「地域政党」とその動向


 これは、東京市政調査会の要請で作成し、「都市問題」95年7月号に掲載された論文を加筆・修正、再編集したものです。文中に脚注が施してあり、論文巻末に整理した参考文献や説明を参照できるようになっています。

  • はじめに
  • 1.「地域政党」の定義・歴史
  • 2.日本における新しい「地域政党」の動向
  • 3.新しい「地域政党」形成の背景と成立根拠
  • 4.新しい「地域政党」の展開と今後
  • 注釈集

    はじめに

     1989年のベルリンの壁崩壊から始まり、91年のソ連・東欧の解体に伴う米ソ対決 構造の崩壊を背景にして、世界と日本の政治状況は大きく変化している。これまでの 「国家」という枠組みは、一方では、WTOなどを頂点とする世界市場経済体制の拡 大・強化やEUの形成などに見られる「グローバル化」という波に覆われ、もう一方 で、旧東欧圏内をはじめとするエスニックな紛争を通した国家の分離・分割や分散化 の動きによって絶えず揺さぶられ続けている。こうした全体状況の中で、日本は新し い「世界秩序」や世界経済構造により強く組み込まれ、そして55年体制に基づく「保 革」対決構造は崩壊した。その結果、中央政治への求心力も低下し、政界の再編・流 動化が始まり、また地方分権・地方主権の論議も進行している。さらに、新しい「世 界秩序」に対して日本がどう関わっていくのかという観点から、「国際貢献」や国 連・PKOとの関わり、「憲法」の問題も政治焦点化しつつある。日本の各政治勢力は あらゆる場面で、その組織的あり方や政治的主張をあらためて問い直され始めてい る。−「地域政党」形成の動きは、こうした世界情勢や日本の全体状況と無縁ではな い。EU議会において国家を越えたグローバルな政党が形成されている一方で、「地域 政党」は一見その対照的な存在とも見えるが、こうした状況を背景とするひとつの文 脈の中で語られるべきものであると考えられる。  日本において、1993年夏の自民党単独政権の崩壊から始まって、複数の連立政権の 倒壊と成立、小選挙区制の導入という事態が進行していた時期、我々は新潟において 「地域政党」結成の準備を開始し、村山政権の成立と「政治改革の完結」へと向かう 中、1994年10月1日に「市民新党にいがた」を発足させた。この小論では、上で述べ たような全体状況を見ながら、渉猟しうる範囲の資料を整理することによって「地域 政党」一般の歴史動向を概観するとともに、最近の新しい動向を見ながら、その政 治・社会的な背景についても分析することとする。我々の論ずることのできる範囲 で、これらのテーマについて整理してみたいと思う。
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    1.「地域政党」の定義・歴史


     「地域政党」には確固たる定義があるわけではなく、これに関するまとまった書籍 も国内においてはほとんど無い。また、厳密に言うと「市民新党にいがた」など日本 国内における多くの「地域政党」は、政治資金規制法に基づく政治団体の届け出をお こなってはいるものの、公選法上の政党要件は満たしていない
    1)。また「地域政党」あるいは「地方政党」というものは我々が初 めてではなく、ヨーロッパや日本国内でもすでに試みられている。例えば、経済的に 豊かな地域を背景に「国土の三分割」を提唱しているイタリアの「北部同盟」、カナ ダのフランス語圏の分離独立を求めている「ケベック連合」など、いわば地方民族政 党というべきものが知られており、それぞれ国会や州議会において議席を持っている2),3)。英国からの北部アイルランド地方の独立 とアイルランドへの帰属を求めるIRAと関連を持つ合法政党「シン・フェイン党」 なども、広い意味でこうした政党にあたるかもしれない。また日本においては、沖縄の社会大衆党が、やや性格は異なっているがこれらのような部類に入るかもしれない4)
     一方、生活クラブ生協の運動を背景に、いわゆる「代理人運動」を基盤に1984年に 発足し多数の議員を議会へ進出させている「神奈川ネットワーク運動」などがある。 環境問題など地域における身近な問題の解決から国政の問題にも取り組み、「日本初 のローカルパーティ」として自らを位置づけている。同様の運動は神奈川の他、北海 道、千葉、埼玉、東京、長野、福岡などにもあり、その理論化・ネットワーク化も進 んでいる5)
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    2.日本における新しい「地域政党」の動向

     こうした歴史とはやや離れた形で、1994年頃から新しい「地域政党」の試みが始ま り、「地域政党」という単語も新聞紙上で大きく取り扱われ、各種時事用語辞典でも掲載されるようになった
    6)〜13)。この新しい 動向を概観する。
     まずそのひとつは、既成の全国政党の中から地域単位で「独立」しようとする動き である。自民党では、東京都連青年部から「都連の分離独立、都市新党の結成」が提 唱され、大阪府連でも幹部が「都市新党」の結成を言及している 12)(ただし、1995年5月現在、まだ実現されていない)。ま た、社会党では社会党兵庫県本部の左派グループが、社会党の路線転換に抗議する形 で「兵庫護憲社会党」という地域政党として再出発することを表明した。さらに、横 路孝弘前北海道知事は、各地域の民主リベラル勢力を結集した地域新党が連携して国 会内会派を構成するネットワーク型新党の構成を打ち出している13)。現在の政治情勢の流動化と再編が、中央政界における政党 単位の離合集散ではなく、こうした地方単位の分離・独立の動きとして表現されてい くことは今後もあり得ると考えられ、これも「地域政党」の流れの一つとなっていく ものと考えられる。
     次に、農産物の総自由化体制に反対する農民達が全国12ブロックの地方政党の連合 として結成を準備している「農民連合」がある 14)。1995年7月におこなわれる参議院比例区及び選挙区への出馬を予定してお り、それぞれの地域別で農民層や食・環境問題に関わる運動のネットワークを基盤に した、ユニークな政党となっている。
     もうひとつここで特に述べなければならない動きは、革新系地方議員らが中心と なって準備されているものである。1993年5月、静岡市の松谷清市議らが全国革新議 員会議や環境問題地方議員連盟などに呼びかけ、「地方議員政策研究会−Local  Party Study (LOPAS) 」が結成され、地域政党の可能性や地方主権、地方政策など について研究している。新潟では、このLOPASに参加している山田達也新潟市議や武 田貞彦亀田町議(当時。現新潟県会議員)などが呼びかけ、大学の学者などを交え、市民 運動の活動家や学生などが集まり、1994年1月に「新潟市民新党準備会」が結成され た。九州でも、やはりLOPASと関係を持ちながら、福岡・佐賀・熊本・鹿児島などの 革新系無所属議員や市民運動家らが1994年2月に「ローカルパーティを考える会九 州」を発足させた。これらのグループは1995年4月の統一地方選を睨んでその動きを 具体化させ、新潟においては1994年10月に「市民新党にいがた」が結成された。 「市民新党にいがた」は新しい形の「地域政党」を全国に先駆けて実現させた存在と して社会的な注目を集めている6),7),10),11)
     他方、これを皮切りに、各地で同様に「地域政党」を看板に掲げるグループも形成 され始めてきている。もはやいくつかの類型で分類・整理しきれない動きとなってお り、その政治的立場や組織的なあり方はさまざまである。例えば大阪では「市民新党 おおさか」が結成準備を進めているが、このグループの中心は旧日本新党系の市民で ある。旧日本新党系のグループは、他の地域でもこうした地域政党の可能性をそれぞ れ独立に探っているようである。また最近、東京でも海江田万里衆議院議員らが「東 京市民21」という地域政党を結成したことが報道されている 15)
     こうした動き総体に共通した背景は、やはり55年体制の崩壊とその結果としての中 央政治・中央政党の求心力の喪失であろう。それが一方では既成政党からの地方独立 やネットワーク型再編の動きとして表現され、その一方では各地域や現場のさまざま な傾向を持った市民達が、多様なグループや政党を結成する動きとなって現れている ものと考えられる13)
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    3.新しい「地域政党」形成の背景と成立根拠

     「地域政党」形成の動きは、前述のように世界と日本の全体的な政治構造の崩壊と 流動化を背景にしているが、それと同時に、それぞれの地域における経験や歴史を経 た運動の苦闘の中から生み出されたひとつの結論であるとも言える。
     我々にとって「地域政党」を形成することは、国の主権者であり政治の主人公であ る自分達自身を取り戻す運動の一貫である。これまで市民は、巨大な国家機構や形骸 化した地方自治システム、そして既成政党政治によって国政や地方自治から遠ざけら れてきた。そればかりでなく、そうした現状に対して自らを政治の場から遠い位置に 置き、そして既成の政治システムや政党勢力や政治家達、利権集団に自分たちの声や 権利を委ね、さらに傍観者としてそのまま見過ごしてきてしまった。政治や民主主義 の現状を許してしまった原因のひとつは、我々自身のありように求められるのだと考 える。世界と日本の既成の政治構造が崩壊し流動化した時、あらためて我々はそのこ とに気づかされた。そして我々は、自分達自身のことは自分たちで決定するという、 民主主義の根本的な原理を取り戻し、自治と変革の主体として自分たち自身を位置づ けなければならないと考えるようになった。これが私たちにとって「地域政党」を必 要とする最も根幹をなす根拠であり、我々のさまざまな論議の全体を貫く基調であ る。
     ここでは、「市民新党にいがた」に関わった我々の経験や思想的基盤、結成に至る 議論
    16)、新しい地域政党結成の流れの契機 となったLOPASなどの論議17)などをもう 少し詳細に明らかにすることで、「地域政党」の成立背景と根拠をより具体的に示し たいと思う。

    (1)現在の社会システム及び国家機構に対する批判

     現代社会は、地方から人やモノや金、そしてエネルギーを中央に吸い上げる一方 で、原子力発電所や産業廃棄物処理場などを地方に押しつけてきた。例えば、新潟県 にある柏崎刈羽原子力発電所で発電された電力は、100%東京へ送られる。その関連 で建設されている揚水発電所は、JAPIC計画の中に位置づけられ、新潟の水を関東へ 送水する結果となる。地元には、環境破壊と、公共土木事業を巡る利権争いや汚職、 政治的混乱だけが残り、そして大量の交付金や補助金で自治体の自活・自立能力が失 なわれていく。また、こうした構造は国際社会にも深く関連しており、農業問題は WTOという世界経済機構の問題と直結し、原発は燃料や廃棄物処理の問題でやはり国 際政治と直結している。そして、新潟は中央政治・経済に従属しつつ、「環日本海構 想」のもとでのあらたな対岸アジア開発計画−それにはアジアでの環境破壊や住民強 制退去などの人権侵害などの問題もはらまれているばかりでなく、新潟側でも中央企 業の進出やそれに伴う地元企業の再編・合理化などが予想される−の拠点となりつつ ある。こうした社会構造の中に押し込められている「地方」で生活し労働する現場に は、その社会構造そのものを変革しようとする主体が登場する客観的な根拠があると 言える。さらにこうした点に加え、佐賀大の畑山敏夫助教授(政治学)は、このよう な社会構造の変革のためには「中央政党か地域政党か」という二者択一的なものでは なく、それぞれの自覚の中から、「地域」「地方」そして「国家」のそれぞれに重点 を置いた重層的変革が必要であるとの観点を提示している17)

    (2)現在の政治情勢に対する危機感

     次に、いわゆる総与党化現象に対する危機感と、それに抗することのできない中央 政党への失望感があげられる。社会党の路線転換の結果、これまで各地で市民運動が 大切にしてきた憲法9条の問題や原発問題などを国政の場で議論できる回路は狭めら れ、そして小選挙区制の導入によって少数意見はますます切り捨てられようとしてい る。そればかりではなく、こうした政治状況の結果、国民の監視や声の届かない場 で、「普通の国家」論に象徴されるような新しく強い「日本国家」が生み出されよう としているとの認識が、よりオルタナティブな政治勢力の形成へと意識を向かわせて いる。こうした危機感は、社会党を離党した国会議員グループやいわゆる新左翼系の グループなども持っており、これを核に新しい政治勢力づくりも目指されている。 こうした動きの中で各地の地域政党や地域運動グループは、全国政党の一部となるこ とを避け、それぞれの地域を基盤にした主体性を保ちつつ、こうした中央政治勢力形 成の過程に発言し、その運動を主体的に担おうとし始めている18)

    (3)既成政党組織への批判

     大政党の中央集権主義は、さまざまな弊害をもたらしている。中央で決定された方 針が全組織に押しつけられたり、いわゆる「党議拘束」によって党内少数意見が切り 捨てられ、極端な場合には違反者に対する除名などという処分がおこなわれる。その 一方では、この「党議拘束」を理由に、議員が自分の政治信条や公約に対する責任を 負わなくてもいいような風潮さえ生み出されている。こうした党組織の硬直化は、米 ソ対立を背景にした国内政党の対決状況を基盤とし、全国にわたる大組織が単一の見 解を持たなければならないという、「政党」に対する固定観念に由来するものである が、これが組織運営や党内の活性化を妨げる要因となってしまっている。全国政党で は避けがたいこのような組織運営に対する批判の中から、現実に顔の見える範囲で、 それぞれの問題を共有した現場で組織づくりを進めたいという欲求も、地域政党の必 要性へと結びついる。その結果「地域政党」では、必然的にこれまでの既成政党とか なり趣の異なる組織運営が提起されている19)

    (4)地方自治・地方主権の観点

     市会議員11名(うち静岡市4名)と県議1名を擁する静岡市の「駿河湾ネットワーク」 の松谷清市議は、地方分権、地方主権、そして「自治体政府」を獲得する主体として 「地域政党」を位置づけ、その点を強調している。金の動き一つを取ってみても、中 央政府が徴税し自治体へばらまくという構造の変革なくして真の地方自治は成り立た ないという意味では、この点は重要である。松谷市議は、こうした観点からする主体 としての地域政党を、「自治体を中央政府と対等な地方政府として諸権限を持つもの へと転換していく」ものとし、「短期的には地方分権法制定の5年間で地方政府として の諸権限を獲得する運動」として、「(長期的には)国家主権を弱め、国際機構、国、地 方政府の三つの政府の分化を進めていく分散化を実現するもの」としてイメージして いる17)

    (5)社会運動的な背景

     戦後、いわゆる安保闘争を経た世代の運動は、大きく二つの傾向へ分化した。ひと つは、新左翼運動を中心とする社会問題・政治闘争運動であり、もうひとつは、環境 問題などの地域住民運動に深く関わろうとする運動である。その両方が、前者におい ては階級闘争史観によって、後者においてはより具体的な運動課題に集中することによって、議会活動をあまり重視しない傾向にあった。その結果、議会において公共事 業などの行政に関わる既成事実の決定が先行し、それに対して後追い的に反対運動が おこなわれるという状況がしばしば生み出されているし、こうした議会の形骸化が放 置されることによって、この状況はますます固定化されているように思える。
     その一方で、それぞれ個人的・個別的な努力で議会に進出する運動も展開され、革 新議員会議の結成、静岡市における駿河湾ネットなど、市民運動の議会進出、地方議 員のネットワークも形成されてきた。そうした貴重な経験とこれまでの政治闘争至上 主義・個別運動至上主義の反省の中で、問題解決や情報獲得のためのひとつの方法論 としての議会活動、そして地方政治全般を変革していく総合性を持った政策立案活動 の重要性が認識されるようになってきた。そしてこれが前述の神奈川ネットワーク運 動などの形成5)や、現在のようにより意識的に日本社会や政治の 変革をめざす主体として自らを位置づけようとしている新しい「地域政党」の形成の 動きへと向かっているのだと考えられる。
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    4.新しい「地域政党」の展開と今後

     1995年4月におこなわれた統一地方選では、新潟で「市民新党にいがた」から、県 議候補3名と市議候補1名が出馬し
    10)、県議1名と市議1名が当 選したが、「地域政党」としての大きな波は起こせなかった。全国的にも同様のグ ループの当落状況は様々で、「地域政党」としてのひとつの傾向は見られなかったも のと思われる。しかし、新潟において我々が県議を1名当選させた状況は、東京都知 事・大阪府知事選で見られたいわゆる「青島・横山現象」と一部重なり、現在の政治 状況に対する危機感や反発に基礎をおいた動きに支えられている。既成の政党や大組 織に基づかない、市民派の県議の議席を確保した事実は、都知事・府知事選が「無党 派市民層」の存在を大きくアピールしたのと同様、「市民新党にいがた」や「地域政 党」そのものをより公の形で認知させ、さまざまな政治的場面でその行動を注目させ るものとなるだろう20)
     1995年7月におこなわれる参議院選挙では、各地の地域政党・グループが、選挙区 における候補擁立を模索し、全国比例区での協力も準備されている18)。農民連合も独自に準備を進めている14)。「市民新 党にいがた」も、何らかの形でこうした全国選挙にも関わっていく予定である。ま た、前述のLOPASを媒体として、各地域政党が、基本的な理念で一致できる範囲で ネットワークを形成していく動きも進行していく。情報公開や行政手続き条例の制定 などの政策を提案していく作業も、こうしたネットワークを媒体として、各地の「地 域政党」が中心となって進めていくべき課題である。特にこの作業は、自治体におけ る民主主義を実体化・具体化させ、今後展開されていく新しい政治状況に対して、住 民・市民がさまざまな場面で発言していくことを保障する重要な作業である。こうし て「地域政党」の動きは、今後の政界再編・政治状況の流動化と軌を一つにして、新 しい波の核として、そして真の民主主義を取り戻す運動として、展開されて行くこと になるだろう。
     最後に、前述の松谷市議は、ローカルパーティの動きと特徴を次のように整理して いるので引用したい−「このローカルパーティの動きは、93年の非自民連立政権、94 年の自社さ連立政権など国政における大変動への期待、戸惑い、失望と錯綜する市民 の政治意識の中から生まれている。これは、運動圏の分野に身をおいていた市民が、 制度圏に足を踏み入れ、政治を政党任せにしていた自分たちのあり方を変革しようと する一つの運動である。そして、この運動は、環境・食・人権・南北格差など具体的 なニーズを抱えており、極めてローカルでありながらグローバルである」17)−。
     「地域政党」の動きは現在の政治を変える重要な存在のひとつであることは疑いな い。ここに直接関わりながら、私たちは新しい試みと挑戦を開始しつつある。
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    注釈集

    1)いわゆる政治改革関連法案が成立したことによって、公選法上の「政党」は、(1)国 会議員を5名以上を有するか (2)直近の国政選挙において有権者の2%以上の得票率 を有するかのいずれかを満たすことが必要である。
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    2)「朝日新聞」1995年3月29日版 文中に戻る
    3)他にイギリスではスコットランド民族党、ウエールズ民族党など、地方を基盤にし た政党があり、ドイツでもバイエルン州だけを基礎にした、国会に議席を持つ政党が ある。文中のカナダの「ケベック連合」は、1994年9月の州議会選挙で過半数を獲 得、95年中に独立の是非を問う2度目の州民投票を実施する予定である。文中に戻る
    4)沖縄社会大衆党は1950年、沖縄群島知事選挙で当選した平良辰雄を委員長として結 成された。沖縄復帰運動に関わったが、結成当時には「国際正義に基づく新琉球国の 建設」ということが謳われていた。72年の本土復帰後、沖縄の各地元政党が本土政党への系列化・統合化を進めていく中で、現在まで地方政党として存続している。文中に戻る
    5)神奈川ネットワーク運動は、合成洗剤追放運動から議会への直接請求運動を通して 既成の議会政治に失望した生活クラブ生協などのグループが、自分たちの声を代弁す る「代理人」を議会へ送ろうとする運動が契機となった。1991年地方選では29人の 代理人を擁する運動体へと発展し、95年地方選では60人を擁立すると表明している。 この神奈川ネットワーク運動の経緯などについては10周年記念誌「THE NET」にく わしく、政策集等も発行している。また、これと関連する形で東京に編集局を持つ 「ローカルパーティ支援情報誌MOMO」が発行されている他、全国の代理人運動の 理論化・交流を目的に「代理人運動交流センター」も設立されている。
     なお、神奈川ネットワーク運動が「日本初のローカルパーティ」かどうかについて は沖縄社会大衆党の存在があるのでその評価は留保したい。
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    6)「毎日新聞」社説 1994年12月25日版 文中に戻る
    7)「朝日新聞」1994年11月11日版 文中に戻る
    8)「情報・知識イミダス1995年版」(集英社) 文中に戻る
    9)「最新情報・用語事典データパル'95-'96」(小学館) 文中に戻る
    10)「週間金曜日」1995年1月13日号 文中に戻る
    11)「世界」(岩波書店)1995年3月号 文中に戻る
    12)「朝日新聞」1995年10月2日版 文中に戻る
    13)「読売新聞」1995年2月14日版 文中に戻る
    14)1995年5月現在、全国12ブロックのうち10ブロックの結成またはその日程が決定 されている。機関誌「ニュース農民連合」を発行している。文中に戻る
    15)「産経新聞」1995年5月14日号 文中に戻る
    16)「市民新党にいがた結成報告集」 文中に戻る
    17)「LOPAS」No.6号(1995年3月発行)には、畑山敏夫佐賀大助教授の「なぜいま ローカルパーティなのか−ローカルパーティの基本理念への提言」という講演記録と その資料、「ローカルパーティ論の進化のために」と題する松谷清静岡市議の小論が 掲載されており、よく整理されている。本小論の基本的なバックボーンである。 文中に戻る
    18)1995年5月28日、新党護憲リベラルが中心となって、市民運動グループや各地の 地域政党・グループなどが集まり、公選法上の新党結成を目指す「平和・市民」結成 の集いが開かれ、7月参院選に向けて準備が開始された。社会党の護憲グループなどと も連携する方向である。中心となった新党護憲リベラルは1994年1月の政治改革関連 法案に反対票を投じ社会党を除名された国会議員らが中心になって発足したもので、 国会議員5名を有しているので、これが全員「平和・市民」に移行すれば、自動的に公 選法上の政党要件を満たすことになる。文中に戻る
    19)前述のLOPASの中で、松谷清静岡市議は、地域政党の組織原理を「この指止まれ 方式=共感が得られれば組織方針となるが、得られなければ個人の行動となる」もの と提起している。また「市民新党にいがた」は、多数決をできるかぎり排する「歩み 寄りの原則」を重視し、代表をおかず、党議拘束をなくすという会則を打ち出してい る。文中に戻る
    20)市民新党にいがた所属の武田貞彦県議の当選は、翌日の新聞各紙で全国版のニュー スとして報道された。また、改選後の議会の構成を巡る各党各派代表者会議では、自 民党が市民新党を参加させない方針を出したことをめぐって紛糾し、1995年5月19日 付の新潟日報社説は、地域新党の立場を全面的に擁護する論説を載せた。文中に戻る

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