で県に対し情報公開を求めた行動は環境運動の発展にとって大きな成果だった。NGOを無視する無礼な行政の対応に、知事室まで押しかけたりもした。国会議員の力も借りて、建設省や環境庁との交渉も行った。インターネットで世界の環境保護団体に呼びかけて応援もいただいた。行政の隠れミノとしてあった委員会、審議会のあり方を問うて裁判もやった(7・27敗訴、こちらを参照)。あれも、これも、考えられることは全部やった。新聞のサブ見出しは「電力需要低迷響く」である。しかし、ぼく達の運動なくして、この計画が止まることはなかった。
イヌワシは食物連鎖の頂点に位置する生物であるが故に、健全な生態系のシンボルなのだ。奥只見、苗場山ろくのイヌワシは中部地方と東北地方のつなぎ目に位置するもので、日本全土の自然環境からも極めて重要な位置を担っているのである。次は、清津川ダムの中止である。このことによって、県内における巨大ダムによる自然破壊の時代を終わらせることになるのだ。「奥三面を最後のダムに!」これがぼく達の合言葉だ。

残された下ダムは県営ダムであり、平山知事は、しばらく地元自治体、建設業関連、国会議員等から事業継続の攻勢を受けるだろう。しかし、もうそんなお金は県財政にはないのだ。正直に語るその日は、そう遠くはない。


8月27日(月) 晴れ
18日、つれあいの職場のみなさんと、尾瀬に行ってきた。ヤナギランのピンクと草原の緑が、なんともきれいだった。


長蔵小屋から燧ガ岳を望む


7月31日(火) 晴れ
今日の「日報」に報道されたが、28日、村松町で、例の歴史教科書を作った「つくる会」のメンバーとの討論会にパネラーとして参加してきた。主催者はPTA関係者で、趣旨は「こういう重大問題をちゃんと知っておく必要を感じたから」というものだった。県内にはこの教科書に反対する市民運動もあり、ぼく自身が直接関わっていたわけでもなかったのだが、韓国行きが中止になった知人の件以来、この問題が気になっていて、「どんな人間がやってるのか?」とか、ぼく自身聞いてみたいこともあって、いい機会だと思って参加することにした。
討論の結果については、参加者の判断に任せるしかないが、ぼく自身は、今回の主催者の問題意識はまっとうであると思う。自分達の子供が使う教科書を自分達が知らないでいいはずがない。たとえ意見や、思想、価値観が違っていても、そのすり合わせが行われていることが重要であると思った。無関心がよくないことで、こうした議論が当たり前のように交わされていることが必要と思った。ちなみに、今回のこの企画に校長や、教育長は「学校に政治課題を持ち込んでは困る」というようなことをいって、極めて否定的だったという。それは、まったく間違った対応だろう。「偏って、政治的課題を持ち込む」のが困るのであって、「政治的課題を教育で正しく取り上げる」ことは、大いにやっていただかねければならないのだ。昨今の若者の各種選挙の投票率の低下や、政治的無関心層の増大といた現象は、先の教育関係者の誤った「政治教育」感に拠るところが大きいと思う。
さて、「つくる会」の教科書についてであるが、改めて、この教科書を公教育の場に持ち込ませないための努力を、みなさんに訴えたい。アジア太平洋戦争を、「白人支配に対するアジア開放の戦争だった」とする彼らの主張は、白を黒といいくるめる、ペテンである。しかし、あの戦争を「誤った戦争」と認めたくなく、「反省」したくない人々は、この国の権力構造の中に大勢いることを知らなければならない。正直いって、ぼくは、5年、10年後には、この教科書は半数くらいの学校で使われているかもしれないという危惧を禁じ得ない。それは、ぼく達の民主主義が、いまだその程度のレベルでしかないのではないかという現状認識から来るものである。そうならないように頑張るしかない。
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黒岩さんをはじめ、応援していた候補者、勝って欲しいなあと思っていた候補者、ことごとく落選!しかし、選挙なんだから、しょうがないでしょう。めげず、あきらめず、今後のご奮闘を期待します!
小泉さんの官僚主導政治の改革は断固支持!です。しかし、与野党を問わず訴えた「景気回復のためには」といった考え方自体を根本的に問わなければならないところにきているのではないか?「ゼロ成長」で何故、悪いのか?これ以上の環境破壊を食い止め、食うための「仕事」を分かち合っていける政策こそが必要なのではないか!(7.31)


7月13日(火)
12日、清津川ダム専門委員会がぼく達の「推薦委員の参加、審議の公開」という当たり前の要求を拒否したまま開催されることとなった。ぼく達は最後の望みをもって会場に向かった。以下、そのときの様子。清津川ダムメーリングリストへの投稿文より。
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みなさーん!もう聞きましたか?
専門家委員会が原則公開になりましたよー!ヤッター!

会場前には20名程の皆さんが集結。「とんでもないよ 非公開」の横断幕、「清津川ダムNO」のプラカードをもち、玄関前で、集まってくる委員に「審議の公開をお願いしまーす」と呼びかけた。清津峡温泉組合の方5名も請願書を持参し、行動を共にしました。ぼくたちは、再度「推薦専門家の参加と審議の公開を」を求め、その結果をぼくたちに報告してくれるよう、石田補佐に依頼した。玄関には職員が立ちはだかり、ぼくたちを中に入れようとしない。石田補佐への依頼はあっけなく反古にされ、ぼくたちは5時間近く、玄関前に待たされることになった。ミニ集会もやった。審議終了後の記者会見への代表参加も拒否され、ひたすら、西澤座長の出てくるのを待った。やっと出てきた。「西澤先生、結果を説明してください!」「はい、審議は原則公開となりました!」
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この日のさんざんな対応からして、誰しもが予想していなかったことだった。ヤッター!ヤッター!ヤッター!
ここにくるまで、みんな頑張った。

正直いうと、ぼくは、7時頃になった頃、もう帰っていいかなあと思っていた。しかし、それを言い出せない真剣さが、参加者にはあった。「江戸時代のお代官様と農民の関係だねえ」などと冗談をいいあいあながらも、何とかこのカベを突破したいんだという、心根があった。審議公開を決定した委員にたいしても、ぼく達が最後まで待機していたことは、とてもいいことだったと思う。
7・1シンポの成功も大きく作用していたことと思う。シンポの資料を要請書をつけて各委員に送付した。斎藤さんは線香を焚いてお祈りをしていてくれた。それら、これらのもろもろの努力の結果が、一つの実を結んだ。
さあ、次に進もう!

7月13日(金) 曇り

以下、知人から届いたメールです。なんとも、重苦しい現実です。
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私達が韓国に行く予定は7月15日
12日16時韓国から今回の訪韓は中止して欲しいという依頼がありました。その理由は「日本の歴史教科書」問題だと言うのです。彼らは心から恐縮しているようでした。あなた方にはまったく不満も文句もないが、韓国国民の教科書をとおした感情は抑えきれないと言うのです。本日もニュウスによる、韓国文化観光相談話「日本の大衆文化の解放は日本との信頼関係が条件。従って歴史科書問題と切り離すわけにはいかない。よって、これ以上の日本文化の解放は中断する」でした。まさか、このような国際問題が私達の訪韓にまで影響するとは思いもよらなかった。というのが私の本音です。私は、このことから「俺も日本国民なんだ」ということを実感しました。私の見解は「朝鮮半島の日本支配は誤りであった」です。そうならば率直に謝罪するべきです。
このまま行くと日本はアジアで孤立する可能性がでてきます。中国・韓国から指摘されている教書を作った人達は今までの日本の見解は「自虐的」と表現しています。そして、きょうの報道によれば栃木県の一部の市でこれを来年は使うと決定したそうです。本当に日本はどうなるのでしょうね。国民は仲良くしていきたいと誰しもが希望しているのに。日本は立場になると国民ではなくなるのですかね?腹立ちと、空しさと、何とかしなければと言う気持ちが去来します。メイルください。
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ぼくから、知人へのメール

重苦しい現実ですね。

別便にあるように、あなたのメールをそっくり、ぼくの知人、友人に送信させてもらいました。(事後了解ください)
山田達也が総文の委員長として市の採択委員会に主席した感想を聞いたのですが、賛成、反対をちゃんと審議できない委員会のレベルのことを強く指摘していました。イヌワシ、ダム問題で、いわゆる「審議会問題」に関わってきて、彼の言うことがよくわかるのです。上の方からイエスといわれればイエス、ノーといわれればノーなのですよね。政策決定に関わっているという自覚の無さ、賛成・反対を合理的に審議できないレベル、隠れ蓑に使っている行政、関心の薄い市民、ここにぼく達の民主主義の現状が集約されています。
しかし、今日は、嘆きではなく、胸を張った報告ができます。
昨夜、清津川ダムの専門委員会の第1回目の会合がもたれました。ぼくたちは、環境NGOが推薦する専門家を加えることと、審議の公開を昨年より求めつづけ、0回答のまま、昨夜を迎えました。20名程の仲間が会場(国交省の施設)前に集まり(玄関には職員が立ちはだかった)最後の要請を続けました。待つこと5時間、もうほとんどあきらめていた「審議、原則公開」の決定を聞くことができたのです。ヤッター!昨日は最高の一夜になりました。
審議の公開なんて、あったりまえのことなんだけど、このあったりまえのことをやらせるために大変なエネルギーが必要でした。でもこんなことからやるしかないんだよね!




7月3日(火) 曇り
先週の日曜は「清津川ダムってなに?」と銘打ったシンポジュームだった。170名の参加があり、大成功だった。推進主体の国交省、県、地元湯沢町、直下流で村長・議会とも反対を表明している中里村がそろって参加した、画期的な集会だった。
時代の流れの中で、国交省も、「住民参加」や、「透明・公開性」を言わざるを得なくなっているのだ。7日12日第1回目の専門家委員会の開催がますますクローズアップされてきた。当日の集会でもこの委員会が「行政の隠れ蓑」となっていること、委員会の人選が予め推進派中心であること、会議が非公開で進められること等への批判が多くの人から指摘された。民主主義を重視し、まともに議論すれば、中止以外ありえないのだ。いよいよ、正面場である。
近日、清津川ダムを考える会のホームページが開設されます。ご期待ください!
http://www.jca.apc.org/kiyotu/




集会前日、東京から来たパネラーの方々と清津川ダム現地を視察


 橋から上流を見る 3つの集落、110戸が水没予定 写真は三又集落


橋から下流を見る  右側山並の手前から2つ目の奥がダム提予定地




6月22日(金) 晴れ

友人からのメール
「やてみたよ。私の場合は外で過ごしました。21時に家にもどりました。みなさん
はどうでしたか」
ぼくの返事
「めんぼくない!
2〜3日前に自治会の役員会があることに気がついて、あきらめて、そのままわすれ
ていた!
まったく、めんぼくない。(そういう生活のあり方が問題なんじゃ!バカもん!{天
の声})
まああ、こういうこころの反省を生み出すのも一つの成果と考えて(これ言い訳)。
「朝日」に記事が載ってましたね。
出羽又。大変失礼しました。」
トホホ・・・・

6月14日(木) 雨
武田です。
(知人・友人にBBCで送っています)
刈羽村の住民投票の勝利、本当によかったね。自分が何をしたっていうわけじゃない
けど、やっぱり、うれしい。
以下のメールがありましたので転送します。「暗闇のウェーブ」が地球を1周するっ
ていう発想がおもしろいよね。おもしろいと思った人、ご協力あれ!転送歓迎!!
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武田貞彦
sadahiko@mvd.biglobe.ne.jp
http://www.jca.apc.org/nnpp/takeda.html
(最近、更新しました)
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>件名 : ひとりひとりの暗闇が世界を包む
昨>日お知らせしたカナダ発の自主停電ムーブメントです。一応訳してみました。電気無しの3時間をこう過ごす、呼びかけ文に関する感想、コメント、ブッシュの政策に思うこと、なんでもいいですからぼくまで送って下さい。呼びかけにあるように、なるべく多くの人たちにこのメッセージを転送して下さい。3時間のすばらしい闇を共有するために。コピーを自分の所属する団体の中でも回して下さいね。大地を守る会、ラ・セイバ、NAM、山猫博士の会、アリシャンの皆さん。英語のオリジナルも下についているので外国の友人たちにもお忘れなく。ナマケモノ倶楽部の皆さん、ナマケモノの本領を発揮する時ですよ。
>
>ナマケモノ倶楽部世話人、レンボーリング会員、大地を守る会会員、辻信一
>
>ROLL YOUR OWN BLACKOUT
>JUNE 21, 2001 THURS EVE,
>7-10pm worldwide, all time zones
>
>ひとりひとりの暗闇で手をつなごう!>自主停電を!
6月21日木曜日の夜、7時から10時までブッシュ大統領は景気をよくするためにどんどん発電所をつくっていくぞ、というエネルギー政策を発表しました。地球温暖化防止のための国際合意である京都議定書を支持しないことも表明しています。そこでは省エネ、自然保護、代替エネルギーなどが軽視されています。世界最大のエネルギー消費国であり、地球温暖化ガスの排出国である米国のリーダーのこの姿勢に対する抗議の意志を象徴的に表現するために私たちは「自主的停電」を行うことにしました。誰にでもできる簡単な行動です。来る6月21日、午後7時から10時までの間電気を消して過ごすのです。地球の自転によって東から西へとこの停電の帯が回っていくことになります。プラグを抜けるものは抜きましょう。ロウソクに火を点して太陽神に捧げましょう。ゲームをしたり、暗闇の中を散歩したり、お化けの話をしたり、電気を使わずにできることをして楽しんで下さい。闇の中で。
1999年に出たポール・ホーケン、エイモリー・ロビンス、ハンター・ロビンスの『ナチュラル・キャピタリズム』に書かれているように、効率性の極めて高い省エネのための高度なテクノロジーはすでに発明されて、製品として使用可能な状態にあるのです。これらの製品を使うようになれば、地球温暖化ガスの排出を大幅に削減でき、5年以内に採算がとれるようになるばかりか、その後は出費を大幅に節約できることにもなります。このメールを広く転送して下さい。環境関係の団体や、政府関係者にも。そして知らせましょう。私たちが望むのは、地球環境、効率的エネルギー、再生可能な代替エネルギーのための教育、活動への参加、そのための予算。私たちはもう地球の貴重な資源を搾取し、乱費することをやめたいんだ、と。ブッシュ大統領とチェイニー副大統領のコンビは言う。「省エネなんてなんの効果もない。それに省エネ技術は金がかかりすぎる」金がかかりすぎるだって? 宇宙開発や軍事技術の開発には湯水のように金を注ぎ込むふたりが。


6月13日(水) 晴れ
いやあ〜、いっぱいサボっちゃった。怠け癖がついてしまって!こころを入れ替えて頑張ります。
4月には、予定どおり、緑の党世界大会(オーストラリア)に参加してきました。参加にあったって(こちら)と、参加しての感想(こちら)を書いています。読んでみてください。でわ、でわ。


2月15日(木) 曇り 積雪50センチ 7年ぶりの大雪
一昨日は大変な一日だった。アパートへの入居をサポートしていたAさんが、2週間もたたないうちに、そのアパートで死亡していたのだ。家賃もまだ納入されておらず、一週間くらい前から連絡がとれず、慌てていたのだ。この日の朝、「よもや」と思って、大家さんの奥さんに、アパートの中を見てくれるように電話でお願いした。即座に「いました!倒れています!」との声。110番通報をし、アパートに向かった。すでに10名くらいの警察官が現場検証を行っている。当然、ぼくも事情聴取された。遺体は他殺の可能性も有りとのことで、中央署の死体解剖へ回された。変わり果てた本人に対面できたのは、夜7時をまわっていた。包丁でのどを二突き。自殺との見解だった。
路上生活から、やっとアパートに入れたのに、何故!?答えののない何故だけがつづく・・・・。

2月8日(木) 曇り

2月2〜4日、虹と緑の500人リストの佐賀研究集会に参加してきた。いつも「勉強好き」の集団なのだが、今回は「徹底討論:虹と緑の方向性」「中村敦夫講演会」等と、政治づいた内容が特徴だった。ぼくも、徹底討論のパネラーとして、日本緑の党を創ろうと訴えたが、なかなかまとまるものではない。もともと「一人一党」みたいな者たちがあつまっているのだから、そう簡単にはいかないのだ。気長に働きかけていくほかあるまい。
記念講演の木下敏之佐賀市長のお話は、刺激と時代性を感じた。40歳、農林省出身の官僚出。その市長が、「事業系ゴミの減量対策」「非塩素系プラスチック使用促進対策」「非遺伝子組み替え食品の学校給食から排除」「シックハウス症候群対策」「市役所自身のISO14001の認証取得」等々を議会、幹部職員の抵抗の中で、実現してきたお話だった。「やる気」「時代性」「実行能力」いずれも抜群である。「官僚出身は良くない」などとは決して言えないことを思い知らされた。
有明海の海苔被害がクローズアップされる中での集会でもあった。諫早湾へのツアーもあった。潮受け堤防は7キロあり、開閉門はそのうちの250メートルしかなく、水門をあければ、解決するという簡単な問題でないことを知った。(その他、河川の三面コンクリート張り、生活排水等、ギロチンは最後の一撃であったということ)。

1月12日(金) 曇り・風

清津川ダム問題で、知事への便りを出した(こちら)。ダム直下流の中里村長が12月議会で「ダム反対」を表明をしたことを伝えるためだ。中里村はダムには消極的であることは知っていたが、これほど明確に山本村長が「ダム反対」を表明するとは驚きだった。中里村は、ぼくの生まれ故郷である。とっても誇らしく、うれしい!



1月4日(木) 曇り

新年、あけましておめでとうございます。
昨年一年は、議会活動から離れ、久々に市民運動に関わりました。警察オンブズパーソンにいがた、清津川ダムを考える会、NPO越冬友の会等の活動です。あらためて活動の原点を再確認できた思いです。本年もこれらの活動を引き継ぐとともに、新しい「市民の政治」を創りだす活動(=日本緑の党を創ろう!)にも一層頑張りたいと思います。4月には、オーストラリアで開かれる緑の党世界大会に「虹と緑の500人リスト」として参加してきます。次期県議選も、いよいよ折り返しの年です。フンドシを締めなおしてがんばります。本年も皆々様のご支援を、よろしくお願い致します。



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