巻原発をめぐる情勢

 96年8月4日、住民投票で原発建設にNO!の意志が示されました。それまでの長い経過、そして最近の経過などを収録、その他の情報もあります。
 現在、97年9月までの情報を収録しています。

巻の住民運動に関する経緯の概要は英語版もあります
English


内容

  • 住民投票まで、そして最近の経緯
  • 巻の情勢や原発に関する他のページへのリンク
  • 資料:「原発建設は過疎地に」円卓会議での発言
  • 巻町民への支援運動
  • フランスワインのかわりに巻町のお酒を!

    これまでの経緯

    現在、97年9月までの情勢を収録

     計画浮上からリコール運動の展開、佐藤町長(推進派)辞任、新町長の誕生、住民 投票実施決定、住民投票の勝利とその後の展開。わかりやすくこれまでの経緯と状況 説明。
     なお、適宜最新情報を追加していますがすでに収録された部分も必要に応じて訂正 や加筆・編集を加えていますので、以前のものを御覧になった方も、全体を併せてご 覧下さい。

    ●小目次
  • 1 建設計画の浮上と反対運動の開始
  • 2 公開ヒアリングと82年町長選
  • 3 安全審査の中断と計画変更
  • 4 推進計画・反対運動の膠着局面
  • 5 推進の攻勢
  • 6 転換の序章−「折り鶴」運動
  • 7 歴史の劇的大転換−94年8月町長選
  • 8 自主管理住民投票と2月議会-町有地売却案
  • 9 95年4月町議選
  • 10 住民投票条例可決、一転改正へ
  • 11 町長解職請求へ
  • 12 住民投票実施を訴える新町長が誕生!
  • 13 新町長の投票実施政策をめぐる議会の状況
  • 14 巻町3月議会で笹口町長が7月7日の投票実施を提案(96.3)
  • 15 新潟県議会で知事が踏み込んだ態度表明(96.6)
  • 16 全国初の住民投票、8月4日に決定!(96.7)
  • 17 8月4日の投票に向け、すでに大激戦!(96.7) 
  • 18 さらに激しい攻防戦 買収まがいの推進派攻勢(96.7)
  • 19 推進派、度重なる不当行為!(96.7〜8)
  • 20 いよいよ最後の決着へ!(96.8)
  • 21 住民投票勝利! ついに巻原発建設計画にNo!が突きつけられる!−反対派勝利ドキュメント(96.8)
  • 22 今後の展開(96.8)
  • 23 笹口町長、12月議会で電源立地対策課の廃止案提出(96.12)
  • 24 巻町3月議会−電源立地対策課の廃止案が逆転可決!(97.3)
  • 25 巻原発計画、着工3年先送り(97.3)
  • 26 坂下町議のリコール運動展開(97.4〜6)
  • 27 坂下町議のリコール成立(97.8〜9)

    1 建設計画の浮上と反対運動の開始

     巻町に原発建設計画が発表されたのは1971年5月。すでにその2年前からその動きと土地買収があった。
     原発建設に対する反対運動は、計画が公表された70年代初頭から中期にかけて、建 設予定地近くの村の現地住民らと、それとはやや独立した形で、学生運動を経た現地 の若者たちによって始められた。若者たちは何度も現地の村に入り次第に信頼をかち とっていった。しかし現地の村は過疎となり次第に運動を担う人がいなくなっていっ た。若者たちの反対運動は予定地内の住民が所有する角海浜の土地を譲りうけ、大切 な武器を手に入れることになった。そしてこの土地を共有した原発反対住民組織「巻 原発反対共有地主会」が結成され、巻の原発反対運動の中心的役割を担っていくこと になる。
     反対運動は社会党系の労組活動家などを巻き込むようになり、同じ新潟県の柏崎原 発の問題と共に全県の社会党・労組レベルでも取り組まれ、その枠で「柏崎・巻原発 設置反対県民闘」が結成され、動員された労働者による大衆的反対運動も展開され た。共有地主会は70年代後半に共有地内に団結浜茶屋を建設、以来この地が反対運動 の重要な拠点となり、数々の集会、周辺整備行動などが取り組まれた。
     一方、原発建設手続きとしては議会での建設同意、漁協の同意などを経て着々と計 画が進むかに見えた。
     しかし、予定用地内には買収が進まない場所が残った。それは、(1)墓地、 (2)反対派共有地、(3)反対派個人所有地の3点である。このうち、(1)の墓地 は寺と原発建設を急ぐ町との間で所有権を争った裁判がおこなわれ、町の勝訴となり 町有地となった。この時点では推進の立場を示す行政側に所有権が移ってしまった、 という受けとめられ方だったが、実はこれがその後重要な位置を占めることになる。 それはこのあとの経緯をごらんいただくとわかる。(2)は「巻原発反対共有地主 会」が共有するもので、3、4号炉の炉心のほぼ真ん中に位置する、いわば喉元につき 刺さったトゲである。団結浜茶屋などを建設し、反対運動のシンボルとなったこの土 地の存在も、のちの計画に大きな影響を与えることになる。

    2 公開ヒアリングと82年町長選

     そしていよいよ81年、数千人の抗議行動が展開される中、建設のための重要な手続 きである公開ヒアリングが開催された。ここで手続き的には一歩進むことにはなった が、ヒアリングをめぐって数ヵ月前から反対派住民は住民の中へ原発反対の徹底的な 宣伝行動を展開した。  また翌82年町長選では、「原発のない住みよい巻町をつくる会」の高島民雄氏(弁 護士)が立候補、保守系は2候補が出馬、保守候補が約9000票を得て当選、高島氏は 約2500票を獲得した。高島選挙は、社会党系の組織選挙とはある程度距離を置き、徹 底した住民運動型選挙でたたかわれた。筆者も学生時代にこの選挙に参加し、毎日駆 けつけて巻町を駆けめぐった。単なる選挙戦だけではなく、癌発問題の上映会、講演 会などが細かく開催された。こうして、ヒアリングと町長選あたりを契機に、町内で それまで「茶のみ話しにも原発のことは言えない」状況であったのが、次第に雰囲気 が変わり、原発の話題がタブーではなくなっていき、さらに反対論や反対派が目に見 える形となって一般の住民たちに認知されるようになって行ったのである。

    3 安全審査の中断と計画変更

     時は前後するが、公開ヒアリングのあと、建設計画はすぐに電調審に上程された。 しかし、同年、東北電力は突然国に安全審査の中断を申し入れた。安全審査のために は建設予定用地の買収が完了あるいはその見込みによって手続きが進められるはずな のだが、用地内の未買収地の存在のため審査にかけることができないうのがその理由 であった。その未買収地が上であげた3点である。これ以降、計画は毎年延長が発表 され、電力の現地準備本部も縮小され計画は一歩も進まない状態が続いていた。ヒア リングや町長選を契機にした反対派の攻勢と相まって、3点のうち1カ所でも見買収 地が残れば、すなわち反対派共有地を守れば原発は止められる、とした気運が高ま り、反対派の攻勢は強められた。
     ところが驚くべきことに、電力の側は共有地を予定地からはずし1号炉だけでも建 設しようと、共有地を避けるために設置計画を大幅縮小してなんとか着工の手ががり をつけようとした。この時点で、運動の拠点・シンボルとしての共有地の意義は維持 されたままであったが、炉心の削減と敷地の変更によって反対派共有地ははずされて しまったため、法手続上の土地問題の最大のネックは町有地だけとなった。しかし基 本的に建設計画は頓挫したままとなっていた。

    4 推進計画・反対運動の膠着局面

     このようにして計画が一次頓挫した結果、計画に対して反対を組織してきた運動 も、攻勢局面から次第に動きが目に見えない時期を迎えることになってしまった。 この背景には運動主体の高齢化(といってもみんな老人になった、というわけでは く、活動家たちがそれぞれ職場や労働組合の幹部としての位置を占めるようになり物 理的に動きづらいような状況)や社会党の原発容認への動きもある(ここで反対派 住民の名誉のために触れておくが、こうした膠着状況の中でも機関紙の発行や新聞折 り込みなどの運動は確実に継続されていたことを記しておきたい。こうした地道な作 業・運動がその後の町民意識の劇的な変化の底流となったのである)。また、82年の 高島選挙に続く86年、90年の2回の町長選では反対派は独自候補をたてることができ なかった。しかし町長選にはもうひとつ、巻町民の意識を反映する、興味深い別な側 面があった。それは、町長選を争った保守2候補のうち、「原発推進」候補に対して 「慎重推進」と訴える候補が当選する、という構造が続いたという点である。つま り、原発反対の町民意識は町政を大転換させるまでには至っていなかったものの、そ の動向が町長選に影響を与える程度には徐々に大きくなっていったという事である。

    5 推進の攻勢

     推進・反対運動の膠着状況は次第に転換していった。
     93年6月、巻町議会は原発の早期着工促進を決議した。そして佐藤現町長は当選時 には「慎重推進」を公約していたが、94年4月、議会で「凍結公約」を解除して3選 に望むと表明、町は電力の補助金目当てで職員の大幅増員をおこない、電力準備本部 も大幅増員しにわかに建設計画の攻勢局面が開始された。こうした攻勢は自社さ連立 政権の登場と社会党の原発容認政策への転換を背景にしていることは言うまでもな い。

    6 転換の序章−「折り鶴」運動

     こうした、比較的長い期間の中断状況とその後一転した電力・推進側の攻勢という 情勢のなかで、反対派は反撃点を見いだせないでいた。長い間の降着状況でやや柔軟 性に欠けていたこと、活動家たちの繁忙、社会党・労組の原発容認政策などがさらに 運動の腰を重くした。しかしその状況を最初にこじあけたのは、町長の推進発言に対 して主婦らが反対の意志表示を込めて折り紙で折った鶴を届けようとした運動であっ た。これは推進派が議会の圧倒的多数を占める巻町で法的に反対の手がかりを持てな い住民達の意志を一気に吹き出させる役割を果たし、これまで反対運動に参加してこ なかった多くの住民達を巻き込む結果となっ。町のあちこちで折り鶴運動が展開さ れ、数万羽の鶴が町長に届けられた。しかし町長が推進姿勢を崩さないまま、巻町は 94年8月に町長選を迎えることとなった。

    7 歴史の劇的大転換−94年8月町長選

     この町長選には、現町長に対し、早くから保守候補の村松町議が立候補表明した。 社会党は路線転換と政権与党の立場、支持労組との関係で原発反対を全面に打ち出し たくないという事情から、「当選後は原発に関して住民投票を行なう」との協定を村 松氏と結んでこれを支持することになった。「共有地主会」や「つくる会」など地元 の伝統的反原発勢力も、独自の反対派候補で町長選を勝利できる情勢ではないと分 析、何としても実質的に計画をストップさせたいとの一心から、村松氏を推すことに なった。
     こうした反原発派の対応には内外から批判が出された。そうした中で、「つくる 会」に比較的近い位置にいた相坂功氏が立候補した。相坂氏は町政や原発について自 らの考えを展開するとともに、町長をとって町有地の売却を凍結すれば建設は中断す る、と主張した。これを主婦やさまざまな自主的グループが支え、三つ巴の選挙戦が 繰り広げられた。伝統的反原発団体の多くは相坂立候補にもかかわらず、村松を支持した。
     相坂氏は広範な無党派層、主婦らの共感を得て、市民派選挙を展開し、既成陣営と 互角のたたかいを繰り広げた。共産党と巻原発反対町民会議、そしてわが「市民新党 にいがた」の前身である「新潟市民新党準備会」が相坂陣営を支持した。最終的局面 では伝統的反原発勢力の中でも相坂陣営を支持する人達、少なくとも理解や共感を表 明する人達も現われたが、社会党は「相坂陣営は共産党」などの中傷を繰り返し、そ の一方で自らの支持する村松候補の支援体制もほとんどくめず、最低の役回りを演じ てしまった。わたしたちも連日現地入りして支援、社会党の護憲グループや左派労 組活動家も支援態勢を組みはじめ、隣接する市町村の社会党系の労働組合の中でも 「相坂を支持すべき」との声も上がっていった。
     投票結果としては現職の佐藤町長が約9000票を獲得して3選をはたしたが、相坂陣 営はこれまで社会党系の反原発候補が組織を挙げて取り組んで最高に獲得することの できた2500票を大幅に上回る4400票を獲得、佐藤は過半数をとれなかった。村松が 獲得した約6250票に社会党系や伝統的反原発住民組織の票が流れていたことを考える と、巻町住民の意識の大地殻変動を予感させる結果であった。投票結果で現われたこ の町民意識を契機に、巻町の情勢は大転換することになる。

    8 自主管理住民投票と2月議会-町有地売却案

     町長選の結果は、反対の声なき声を鼓舞し、新しい若い主婦層などの動きを活発化 させることにもつながった。こうした町民意識の変化・流動化を背景にして、原発建 設の是非については住民投票で決めようという気運が高まった。それまで推進・反対 の運動に直接関わってこなかった酒造業者や商店主などが発起人となって「住民投票 を実行する会」が結成され、町議会で条例の制定を要求、これが否決されると、「自 主管理投票」が決行された。反対派2陣営6団体は、住民投票で原発反対の声を組織化 するために、町長選での対立を乗り越えて連絡会を結成し共同の取り組みを組織し た。町当局は住民投票に対し「議会制民主主義を否定、破壊するもの」と本末転倒の 主張を繰り返し、いったん投票所として使用を許可した町体育館の貸し出しを拒否す るなどの妨害工作を行なった。東北電力、推進派、土建業界は「投票するな」と住民 を締めつけた。投票は95年1月から2月にかけて、できるだけ公的な形でおこなわれ た。投票所の許可取消については代替地を確保すると共に町当局を訴える裁判闘争を 起こすこととなった。
     投票は1月22日から2月5日まで町内8会場で実施された。開票結果は、有権者の約 45%に当たる10378人が投票し、原発反対は9854人(95%)だった。この数字も、 これまでの反対派候補や直前町長選の反対派候補である相坂氏の票を大きく上回るば かりでなく、現職の佐藤町長の当選時の票をも上回る数であった。この結果を受けて 実行する会や反対派は、原発建設に町民の合意が得られていないと申し入れたが、佐 藤町長は、法的根拠のない投票結果に拘束されないと突っぱねた。
     この投票結果も、巻町民を大きく勇気づけた。「原発反対は町民の圧倒的多数の 声」とする主張が強い説得力を持っていった。
     こうした圧倒的な声に恐れた東北電力は、投票結果が出た直後、即座に町当局に対 し町有地の売却を申し入れた。これは原発反対の圧倒的な声を踏みにじる、なりふり かまわない暴挙として多くの町民の反発を買った。佐藤町長は売却を議会へはかるた め2月20日に臨時町議会の開催を決定した。これはさらに町民感情を逆なでするもの として町内外の強い批判にあい、反対派町民はさまざまな抗議行動を展開した。
     推進派町会議員の中にも、「住民投票の結果を尊重すべき。町有地売却案には反対 する」と表明する議員が現れるなど、事態は変化・流動化しはじめた。2月17日から、住民団体の代表らが役場前でハンストに突入した。2月19日には、「青い海と緑 の会」が緊急集会を開催。ハンストに突入したグループと、緊急集会を開催したグループ は、昨年夏の町長選で互いに対立する陣営で闘った住民達である。しかし、その一方 の側の緊急集会で、「ハンストでがんばっている仲間達がいる。ぜひ5分でも10分 でも駆けつけて一緒に座り込んでほしい」と訴えるなど、お互いに激励し合いながら 運動が展開された。ハンストに、巻町内外から激励の人々が駆けつけ、一緒に座り込 み、町内の年老いたひとびとが湯たんぽを差し入れる。
     臨時町議会当日の2月20日には、午前8時から反対派住民、労組活動家達が役場前に 続々と結集した。住民達は役場・議場におしかけ、町会議員・町長への説得行動が取 り組まれた。東北電力に買収された町長の強攻策に、地方選を目前にした町会議員た ちも、ただちについてはいけないという事情もあり、待機していた機動隊はついに導 入されることはなかった。粘り強い説得行動に町長・議長は身動きがとれず、ついに 議会は流会となり、自動的に売却案は廃案となったのである。

    9 95年4月町議選

     このような住民のエネルギーを背景にして、95年4月、統一地方選の中で町議選が 迎えられた。町議会は、巻町議会定数22に対し、それまで圧倒的に推進派が優勢で、 社会党1、共産党1がわずかに反対派であった。しかしこの選挙では、「住民投票を実 行する会」をはじめ、反対派組織や保守系候補の中の条例派が大量に立候補した。
     熱気ある選挙戦がたたかわれ、反対派女性候補が上位を独占し、結果的に原発反対 派・条例制定派が過半数の12議席を占めるという結果となった。議会の過半数を取ら なければならないという必要性からこのような大量候補を出馬させ、住民投票の結果 を反映する形になったとはいえ、マスコミも含めて多くの人々がこのような結果を予 想してはいなかった。まさに町民意識の大変化であった。東北電力はまたも住民の強 固な意思を突きつけられることになったのである。

    10 住民投票条例可決、一転改正へ

     95年6月、条例制定派議員は共同で住民投票条例を提出し、推進派の切り崩しで可 決は危ぶまれたが採決の結果は11対10で可決、条例が成立した。この条例のままでい けば10月にも住民投票が実施されるはずだったが、9月には住民投票時期を「施行か ら90日以内」として義務付けていたものを「町長が議会の同意を得て実施する」とす る改正案が可決されてしまった。
     反対派・条例制定派は町長に対し「ただちに投票実施を」と要求。町長は当選時に は「原発推進が承認された」と豪語していたにもかかわらず、「町民にはまだ勉強す る時間が必要」と先送りを表明、さらに再び町有地売却の可能性も示唆するなど建設 計画の推進の姿勢を崩さなかった。

    11 町長解職請求へ

     条例制定派住民は町長には住民投票の意志がないと判断し、95年10月、原発推進・ 反対を越えて全町民が参加できる運動をめざし、町長の解職請求(リコール)の準備 に入った。
     この時期、95年1月の住民投票の会場として申請した町営体育館などの使用を拒ま れたことを不服とし町を相手取り損害賠償を求めた訴訟の判決が10月31日新潟地裁で おこなわれた。原告の主張が認められ、町に35万円の支払いが命じられた。町側は 控訴を断念した。民主主義への町長の敵対が判決という形で明らかになり、これもリ コール運動に大きなはずみをつけることになった。
     11月に14日、「巻原発・住民投票を実行する会」の笹口孝明代表を請求人として町 長のリコールのための署名集めがついに開始されたのである。
     リコール運動は原発反対派そのものの運動ではなく、広く民主主義問題として取り 組まれ、「住民投票を実行する会」の笹口代表が請求人となり、それをさまざまな個人・団体が支援するという形になった。リコールのための署名集めをする「受任者」は、巻町の有権者でなければならないが、1000名程が集まった。
     巻町の人口は約20000強で、リコール成立には1/3の有権者の署名が必要で、 7千以上を集めなければならない。署名は本人の署名・捺印が必要なため、しがらみ や地縁・血縁、職場の利害でがんじがらめにあっている町内では、リコール後の過半 数の必要な解職投票よりもハードルが高かった。署名は一定期間の縦覧が認められているが、推進派はこれを「署名したら公開される」「役場に張り出される」などの宣伝をして住民を脅した。また、職場でも上司がなかば命令の形で「署名するな」など と締め付けが行われており、家族の署名まで監視されているケースも報告されている ようである。
     こうした妨害にも関わらず、リコール署名は先日1万余名をもって提出され、12月15日、ついに町長は辞職した。

    12 住民投票実施を訴える新町長が誕生!

     原発反対派・住民投票派は、自主管理住民投票運動やリコール運動の中心となった 笹口孝明氏を町長候補として擁立、選挙準備を進めてきた。一方推進派は佐藤町長が 立候補を固辞、足並みが乱れ、立候補の事前説明会が予定された1月8日になっても候 補者が決まらず、ついに推進派は正式に立候補を断念した。
     そして1月16日、町長選が告示され、午前8時の告示と共に笹口氏が手続きを完了、 無投票当選と見られたが、同日午後4時になって予想外の長倉敏夫氏が立候補手続きを 届け、一転一騎打ちとなった。長倉氏は去る昨年4月の町長選でも出馬、落選している が、無投票は良くない、として、住民投票実施と原発計画反対を訴えての立候補と なった。ただし、住民投票をめぐるニュアンスとしては笹口氏が実施そのものを強く 訴えているのに対し、投票そのものには賛成であるがあくまでも議会制民主主義を補 完するもの、として、やや引いたスタンスをひく一方、住民投票だけが町長選の争点 になるのはおかしいと主張、観光や産業の育成を訴えている。また、昨年2月の町有地 売却案がはかられる町議会が反対派の抗議で流会となった事態に対し、「民主主義を 否定する勢力から町長が出るのは許せない」と主張している。また、長倉氏は住民票 こそ巻町越前浜にあるものの、生計の場は埼玉にあり、今回の町長選のために巻町へ 戻ってきており、選挙が終わればまた埼玉に戻ると言われている。
     生活の場が巻町にないとはいえ法的には保障された長倉氏の立候補の権利を、私た ち市民新党にいがたは否定するものではない。しかしこの数年間、町内で原発と住民 投票をめぐってこれだけ焦点化され、さまざまな論争の場、政治主張の対決の局面が 重ねられてきたにも関わらずそうした局面にいっさい関知してこなかった人が、こう した行為に出ることに対しては疑問を挟まざるを得ない。また、長倉氏が問題として いる95年2月の議会流会に関しても、その根本要因は反対派の抗議行動ではなく推進 派・町当局の不合理で強引な町政運営であったことは、結果として反対派の中から逮 捕者を出すこともなく、待機していた機動隊も導入されず、マスコミも治安当局もこ の行動を非難していないという事実が雄弁に物語っている。また、仮に百歩譲ってこ れに問題があったとしても、当時反対行動を担った反対派と笹口氏は一線を画してお り、当時の抗議行動にも参加していない。したがって、その主張は全く誤りであると 言わなければならない。
     こうして、急遽立候補した長倉氏と笹口氏の一騎打ちという形で選挙となり、1月 21日投票がおこなわれ、即日開票の結果笹口氏の当選が確定、いよいよ新町長の誕生 となった。開票結果は以下の通り。
    ヲ開票結果ヲ
    笹口孝明(47) 8569(当選)    長倉敏夫(60)  991
    ※当日有権者数 23065 投票総数10565(投票率45.81%)
                 無効   1005
     投票率は45%と低調で、笹口氏の得票は8569票で、リコールで集められた12000を下回り、辞職した佐藤町長の94年当選時の票(9000)をわずかに下回る形となり、意外な結果となってしまった。しかしこれは推進派が立候補を断念し、さらに公示日まで「無投票」「笹口町長誕生は必至」との観測が流れていたためにた盛り上がりにかけたことがひとつの原因と言える。この点から考えると、推進派にとって長倉氏の立候補は、明確な推進派の立候補により反対派の猛反発をくらうよりもより有効に、しかも自らが傷つかない形で、笹口当選の権威を傷つける効果があったといえるだろう。前述の住民運動への敵対発言等と考え会わせると、長倉氏の立候補の経緯と推進派の思惑とに何らかの関連を考えても不思議はない。
     しかし、推進派が立候補を断念したまま選挙を迎えた時点で、町民は笹口氏の当選と住民投票の実施について確信したのであり、この問題についてはその時点で一定の決着がついたと言っても間違いはない。推進派は自らの敗北を知り、圧倒的多数の住民が求めている住民投票の実施に向けて協力すべきである。

    13 新町長の投票実施政策をめぐる議会の状況

     議会は現在、条例派9、推進派12(うち議長1名)、中立1、の22名構成となってい る。笹口町長は住民投票の実行を公約としており、現在予算案を提示する3月議会をめ ぐって攻防が続いている。
     巻町は多額のいわゆる原発交付金を受けてきた。笹口氏は、そのうち建設準備関連 の予算をカットし、宣伝・啓蒙目的の予算を原発に関する公開シンポジウムなどの開催のための予算として提示する予定である。これをめぐっては保守系・推進派議員が町政財源の減額となるとして反発、一方社会民主・共産は交付金そのものに反対してきた経緯があるため、「認められないと考える」と表明していた。
     しかし笹口氏は保守系を含む条例制定派の支持構造で当選したのであり、この間の 住民の意思表示も、原発反対だけではなく住民投票の実施を通した民主主義と地域主 権の実現という形であったことを考えれば、交付金が含まれているから予算案に反 対、などという硬直した態度はとるべきではないと考えられる。現在、社・共、住民投票派の議員は笹口氏の提案に賛成する方向である。
     また、2月8日、笹口氏はできるだけ早い時期の投票実施を目指し、かつ充分な論議 を保障するため、前述の公開シンポを5月、そして当選後半年を経過した頃として7月 7日の投票実施を提案する予定である。現在の条例は投票の実行時期について「町長 の判断に基づき、議会の同意を得て」としてある(昨年6月、推進派によって改正され てしまったため。−「これまでの経過」参照)ため、推進派が優勢な議会で同意を得 るためにまた大きなハードルを越えなければならない。しかし、住民投票の実施その ものに対しては推進派町議の中でも反対する根拠は希薄である。表向きは推進派も投 票そのものには反対していないのである。
     なお、条例を骨抜き化するための推進派による条例の「改正」攻勢の過程で条例派 から裏切った議員に対するリコール運動が予定されている。リコールは当選後1年経 ることが必要なので、今年の4月以降におこなわれると考えられるが、リコールが成功 してもなお、議会構成はわずかに推進派優勢のままとなると目算されている。態度が微妙な町議は94年の町長選で社会党と「住民投票実施」を公約にした政策協定を結んで「慎重派」として町長選に立候補した村松氏で、現在推進派と新しい会派を組んでいる。それでも住民投票には賛成の立場をとる、と表明してはいるものの、もともと「建設促進決議」を町議会であげた際の急先鋒であり、根っからの保守金権土建政治家である。

    14 巻町3月議会で笹口町長が7月7日の投票実施を提案

    (96年3月記)  3月議会で笹口町長は投票実施事務費733万円と原発シンポジウム費用450万円を盛 り込んだ、1996年一般会計予算総額89億6400万円を提案し、併せて投票の実施は7 月7日としたいとし、住民投票条例への同意を議会へ求めた。原発推進派は基本的に投 票先送りの方針だが、中には7月投票を容認する声もあり、推進派内部の意見はまとま りきっていない。今後の推移が見守られる。

    15 新潟県議会で知事が踏み込んだ態度表明

    (96年3月記)  1996年3月(95年度3月議会)、新潟県議会連合委員会で知事への質問に立った自 民党議員は通告外の質問として再三知事に巻原発に対する態度表明を迫り、知事は 「推進の立場」をあらためて確認、さらに巻町で予定されている町主催のシンポジウ ムにも可能であれば出席したいとのの意向を示した。
     こうした状況を見ると、推進派・自民党上層部では笹口町長から提案されているシ ンポジウムや投票を最大の攻防点・ヤマ場として設定、全体重をかける方針かと思わ れる。

    16 全国初の住民投票、8月4日に決定!

    (96年3月記)  住民投票の時期を巡っては推進派内部で投票をあくまでも先送りしたいとの意見 や、実施やむなしという意見があり、いったん10月実施という意見が大勢を占めた。 しかし条例派から原発推進派へ鞍替えした町議がリコールを恐れ、なんとか早期の実 施を明確に意志表示したいという動きもあった。こうした推進派内部の混乱が町長提 案より1カ月送らせただけの8月実施案という形でまとまった。3月21日、巻町議会定 例会3月議会本会議では、町長提案の7月7日投票実施案を否決したものの、推進派か ら提案されていた8月4日実施案をあらためて町長側も提案、これを18対2の賛成多数 で可決、投票時期が決定された。条例実施派も1カ月程度の遅れならということで実 を取った形だ。
     この8月実施というのは、上記のように推進派内部の混乱の表現でもあるとはいえ、 実は推進派の巧妙な作戦でもある。まず、町長提案をいったんは拒否し、とんとん拍 子の条例派の攻勢を、わずかな期間の延長という形ではあれ、くじくことができた。 次に1カ月とはいえ時期を延ばし、できるだけ充分な運動期間を確保した。長い準備 期間は、金と人員が豊富な推進派にとって有利に働くとの判断であろう。さらに、反対派は、住民投票実施を公約としながら推進派へ鞍替えした町議達へのリコール運動を計画していたが、1か月の遅れとは言え住民投票実施を明言した推進派提案であるので、リコールの根拠をなくすことができたわけである。
     いずれにせよ、ついに全国初の投票が実現されることになる。

    17 8月4日の投票に向け、すでに大激戦!

    (96年4月末記)  「これまでの経緯」で示したように、ついに巻原発の是非をめぐる住民投票の実施 が8月4日に決定され、激しい、最大の攻防局面が始まった。東北電力は実施の議決の あった3月21日付けで人事異動を発表、現地準備本部をさらに8名増員することを決 定、全戸訪問で原発建設の理解を得る、との方針を明らかにしている。
     自民党県連、新進党県連などは協力して推進のための大同団結を確認、6月にシン ポジウムを計画している。ここに県知事を登場させ推進の立場をより明確にさせる意 向だ。町内部にも町議やこれまでの推進派団体とは関係のない人物を代表にした、推 進のための新たな住民組織が作られた。また、資源エネルギー庁自身も乗りだし、現 地でシンポジウムを計画している。さらに、原子力懇談会は各地区のミニ集会を開催中で、飲ませ食わせの会合を重ねているとのうわさが流れている(もはやこれはうわさではなく、報道機関の取材で参加者が証言することによって明らかにされた)。  東北電力は4月16日から各戸訪問に入り、「温泉・フランス料理つき原子力見学ツアー」などと観光旅行をえさにしたビラも配布している。まさに推進派の全体重をかけた攻勢が始まっている。
     一方、巻町内外の反原発勢力も全力で反対運動を展開すべく準備中である。4月21 日には新潟市万代市民会館でチェルノブイリ10周年に合わせた集会が開催されるな ど、周辺地域でも支援運動が活発化している。

    18 さらに激しい攻防戦 買収まがいの推進派攻勢

     今までの経緯でも示しているとおり、8月4日の投票実施に向け、大激戦が始 まっている。去る5月17日に開催された、推進・反対の両講師が講演する町主催のシ ンポジウムには町民700名が参加し激しいやりとりがおこなわれるなど、町民の関心 の高さと推進・反対双方の決意の固さが表されている。
     推進派は、投票日が決定されて以来これまでにない活発な動きを見せている。東北 電力は投4月に入ると電力社員2人一組で全戸訪問を開始した。そこでは、「フランス 料理・温泉旅行付き原子力発電所見学ツアー」の募集チラシが配布されている。また 地元財界などで構成する「原子力懇談会」は町内の各地区で飲ませ食わせの会合を重 ねており、その経費は東北電力が全額負担している。これらの買収まがいの行為は、 住民投票が「公職選挙法で定められた選挙」ではないため、罰せられることはない。 推進派はありったけの金と地縁血縁による「脅し」で住民を原発賛成へと組織しよう としている。
     5月19日には、新潟市内で自民党・新進党などの「超党派」と財界、電力などが共 同主催する「エネルギー問題を考える」シンポジウムが開かれた。さらに6月には資源 エネルギー庁主催のシンポジウムや連続学習会が新潟市と巻町内で取り組まれようと している。「住民にもっとよく理解してもらうため」などというのが理由だが、この ような推進派こそ住民無視の推進政策を続けてきた張本人だ。
     こうした推進派の猛攻は、巻町民の圧倒的な反原発の声と主権を求める人々の動き に対する厳しい危機感に基づくものだが、そうした危機感は、「原子力産業新聞 ('96.5.9)」に記録された以下の記事でも明らかである。−「東北原子力懇談会(会 長・多田和彦東日本興業顧問)は四月二五日、仙台市内の ホテルで平成八年度定時総 会を開き、(略)日本で初めて 八月四日に行われる予定の新潟県巻町での、原子力発 電所立地の是非を問う住民投 票に対して、建設支持を求めて組織を上げて支援する決 議を行った。(略)八月の巻町の住民投票は、『これから原子力発電の動向を左右す る、わが国の原子力の平和利用の分岐点として捉えるべき大きな戦い』と位置づ け、 連日懸命の活動を展開している同懇談会の構成組織の一つである巻原子力懇談 会に対 して、東北原子力懇談会としては、新潟並びに東北六県の六十二組織、会員 九千余名 の総力を上げて支援すること(以下略)」−こうして、文字通り「国・電力・財界」 一体となった、全体重をかけた攻撃が狭い巻町に猛然とかけられているのである。
     この推進派シンポジウムでは、社民党も推す県知事が出席し祝辞を述べた。それに 先立ち県議会で知事は、社民党の抵抗にも関わらず原発推進の考えを改めて明らかに した。同じシンポジウムで新進党の小沢辰男代議士は、「社民党の関山信之君(注・ 新潟1区選出の社民党代議士)に聞いたら社民党も原発を認めています、と言っていた から大丈夫」と発言した。関山氏は確認のためのマスコミの取材を受けて原発容認政 策を明確に否定することはできず、小沢発言にも何ら抗議できなかった。また、資源 エネルギー庁主催の新潟市でのシンポジウムには、地元の「連合」会長までもがパネ リストとして参加する予定である。社民党の県議・市町村議は、地方議会で揚水発電 所建設計画など、原発建設政策と結びついた大量消費・大規模開発型事業などにこと ごとく賛成票を投じている。推進派の猛攻は、社民党本部の原発容認政策、関山など 地元の社民党代議士の言動、そして何よりも原発政策の背景となっている国や地方の 経済政策・開発事業政策に対する与党化した社民党の追認姿勢によって勢いづけられ ているのである。巻の反原発運動の中で、確かに連合内外のいわゆる県評ブロックや 社民党系労組が奮闘しているが、こうした問題を社民党系活動家は厳しく自覚すべき だ。自分たちが責任を負って政策をつくり、その政策に「体を張って反対」などと 言っている自己矛盾と自分たちの真実の姿に、気づかなければならない。
     原発建設のためには「超党派」協力や露骨な国の介入もいとわない、なりふりかま わぬ推進派の猛攻に比較して、原発反対派は、やや出遅れた印象を与えていた。これ は、ひとつには社民党系団体と共産党系団体のぎくしゃくした関係に基づくものであ ろう。だが、現場での共同の取り組みを通して、そうした異なった組織間の相互批判 や協力のありようが試されていくのであり、こうした問題は時を重ねるに従って後景 に押しやられていくだろう。
     推進派の猛攻に比較して激しさがやや弱く見えるもうひとつの理由は、これまでの 「住民による自主的住民投票」「条例制定」「町長リコール」といった、「民主主 義」の問題を最大の焦点として対決してきた構造が、ここにきていよいよ原発建設の 是非を問う最終局面となって、対決軸が微妙に変化しシフトしているということから くる「混乱」である。住民投票の実施や町長のリコール運動の中心となった「住民投 票を実行する会」は、今回の局面では「原発反対」運動そのもののの主体にはなりに くい。今回は、裸になった「反対」派と、これまでになく広く政財界を味方にした 「推進」との激突となる。推進派は、こうした構造的変化を巧みに利用して、原発問 題を「安全論争」に矮小化し、その上で政府機関や科学者を動員して安全神話の再確 立にやっきとなり、買収と脅しによってこの投票を乗り切ろうとしているのである。  したがって巻内外の反原発派や心ある人々は、原発建設計画によって「民主主義」 を破壊してきたのは誰なのか、今一度はっきりと住民の目に明らかにさせる必要があ る。今も買収まがいの運動を展開し、町内に腐敗の種をまき散らすことによってしか 建設計画を進めることのできない原発の危うさとその非民主主義的あり方を徹底的に 暴露していかなければならない。
     こうした苦闘や混乱もはらみながら、5月から6月にかけて、いよいよ反対派も本格 活動に入っている。各運動団体のカンパ活動、講演会なども重ねられ、「住民投票で 原発を止める連絡会」の共同集会も開催された。連絡会で共同の土地を借り、6月8日 には共同事務所もオープンされ、原発に反対する気持ちを込めたハンカチでつくった 「木」を各所に建てる予定だ。そのためのカンパ用の共同の口座もやっと作られる。8 月の投票まで、ミニ集会や「原発さよならコンサート」なども開催される。また、従 来の反対団体ばかりでなく、「原発を考える医師・歯科医師の会」や同様の「看護婦 の会」などがすでに巻町内外に横断的につくられ、運動を支援している。新潟市で反 対運動を支援する最大の市民組織「巻原発を考える新潟市民フォーラム」は、精力的 に講演会などを開催するとともに、住民投票実施時期の最初の町長提案であった7月7 日に合わせて(推進派との攻防で1か月延期され今日の結果となった)、「巻町以外の 周辺住民の原発への不安感を表現したい」として新潟市で「市民投票」を実施する計 画を進めている。県評系の「反対共闘」も同日集会を開催する予定だ。
     また、「連絡会」構成団体の一つ「巻原発反対町民会議」(共産党系)は、インターネット上に
    「こちら巻原発放送局」というホームページを開設し、インターネット上での投票を呼びかけている。

    19 推進派、度重なる不当行為!

     すでに報告したとおり、推進派の攻勢は、参加者が参加費を払わず東北電力が持つ 飲ませ食わせの会合や、「温泉」「フランス料理」つきの格安ツアーなど、住民を愚 弄した買収まがいの行為となっていた。
     あまりのひどさに、6月14日、国会で共産党議員が「買収の疑い有り」と資源エネ ルギー庁にただしたのに対し、ただちに買収とは言えないが調査するとの回答がなさ れた。これを受けて東北電力はついにこのツアーを中止した。また資源エネルギー庁 に提出した報告書についても資源エネルギー庁側は満足せず、「まだいろいろと疑問 がある」としている。しかし、原発推進団体でつくる「明日の巻町を考える会」は シャトルバスによる原発見学会を開始。懲りない推進派である。同会はこの原発見学 シャトルバスに白ナンバーの東北電力の自家用バスを使用し、これについても共産党 系団体が「白ナンバーの車を使うのは道路交通法違反ではないか」と指摘。これも中 止に追い込まれたが、7月7日以降はバス会社から営業用マイクロバスをチャーターし て見学を続けることを決定。
     また、資源エネルギー庁の主催する講演会はデタラメだらけの内容だ。講演した講 師が「放射線が原因で癌が発生することはない」などと発言し、参加者からの猛反発 を浴びた。この問題は国会でも追求され、国側は「放射線が白血病や癌を誘発する」 「チェルノブイリでは小児甲状腺癌が多発し深刻な問題となっている」「行き過ぎの 無いよう注意する」と回答した。問題の講演をおこなった科学者は核医学会幹事など もつとめる「権威」である。明らかな虚偽の講演をする科学者の不当な発言には強い 怒りを覚えざるを得ない。一部の企業の利権と結びついた官僚や科学者によって人の 命さえもが奪われている薬害エイズ問題も同様だ。資源エネルギー庁は、後になって 明らかに虚偽とわかるような内容の宣伝を投票日まで続けるつもりなのか。これは 「ウソも百回言えば真実になる」というナチスの戦略にも通ずるものと言える。
     資源エネルギー庁は一連のこうした宣伝戦で数千万円の予算を使っている。だとす れば、資源エネルギー庁は私たちの貴重な税金を浪費してデタラメとウソの宣伝をお こなったことになる。科学的常識に照らしても明らかに虚偽の宣伝に対しては、同庁 は、宣伝のためにかけた同じ労力と費用を使って、デ訂正しそれを周知し、併せて関 係者・国民に謝罪すべきである。そもそも、こうした虚偽の宣伝を垂れ流すことでし か計画を推進できない原発建設の欺瞞性、不当性が既に個々で明らかになっていると いうものである。
     それにしても、これらの件に関して共産党が国会などで積極的に動いたのに対し、 社民党は何をしているのか、きわめて疑問だ。社民党系団体は一生懸命運動している が、国会議員などは何をやっているのか。新潟1区選出の関山信之代議士(すでに離党 したが)は自民党から「関山君も原発反対ではない」とまで言われ、またそれを否定 もできていない。「新潟の風」だかなんだか知らないが、総選挙への生き残りと新進 党との取引に躍起になって、巻原発などどこ吹く風という感じだ。離党したとは言 え、関山氏らが結成した「新潟の風」の政策には、「脱原発社会を目指す」と明記し てあるのだ。政府や科学者ばかりでなく、政治家も国民をだましている。

    20 いよいよ最後の決着へ!

     7月6日、巻文化会館で、自民、新進両党県議などが主催する「私たちの暮らしとエ ネルギーを考える集い」が開かれ、1300人が結集した。会場には町内外の原発推進団 体や建設業界などが詰め掛け、県選出代議士や県議らが顔をそろえ、経済効果などの 点で原発建設の必要性と住民投票の勝利を訴えた。資源エネルギー庁の連続講演会も7 月中旬まで続いている。
     反対派も当然黙ってはいない。巻内外で運動が展開されている。6月25日には「市 民新党にいがた」がコーディネートして「沖縄発全国キャラバン」の一行が巻町笹口 町長を訪問し、住民投票の成功と住民自治、地域主権の意義とその確立について互い に共感・激励し合い、ガッチリと握手を交わした。7月7日には新潟市で「巻原発に 対する周辺住民の不安感を表現したい」と、「巻原発を考える新潟市民フォーラム」 が新潟市内2カ所の固定投票所と2箇所の移動投票場を設け、「七夕市民投票実施」と 題した、巻原発建設のの賛否を問う市民投票を実施した。結果は総投票数4553票で原 発賛成が190票、反対4304票で、反対意見の「圧勝」だった。この結果は新聞等にも 大きく報道された。また同日、 「住民投票で巻原発NO県民ネットワーク」は新潟市 のホテルで「七夕原発シンポジウム」を500人の参加で開催した。その他にも、各団 体による地域集会なども熱心に取り組まれている。さらに7月21日には、ダイオキシ ン問題で日本沿海各地を回っている国際環境保護団体「グリーンピース」の船が原発 予定地の沖合いに姿を表し、母船から発進したゴムボート数隻が反対派共有地のある 浜までやってきて反対運動を激励、反対派住民も海からは漁船を出して、浜からは各 反対派勢力が集まってこれに応え、ガッチリと連帯の意志を確認した。また同日には 広瀬隆氏らを招いた講演会も町内で取り組まれた。7月25日には反対派の決起集会が 開催され、1000名が結集、気勢をあげた。
     推進派はあいかわらずデマと偽りにも満ちたビラを配布し続けており、反対派連絡 は抗議の意味を込めて公開質問状を発している。
     こうした中で7月26日、ついに住民投票実施が告示され、本格的な宣伝合戦が開 始。町内は熱気と緊張した雰囲気に包まれている。

    21 住民投票勝利! ついに巻原発建設計画にNo!が突きつけられる!−反対派勝利ドキュメント

     7月26日に住民投票の「告示」がおこなわれ、本格的な運動合戦が繰り広げられ た。従来の反対運動団体だけでなく、医師・歯科医師や看護婦の原発反対グループも 医療関係者の立場から精力的に運動に取り組んだ。反対派の運動も、これまでの25年 間の総決算をかけて、各勢力が全力を出して闘った。町の各所には、原発はいらない という思いを書いたハンカチを何枚も連ねた「原発いらないしあわせの木」が建てら れ、夏の青空の風にたなびいている。巻町内からだけでなく、全国の人々から届けら れるハンカチで次々と新しく建てられ、あるいは新たに民家の軒先につるされていく この「木」は、反対の意志を持ちながら地縁・血縁に縛られようとする住民の声無き 声を励まし、また町内に展開する反対派運動員を勇気づける無言のシンボルとなり、 逆に推進派へは大きな脅威となってたちはだかることとなった。巻町内に配布される 新聞折り込みに反対の気持ちを託した意見広告チラシの運動も取り組まれ、共産党系 団体のチラシに5000名、市民グループのチラシにも全国から600名ほどの人々の名前 が寄せられた。推進派のデマ宣伝や飲ませ食わせの買収まがいの行為、国の交付金を ちらつかせた攻撃にも関わらず、巻住民の意識は、明確に原発反対へ傾いていった。
     こうして、8月4日の投票日が迎えられた。すでに1000名を越える不在者投票がお こなわれ、最終投票率は、推進・慎重・反対三つどもえの激しい選挙戦となった94年 町長選時を上回る88.29%となった(有効投票数20503/当日有権者数23222)。
     7時15分より開票が行なわれた。午後8時45分の時点で反対8000・賛成7000と 1000票のリードとなり、反対派勝利が確実とされ反対派連絡会はじめ各勢力の事務所 は歓声と感動の涙でわきかえった。最終結果は反対12478、賛成7904と、4000票以 上の差をつけ、有効投票の6割を越え有権者総数で見ても過半数を占める圧勝であっ た。町長はただちに記者会見を開き、「巻町は原発と共存しない方向で決断した。町 有地は電力に売却しない」と明言、平山新潟県知事は推進の立場を崩しはしないもの の、「現時点での建設計画の推進は困難」と発言した。また、沖縄県側からも県民投 票推進会議室のスタッフらが現地入りしこの住民投票の成功と投票結果を歓迎した。
     この1、2年間、巻の運動は全国的に注目されてきた。しかし71年に建設計画が発表 されて以来、反対運動は苦難の連続であった。町長選で反対派候補をたてても、94年 以前までは、どんなにがんばっても2500程度の得票であった。建設計画初期の頃は 「原発のことは茶飲み話でも言えない」というのが町内の圧倒的雰囲気であった。巻 原発反対運動は、長年に渡って地道な運動を続け、絶えず現地住民の良識ある選択を 固く信頼しながら、そして町内外の多くの人々の協力も得て、各運動団体と住民が手 を取り合い、時に運動団体内部の対立や幾多の困難も乗り越えて、とうとう最終的勝 利の一歩手前までたどりついたのである。この勝利を、巻町民、支援してくれた全て の人々と共に心から喜びたい。

    22 今後の展開について

     このような圧倒的な勝利にも関わらず、しかし法的には建設計画は残ったままだし、国と東北電力は計画を撤回せず今後も推進の方向で説得していくと明言した。
     住民投票の結果には国の電気事業政策を変更させる法的強制力はない。しかし、条 例では「町長は投票の結果をもとにして町政をおこなう」と明記されているので、原 発建設予定地内の町有地を売却しないことで建設計画にストップをかけることができ る。笹口現町長は「少なくとも今の巻町民がそっくり入れ替わるほどの世代交代の時 期が来ない限り、この結果は有効」と明言してはいるものの、4年後の町長選、あるい はその後の町長選で仮に推進町長が当選した場合、この条例の拘束力がどの程度の効 力を持つのかについては疑問視されている。したがって町有地を電力に絶対に売却し ないことを法的に担保するような方法、たとえば原発建設反対を明確にした第3者機 関への譲渡やトラストなどのような共有化なども考えられる。
     なお、建設手続きの進展に対しこれと明らかに反する方向で下された今回の投票結果は、公聴会や公開ヒアリング、あるいは知事同意などの行政手続きなどを全面的に見直す必要性も示している。
     推進派は、笹口町長に対するリコール運動も考えていると聞く。推進派がわずかに 上回る町議会での混乱も予想される。しかし圧倒的な反対の意志表示は、その策動を 躊躇させるに十分な結果となって彼らの前にたちはだかっているだろう。推進運動の 成立基盤をさらに狭めるような、反対運動のさらなる攻勢がかけられることが望まれ る。最後まで、巻町民に対する注目と支援が必要である。
     また、96年10月には新潟県知事選が行なわれる。自民・新進・社民・公明・連合な ど県議会各派のほとんどが野合して平山現知事を支持している。一方共産党と市民新 党にいがたは、反平山で知事選を闘おうとしている。平山現知事は原発推進である。 反原発運動の中核を担い、精力的に運動を展開した社民党系の活動家達は、この知事 選では沈黙するか、平山を支持せざるを得ない立場を強制されている。ここでもま た、社民党幹部の矛盾と裏切りが露呈されている。知事選は、何よりも巻住民の選択 を県政に突きつける闘いとして構想される。原発を止めたいと思う全ての人々は、た とえ社民党員でも、この知事選で反平山の明確な立場を示すべきであると私たちは訴 える。
     巻住民の選択ははっきりと示された。不当な国策に対しては明確な拒否を突きつけ る住民と自治体首長がここにもいる。この意志表示は、国と全面的な対決状況にある 大田知事を抱え県民投票を控えている沖縄県民にも、大きな影響を与え、激励となる だろう。福井県では、原発周辺の自治体がこぞって原発増設ともんじゅ運転再開に反 対している。全国の人々が、あらゆる問題で自らの主権を主体的に行使していくこと が、沖縄や巻の人々を孤立させない闘いでもある。
     もっと多くの沖縄を、もっと多くの巻を!

    23 笹口町長、12月議会で電源立地対策課の廃止案提出

     笹口町長は、「住民投票で示された町民の意志を実現するため」、96年12月議会に 電源立地対策課の廃止案を提出した。
     しかし推進派は「建設促進決議はまだ生きている。議会軽視だ」と主張、廃止案は 抵抗に合い否決された。原発反対の町民意志にも関わらず、議会での推進派優位の 「ねじれ」現象が続き、町政運営の難局が続く。

    24 巻町3月議会−電源立地対策課の廃止案が逆転可決!

     巻町はいよいよ原発のない町づくりの方向に向けて歩だしている。町には、あらた な町づくりを模索し笹口町長を側面から支援する「町ビジョン研究会」も結成され、 巻町内外の学者・文化人なども参加して活動を始めた。  そして97年の新しい年を迎え、笹口孝明町長は12月議会で否決された電源立地対策 課の廃止案を3月議会に再提出、これが付託された総務文教委員会では可否同数となり 委員長裁決で否決となった。しかし24日開かれた本会議最終日では反対派・住民投票 実行派の町議に2人の推進派町議(もともとは住民投票を公約にしていた議員達で、推 進派に鞍替えしていたもの。いずれも12月議会では否決に回っていた)を加え、賛成 11・反対9でこれが可決され、委員会の採決結果が覆された。そして原発関連費用を 全く盛り込まない1997(平成9)年度一般会計当初予算案も可決(約20年ぶり)され た。巻町はいよいよ本格的に「原発のない」町づくりの方向へ、また大きな一歩を歩 み出したことになる。
     原発推進派(土田誠議長を含め12人)は、廃止案を否決するために議会の合間を 縫って繰り返し会合を開いたが、「巻原発住民投票を実行する会」が三町議へのリ コールの構えを見せており、全体としての意思統一を図ることができなかったことが推進派の敗北原因のようである。 ある。

    25 巻原発計画、着工3年先送り

     こうして、巻町民は住民投票で原発と共存しない町づくりの方向を意志表示し、そ の意志表示に基づき電源立地対策課も廃止され、東北電力にとって厳しい情勢となっ た。3月26日、東北電力は巻原子力発電所建設計画を新たに三年先送り(これまで年 が改まる度に1年ずつ延期してきた)する方針を決め、この結果着工は2002年、運転 開始は2008年とされる模様である。
     地元報道機関も「動燃再処理工場爆発事故などで原子力政策への不信感が強まって いる時期の同電力の方針決定は、各地の原発立地の動きにも影響することが予想され る。」とし、計画は大幅に後退したことになる。しかし計画そのものがなくなったわ けでは決して無く、着工の2002年という数字を見ればわかるとおり、計画そのものは 間近に迫っている。さらなる追撃が必要である。

    26 坂下町議のリコール運動展開

     「巻原発住民投票を実行する会(菊池誠代表代行)」は原発立地対策課廃止案が可 決された巻町議会本会議最終日当日の3月24日夜に臨時の賛同者会を開き、もともと 住民投票を公約としながら推進派に鞍替えし(96年8月の住民投票の実行にも敵 対)て12月議会・3月議会の両方でこの廃止案に反対した坂下志(ひろし)町議に対 するリコールを決定した。
     この決定に基づき、「実行する会」は4月21日、坂下町議のリコール運動開始を宣 言した。同会の菊池代表代行はリコールの理由説明を「(95年4月の町議選で)坂下 町議の真意を見抜けず推薦してしまった私たちの責任をとる意味でも、平然と繰り返 される公約違反を見過ごせない」とし、「巻町に民主主義を確立するため、公約を破 ればリコールという図式を町民の力でつくり上げたい」と強調している。
     実行する会は5月2日に請求代表者証明書の交付を同町選挙管理委員会に申請し、 9日にも署名活動をスタートさせた。署名期間は一カ月間で、リコールには有権者の3 分の1の署名が必要で、約7800名である。
     現在、かつての佐藤町長リコール運動ほどの熱気は確かになく、町民の中にも「1 年中原発のことばっかり考えてられない。いいかげん静かにさせて」と言う人も少な くないようである。確かにそうした町民の方々の思いはよく理解できる。しかし、町 外の方々は、
    「住民投票を実行する会」の町民向けア ピールを是非読んで、少なくともこのリコール運動の主旨を、是非ご理解いただきたい。
     なお、このリコール署名は法定必要数7835名を越えて9167名分が集約され、同町 選挙管理委員会に提出された。坂下町議は現在のところ「不当なリコール。辞職する つもりはない。」とし、自分の所属する原発推進派の議員会派に支援を呼びかけまた が具体的な対応策は決まらなかったとのこと。署名簿は20日以内に選挙管理委員会が 審査し、縦覧・異議申し立てなどを経て有効数が越えていれば7月中に本請求がおこな われ、その後60日以内に(したがって9月上旬までには)リコール投票が実施される ことになる。

    27 坂下町議のリコール成立

     坂下町議へのリコール請求署名は選管の審査・縦覧のあと正式に成立し、1997年8 月18日、同町議へのリコール(解職請求)の是非を問う投票が告示された。「住民投 票を実行する会」菊池代表代行は同日、「公約を平然と踏みにじる議員はいらないと いうことを町民が投票で示してほしい」と町民に訴えたが、坂下町議は「いわれなき リコールと不当な署名。徹底して最後まで闘う」との意志を表示した。
     3週間の運動期間の末、9月7日、投票がおこなわれ、同町議の解職は成立した。結 果は以下の通り。
     当日有権者数23589 投票総数9674    投票率41%
     解職に賛成 6077(66.8%)  解職に反対 3015(33.2%)  無効 582
       投票率が低いのは、推進派も対抗するとかえって政治焦点化してしまうという判断 が働き運動を控えたこと、町民や反対派の中にも「原発問題は決着済み」という意識 があったことなどがあげられる。原発建設中止を目的とする原発反対派と、住民自治 や民主主義を最大のテーマとする「住民投票を実行する会」との間に矛盾が生ずるの はいわば当然・健全なことだろうとも思う。数年前まで、巻町には22名の町議の内原 発反対派がわずかに2名、社共ブロックで町長選を闘っても約2500票という状況だっ たことと比べると、反対派内部からもリコール運動に対する批判があった中で、「町 議の職を辞めさせる」というあまり経験のない(新潟県では実に40年ぶり)投票行動 に、決して都市型とは言えない巻町で40%という投票率も立派なものだし、6000名以 上の住民達が「坂下NO」を突きつけたのは大きな変化であるし画期的なことである。


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  • 「こちら巻原発放送 局」巻原発反対町民会議のページ。
     共産党系団体だが、住民投票時、ネット上の住民投票を呼びかけていた。また当時 日々のニュースをクリップしてアップデートした熱心なページ。
  • 住民投票ネットワーク  上記と同様このグループも共産党系団体。「94年相坂選挙を支持したのは共産党系 団体のみ」など事実に反する記載があったり、これまでの反対運動の中での他の住民 組織の役割の重要性に触れられていなかったりという問題はあるが、このページは写 真や資料が豊富で、これも熱心に作成されたことがうかがえる。これもぜひ一読をお すすめしたい。
  • 志賀原発再循環ポンプ事故に関する情報
  • もんじゅ最新情報(グリーンピース・ジャパン)
  • 「もんじゅ」「ふげん」の改名を求める市民の集い
  • 太陽光発電などに関するページ
  • 原子力情報資料室

    資料:原発を地方に建設するのは集団被曝を避けるため

     96年6月24日の原子力政策円卓会議で、原子力委員会の伊原義徳委員長代理が、原 発が人口の少ない地域に立地している理由を「集団被爆を避けるため」と発言した。 思わず本音が漏れた格好で、珠洲や巻、浜岡など原発問題で攻防が続けられている地 域に波紋をもたらしている。会議録からの抜粋を以下に明らかにする。これはパソコ ン通信上の市民運動関係のフォーラムからの転載。
    −−−−−−以下会議録からの抜粋−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    【吉村】 先ほど伊原先生から、東京は土地代が高いので過疎地に行くんじゃないの という話だったですが、こういう人を食ったような発言は私はぜひ撤回をしてほし い。 では立地はどうなのか。 安いから来るのか。 これはもう明確に、立地の指針の 中に 「人口の希薄地帯」と、一番最初に明記してあるわけです。  だから今の伊原委 員長代理の発言ですと、東京は土地が高いから東京にできないのだと。
     ではそれならば立地指針の一番最初に書いてある、 「原子力発電所の立地は過疎 地」といったような項目は抜いたらどうですか。これがあるということは、それだけ のリスクがあるからそういう項目が最初に入ってきていると思うんですよ。だから原 子力委員会の方がそんな考え方で立地を考えておるとするならば、これは私は大変な 問題だと思うのです。
    【伊原】 私は先ほど簡単のために申し上げたので、それがすべてではありません。 おっしゃるとおりです。まず原子力施設が大きな事故を起こす可能性はゼロではない わけですから。その時に受ける人口集団の線量をできるだけ低くすると……
    【吉村】 そういうことです。そのとおりです。
    【伊原】 これが一番重要なポイントであります。ですからそういう意味で人口密集 地を避けるというのが一つです。
     それから、そのためにはかなり広い離隔距離、長い離隔距離とりたいということも あります。それもありますので、広大な土地が望ましいと。それから、東京の場合、 冷却水を、これは隅田川からとれるかどうか知りませんが、 あるいは海からとるにし ても、なかなか冷却水を大量に消費するという工場ですから、 そういう意味で一つ問 題がある。
     それと今一つは、特に東京でいえば、地盤が非常に悪いわけです。原子力施設は岩 盤立地が基本ですから、東京は隅田川、荒川の土砂がずうっと長年かかって堆積した 場所ですから、地盤が非常に悪い。そういういろんな要素があります。そういうこと をいろいろ考えると、東京立地というのは問題が山ほどあるということでございま す。大変時間をはしょって申し上げて失礼いたしました。
    −−−−−−−ここまで会議録からの抜粋−−−−−−−−−−−−−−−−−−

    巻町民への支援運動


    「巻原発を考える新潟市民フォーラム」からのお知らせ・協力要請

     巻町民のこれまでの運動に勇気づけられ、新潟市でいくつかのグループが手を取り 合ってはじめた運動を、さらに大きなかたちでに発展させて、さまざまな個人・団体 が横断的に結成した団体です。とりあえず市民新党にいがたのページの領域を利用し て作成しましたが、特定の政党に属する運動ではありません。
     巻町以外の周辺住民の原発への危機感を表現するための「市民投票」や、「原発の ない社会をつくりたいという想いを巻町民の選択に託す」ための意見広告チラシへの 協力要請があります。意見広告チラシへの協力は、インターネット上からでもできま すので、是非御協力を!

    ●フランスワインのかわりに巻町のお酒を!

     フランス核実験抗議のためにフランスワインを控えている方も多いはず。フランス ワインの代わりに、巻町の自然の中でつくられたお酒やビール、ワインはいかが?
     それぞれ明確に原発反対とは打ち出していませんが、環境を大切にしたいという立 場から原発建設の動向に強い関心を持ち、特に上原氏や笹口氏は住民投票条例制定の 動きの中でも重要な役割をはたしており、つたえられるところによれば企業などから 取り引き削減などの締め付けにあっているとのことです。皆さん、ぜひ支援を!

  • エチゴビール・ブルーパブ

     新潟県巻町で酒蔵を営む上原酒造が、日本最初の地ビールとして94年7月から醸 造を開始し、95年2月16日オープンしました。巻町のきれいな水を利用し、いろ いろな味のビールを楽しめます。
    〒953 新潟県西蒲原郡巻町大字福井山中 TEL0256-72-0640

  • 笹祝酒造

     同じく巻町の酒造業。専務理事の笹口孝明氏は96年はじめまで「実行する会」の代 表で、当時の佐藤町長リコールの請求人、現在の新町長です。
     すでにいくつかの企業から取り引き縮小などの締め付けにあっているそうです。皆 さん、支援を!
    〒953 西蒲原郡巻町松野尾3249 TEL0256-72-3982

  • カーブドッチ

     ワインの試飲や、レストランもあり。また、青空のもとで簡単な料理も楽しめる。 年中無休でワインは全てオリジナル! ワイン蔵ではぶどうの木のオーナになれるそ うです。96年11月には、地下蔵、カフェテリア、雑貨ショップも新しくできました。 是非一度おたずね下さい。電子メールはcavedoci@alpha-web.or.jpです。カーブドッチのホームページもあります。
    〒953 新潟県西蒲原郡巻町角田浜1661 TEL0256-77-2811 

     このお酒関係の資料は、インターネット上で原発の動きや巻町の地ビール・ワインの情報を提供している大野宏さんのページ上の資料他、関係者からの情報提供などを参考にしました。
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